第12話 砂漠のアンバー

「いかがですか? ……私たちも、初めて貴殿にお会いしたとき、それはそれは驚きました」


 応接の間。翠の光の中、ウマル閣下は僕らに言った。


「……正直、今でも信じられません。この絵画は、本当にラウダ妃の姉君の肖像なのですか」


 オスカルは僕が反応するより速く、ウマル閣下の言葉に返した。僕もいろいろと言いたいことはあったが、とても言葉にできるような状況ではない。


「ラジャ曹長のおっしゃりたいことはわかります。最近になって発見されたばかりの絵ですから、私たちもまだ十分に調査できていないのです」


「しかしいくらなんでもこれは……!」


 オスカルは礼儀正しく規律に厳しい。そんな彼がこれだけ取り乱し、あまつさえ身分が上の方に食って掛かるのは珍しかった。しかし、僕はそんな彼らの会話さえ最早聞こえないくらい、絵に夢中になっていた。


 絵は古く、修復も十分に進んでいないからか、幾分黒ずんで見えた。とはいってもこの砂漠に百年眠っていたにしては、随分と状態がいい。


 その黒ずみを差し引いて見るに、どう見てもこの人物の髪は栗のような茶髪で、右目は黄金色。肌は砂漠の民とは違い、色素は薄く白色に近い。


栗色の髪は僕よりいくらか伸ばされているようだが、それをひとつに束ねて砂漠に立つ様は、まさしく「僕」そのものだ。


「……だとして!」


 珍しいオスカルの大声に、僕ははっと現実に戻される。見ればオスカルは目つきも鋭く、今にもウマル閣下に噛みつきそうな勢いで、絵を指し示している。


「いくらキャンバスの裏に書かれていたからと言って、そう判断するのは失礼ながら早計では!?」


「オスカル、落ち着け」

「これが落ち着いていられますか!?」


 オスカルは絵を指していた腕を勢いよくおろしながら、僕に食い下がる。敬語を使ってくるあたり、まだ多少の冷静さは残っているようだ。


「お前が、僕のことを想ってくれているのはわかる。……しかし、それはウマル閣下にご無礼を働いていいことと等しくはない。お前は今自分がしていることをわかっているのか」


 僕の言葉にオスカルははっとしたように身を震わせた。ウマル閣下の後ろでは、マルジャーナ嬢がハラハラとした様子で、僕らを見ている。


「無礼を詫びなさい、オスカル」

「……はい」


 オスカルはゆらゆらと揺れながら、跪きウマル閣下に首を深く垂れた。


「ウマル閣下、ご無礼をお詫び申し上げます。……一武人が、従者が、閣下に恐れ多くもご意見を申し上げるような非礼を働きましたこと、大変申し訳ございませんでした。何卒、どうか主人ではなく、私を罰していただきたく」


「……オスカルはこう申しておりますが、従者の非礼は主人の非礼。どうか、彼のことは私と思い、ご容赦いただきたく。よろしくお願いいたします」


 僕もウマル閣下に礼をした。


「おふたりとも、どうぞお顔を上げてください。興奮するのもわかります。私はまったく怒ってなどおりませんから」


 さあ顔を上げて、とウマル閣下に促され、僕は腰を伸ばす。マルジャーナ嬢はほっとしたように胸を撫でおろしていた。


「オスカル。ウマル閣下はご寛大にもお許しくださるそうだ。……顔を上げなさい」

「承知しました」


 オスカルはゆっくり立ち上がると、改めてウマル閣下に礼をした。


「……ウマル閣下、この度はご恩赦いただき、誠にありがとうございます」


「ラジャ曹長、もう大丈夫ですから。話に戻りましょう? ……して、どこまでお話しましたかね……」


「ああ、畏れながら」


 僕はウマル閣下の言葉に手を上げて応えた。


「申し訳ございません。私、少々思案に耽っておりまして……。初めの方のお話を、まったく聞いておりませんでした……」


「ああ! そういうことでしたら一度初めからお話ししましょう。……ラジャ曹長も、もうお顔を上げてください」

「はい。失礼いたします」


 オスカルがゆっくり頭を上げるのを確認すると、ウマル閣下はゆったりと口を開いた。


「さて、まずこの初代『渇きの魔法』使い手の肖像画が発見されたのは、今から二年前です。当時はこの肖像画に描かれている人物が誰かはまったくわかっておりませんでした」


 ウマル閣下はそう言うと、徐に肖像画に近づき、そっと額に手を添えた。


「しかし半年ほど研究をしていくうちに、キャンバスの裏にとある文字列が書かれていることがわかりました。……『親愛なる、私の姉に。無事を祈って。——ラウダ・アズラカイム』」


「それって、」


「はい。すなわち、この絵画はラウダ公妃が描かせたものだったのです」


 ウマル閣下は淡く微笑むと言葉を続けた。


「使われていた顔料の分析から、おおよそ八十年から百年ほど前の絵であることはすでに分かっていました。加えて、記録によりラウダ妃の姉に当たる人物が『渇きの魔法』の使い手であることも、すでに分かっていたことです。……そして、そこに貴殿が現れた」


 ウマル閣下は僕の方へ振り返るとまっすぐに見つめた。


「貴殿の噂を聞いた父は、すぐに貴殿をお呼びしました。そしてその姿と実際の『魔法』を見て、さらに貴殿が『渇きの魔法』の使い手である確信を深めたのです。……正確に言えば、と言った方が良いかもしれません」


 ウマル閣下はもう一度絵に向き直る。


「先ほどお話したように、『魔法』についてはまだまだ分からないことが多くあります。特に、『渇きの魔法』については、存在さえ今まで厳密に確認が取れていませんでした」


 それでも、とウマル閣下は続ける。


「セルジ殿が『渇きの魔法』を持って生まれてきたことは間違いありません。アズラカイム家は貴殿の魔法のルーツとして、責任を持って貴殿をサポートすることをお約束します」



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「さっきは悪かった。ウマル閣下に食いつくようなことをして」


 大公立図書館。ページを繰る手を止め、周りに迷惑をかけないひそやかな声で、オスカルは言った。


「いや、本当はお前が取り乱してくれて助かった。でなければ僕が同じようなことを言っていたよ」


 僕は何も有効な情報が書かれていなかった本を閉じて、椅子に背中を預けた。


「正直自分と同じ顔が描かれた百年前の絵なんて、突然見せられても動揺しかないよ。……しかもウマル閣下のあの言い方。まるで、僕の魔法は本来アズラカイム家のもので、自分たちがそれをいいようにするのは当然だとでも言いた気だ」


 あの肖像、まあ僕の顔と似ているのはまだ理解できなくもない。僕の曾祖母がアズラカイムの人間である以上、多少顔が似ることもあるだろう。


「しかしおかしくはないか? 砂漠の民の肌は総じて黒い。お前はともかく、あの絵の主の肌が白いのは正直違和感がある」


「そうだよなあ。ラウダ妃の肌は一般的な砂漠の民と同じ褐色だった。そうなるとあの絵が『渇きの魔法』の使い手を描いたっていうのも、もっと言えば『渇きの魔法』のルーツがアズラカイムだっていうのも……本当だか」


 僕はため息をついて、机に突っ伏した。


「しかもここの図書は使い物にならないし……! まったくあの絵についても『魔法』についても記されていないじゃないか!」


 しかしこれも、仕方ないと言えば仕方ない。ウマル閣下の話を聞く限り、大公家は魔法の正体を民衆に隠蔽しようとしている。一般民衆も入室できる自由閲覧室には大した本も置いていないだろう。


「今日は遅いし、明日また来よう。おそらく禁書保管庫にならもう少し参考になる本もあるはずだし」


「そうだな……あ」


 オスカルは新たに読み始めた本のページをめくる手を止め、声を上げた。


「どうかしたか?」


「いや……参考までに砂漠の神話についてまとめられている本を読んでいたんだが……。『創世記』について書かれている箇所があって」


「まあアズラカイムもガルシアと同じヴェルデシア教を信仰しているから。『清流の女神』だってそこから取ったんだろう」


 ヴェルデシア教とはこの大陸でもっとも広く信仰されている宗教だ。創世神ヴェルデシアによって四元素をそれぞれ授けられた火の男神、水の女神、風の女神、土の男神により、この世界は創られたとするのがヴェルデシア教の教えだ。中でも創世神ヴェルデシアこそ、唯一絶対の神だとしている。


 また四柱にはそれぞれ二つ名が授けられており、水の女神の二つ名こそが『清流の女神』なのだ。


「〝古来の神話からもわかるように、砂漠において水を司る水の女神は、時として彼の創世神より尊ばれ、崇められてきた。『水をもたらす魔法』はまさしく神の力であり、そのため水の女神の二つ名である『清流の女神』の名が、使い手に与えられたのである〟……ようやく見つけた魔法についての記述もこんなもんか」


 オスカルは大きなため息をついて、読んでいた本を乱雑に机へ置いた。彼の集中力も僕同様そろそろ限界らしい。


「今日はここまでだな。閉館も近いし」

「そうだな。明日は特に予定もないし、お前の言う通り禁書保管庫にでも足を運ぶか」


 僕たちは明日の予定を確認し、図書館を後にした。

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