第11話 水底の肖像
ウマル閣下とマルジャーナ嬢に案内されたのは、宮殿でも奥まった場所に位置する謁見の間から、さらに進んだ先に広がるロビーだった。
ほかのエリアがほぼ大理石製の白亜の壁に囲まれる中、このロビーの壁はすべてが青磁のような柔らかい青色の石でできている。
明かりはしっかり灯っているはずなのに、なぜかほんのりと暗く感じられた。
全体的に風通しを重視して開放的に作られているアズラカイム宮殿だが、このロビーには高い位置にあるいくつかの窓を除き、まったく外の空間とのつながりがない。
この灼熱の砂漠ではさながらオーブンのようになってしまいそうだが、不思議ととても涼しい。
「ふふふ、不思議でしょう? 砂漠なのに涼しいなんて」
キョロキョロとあたりを見回す僕を見て、マルジャーナ嬢はくすくすと笑った。
「この壁は『
「へえ、そんな石が。不勉強で知りませんでした」
「砂漠でもなかなか採れない石ですから、市場には出回っていないんじゃないかしら。もしかしたら宮殿にしかないかもしれませんわ」
マルジャーナ嬢は誇らしげにふふんっと鼻を鳴らした。
「さて、セルジ殿、ラジャ殿。ここから先は大公一族の居住エリアです。このロビーはそちらへご案内するまでの応接間としての役割も果たしています」
「こちらにその肖像画が?」
「はい。……それよりも、まずはこちらの絵を先にお見せしたほうがいいかもしれませんね」
ウマル閣下はそう言うと、ロビー最奥にある大きな扉の前まで進んだ。
「右手にあるのが、アズラカイム公国・二代目大公の肖像です」
ウマル閣下が指す方を見ると、小柄なマルジャーナ嬢の身長と同じくらいは少なくともありそうな、巨大な肖像画がかけられていた。
描かれているのは豊かな髭を蓄えた、厳格そうな初老の男性。これがアズラカイム公国の二代目大公殿下か。
「そして、扉を挟んで左にあるのがその妃である、初代『清流の女神』であるラウダ公妃の肖像です」
左手の肖像も、二代目大公殿下の肖像と同じくらい大きい。
そこに描かれているのはひとりの美しい女性。
長く豊かで艶やかな黒髪はゆったりと編まれ、腰まで垂れている。
すらりとした肢体に沿うように描かれた白いドレスは、その身体の華奢さと褐色の肌の艶めかしさを引き立てていた。
そして、その美しい黒髪を飾り立てるあらゆる宝石以上に、煌いているのはその左目。
黒曜石のような右目の美しさもさることながら、深い深い水の底をそのまま固めたような、その澄み渡った青い瞳の美しさは格別だ。
「……美しい女性だったんですね」
「うふふ、ありがとうございます」
自分のご先祖様を褒められてよっぽど嬉しいのか、マルジャーナ嬢はにこにこと微笑んで見せた。
「セルジ殿、そんな人ごとのように。あなたの曾祖母にもあたるのですよ」
ウマル閣下はおかしそうに笑うと、さらに左を指し示した。
「……そして、こちらがここ最近になって宝物庫で発見された、ラウダ公妃の姉上に当たる、『渇きの魔法』の初代使い手の肖像です」
ウマル閣下の指す方には、二代目大公とラウダ公妃の肖像画の半分程度のこぢんまりとした絵がかけられていた。
なんとなく緊張しながら、絵を覗く。茶色のくせ毛に金色の右目。そこに描かれていたのは。
「僕……?」
「セルジ……?」
僕とオスカルの声が重なる。そこに描かれた人物は、まさしく「僕」だったのだ。
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「ガルシア王国の貴族、アスタルロア侯爵家が次男、セルジ・アスタルロアと従者のオスカル・ラジャです。図書閲覧の許可をいただけますか」
時刻は十五時。ウマル閣下とマルジャーナ嬢との昼餐を終え、僕とオスカルは図書館に来ていた。
僕の代わりに入館手続きをするオスカルを尻目に、僕は辺りを見渡した。
アズラカイムの大公立図書館は大陸でも屈指の大きさだと聞いていたが、どうやら想像していたより多くの本がありそうだ。
「アスタルロア卿とラジャ曹長ですね。大公殿下より図書ご閲覧の許可は出されています」
司書の女性は後ろの金庫から銀色の鍵を二本取り出すと、オスカルの前に置いた。
「こちらが図書館への鍵です。
僕とオスカルは頷いて、女性の言葉を肯定した。
「左様ですか。それでは、鍵に魔力を」
僕は魔動鍵に手をかざし、鍵に魔力を込める。瞬間、鍵は淡く白色に輝いた。
「ラジャ曹長も。魔力を注いでください」
「……わかりました」
オスカルは観念したように小さくため息をつくと、鍵に手をかざした。固く目を瞑り、力を入れているのか、かざす手を小さく震わせながら魔力を込め始める。
……しばらくして、オスカルの額に汗が浮き出始めたころ、ようやく鍵は輝きを帯び始めた。
それを確認したオスカルは、ほっと安心したようにため息をついて手を下ろす。魔術全般が極端に苦手なオスカルにとって、魔動鍵の認証設定はどうやらかなり疲弊するらしい。
「おふたりともご協力いただきありがとうございます。こちらを持っていれば、禁書保管庫まででしたら自由に館内を動き回れます」
ただ、と女性はカウンターにある地図を指しながら続ける。
「最奥にございます『大公家管理図書保管庫』にはこちらの鍵ではお入りになれません」
揃えた指で『大公家管理図書保管庫』と書かれた辺りをなぞりながら、司書の女性は言った。
「『大公家管理図書保管庫』?」
僕は耳慣れない言葉を思わず聞き返した。
「大公家の中でも一部の方しか閲覧権を持たない、禁書中の禁書が納められている保管庫です。お渡ししている魔動鍵では、そちらへ至る扉は開放いたしませんので、予めご了承ください」
へえ、そんな場所があるのか。正直すごく興味がある。どんな本が納められているのだろう。
「そこに入るにはどうすれば?」
「……お渡しした魔動鍵ではお入りになれません。殿下の許可があればお入りになれるでしょうが、そもそも現時点で許可が出ていらっしゃいませんので、望みは薄いかと」
こいつは話を聞いているのだろうかと、面倒くさいものを見るような目で司書の女性は僕に冷ややかに言い放った。
「かしこまりました。ありがとうございます」
それでは、と言って鍵を二本ともカウンターからさらうと、オスカルは僕の手を引き足早に立ち去る。
それを追うように司書の女性の「何かございましたらいつでもお声がけください」という声が背中に聞こえた。
「お前はまたそういう面倒ごとを!」
静かな図書館に極力響かないよう抑え込んだ声で、オスカルは僕に怒鳴りつけた。
「ははは、ごめんごめん」
「万が一、この話が大公殿下の耳に届いたらどうなるか、少しは考えてみたらどうだ?」
「え、そんなに問題になる?」
「わからないだろう。なんでお前を呼びつけたかもわからないのに!」
オスカルはさらに声をひそめながら言った。
「あれほど用心しろと言っただろうか」
「ごめんって。……だって、大公家しか読めない本って気になるだろう。それこそ、魔法について書いてある本があるかもしれない」
「……お前が言うことはわかる。……それでも、まずは閲覧許可が出ている範囲で本を探す方がいい。余計な諍いは起こさないに限るだろう」
オスカルはそう言うと、僕に魔動鍵のひとつを渡してきた。
「まずは何について調べる」
「そうだなあ」
歩きながら話しているうちに、図書館の自由閲覧室の扉の前にたどり着く。扉には黄金と水晶で出来た円盤を、幾重にも重ねた堅牢な魔力認証基盤がつけられていた。
僕とオスカルが扉の前に立つと、魔動鍵による自動認証が開始する。魔力検証基盤はカチカチと音を立てながら目まぐるしく複雑に回転を始める。
やがてその回転が止まり、カチリ、と音を立てて扉が開いた。
オスカルが押し開けた扉の先は、意外なほど普通な図書館の風景が広がっていた。
大陸屈指と謳うだけあって、蔵書量はそれなりにあるのか、どの本棚も背が高くぎっしりと本が納められている。
ただそれ以外は内装が異国情緒を感じさせることを除き、特に変わった様子はなかった。
「ひとまず、今日はもうあまり時間もないし、さっきの絵について少し調べてみようか」
「初代『渇きの魔法』の使い手の肖像画か?」
僕は頷く。自由閲覧室に入ってすぐにある案内図を見ながら、目当ての書架を探した。
「……あった。『公国史』、『美術』、『魔術・魔法』……。このあたりを見れば、あの絵についてもどこかに書いてあるんじゃないかな」
「そうかもしれないが、あの絵はつい最近宝物庫から見つかったものなんだろう? そんな簡単に資料が見つかるものか?」
「とりあえず調べてみよう。さっきふたりから聞いた話を思い出しながらね」
僕はオスカルにそう言いながら、先ほど応接の間で聞いた話を回想した。
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