第10話 魔術と魔法

「ああ、セルジ殿! よくいらっしゃいました!」


 待合場所の談話室に入ると、すでに来ていたウマル閣下とマルジャーナ嬢がソファにかけて待っていた。僕が部屋に入るのに気づくと、ウマル閣下が立ち上がって出迎えてくれる。


「お待たせして申し訳ございません」

「いえいえ、ゆっくりお休みになれましたか?」

「ええ、お陰様で。マルジャーナ嬢も、昨晩はありがとうございました」

「とんでもございませんわ」


 マルジャーナ嬢はソファに腰かけたまま、紅茶のカップをローテーブルに置きつつ言った。


「私こそごめんなさい。昨晩は同じ『魔法』の使い手に会えたことが嬉しくて、つい舞い上がってしまいましたわ……」


 しょぼんと眉を下げるマルジャーナ嬢。……どうやら、ウマル殿下にはこってり絞られたようだ。


「いいんですよ。私も本物の魔法をこの目で見たことがなかったので、とても貴重な経験でした」

「それならよかったですわ」


 マルジャーナ嬢はほっとしたように微笑んだ。


「さあ、セルジ殿。立ち話もなんですから、まずはおかけください」


 ウマル殿下に勧められたソファは、最奥に座るウマル殿下の左斜め前、マルジャーナ嬢の向かいのものだった。


「ええ、ありがとうございます」


 僕は勧められるまま席に着く。オスカルはその左後ろに立ったまま控えている。


「オスカル、お前も座りなさい」


 さすがに話している間ずっと立たせっぱなしにもできないので、僕はオスカルに自分の左のソファを示した。


「いいえ、セルジ様。私はこちらで」

「これから二時間は話すんだぞ。それに、僕の魔法を一番よく見ているのはお前だ。一緒に話を聞いた方がいいだろう? ……よろしいですか、ウマル閣下?」


 僕は念のため、ホストであるウマル閣下にも許可を求めた。


「ええ、もちろんです。従者殿……ラジャさんとお呼びしたほうがよいでしょうか?」

「曹長と呼んでやってください。これでも軍人なので」

「そう言えば、昨日もセルジ殿がおっしゃっていましたね。……それではラジャ曹長、ご着席を」

「はい……失礼いたします」


 大公子に言われては、もう断わるほうが失礼だ。オスカルは僕の左のソファに座った。


「ねえ、ラジャ曹長。あなた、なんでセルジ様の従者でいらっしゃるの? 軍人さんなんでしょう?」


 オスカルがソファに着くと同時に、マルジャーナ嬢が身を乗り出してオスカルに尋ねた。


「マルジャーナ様。私なぞお構いなく、」

「見ていてわかるわ。おふたりはとっても仲良しですよね。いつから一緒に?」


 〝お転婆令嬢〟のマルジャーナ嬢に詰めいられ、オスカルは見るからにたじろいでいた。


「いえ、その、」

「オスカルは私の乳母兄弟なのです。ですから、幼い時分からずっと一緒にいます」


 これは貸しだぞ、と心の中で言いながら、僕はオスカルに助け舟を出した。


「そうなんですのね。そうすると何年に?」

「私たちが今年で十九になりますから、もう二十年近くになりますね」

「そんなにも!」


 マルジャーナ嬢は目を丸くした。


「すごいわ。そんな小さい頃から、ご自分の進むべき道を決められていたのね」


「マルジャーナ嬢も幼くいらしたときから、『清流の女神』としての務めと真に向き合っていたと、ウマル閣下からお伺いしていますよ」

「本当に!? いやですわウマル兄さま! マルジャーナを褒めるのなら、目の前でしていただかないと!」


 自分の頬を両手で挟み、溢れる笑顔をその愛らしいかんばせからこぼさないようにしながら、マルジャーナ嬢は上目遣い気味にウマル閣下を見つめた。


「あなたの前で言ったら、そうやって調子に乗るでしょう。……さあ、セルジ殿とラジャ曹長のお茶も来ましたし、おしゃべりはこの辺にして本題に入りますよ」


 ウマル閣下がパンパン! と手を叩くと、侍女が僕とオスカルの前に紅茶を置いた。それと一緒にテーブルにはスパイスの香りがするクッキーが並べられる。


「よろしければこちらもお召し上がりください。……マルジャーナ、あなたは食べ過ぎてはいけませんよ。この後の昼餐が入らなくなりますからね」

「わかっています! いくら何でもウマル兄さまは子ども扱いが過ぎますわ!」


 マルジャーナ嬢はぷりぷりと怒りながら、クッキーを口放り込んだ。


「……さて、セルジ殿」


 ウマル閣下はマルジャーナ嬢を諭すことを諦めたのか、僕の方に向き直ると口を開いた。


「本日はまだお疲れも残っていらっしゃる中、お時間をいただきありがとうございました」


「滅相もない。こちらこそ、こうして魔法についてご教示いただけるお時間をいただけて光栄です」


「それは良かった。……さて、ではまずセルジ殿がどれだけ魔法についてご存じか、確認しなくてはなりませんね」


 ウマル閣下は顎に指を当てると、思案するような顔をした。


「早速ですが、セルジ殿は『魔術』と『魔法』の違いはご存じですか?」


 僕は首肯した。


「はい。まず『魔術』はあくまで学問です。世界の摂理・原理を正しく把握し、それを書き換えたり書き加えたり削除したりすることで、世界の理に直接干渉します。知識さえあれば万人に使うことができますが、それには各人が体内に宿す『魔力』が必要です。これは個々人で臨界点が異なり、生まれながらに使える魔術の規模はまったく違います」


 僕の回答に、ウマル閣下は満足げに微笑んだ。


「さすがセルジ殿。猿に木登りさせるようなものでしたね。……では、『魔法』とは?」


 ウマル閣下からの改めての問いかけに、僕は眉根を寄せて考えた。


「……恥ずかしながら、こちらはあまりよく存じ上げておりません。もともと『奇跡』や『人知を超えた力』の喩えとして存在していた言葉だったはずです。それがアズラカイムで『水をもたらす魔法』が確認されてから、その定義に『本来魔術では成し得ない、魔術的力』というものが加わったと。……そう認識してはいるのですが」


 ウマル閣下は僕の言葉に頷いた。


「おっしゃる通りです。……実はアズラカイムでもまだ『魔法」の具体的な定義はできていません。ただ、マルジャーナ嬢の『水をもたらす魔法』には三点ほど魔術と大きく異なる点があります」


 ウマル閣下は指を三本立てて続けた。


「まずひとつ。世界の理に干渉して起こる現象ではないということ。マルジャーナ嬢の生み出す水は、この砂漠における限界量を大きく超えます。私も魔術の素養はありますから、水の生成を試みたことがあるのですが、如何せん砂漠には水の元素が少なすぎる」


 元素とは、魔術における基本概念で、世界のあらゆるものを構造する最小単位だ。火の元素、水の元素、風の元素、土の元素に分かれ、まとめて「四元素」と呼ばれる。これらに干渉することで、魔術を使うことが可能となるのだ。


「しかしマルジャーナ嬢は、その限界量を優に超えて水を生み出します。これは魔術の原則から大きく外れることは、セルジ殿ならよくわかっていただけますね」


 僕は黙って頷いた。


「そしてふたつ目。ふたつ目は、どうやら魔力をほぼ必要としない力であるということです。セルジ殿も『渇きの魔法』を使った後に、魔力の消耗を感じたことはないのではないですか?」


「確かにそうですね。疲れを感じることはありますが、魔力の消耗によるものとは、また違うように感じます」


 一般的に魔術であれば使用する魔術の難易度(どれだけ世界の理に干渉するか)やその規模で消耗する魔力量が変化する。一般的にそこにないものを生み出したり、あるはずのものを消したりする魔法は難易度も高いため魔力を大きく消耗する。さらに使う規模が大きければその必要魔力量は莫大なものになる。


 しかし僕の「渇きの魔法」は、魔術としての難易度はさることながら、それなりに大規模に使用しても、ほぼ魔力を消耗しない。


「おそらくその感覚は正しいでしょう。……実は、マルジャーナ嬢にはほとんど魔力がないのです」

「え!? そうなんですか!?」


 僕は驚きのあまり、素っ頓狂な声を上げてしまった。


「ええ、お恥ずかしながら……。ラウダの人間はまったくと言っても良いほど、みな魔力がないのです」


 マルジャーナ嬢はクッキーを口に押し込みながら、照れるように言った。


「そんなマルジャーナ嬢にも魔法は使えるのです。セルジ殿もご覧になりましたね」

「はい。普通の魔術なら、あの規模の術は大魔術師でも難しいレベルでしょう」


「そうですよね。それを、マルジャーナ嬢はほぼ魔力のない身体で、何の代償もなく使いこなします。……セルジ殿は魔法を使った後に疲れを感じられるということですが、おそらくそれも慣れればなくなるでしょう」


 ウマル閣下は「失礼」と言うと、一口紅茶を口に含んだ。


「そして最後ですが……これはアズラカイムでもまったく理由がわかっていない、本当に不可解な点になります。……『魔法』の継承についてです」


 ウマル閣下は腕を組み、マルジャーナ嬢を見遣った。


「マルジャーナ嬢の母君は先代の『清流の女神』です。彼女には三人の娘がありますが、青い瞳を持って生まれてきたのはマルジャーナ嬢だけです。そのため、彼女には『水をもたらす魔法』の使い手としての修業が課されました」


 マルジャーナ嬢はクッキーを飲み込むと、不愉快そうな顔で目を伏せた。


「もう本当に大変でした……。いくら私が十七になったら強制的に『清流の女神』になるからって、あんな修業を幼子にさせるなんて、」

「え、ちょっと待ってください」


 僕はマルジャーナ嬢の言葉を手で制した。


「〝十七になったら強制的に『清流の女神』に〟って……。『魔法』は生まれながらに使えるものではないんですか?」


 ウマル閣下は悩ましげな顔で、僕の言葉を首肯した。


「そうなのです。実は『水をもたらす魔法』は、先代の『清流の女神』が継承者をもうけ、その子が十七になった瞬間に力が継承される仕組みなのです。マルジャーナ嬢の母君は元『清流の女神』ですが、今は瞳の色も一般的なアズラカイム人と同様黒色です。『水をもたらす魔法』は一切使えません」


「……セルジ様。そう言えば、魔術学校の卒業年も十七のときではありませんでしたか?」

「……あ!」


 オスカルの進言に、僕はすべてが納得いった。


「十七になられてから、水をなくそうと魔術をお使いなったことは?」

「おそらくなかったんじゃないかな……。水を蒸発させる魔術は一年次で習う魔術だから。水の生成は何度も試していたけど。だからあのとき初めて『渇きの魔法』が暴走したんだな」


「セルジ殿のお話を聞いて合点がいきました。理由は不明ですが、おそらく『魔法』は継承者が十七になったとき、自動的に継承されることは間違いなさそうですね」


 これは大発見だぞ……とウマル閣下はひどく楽しそうな顔でつぶやいた。


「失礼ながら閣下、こちらはウマル閣下おひとりでご研究されているのですか?」


 僕は先ほどから疑問に思っていた点について質問した。


「はい。実はそうなのです。アズラカイム家もラウダ家も、この『水をもたらす魔法』についてはまったく今まで研究してきませんでした。……私も大公家の人間ですから、その理由はおおむねわかります」


 これには僕も納得がいく。『水をもたらす魔法』は奇跡の力だ。この『奇跡』がアズラカイム家の手中にあるからこそ、国民と周辺のオアシス国家はアズラカイム家に従い、ひとつの国を成す。


 もしこの『奇跡』の全容が明るみに出て、あまつさえ「これは奇跡でもなんでもなく、実は誰にでも使える力でした」なんてことになったら、大公家の面目は立たなくなるだろう。


「しかし私も学の徒。魔法が魔術学に連なるものならば、研究せずにはいられません。もしかしたらこの研究があれば、マルジャーナ……嬢ひとりに任せることなく、水を安定的に供給できるようになるかもしれません」


 大公家の人間としては間違っているかもしれませんが、と小さく付け加えてウマル閣下は笑った。


「それに今回は『魔法』を仮定することができたからこそ、こうしてセルジ殿のお力になれました。まだ十分ではないでしょうが」


「……いえ。私ひとりではここまで理解するのには、おそらくかなりの時間を要したでしょう。ご教示くださりありがとうございました」


 僕はウマル閣下に礼をした。


「……あの、ごめんなさい。お話ししているところ悪いのですが……」


 マルジャーナ嬢の声に、僕は頭を上げる。見れば空っぽのお皿を前に、マルジャーナ嬢は眉を寄せていた。


「……クッキーのおかわりはありませんよ」

「違います、ウマル兄さま! ……そろそろお時間なのでお声がけしたんですよ」


 はっとして部屋の時計を見る。すでに時刻は十二時半を回っていた。


「だって兄さま。セルジ様に『あの絵』をお見せするんでしょう? それだったらそろそろ部屋を出ないと、十三時に食堂に間に合わなくなりますわ」

「あの絵?」


 マルジャーナ嬢の台詞に、僕はすかさず反応した。


「ありがとう、マルジャーナ。確かにそろそろ出ないといけませんね」


 ウマル閣下はそう言うとソファから立ち上がった。


「さあ、セルジ殿。参りましょう。その『絵』までご案内いたします」

「あの、絵というのは……?」


 恐る恐る尋ねる僕に、ウマル閣下はたっぷりと微笑む。


「あなたのルーツにつながる人。……初代『渇きの魔法』の使い手の肖像画です」

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