第二章 天泣の才

第9話 胸騒ぎにはバターを添えて

〝エウレニア帝国宝物庫襲撃。『天帝』も負傷?〟


 朝食のパンをかじっていた僕は、今朝の新聞の見出しに目を見張った。


「オスカル、見なよ。『天帝』が負傷だって」

「『天帝』ってエウレニアのアナスタシア帝のことか?」


 僕のカップにコーヒーのおかわりを注いでいたオスカルは、僕から新聞を受け取り、眼鏡をかけながら言った


「『天帝』は大変な女傑だったと聞くが。しかも『魔法』が使えたんだろう?それほどの人物が簡単に負傷なんてするのか?」


 オスカルのもっともな意見に、僕は首をかしげるしかなかった。


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 昨晩マルジャーナ嬢と会った僕は、彼女の奔放さにやや振り回されながら、パーティの残りの時間を過ごした。


 彼女の「水をもたらす魔法」の操りようは見事なもので、水の玉を宙にいくつも浮かせ、それをジャグリングのように手の中で器用に入れ替えたり、外に出て庭園にある噴水の水を大きく吹き上がらせ、城下町に雨を降らせたり……。まさしく「魔法」と呼ぶにふさわしい奇跡の連続だった。


「マルジャーナ嬢は、その気になればこの国を水没させることができるほどの水を、一瞬にして生み出すことができます」


 庭園、噴水の脇。マルジャーナ嬢が降らせる雨を手で受け止め、空を仰ぎ見ながらウマル殿下は言った。


「しかし、雨は父からの命なしに降らせてはならないと何度も言っているのに……。また叱らねばなりません……」


「ウマル殿下は、マルジャーナ嬢と懇意でいらっしゃるのですね」

「え? ああ……。彼女は、私の許嫁なのです。ほとんど妹のようなものですが」


 ウマル殿下は少し困ったような顔をした。


「アズラカイム家とラウダ家とのつながりは、血筋によるものが大きいですから。当時の大公と初代の間に生まれた娘であった次代『清流の女神』が婿を取って分家した家がラウダ公爵家なのです。……そろそろ、大公家の血も薄まる頃ですから」

「そうですか」


 どうやら一種の政略結婚なのだと、ウマル殿下は言いたいようだった。


「あのは本当に、幼少の時分から奔放で自由で……。ただ、その頃から『清流の女神』としての自覚と才覚は十二分でした」


 マルジャーナ嬢は、雨に気づいて家から出てきた、多くの城下に住む人々から話しかけられていた。マルジャーナ嬢と話す人々はみな一様に笑顔だ。あるご年配の女性に至っては、彼女にキャンディを渡しながら、「マルジャーナ様、こちらも召し上がってくださいな」とにこにこと語りかけている。この一幕だけで、彼女がどれだけ国民から愛されているのかがよくわかった。


「マルジャーナ嬢なら、貴殿の助けとなるでしょう。ぜひ仲良くしてやってください」


 マルジャーナ嬢を見ていたウマル殿下は、とても愛しいものの話をするかのような顔で、僕に微笑みかけた。


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 それが昨晩の話。砂漠の夜の冷え込みと雨で、身体を冷やし切ってしまった僕とオスカルは、その後すぐ部屋に戻り、シャワーを浴びて眠り込んでしまった。


 今朝は少しだけ寝坊してしまい、目を覚ましたのは朝の九時。慌ててベッドから出たときには、すでにリビングは朝食が用意されていた。……こういうときに、自分の従者の優秀さをしみじみと感じるものだ。


 そんなわけでオスカルに感謝しながら朝食を食べていたわけだが、そこで目に飛び込んできたのが、先ほどの新聞の見出しである。


「いやオスカル。歴代の天帝は自分たちが魔法の使い手であることは常々否定している。それはあくまで噂だろう?」

「しかし魔法なしにあんな活躍ができるものか?」


 オスカルの話ももっともだった。


 そもそもエウレニア帝国というのは、世界最古の歴史を持つ国であり、その国史は千年とも万年とも言われている古の帝国である。ガルシアの東に広がる領土を持つ、世界最大規模の国でもある。


 それを代々治めるのがクラスニコフ家であり、男性ではなく「女帝」が統治者となり、その地位を継承したものは『天帝』と諸外国では称されることでも有名だ。


 さらに言えば、天帝たちには歴代あるが宿ると言われている。


「なんだったか? 『千里を見渡し、万里を聞き、天空さえ従える絶対帝王』だったか?」

「全部誇大な表現なだけだろう」


 エウレニアがあれだけ広大な国土をほぼ欠くことなく永らえているのは、このゆえだと言われている。


 まず、その情報力。エウレニアは様々な民族が生活をしている。つまりそれだけ内乱の種は多く、並大抵の統治ではこれらをすべからく治めることは難しいだろう。


 しかし天帝たちはそれを可能とする。何か事が起これば、否、、天帝はその兆候を的確に掴み、平定することで平安の世を保ってきた。


 これは国内だけでなく、国外においても言えることで、近頃だと五年前、東の新国・リンからの侵攻を事前に察知し、見事に返り討ちにしたことはあまりに有名だ。


 そしてもうひとつは、あまりに眉唾物だが「天候を操る」力である。もともと国土の半部近くが寒帯に位置するため、冬になれば豪雪となるエウレニアだが、この降雪がまさしく内乱や侵攻が佳境となるタイミングで襲い掛かってくる。


 日頃豪雪を前提に訓練をしているエウレニア兵にとっては耐えられるものでも、鍛えられていない内乱者たちや他国の兵にとってはたまったものではない。一年の半分は冬だと言われているエウレニアにおいて、雪は最大の味方だ。


 じゃあ冬以外に攻め入ればよいかと言えばそうもいかなく、豪雨による土砂崩れや異常なほどの日照り、酷いときには嵐までがエウレニアを損なわんとする者を阻むという。これは一度や二度ではなく、記録されている限りあらゆる内乱や侵攻が、情報戦のみならず天候によりことごとく失敗に終わっているとのことだ。


「まあ、情報戦に関してはエウレニア規模の国であればなんとかなるのかもしれないが」


 一通り朝食の準備を終えたオスカルは、自分の朝食をワゴンから運び、テーブルに置くと僕の向かいに座った。


「天候に関しては、いい加減人知を超えていないか? ……前までの俺ならお前と同じように噂だと鼻で笑っていたが、お前の魔法を知った今となっては、まあ魔法だって言われれば納得がいく」


「そうかもしれないけど、仮にそうだとしてもアナスタシア帝が襲撃されたこととは関係ないだろう」


 エウレニア帝国第一三四代天帝(これも有史で確認されている人数だけでのものだが)が、件のアナスタシア・クラスニコフ帝だ。


 十年前若干十三歳という異例の若さで天帝の座に着きながら、燐の撃退をはじめとするその政治的・軍事的手腕は世界的にも評価されており、彼女を女傑だと言う者も少なくない。


「わからんだろう。関係ないとは言い切れない。魔法が使えたから襲われたかもしれないだろう」


「それは考えすぎじゃないか」

「用心するに越したことはない」


 スクランブルエッグを口に運びながら、オスカルはぶっきらぼうに言った。どうやら僕が同様に襲われることを危惧しているらしい。


「大丈夫だって。ほら、新聞にも書いてあるだろう? 犯人たちの狙いは宝物庫だ。天帝じゃない。しかも天帝だって負傷の疑いがあるだけで、確定情報じゃないだろう?」


 僕は新聞を指さしながらオスカルに訴えた。


「まあ、いい。何があってもお前のことは俺が守るしな」


 オスカルはパンを口に放り込むと、それをコーヒーで流し込んだ。


「ところで、今日はもう体調は問題ないのか。昨晩かなり冷え込んでいたが」


「正直マルジャーナ嬢の雨に当たったときはまずいと思ったけど、何とか大丈夫そうだ。ちょっとこの気温差には堪えるけどね」


 夜が明けた砂漠はすでに灼熱だ。雲一つなく晴れ渡った空から、真っ白な太陽が痛いほど燦燦に照り付ける。


「それならよかった。正直あのお転婆令嬢には辟易するが。……今日の予定を確認するぞ」


 オスカルは内ポケットから手帳を取り出すと、ページを繰ってあるページで手を止めた。


「今日はこの後十一時から、ウマル閣下とマルジャーナ公爵令嬢との会合。魔法の基本概念と『渇きの魔法』について詳細を聞く。その後十三時からそのままお二人と昼餐。以降は夕食の時間まで特に何も予定なしだ。午後はどうする?」


「図書館に行きたい。殿下が閲覧許可を出してくださっているはずだ」

「わかった。一日俺が同行するのは問題ないか?」

「もちろん。今日もよろしく」


 ああ、と短く返事しながら、オスカルは眼鏡を胸ポケットにしまった。


「俺は朝食を侍女たちに下げさせるから、その間にお前は身支度を整えろ。意外と時間がないから急げ」

「うん、わかった」


 僕は椅子から腰を上げると足早にウォッシュルームに進む。


 オスカルに「大丈夫」と言いながら、どうしても胸騒ぎが治まらない、あの新聞記事のことを思い出しながら。

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