第15話 不落の防壁
ガキンッ、と響く金属音に、サルマーンは顔をしかめた。
確かに仕留めたはずだった。セルジは目の前でだらしなくうずくまり、目の焦点も合っていない。あとはこの三日月刀を振り下ろし、その脳天へ見舞うだけだった。
しかしサルマーンの三日月刀は、確かに剣で遮られていた。とは言ってもそれはセルジによるものではない。うずくまるセルジを優に覆い隠すほどの大剣。その人物はしゃがみ込み、その大剣を下に向けて地面に突き刺すように持つことで、盾のようにしてサルマーンの斬撃を受け止めていた。
「サルマーン閣下。お戯れもほどほどに願えますか」
「セルジ殿の従者か」
セルジの従者――オスカルだった。大剣を地に突き、自らに攻撃の意思がないことを示しつつ、その視線はさながらサルマーンを射殺さんばかりに鋭い。
「従者が主人とその目上の者との交流に水を差すなど、セルジ殿はどういった教育をされているのだ」
「大変申し訳ございません。ですが我が主はそろそろ朝餉となります。このあたりでお許し願えませんでしょうか? それに……」
オスカルはその艶美な唇を弓なりに曲げ、しかし瞳の眼光を弱めぬまま言った。
「このままでは我が主を殺されてしまうのではないかと。従者としては気が気でないのです」
「……はっ」
サルマーンは大儀そうに鼻で笑うと、三日月刀を右腰の鞘に納めた。
「いつから見ていた」
「閣下がひざまずく我が主の前に立ちはだかり、その剣を振り上げたあたりから。朝餉に主を呼びに参った折でございます」
オスカルの言葉に、サルマーンは客間側にある扉の方を見遣った。あそこから出てきて異変に気付いてからここに来たとして、距離は三〇マリメレル(一マリメレル=一〇〇メレル=約一・〇二メートル)はある。音もなく、その速さでここまで駆け付けたというのか。
改めてオスカルを見る。成程、確かに細腕である。サルマーンは手合わせ前にセルジから聞いた言葉を思い出した。
「それほど華奢であるのに、その大剣を抱えてここまであの間で駆けたというのか」
「お戯れを……。主を想ってこそです」
オスカルはにこりともせず言い放つ。眼光は相も変わらず緩まない。
サルマーンはオスカルとしばらく睨み合っていたが、不意に振り返り歩き出した。
「……お前の主とはただ手合わせをしていただけだ。互いにセルジ殿の強化魔術もかけられている。切りつけたところで大した怪我にはならない」
サルマーンは自らの三日月刀の片割れが刺さる地点まで行くと、それを抜き、左腰の鞘に納めた。
「左様でございましたか……。我が主の強化魔術は一級品。それでしたら怪我の心配もございませんね」
オスカルは立ち上がると、大剣を片手で持ち上げ、易々と背負った鞘に納める。
「どうやら、本当に私が水を差してしまったようですね。大変申し訳ございません」
オスカルは改めてひざまずくと首を垂れた。
「構わぬ……〝主を想って〟こそなのだろう」
サルマーンは首だけをオスカルに向け、吐き捨てるように言った。
「興が
「承知しました。サルマーン様のお優しいお言葉、我が主も喜ぶことでしょう」
顔だけを上げ、精巧な人形のように笑うオスカルに一瞥を遣ると、サルマーンは何も言わず中庭を後にした。
サルマーンが宮殿に入ったのを見届け、オスカルはすぐさま、しかし細心の注意を払いセルジの頭を抱え起こした。
「セルジ! セルジ! しっかりしろ!」
「……ぃ……あ…………?」
セルジはオスカルの言葉に唸るように答えた。しかしその視線は虚ろである。
(まだ意識が混濁としているが……ひとまず寝室に運ぼう)
「セルジ。俺はオスカルだ。お前を今から寝室に運ぶ。背負って歩くから少し揺れるぞ。いいな」
オスカルの言葉を辛うじて理解しているのかはたまた反射か、セルジはこくりと小さく頷いた。それを確認し、オスカルは立ち上がりセルジの剣を回収してから彼を背負う。
「剣を背負ってるから邪魔だろうが我慢しろよ」
返事はない。ごそりと首だけが動いたかもしれない。オスカルは可能な限り背中にいるセルジを揺らさないよう注意を払いつつ、かつ迅速に寝室へ向かった。
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目が覚めた僕が一番初めに見たのは、眉根を寄せ、口を一文字に結んだオスカルの険しい顔だった。
「目が覚めたか」
「オスカル……? 何が……?」
「覚えていないのか。……今水を持ってくる。少し待っててくれ」
オスカルは静かにそう告げると立ち上がり、寝室を後にする。
寝室……? 僕は先ほどまでサルマーン閣下と手合わせをしていたはずだ。それがどうして寝室に……?
違和感を覚えたところで、先ほどの手合わせの一部始終が一気に蘇る。……そうか、僕はあのときサルマーン閣下に殴り倒されて、そして……?
「まだ気分は優れないか」
声の方向に首を回すと、いつの間にか部屋に戻ってきたオスカルが入り口付近に立っていた。手の盆には水差しとグラスが乗っている。
「ちょっと記憶が混乱していて……」
「頭を強く打っているみたいだった。今日は一日安静にした方がいい」
オスカルは僕の寝るベッドに近付き、側机に盆を置いた。
「起き上がれるか」
僕の頭にそっと右手を添える。介助してくれるようだ。
「ごめん、ありがとう……」
オスカルに甘えて、彼の右腕に頭を預けながら上半身を起こす。すかさずオスカルは左手を僕の背中に手を添え、僕の身体を支えた。
起き上がった折に手櫛で髪を整える。その間にオスカルは椅子に座り側机で水を注ぐと、グラスを僕に差し出した。
「飲め」
「ありがとう」
水を口に含む。冷たくはない。それでいて身体に染みるように優しい。湯冷ましのようだ。
「ごめん」
「……え?」
オスカルは、膝に手を置き、深く頭を下げた。
「なんでお前が謝るんだよ」
「俺が目を離したからだ。三十分くらいなら大丈夫だと思っていた……! お前は剣を持っていたし、何かあれば『喚ばれる』と……。まさか、大公子が、お前に……!」
「違うよオスカル」
肩が小さく震えていた。彼は強いから、こんなことで泣きはしない。おそらく自責の念に駆られているんだろう。
「ただの手合わせだったんだ。模擬試合さ。ただ僕が油断してしまっていて……。
はは、とばつの悪さに笑う僕を、オスカルは上半身の傾きはそのままに、ゆっくり顔だけを上げながら見つめた。その目線の鋭さに思わずどきりとする。
「……本当に、ただの手合わせか?」
「え、そうだよ?」
オスカルの質問の意図を測りかねて、僕は狼狽した。
オスカルは上半身を起こし、背筋を伸ばした状態で腕を組んだ。
「……強化魔術をかけていたと閣下からは聞いている。それは本当か?」
「当り前だろう。僕がかけたんだ。閣下には特に念入りに」
「自分自身には?」
「閣下ほどじゃないがそれなりには」
「じゃあなんでお前は倒れこんでいたんだ」
「それは閣下に剣の持ち手で殴られて……ん?」
「そうだよな」
オスカルはこめかみに手を当てて考え込んだ。
「俺もお前の強化魔術の効果は知っている。いくら閣下が鍛えているからと、お前の強化魔術の効果を差し引いて、昏睡させるほどの力で殴れるとは思えない」
「そうだな……」
頭はまだ痛い。どれだけ強い力で殴られたか、この痛みが物語っている。
「……お前、俺の名前を間違えたんだ」
「え?」
想像もしていなかった言葉に、僕はオスカルの方を振り向いた。オスカルは両手で頭を抱え込み、顔を伏せていた。
「それほど、混乱していた。……心配もするだろう」
「……ごめん、気を付ける」
自分が彼を何と呼んだか、なんとなく察しが付く僕はあまりの申し訳なさに項垂れた。
「お前の強化魔術を無効化する方法はあるのか?」
「ないことはない……。まずはフィジカルを強化すること。鎧が堅いならもっと強く殴ればいいって感じだね。ただ、これは難易度が高い。人体は複雑だから、その構造を把握して強化するのは僕でも難しい」
「他は?」
「僕の強化魔術は硬化術をベースにしているから……。火の元素の魔術を瞬間的局所的に当てるとか……? 水でも行けるとは思うけど」
「なんで火と水なんだ?」
魔術の素養のないオスカルにわかるように説明するために、僕は痛みの残る頭を捻った。
「えーと……。硬化術って基本的に土の元素をいじるんだよ。土は硬度・固体を司る元素だからね。だから土と言っても、金属とかも土の元素を多く含んでいる」
側机にあったメモ帳に「soil」と「metal」と書き、それぞれを丸で囲った。
「詳しく言うとややこしいから端折るけど、僕の強化魔術は対象の物体の持つしなやかさを保ちつつ、点描的に金属化させているんだ」
「は?」
「すごく簡単に言うと、
僕は「metal」を囲う丸を濃くするように重ねて丸を描いた。
「なるほどな」
「あとは緩衝材として空気も纏わせている」
「metal」の周りに「air」と書いて、「metal」を囲う丸に対し二重丸になるよう、それを囲う。
「この空気を散らして金属化した土元素の結合を緩めるには、火の元素をベースにした魔術を瞬間的に当てるのが一番効果的だ。空気は温度が上がれば膨張して結合が緩まって霧散するし、金属は熱に弱い。水でも行けると思うけど難しいかな。金属化するほど土元素を結合させていなければいけるけど、僕の強化魔術を散らすには、相当な魔力が必要だ」
最後に矢印を二本、二重丸に向かうように描く。それぞれの矢印の近くに「fire」「water」と書き込んでペンを置いた。
「いずれにせよ、相当な手練手管でないと僕の強化魔術は無効化できないよ。仮に火の元素を使っても瞬間的にそれだけの魔術を使うのは通常の練度じゃ無理だ。これでも、そこそこ魔術には自信がある」
「それはわかっている。サルマーン閣下がそれをできる可能性は?」
「わからない。本人は魔術が苦手だと言っていた」
「本人が言っているだけなら偽りの可能性もある……。調べる必要があるな」
オスカルは神妙な顔つきで、顎に指を当てながら言った。
「オスカル、お前閣下を疑っているのか」
「主人が傷付けられかけたんだ。しかも、もしかしたら嘘を吐いているかもしれない」
「そうだけど……」
「そうなると、やはり大公殿下も注意した方がいいな。ウマル閣下は……。どうだろうか。あまり、
「……わからない。でも注意してみるよ」
オスカルを心配させまいと、僕は頷いて見せた。
「頼んだ。俺も気を付ける。……ああそうだ」
オスカルは眉根を寄せ、目を
「俺がお前を見つけたとき、閣下はお前に何かを言っているようだった。内容を覚えていないか?」
「え? ……どうだったかな…………」
殴られた後のことを思い出そうとする。しかし記憶は曖昧模糊としていて、ぼんやりと霞がかったようにしか思い出せない。
「ごめん、わからない……」
「わかった。仕方ないさ。俺がお前を見つけたときなんて、ほとんど気を失っていた」
オスカルはそう言うと立ち上がり、側机に置いてあった盆を持った。
「水はここに置いておく。朝食は食えそうか?」
「おなかは空いてる……かな」
「じゃあ今から持ってくる。今日はベッドから出さないからな。大人しくしておけよ」
オスカルはそう言うと、部屋を出て行った。
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