第18話 愛すべき我らが祖国

「再来月は『こうげつさい』の季節ですが、それとは別にアズラカイムには祭があるんですか?」


 降月祭とは春の第一月の朔日に行われる祭事だ。ヴェルデシア教における創世日に当たる日であり、この日はヴェルデシア教徒にとって、最も大切な日だ。


 ガルシア王国では三日三晩にわたり至る所で国や領主、教会からご馳走が振舞われ、人々は踊り歌い続ける。それとともに教会では、四元素を司る四柱に感謝の舞が捧げられ、創世神たるヴェルデシアには礼賛の歌が供えられる。創世の様を模した歌劇が演じられることも特徴的だ。


「ああ……そうですね。ヴェルデシア教ですと、降月祭の方が一般的か」


 ウマル閣下はひとりで頷きながら、紅茶を口に含んだ。


「清明祭は砂漠の民独自の祭です。砂漠の民もほとんどはヴェルデシア教の信徒なのですが、そのほとんどは創世神ヴェルデシアではなく、水を司る清流の女神に対する信仰心を篤く持っています。そして、彼の女神の聖誕日が冬の第三月の十四日なのです」


 そう言えば、ここに来たばかりのころに読んだ本に書いてあったと思い出す。渇きの地に住まう砂漠の民にとって、水を司るその女神が最も信仰心を起こさせるのは当然だろう。


「砂漠の民の多くは、その日を創世日以上に尊びます。そのためアズラカイムではその日を『清明祭』として盛大に祝うのです」


「なるほど……。ちなみにどんな祭なんですか?」


 ウマル閣下は指を顎に添えて、目線を上に遣った。


「そうですね……。国中でご馳走が振舞われて、マルジャーナ嬢が巫女として舞を舞って……。あとは創世の歌劇が演じられて……。降月祭とほとんど変わらないと思います」


「ああ、確かに。ガルシアの降月祭とほとんど変わりませんね」


「でしょう? その代わり、砂漠では創世日にお祝いはほとんどしないのですけどね」


 ウマル閣下は笑いながら答えた。


「せっかくお二人もアズラカイムにご遊学にいらしたのですから、ぜひ清明祭を楽しんでいただきたいのです。ご予定などはおありではありませんか?」


「そうですね……」


 僕はちらりとオスカルの方をうかがった。創世日ならともかく、清流の女神の聖誕日ならおそらく実家に帰る予定もない。オスカルも僕の方を見ると、小さくうなずいて見せた。


「エミリオ様からは、特にご帰省のお話はございません。ご参加されても良いのでは?」


「良かった! それでは、当日はぜひ祭を楽しんでください! ご案内しますよ」


 ウマル閣下はにこにこと微笑みながら、胸の前で手を合わせた。


「僕も楽しみです。閣下のおすすめスポットはどちらですか?」


「もちろん創世の歌劇はご覧いただきたいです! 砂漠らしく清流の女神に焦点が当たっているので、またガルシアのものとは違った味わいがあると思います。使われる楽器や旋律も、砂漠の民謡をモチーフにしていますし。あとは今代の『清流の女神』であるマルジャーナの舞も美しいですよ。昨年が初舞台だったのですが、それはもう国民から好評でした。それにご馳走もやはりおいしいですね。子羊の丸焼きは、一般市民にとっては清明祭のときぐらいしか食べませんし、砂糖とナッツを大量に使ったケーキもたくさん並びます!」


 あとはあとは……! とウマル閣下の清明祭自慢はしばらく続いた。満面の笑みで祭の話をする彼の顔を見ていると、本当に彼がこの国を愛しているのだというのがよくわかる。……ほとんどは食べものの話だったけど。


 だからだろうか。僕は気付かぬ間に笑みを浮かべていたらしい。そんな僕の様子を見て、ウマル閣下は怪訝そうな顔をして見せた。


「セルジさん? なんでそんなに笑っていらっしゃるのですか?」


「失礼しました……。あまりにウマル閣下が楽しそうだから! ほんとうにこの国が好きでいらっしゃるんですね」


 ウマル閣下はきょとんとした顔をした。


「それは、生まれたときから私を育んでくれた国ですから……。不便もありますがやはり愛はありますよ。……セルジさんはご自分の国はお好きじゃないんですか?」


「まさか! 好きですよ。身分と貧富の差が他国に比べて大きいところは気になりますが」


「ああ、それはアズラカイムでも問題視されている点ですね。……父と兄には、あまり直す気はなさそうですが」


 ウマル閣下は眉を下げながら言った。


「まあ私たちみたいな、いわゆる〝恵まれた層〟が口にするでは、何の解決にもならないことはわかっているのですが」


 ガルシア(ウマル閣下の話だとアズラカイムもそのようだが)に未だ残る身分制度は根深い。


 念のため言い添えるが、ガルシアは表面上実力主義国家だ。貧しい家の出であっても、例えば魔術や学術、あるいは武術に長けていれば、出世をしていくことも可能である。事実、ガルシア王立魔術学校の門戸は、試験にさえ合格すれば身分を問わず誰にでも開かれる。


 ただこれはあくまで「表面上」の話であり、ある程度王府の高官ともなれば、貴族以上の身分なしに上りつめるのは難しい。


 結婚問題も厄介なもので、法律上許されていても、身分の差を超えて結ばれることは極めて稀だ。この時代であっても身分の差がある恋物語が巷で流行っているのがいい証拠だろう。


 またこの「実力主義」が悪い方向に働いていて生まれたのが貧富の差である。身分の差と相まって起こったこの問題は、法律だけで片付く問題でもない。


 一方で実力主義がもたらした恩恵は、国民たちの生産力から経済に至るまで、絶大なものであることも確かだ。この陰の部分である貧富の差は時として無視されてしまう。


「軍人であればまだ実力主義的傾向も強いですが、高等文官になると、やはり貴族が牛耳っているのが事実ですね。自国の恥を晒すようでお恥ずかしいですが」


「ガルシアでもやはり問題になっていらっしゃるのですね……。アズラカイムも経済発展はまだまだですが、少しずつ問題視されてきていて……。スラム街もここ数年で拡大の傾向にあります」


 ウマル閣下は、ソーサーに紅茶の入ったカップを置いた。


「だからこそ、清明祭は可能な限り大きく執り行っているのです。豊かな祭は心を満たすだけでなく、人々の腹も膨らませます。貧しき者を助く者にこそ道は拓かれる。清流の女神の大切な教えです」


 そっと微笑むウマル閣下に、僕も小さく笑い返す。……やはり力がある人は違うな。


 コンコンコン、と唐突にドアをノックする音が聞こえた。ここはウマル閣下の自室。侍女や下僕、近衛兵なら外から声もかけるはずだし、おそらく身内だろう。ノックの音を聞いてすぐさま立ち上がったオスカルは、覗き窓からそっと外を窺うと、ウマル閣下の方を見た。


「マルジャーナ様です。お入れしてよろしいですか?」


「マルジャーナ嬢ですか? はて、約束はなかったはずですが……。もちろん入ってもらってください」


「承知しました」


 オスカルは小さく礼をすると、ドアを開ける。そこには、昼間の修業時とはまた違う、シンプルながら上品な白いドレスを着たマルジャーナ嬢がたたずんでいた。手には何やら包みを持っている。


「あら、ラジャ曹長ごきげんよう。なぜあなたがウマル兄さまのお部屋に?」


「我が主がウマル閣下に招かれたもので」


「そうなの? じゃあ部屋の中にはセルジ様も?」


 マルジャーナ嬢は、オスカルの陰からひょこりと部屋の中を覗き込む。そこで彼女と目が合った僕は軽く会釈をした。


「ご機嫌麗しゅう、マルジャーナ嬢。お昼前以来ですね」

「セルジ様! ごきげんよう! お邪魔しますわね、ウマル兄さま」


 マルジャーナ嬢は笑顔でそう言うと、部屋の中に入ってきて、ウマル閣下の隣に掛けた。


「今日はどうしたのですか? 何か約束はありましたっけ?」


「嫌ですわウマル兄さま。可愛い婚約者が部屋を訪ねるのに理由が必要?」


 マルジャーナ嬢はいたずらっぽく笑って見せた。


「せっかくお土産も持って参りましたのに」

「お土産?」


 マルジャーナ嬢はこくりと頷くと、手に持っていた包みを机の上に広げる。そこには乾燥した、親指より小さいくらいの赤黒い実がたくさん詰まっていた。


「ナツメヤシの実です。ウマル兄さまお好きでしょう?」

「おやこんなに……! ありがとうございます、マルジャーナ!」


 その赤黒い実がよっぽど好きなのか、ウマル閣下は満面の笑みでひとつ手に取った。


「ああ……! 申し訳ない、ぜひセルジさんとオスカルさんも召し上がってください。ドライフルーツはお好きですか?」


「ええ、好きです」


「それならきっとお気に召すと思いますよ。さあ、どうぞお召し上がりください」


 僕はその赤黒い実をひとつ手に取る。よく乾かされた実の表面はしわが寄っているが、少し鼻を利かせれば、芳醇な甘い香りが鼻腔をくすぐる。恐る恐る齧ると、ねっとりした食感とともに、強い甘みが口に広がった。


「わあ……! 甘くておいしいですね……!」

「でしょう? ほとんどヌガーを食べているような感じですよね」


 ウマル閣下もナツメヤシの実をひとつ齧った。


「マルジャーナ様。お茶を」


「ありがとうございます、ラジャ曹長。よろしかったら召し上がって?」


「いえ、ご遠慮しておきます。デーツと言えば高級品。私には過ぎたものですから」


 オスカルはほんのりと微笑みながらマルジャーナ嬢に返事をする。……本当は甘いものが苦手なだけなくせに。


「でも……」


「気にしないでください。オスカルはもともとあまり人前でものを食べませんから」


 僕が苦しげに庇うのを尻目に、オスカルは全員分のお茶を淹れなおすと席に着いた。


「ところでマルジャーナ。お土産は大変ありがたいのですが、もともと要件があったのではないですか?」


 二つ目のナツメヤシの実を手に取りながら、ウマル閣下は思い出したように口にした。


「ええ、そうなのです。セルジ様の修業の件でウマル兄さまにご相談が」


「私の、ですか?」


 食べかけのナツメヤシの実を手に持ちながら、僕は素っ頓狂な声を上げてしまった。


「ええ。ちょうどセルジ様もいらっしゃいますし、今お話してもよろしいかしら?」


「もちろん」


 ウマル閣下が首肯したのを見て、マルジャーナ嬢は改まったように「では」と言うと、ひとつ息を吸い、口を開いた。


「『女神の慈悲』に行ってみませんこと?」

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