第6話 夕月夜に隠して

 外はすっかり暗くなっていた。白い月が闇に浮かぶのが見える。強い冷え込みに身を震わせながら、僕はオスカルを連れてウマル殿下と宮中を歩いた。


「先ほどはすごかったですね」

「はい?」


 宮中の渡り廊下に差し当たったあたり、人工の川のせせらぎの上でウマル閣下は言った。


「『渇きの魔法』ですよ! 驚きました……。本当に水を一瞬でなくせるだなんて」

「滅相もない。恐れ多い言葉です」


 ウマル閣下は歩みを止め、廊下から下を流れる人工川を見つめる。


 とめどなく流れる水は、月あかりを反射しきらきらと輝く。せらせらと静かに音を立てながら流れる水は、この国の生命線であり、大公家の権力の証。


 しばらくの沈黙で手持無沙汰になった僕は、ウマル閣下に倣ってぼんやりと川を見つめた。


「……このような土地柄、アズラカイムはとても水を大切にします。だからこそラウダ家の『水をもたらす魔法』は大変貴重ですし、歴代の『清流の女神』たちのおかげで、アズラカイムはこの砂漠を統べられた。……『渇きの魔法』はその対にある」


 ウマル閣下は僕の方に向き直りながら微笑む。


「もとはアズラカイムの魔法とは言え、この地でその魔法はあまりに強力だ。……少し怖いくらいです」

「それは……そうでしょうね」


 人知を超えた力というだけでも、畏れるには余りある。さらにここは砂漠のど真ん中。渇きを最も忌避する地だ。危険視されても仕方ないと思いながら、僕はここまで来たのだ。


「私もこの魔法の危うさは重々把握しております。……だからこそ、私は貴国をとぶらったのです。私の力は、おそらく簡単に人を、国を滅ぼしかねない。過ぎた力はただの害悪です。私は決して、だれかを傷つけたいわけではございません」


 冷たい風が、僕らの髪をなびかせる。ウマル閣下は僕から目を離さない。その目からは、まったく感情が読み取れなかった。


「でも、それは私だけでは叶わない。私にはこの魔法に関しての知識がまったくないのです。……どうかお力を貸していただきたい」


 僕は胸に手を当てて深く礼をする。……長い沈黙に感じた。もしかしたら、実際はほんの数秒だったかもしれない。……しばらくして、頭上で「ふっ」という、かすかな笑い声が聞こえてきた。


「セルジ殿。顔をお上げください。私は別に、貴殿を危険だとは思っていません。……ただ、本当にすごいなと。魔法というのは、容易く私たちの想像を超えてくる」


 顔を上げると、ウマル閣下は少し困ったような顔で笑っていた。


「初めにお会いしたときに申しましたでしょう。私は貴殿と立場を超えてお付き合いしたいと。……怖いなどと、申し上げて申し訳なかった。言葉の選び方が悪かったです。心よりお詫びします」


 ウマル閣下は深々と頭を下げた。


「閣下!? 何をされますか! 閣下ほどの方が首なぞ垂れなくとも……!」


「そんなことはありません。悪いことをしたら謝る。アズラカイムでは子どもでさえできることです」


 頭を上げながら、ウマル閣下はいたずらな笑みを浮かべる。


「さあ行きましょう。……実は、謁見の間と宴の間は裏でつながっていましてね。下手をしたら、父と兄はもう着いている頃かもしれません」


 ウマル閣下はそう言って振り返ると、すたすたと歩きだす。それを追いながら、僕はオスカルに目配せをする。


「なんだ、あれは?」

「わからん。ただ、何かを隠している気がする」


 僕の小さな問いかけに、オスカルはごくごくささやかな声で答えた。


「ああ。僕もそう思う」


 ウマル閣下の表情からは何も読み取れない。ただ、単純な恐怖だとか嫌悪だとか、そういったわかりやすいものではない気がした。もっと深い深い、何かを隠しているような気がしてならない。


「ウマル閣下に関しては、先ほどお部屋をご案内いただいた際のご様子も気にかかった。用心するに越したことはない」

「わかっているよ……」


 僕はオスカルの忠告に短く答え、ウマル閣下の後を追った。



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「伝承の通りだ。やはり間違えない」


「しかし、今さら『渇きの魔法』の使い手が現れましょうか」


「お前も見たであろう。あの魔法とその姿を。……ラウダに生まれなかったことが惜しい。そうであれば、どうとでもできたというのに」


「今ウマルが近づいております。あやつも大公家の者。うまくやりましょう」


「あいつはまだ子どもだ。いざというときの非情さと決断力が足りていない。……最後はお前が頼りだ」


「もちろんです……。父上の御心のままに」



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 宴の間のきらびやかさは、ガルシア王宮の晩餐の間に、勝るとも劣らないものだった。壁や高い天井は、白を基調にした金や青の幾何学様で装飾されている。白のテーブルクロスが被せられた長いテーブルには、黄金の皿にのせられた料理が所狭しと並んでいた。


 羊肉の香草焼き、砂漠ではおそらく貴重な魚のパイ包み、トマトと豆の煮込み料理……。香ばしく焼きあがった薄焼きのパンや、見るからに香り豊かな焼き菓子もとてもおいしそうだ。高く盛られたフルーツも南国由来の珍しいものばかりで、僕は目を輝かせてしまった。


「セルジ殿はお酒を召し上がりますか?アズラカイムでお酒と言うと麦酒か葡萄酒になりますが」


「麦酒をいただきます。……素晴らしい宴席ですね。私のためにありがとうございます」


 ウマル閣下は侍女から受け取った麦酒を、ひとつ僕に渡した。


「アズラカイムでは客人を丁重にもてなす文化があるのです。こんな砂漠を歩いていらした方に、少しでも歓迎の意を示すために」


「それは素晴らしい文化です……。不肖ながら、甘んじて受けさせていただきます。……ところで、ほかのゲストの方々にもご挨拶させていただきたいのですが」


 すでに宴の間にはゲストたちが集まっていた。そのほぼ全員が褐色の肌と黒髪を持つ砂漠の民だ。おそらく、砂漠に散らばる都市国家のそれぞれの代表者だ。


「そろそろ父が参りますでしょう。さすれば宴が始まります。それまで少々お待ちを」


「大公殿下ご入場!」


 ウマル閣下がそう言ったのと同時に、衛兵の声が響いた。談笑に湧いていた周囲は一瞬にして静まり返る。間もなくして、広間後方の扉から大公殿下がご入場された。途端に宴の間は割れんばかりの拍手で満たされる。


 その拍手の中を、厳格な面持ちで大公殿下は進む。そして玉座にたどり着くと、その前に立った。少し遅れて入ってきたサルマーン殿下も、そのわきに据えられた豪奢な椅子の前に立った。


「皆の者! 本日はよくぞ参られた!」


 天井も高く決して狭くはない宴の間に、大公殿下の声が力強く響き渡った。いつの間にか拍手も止んでいる。


「砂漠の国々、そのひとつひとつを儂と供に治める者たちよ! 本日の宴は他でもない。アズラカイムに伝わる魔法である『渇きの魔法』の使い手を歓迎するためである! ガルシア王国アスタルロア侯爵がご子息、セルジ・アスタルロア卿である!」


 大公殿下は僕の方に身体を向けると、勢いよく手を差し伸べた。


「アスタルロア卿、こちらへ」


 その声に反応し、周りにいるゲストが一斉にこちらに振り向く。一気に視線を集めた僕は、思わず身を固めてしまった。


「セルジ様。大公殿下がお呼びです。どうぞ玉座へ」


 僕の身がすくんでいることに気づいたオスカルが、すかさず助け舟を出した。その声にはっと我に返り、僕はぎこちなく奥にある玉座へ向かった。


 玉座にたどり着き、大公殿下の前で最敬礼の姿勢をとろうとする。しかし大公殿下は、手振りでそれを制すると、「こちらへ」と言って、僕を自分の隣に誘った。僕は示されるがままに大公殿下の隣に立つ。大公殿下はそれを見届けると、大きな手ぶりで僕を指し、さらに言葉を続けた。


「アスタルロア卿……セルジ殿は、曾祖母に我が叔母であるラーニャを持つ、正統な大公家の血筋でもある。その血筋ゆえに『渇きの魔法』を発現し、こうしてアズラカイムの地を踏むこととなった。


 この魔法のルーツでもあるアズラカイムで、『渇きの魔法』を知り、その力を最大限に発揮できるよう、大公家は全面的に、セルジ殿を援助することとした。此度の宴はその気持ちをささやかながら示したものだ。皆楽しんでくれ!」


 大仰に両腕を開き、大公殿下はゲストに向かって言い放った。途端に宴の間が割れんばかりの拍手で満ちる。そこから侍女によりそれぞれに酒や菓子が配られ、宴が始まった。

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