第22話 婚約破棄?
アレキサンドリア様の分体は、首都イスマイールに全部で八つ置かれていました。
「なるほど、確かに魔力の流れが豊かな場所に、分体が置かれているようですね」
「はい。『大魔女』はこういう仕掛けを考え出すのがとっても上手かったんですって。でも『大聖女』にも知らされてないなんて」
少しむくれたようなセラ様――いえ、『大聖女』さまは、目の前にたたずんで苦笑しているアレキサンドリア様をねめつけます。
もちろんこのアレキサンドリア様は分体です。本物ではありません。
それでも『大聖女』の生まれ変わりであるセラ様は、思うところがあるようで。
「そんな顔するなよ。言えなかったんだから仕方がないじゃん」
「あなたはいっつも一人で全部済ませちゃうんですから。でも――生まれ変わっても、こうやって助けてくれるのは、嬉しいです」
「でしょ? あたしはいつだってあんたを喜ばせるのが上手いんだ」
二カッと得意げに笑ったアレキサンドリア様は、さて、と私の方に向き直ります。
「別の分体とは既に情報共有できている。あたしの分体を楔として結界を展開、首都に龍を閉じ込め撃破する……という作戦方針に変わりはないね?」
「はい。準備はつつがなく進んでいます。――問題はタイミングですね」
イリヤさんや、魔術省の方々のお力添えもあって、結界展開の術式のめどは立っていました。
<秩序>魔術を扱う以上、私が主体となって結界を展開するわけなので、難しい箇所はまだまだ山積みですが――。
何も分からないよりは、片づけるべき課題が見えていた方が、いくらか気が楽です。
「うん。何しろ相手は五体もいる。一体でも取りこぼしたら面倒だ。あたしは分体だから<秩序>魔術を使うことはできないし」
ほんとうに<秩序>魔術を使えるのは、私一人のようです。荷が勝ちすぎている自覚はありますが、分体とはいえアレキサンドリア様からご助言を頂くことができるのです。
それにセラ様やイリヤさんもいて下さる。一人ではないのです。
アレキサンドリア様は、何か考え込むように宙を睨んでいます。
その唇が、優雅な弧を描いて歪みました。
「機を制するものが勝つ。手をこまねいて待つよりかは、こちらから打って出たほうが良いだろう」
「イリヤさんも同じことをおっしゃっていました。でも、どうすれば先手を打てるのか……」
「囮を用意する」
「囮……。この場合一体何が囮になるというのでしょうか」
にんまり笑ったアレキサンドリア様は、びしっ! と私を指さします。
「あんただよ、リリス。龍どもにとってあんたは目の上のたんこぶ、喉から手が出るほど殺したい存在!」
「だ、だめですっ! 囮なんて危なすぎます! それでなくてもこの間は滝つぼに落とされて、わたしたち、死ぬほど心配したんですからね!?」
意外な強さでセラ様が反論するのに、アレキサンドリア様はにまにまと不敵な笑みを崩しません。
「何もその身を危険にさらす必要はない。――あんたが孤立する『ふり』をしてやればいい」
「孤立するふり、ですか」
「国王陛下に無礼なこと言っちゃったとか、晩餐会に狼の群れを放ったとか、そういうことをすれば簡単に孤立できる。保障しよう」
「もうっ、リリスさんをそそのかさないで! それはサンドラが実際にやったことでしょ! しかもその尻拭いしたの『大聖女』(わたし)ですし!」
「あっははは」
「笑ってごまかさなーい!」
ぷりぷりしているセラ様もかわいらしいです。
(でも、そうですね。孤立するふりというのであれば、私には格好の名目があるかもしれません)
*
「婚約破棄ィ!?」
ダンケルク様が素っ頓狂な声を上げました。横で若旦那が苦笑していらっしゃいます。
ここはモナード家の居間です。三人が集まるのは少し久しぶりかもしれません。
「はい。ダンケルク様と婚約破棄をした、という噂を広めれば、私は孤立して狙いやすくなると思うのです」
「なるほど? 『大魔女』の作戦は、リリスを孤立させてそこを狙わせ、龍たちを一気に囲い込む――。なかなか攻撃的な作戦だ」
「はい。そもそも私のような身分の人間が、魔術省に大手を振って出入りでいるのは『ダンケルク様の婚約者』という肩書があったからです。これを捨てれば、私は孤立します」
「別に魔術省は、そこまで身分にうるさい所ではないけれど……。うん、そうだね。君が魔術省で自由にやれているのは、ダンの後ろ盾があるからだ」
若旦那はいつになくきっぱりとおっしゃいました。
そうなのです。いくらグラットン家で長い間メイドを務めていたとしても、私は孤児です。
どこの馬の骨とも知れない女を、やすやすと受け入れるほど、魔術省は間抜けの集まりではありません。
モナード家の次期当主である、ダンケルク様の婚約者。その位置にいたからこそ、私はイリヤさんのお部屋に気軽に入ることができ、技官の方々とも対等にお話ができたのです。
ダンケルク様はいら立ったように、
「でもそれは最初だけのことだ。リリスは自分の実力でイリヤと渡り合い、居場所を作った」
「そうだろうとも。でもね、リリスのことが気に食わない家はたくさんあるよ。例えば自分の家の娘を君に嫁がせようとしていた某侯爵とか某伯爵とか某将軍とか」
「くだらない! どの家の娘も、やれ裁縫だピアノだ歌だとそればかりで、何の面白みもないふにゃっふにゃのコットンキャンディーみたいだ!」
「おや、やけにこき下ろすじゃないか? 女性はみな花だと謳って、浮名を流していた君なのに?」
「そういうお前はやけに絡むじゃないか?」
「だって、リリスの言っていることは理にかなっているからね。孤立するという目的を達成するのには、婚約破棄が一番適している」
それに、と若旦那は小首をかしげます。
「元々君たちの婚約は、見せかけだったんだろう? ダンの母君が心配するし、何かと便利だから――そういう理由で作られた、フェイクなんだろう?」
「ええと、それは――」
「いや、フェイクなんかじゃない」
ダンケルク様はきっぱりとおっしゃいます。
ぎらりと緑色の目が輝きます。獰猛なけもののように。
「俺はリリスを婚約者に――俺の嫁に迎えたいと思っている。本気だぞ」
まるで若旦那に宣戦布告するように言い放ったダンケルク様。
その真剣なお顔が少しだけ緩みます。
「だがまあ、リリスにも選ぶ権利はあるし、そもそも今は龍退治に忙しい。返事は待つつもりだ」
「……なるほど? 君が本気なのはよく分かった。婚約破棄って言ったとき、やけに嫌そうな顔をするから、どうしてかなあと思っていたんだ」
苦笑する若旦那は、確認するように私の顔をご覧になります。
澄んだ紅茶色の瞳を、こんなにじっくりと見つめたのは、いつぶりでしょう。
少し前までは、こんなふうに見つめられたら、少しドキドキしていたものですが。
なぜか心は凪いでいます。それでいて安心できるようなこの気持ちは、ついぞ抱いたことのないもので。
(無礼な考えではありますが、もしかしたらこれが、家族に対する気持ちなのかもしれません)
「リリス。君は私と長い間一緒にいてくれた。君の性格もちょっとは分かってるつもりだ。……私や、グラットン家や、その他諸々面倒なことが、嫌でも君の判断を惑わせるだろう」
「惑わせる……?」
「君は頭が良いからね。皆が満足するような選択肢を自然に選んでしまうだろう。君の望むと望まざるとにかかわらず」
だからね、と若旦那は念押しするようにおっしゃいました。
「君は自分の望みがなんであるのか、よく気を付けて見極めなきゃいけないよ。自分のやりたいようにやって良いんだから、ね」
「……はい」
「ちなみに相手がダンだろうとそうじゃなかろうと、持参金の心配はしなくていいからね? 実は私の母さんと父さんが、君の嫁入り用にいくらか用意していてねえ」
「こらこらこら。リリスの相手は俺! 俺しかいないから! というか持参金とかも考えなくていいから!」
「おや、返事を待つんじゃなかったのかな」
「返事は待つがその間に俺を売り込まないとは言ってない」
言い放ったダンケルク様は、私の横にどすんと腰掛けます。
「お前が望むなら婚約破棄したという噂は流してやる。だがきっと嫌な目にあうぞ。ひどいことを言われるだろうし、されるだろう」
「その点はイリヤさんも考えて下さっていて、私はイリヤさんの別宅で過ごさせて頂くことになります。基本的にはイリヤさんと一緒に行動させて頂きますし、護衛もつけて下さるそうで」
「……まあ、あいつの預かりなら、一番信頼できるか。いやいやしかし……」
なんといってもイリヤさんは超がつくほどの名家のご出身で、お家もとっても広いのです。
それにいつもクマのような護衛の方がついていらっしゃいますし。
そう申し上げると、ダンケルク様はいら立ったように髪をかき上げました。
「しかしなあ……! この間みたいに黒(ノア)に汚染されたやつが、またお前を狙うかもしれない。今度は暖炉の中に突き飛ばされた、なんて知らせは聞きたくないぞ!」
「ああ、それならいいものがあるよ」
若旦那がごそごそと鞄を探ります。
出てきたのは一つのブローチでした。どこにでも売っていそうな平凡な花の意匠です。
ですが、そこに込められている術式は、平凡だなんて口が裂けても言えそうにありません。
「セラと私で君のために作ったんだ。治癒魔術の技術の粋を込めたブローチ。身に着けた人間が負傷した瞬間、治癒を開始する」
「すごい……。治癒魔術のことには詳しくありませんが、ものすごい力を持っていることは分かります!」
「これなら暖炉に突き飛ばされても大丈夫。火傷くらいなら一瞬だよ。多分頭の骨が砕けても三十秒くらいで治るんじゃないかな」
「あ、頭の骨が砕けるようなことにはなりたくないですが……。でも、ありがとうございます。百人力です」
視界の端でダンケルク様が何かないかと懐を探りまくっているのを尻目にお礼を申し上げると、若旦那はへらりと笑いました。
「私にはこのくらいしかできないから……。困ったらいつでもうちに駆け込んでくるんだよ。いいね?」
「はい……!」
私のために作ってくださったブローチ。肌身離さず持ち歩くことを誓って、私はそれをそっとポケットにしまいました。
ちなみにダンケルク様は、ポケットを探っても何もなかったのか、軍服の胸の徽章をむしり取って私に下さろうとなさったので、若旦那と二人で止めました。
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