第7話  ご両親にご挨拶


「居間よし、主寝室よし、玄関よし……! はっ! 下男部屋にお煙草でも用意した方がよろしかったでしょうか!?」

「下男は連れてこないだろ。落ち着けって」


 そうは言っても、これからいらっしゃるのはダンケルク様のご両親です。

 間違っても婚約者役として粗相があってはいけません。


 私はダンケルク様にあつらえて頂いタフタのドレスをまとっています。髪もととのえ、お化粧も薄く施しました。

 部屋は綺麗ですし、私自身も美しくないとはいえ、見るに堪えないほどではないはず。

 それでもやはりうろたえてしまうのは、後ろ暗いところがあるからでしょうか。


 やがて遠くから馬車の音が聞こえてきます。

 メイドの、しかも雑用メイド(オールワークス)の習慣で、私はドアを開けようと一歩を踏み出します。

 が、その手をダンケルク様が掴み、優雅なしぐさでご自身の腕に導かれました。


「手はここ」

「も、申し訳ございません……。ダンケルク様、もし私がメイドのようなふるまいをしたら、つねって注意してくださいね……?」

「おッ……まえ、それは俺の理性を試してるのか?」


 やけにぎらついた目で見てくるダンケルク様。何のことだか分からぬまま、私はドキドキする心臓を扱いかねています。

 それを見て取ったダンケルク様は、私の耳元でそっと囁きました。


「浮足立ったお前を見るのは新鮮だ。両親には毎週来てもらおうか」

「僭越ながら、それは私の心臓がもちません……。来週あたりにぼろが出るかと」

「そうか? お前のことだ、十年近くは隠し通せそうだが。――ウィルに隠し通せたみたいに」


(それって、つまり、どういう意味でしょう?)


 心臓が違う意味で跳ねました。

 もしかして、ダンケルク様は、私の気持ちをご存じで――。


 そう思いかけた瞬間、馬車が家の前に降り立つ音がしました。馬のいななき、石畳を打つ蹄の音と共に、話し声も聞こえてきます。


「やあやあダン! 遅くなってすまんな!」


 バーン! とドアを開け放って登場されたのは、黒髪とおひげがもじゃもじゃの、熊さんみたいな男性でした。

 コートに雪靴を身に着けたその人は、ダンケルク様よりもはるかに背が高く、背中に死んだ鹿を背負っていました。


 ――鹿?


「おおっ、彼女がお前の婚約者か! いやあ綺麗な女性だ!」

「は、初めまして、私リリス・フィラデルフィアと申しま……きゃっ」


 大きな体で、ぎゅうっと抱きすくめられました。熊に抱き着かれるとこういう感じでしょうか。

 けものと血のにおい、それから微かに火薬の香ばしいかおり。暖かい腕から体温が伝わってきます。


「こんなに美しい女性が婚約者として来てくれるなんて! ありがたいこともあったもんだ!」

「こら、ユヴァル。そんなに抱きしめたら、小さな婚約者殿はつぶれてしまうよ」


 後ろから現れたのは、銀髪の綺麗な女性でした。編み込んだ銀髪に、アメジストのような瞳。微笑むと、目じりの皺がきゅっと増えて、とても素敵です。

 女性にしては背が高く、がっしりとした体を男物の狩りの服に包んでいます。


「初めまして。私はハル。ダンの母親だ」

「ハル様ですね。初めまして、リリス・フィラデルフィアでございます」


 ハル様は、よく日に焼けた手でぎゅっと私の手を握り、私の目を覗き込まれました。


(あ……すごい、宝石みたいにきらきらした目です。……でも、ご病気のようには見えませんね?)


 そうしてハル様は、にかっと快活に笑いました。


「ダン! お前には過ぎた子をよくもまあ見つけてきたもんだ」

「だろう?」

「まさか脅したりしちゃいないだろうね」


 ぎらりと鷹のように鋭い眼光がダンケルク様に向けられます。ですがさすがにご子息は慣れたもので、


「愛し合っているから、婚約したんだがな」


 と言って、私を抱き寄せます。

 私の腰を抱えてもまだあまるダンケルク様の腕が、やけに太く感じられます。密着した体の半分がやけに熱いのは、気のせいでしょうか。


(いえっ、ここでしっかりと演技をしなければ! ハル様に怪しまれてしまいます!)


 私はにっこり笑って、ダンケルク様の腕に手を添えました。


「はい。ダンケルク様をお慕いしております」

「そう? そんならいいんだけどね」


 ハル様は優しく笑って、ユヴァル様の背から鹿を下ろすのを手伝われていました。


「さて、解体場はそのままだろ? このまま鹿をさばいて、ステーキにしてやるからね!」

「あっ、あの、お手伝い致します」


 言いかけてはっとしました。婚約者が、鹿の解体の何を手伝うというのですか!

 ですがお二人とも、それを若い娘の失言と取ってくださったようです。


「別に、軍人の嫁になるからって、鹿を解体できなきゃいけないわけじゃないんだよ。これはあたしらの趣味、あたしたちが好きでやってることなんだ。あなたはそこで座って、出来上がるのを待っていておくれ」

「品数の多い、上品で技巧の凝らされた晩餐とはいかないが――最高に旨い肉を食わせてやるからな、待っていなさい!」


 お二人は鹿をずるずると引きずって、台所の方へ入って行かれました。


「……ダンケルク様」

「なんだ」

「嘘をおつきになりましたね? お母さまがご病気などと」

「あのなりで意外と不死の病かもしれんぞ?」

「あんなにきらきらした目でご病気など、ありえません」


 そう強く言えば、ダンケルク様は悪びれずに、


「まあ、心配性という不治の病であることは確実だから」

「まったく! そうやって人を騙すことに良心の呵責というものはないのですか!」

「あっははは、いやあ怒っても綺麗だなお前は」

「話を! そらさない!」


 世の中にはついていい嘘といけない嘘があると思うのです。お母さまがご病気なんていうのは、ついていけない嘘の代名詞ではありませんか!


「演技は今晩だけですからね、次からは別の女性を婚約者役にするか、もしくはほんとうの婚約者を迎えて下さいませ!」

「しーっ。分かったから、静かにしないと……」


「ねえ、キッチンにある食材やら調味料やらは、使ってもいいんだろうね?」


 ハル様がひょっこりと顔を出されました! 私は慌ててダンケルク様に寄り添いながら、


「はいっ! 使って問題ない……と! キッチンメイドから聞いております!」

「分かった、ありがとう」


 ダンケルク様がくくっと喉の奥で笑っています。ハル様がキッチンに戻られるまで、気が気でないというのに!


「なんだかこう、悪いことをしているみたいで楽しいな?」

「しているみたいじゃなくて、実際にしているんですよ、ダンケルク様」


 そう言うと、ダンケルク様はまた子どもみたいにくすくすと笑っていました。




 ほどなくして、テーブルの上にどっかりと乗せられたのは、巨大なステーキでした。

 それだけではありません。ハーブ入りの腸詰に、野菜と鹿肉を煮込んだシチュー、それからかりっと焼けたチーズ入りのパンも一緒です。

 

「たった一時間で、こんなに……! すごいです!」

「なに、ハルと俺がいればざっとこんなもんさね。素朴な食事で申し訳ないが、味は保障するよ」

 

 確かに素朴ですが、出来立てのあつあつで、とても美味しそうです!

 ハル様は大きな瓶を三本ほど、どどどんとテーブルの上に置かれました。葡萄酒でしょう。

 それをユヴァル様に注いでもらい、乾杯の準備が整いました。


「さ! どんどん食べてどんどん飲みな!」


 私たちは食事をし、お酒を飲みながら、いろんなことをお話しました。

 どこで出会ったのか(ダンケルク様が友人の紹介だといってうまくごまかしました)。

 私の家柄はどんなものか(言いよどんでいたら、勝手に学者の家の娘ということにされました)。


 そうして、お互いのどんなところが好きなのか――。


(優しい……というのはありきたりすぎますね。お顔が良いから……というのは外見目当てのようでよろしくないですし、家柄が良い、というのも品がないでしょうし……)


 不審がられないような内容を考えていると、葡萄酒いりのゴブレットを傾けたダンケルク様が、先に口を開きました。


「リリスの好きなところは――まず辛抱強いところ。それから、辛いことがあっても人前で泣かないところ。あとはまあ、俺に厳しいところかな」

「……それ、ほんとうに好きなところですか?」


 私が尋ねると、皆さんがくすくす笑いました。


「ああ、伝わってくるぞ。この不肖者のせがれが、あなたに首ったけであるということがな」

「く、首ったけ」


(というか、辛いことがあっても人前で泣かない――って、どうしてご存知なのでしょうか!?)


 その口ぶりだと、まるで私が一人で泣いているところを見たことがあるような感じですが……。

 ぐるぐる一人で考えていると、ダンケルク様がテーブルの上で私の手を握りました。いたずらっぽく笑いながら、


「我が婚約者さまは、俺の好きなところを教えてくれないのかな?」

「ええっと……」


 必死に考えて、これだ! と思うことを見つけました。


「さみしがりなところ、ですかね」

「……」


 一瞬静まる晩餐のテーブル。


(……あっ、ま、曲がりなりにも軍人であられるダンケルク様に、こ、こともあろうにさみしがりなどと言ってしまいました!)


 人生の中でも最大級の失言です! 私は慌てて次の言葉を探そうとしましたが、ハル様の真剣なまなざしを受けて縮こまってしまいます。


「も、申し訳ございま、」

「ダン、絶対この子を離すんじゃないよ。お前の面倒な性格を分かってくれる子はそうそういないんだから」

「分かってるって、もとよりそのつもりだ」


 ダンケルク様が苦笑しながらおっしゃいました。

 ユヴァル様はうんうんと頷きながら、既に何杯目か分からない葡萄酒を飲み干し、こうおっしゃいました。


「お前は小さいころから、めんどうくさい寂しがり屋だからな。狩りに連れて行かないと、へそを曲げて部屋で泣くくせに、連れて行くと文句ばかり言ってなあ」

「靴が汚れる! 臭い! とか言うくせに、狩りの日は誰よりも早く起きて待ってるんだよねえ」

「そりゃそうだ、父さんと母さんが毎回楽しそうに出かけていくのに、俺だけ仲間外れにされたんだぞ? 普通泣くだろ!」


 楽しげな家族の会話。自然と私の頬も緩みます。


(ダンケルク様は、素敵なおうちで育てられたのですね。そう言えば若旦那も、お父さまやお母さまとこんなふうにお喋りされてましたっけ)


 私には家族がいないので、家族の気安いやり取りを、どこか夢物語のように聞いていたものです。

 ちょうど今みたいに。


(私はよそものですけれど、それでもこんなふうに楽しくて優しい会話を聞いていると、なんだか家族の一員になれたような気がするんですよね)


 ほんとうはそんなことあり得ないのですが。ちょっとしたおこぼれにあずかるぶんには、良いですよね?


「ああもう、リリスが置いてきぼりだろ。ほら、葡萄酒でも飲んで、あなたのことをもっとよく聞かせて」


 ハル様が私のゴブレットにお酒を注いで下さいました。

 満たされる盃とはうらはらに、私の中身は空っぽです。話すことなんて何もありません。


「……」


 仕方がないので、葡萄酒を一気に飲み干します。だって、だって――話すことなんてないんです。

 ――私はただの孤児で、メイドで、ついでに失恋中なのですから。



 

 *




『ねえ、リリス。もしよければ僕の――婚約者役、なんてやってくれないかな』


 若旦那がはにかみながら私に話しかけてきます。ああ、夢だな、と思いながら、私は頷きました。


 夢なのですぐに場面が変わります。

 私は若旦那の横に並んで、行方不明のはずの若旦那のお父さま、お母さまとお喋りをしています。

 私はメイドですが、若旦那の昔を知っていますので、グラットン家の方々とこうやって思い出話をすることができるのです。


(ああ、若旦那の婚約者になれたら、ただ一人の女性になれたら、どんなに素敵でしょうね)


 現実ではとうてい無理だと分かっているから、こういう夢を見られるのです。

 夢は不可触。私の望みだけが反映されます。


(若旦那は、でも、私のものではありませんから)


 一介のメイドと結婚なんて不名誉、若旦那には似つかわしくありません。

 優しい若旦那は、きっと聖女さまのような、優しくて品があって、おっとりした方がお似合いのはずです。


 そう、ちゃんと分かっているのに――。


(どうしてこんなに、辛いのでしょう?)




 * 


 


「……んん」


 意識がゆっくりと浮上していきます。

 どうやら私はふかふかの所に寝ているようです。身じろぎしようとしますが、誰かの体がそれを阻んでいるようでした。

 何か暖かいものが、唇にぐっと押し付けられました。私のものではない、優しいにおいがします。


「なに……」

「おう、起きたか」


 かなり近いところからダンケルク様の声が聞こえました。私はそうっと目を開けます。


「……!」

「おはよう、リリス」


 シャツの襟元を緩め、髪の毛をほどいた姿のダンケルク様が、鼻と鼻が触れ合うほどの至近距離にいらっしゃいました。

 澄んだ緑色の目は、この角度からだと、まるで深い海のように見えます。

 ……というか。この体勢は。


(だ、ダンケルク様に抱きしめられて……!? というか、ここ、ダンケルク様のベッドですか!?)


 こともあろうに、ドレスをまとったまま、ダンケルク様のベッドで、ダンケルク様に抱きしめられたまま、眠りこけていたようです。

 メイドとしてあるまじき行為にめまいがします。


 がばりと起き上がると、軽い頭痛がしました。と同時に蘇るのは、昨日の忌まわしき記憶たち。


「……わっ、わた、私、の、飲みすぎましたね!?」

「葡萄酒をゴブレットに軽く十杯、それから濁り酒を瓶の半分くらいは飲んでたぞ。お前のペースに合わせてた父さんは早々につぶれた」

「ひいっ」

「母さんは嬉しそうに一緒に飲んでたが、お前が濁り酒の瓶を空にした時点でつぶれた」

「……何か変なことは申し上げませんでした……よね?」


 ダンケルク様はのろのろと起き上がり、ぐあふ、と猫のようなあくびをしました。


「記憶あるんだろ? お前はどこまでも婚約者役を演じ続けてたよ。――ただし、思いっきり<秩序>魔術は使っていたが」

「あうう……。ぜ、ぜんぶ、覚えています……!」


 そう、お話することがないために、飲むしかなくなった私は、テーブルの上のお酒を飲み干しました。

 酔っぱらった私は、所かまわず魔術を使いました。泣いたり叫んだりしなかったのがせめてもの幸運だったでしょうか。


「いやあ、鹿の解体場所に果敢に踏み込んでいって<秩序>魔術で全部片づけたときは、母さんも目を丸くしてたよ」

「あうう……。な、殴ってでも止めて頂きたかったです……!」

「嫌だ。あんな面白いもの、止めるなんて野暮だ」


 そう、そうしてハル様とユヴァル様がつぶれた中、私ときたら屋敷中に<秩序>魔術をかけて回って――。

 最後にたどり着いたダンケルク様の部屋で、力尽きたのでした。 


「も、申し訳ございません……!」

「なんで謝る? 婚約者の務めは立派に果たしたぞ」

「いえ! 酔っぱらって魔術をかけ回った挙句、主人のベッドで眠るなど……メイドにあるまじき失態でございます」

「家じゅう綺麗になったからいいんじゃないか? それに、昨晩は少し冷えた。お前は湯たんぽにちょうどよかったぞ」


 さらりとそうおっしゃるダンケルク様は、さすがに女性慣れしておいでです。

 ベッドから降り、散らかっているご自分と私の靴を拾い集めると、ベッド端にちょこんと置きました。


「コルセット、ちょっと緩めたから、下に行く前に締めなおしておけよ」

「!?」

「そんな顔するなって。さすがに締めたままじゃ寝づらかろうと思って」


(た、た、確かに紐が緩んでいます……!?)


 遅れて羞恥心がどっと押し寄せます。コルセットを緩めるなんて、それこそほんとうの婚約者にだってしないことです。

 女性が自分のコルセットの紐を預けるのは、召使か夫くらいのものでしょう!


「手伝うか?」

「結構ですっ」


 ほとんど泣きそうになりながら、私は部屋を出ていくダンケルク様を見送りました。




 これは不幸中の幸いというか、ダンケルク様のご両親の度量の広さによるものですが。

 酔っぱらって<秩序>魔術をかけて回ったことは不問に処されました。むしろ感謝されました。まあ、部屋は綺麗になりましたからね……。


 そうしてハル様は、にっこり笑ってこうおっしゃったのです。


「あなたのかわいらしい一面が見られて嬉しかった。どうか、ダンを見捨てないでやっておくれ」


 そうして午前中のうちに、二日酔いに苦しむユヴァル様と共に、帰って行かれたのでした。

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