第10話 晴天の霹靂(上)
聖女さまがおっしゃるには、『大魔女』アレキサンドリア・ゼノビアと『大聖女』アナスタシア・フォーサイトは、たいへん仲が良かったそうです。
「アナスタシアはなんていうか、少し直情的な性格で、思い込みが激しいところがあったみたいなんです」
「そうなのですか?」
「ええ。それをアレキサンドリアがたしなめて、軌道修正するっていうのが二人の関係だったようですよ。今のわたしたちみたいに!」
「私、何か聖女さまの軌道修正をしましたでしょうか」
そう尋ねれば、聖女さまはてへへと笑いながら、
「さっきこのバルコニーから落ちそうになったのを、助けて頂きました……」
「ああ……。いえ、そんなこと、お気になさらないで下さい。私こそ、急に背中を引っ張ったりして」
「いえ! こういうことなんだな、と確信を持てました。わたし、修道院にいた頃から、ほんとうにおっちょこちょいで」
修道服の裾を踏んづけた聖女さまが、バルコニーから大きく身を乗り出したところを、慌てて捕まえたのはさっきのこと。
聖女さまは小柄なのに瞬発力がおありになるので、予想もつかない場所にいることが多いのです。赤ちゃんってこんな感じでしょうか?
「でもでもっ! リリスさんの足を引っ張らないようにしますから! ……ですから、そのう。聖女さまではなく、セラと名前で呼んで下さいませんか?」
上目遣いにおずおずと尋ねられて、ノーと言える人間がいるでしょうか?
子リスのようなお顔に、私はくすっと笑いながら、
「では、僭越ながら、セラ様と」
「様もできれば取ってもらいたいですが、それはのちのち!」
「のちのち、ですか」
「はい。リリスさんは一気に距離を詰めると逃げられてしまうと見ましたっ。じわじわじりじり攻め込ませて頂きます」
そんなことを話している私と聖女さまは、魔術省の練兵場にいました。
しかも練兵場の特等席――行進や、整列している様子がよく見える、バルコニーのお席に座らせて頂いています。
良く晴れた空のもと、練兵場では、模擬戦闘が開始されようとしていました
魔術兵たちが十人ずつ分かれて、旗を取り合う模擬戦闘だそうです。
長い帽子を被り、銃を捧げ持った兵士が朗々と宣言します。
「ただいまより模擬戦闘を実施致します! 補助魔術課対剣術課、展開はじめ!」
剣術課の方の指揮を取っているのはダンケルク様です。後方で、指揮官の証である徽章をつけていらっしゃいます。
指揮官でありますから、当然と言えば当然なのですが、ダンケルク様のお姿はなんだか目立ちます。
(他の方と同じ軍服を着ていらっしゃるのに、どこかたたずまいが違うんですよね。お背が高くていらっしゃるからでしょうか)
模擬戦闘は、指揮官の徽章を奪った方が勝ちだそうです。
さながら大掛かりなチェスのように前衛たちが相手の侵攻をくいとめ、その後ろから遠距離魔術を使う兵士たちが、防御の隙間を縫って攻撃しています。
聖女さまが、ほわあと声を上げました。
「わあすごい、模擬戦闘って言ってもこんなに迫力があるんですね! 皆さん、怪我とかしないのかな」
「ダンケルク様がおっしゃるには、一応専門の防具を着けているから大丈夫、ということですが……」
しかし魔術の威力には手は加えられていないようですから、当たれば痛いでしょう。
補助魔術課の投石攻撃が、剣術課の前衛兵士の頭にボグッ! と直撃しました。
私と聖女さまは同時に顔をしかめます。音がここまで聞こえてくるくらいですから、相当痛いでしょう……!
「あわわ、だ、大丈夫ですかね……?」
「わ、分かりません」
その兵士はなかなか立ち上がりません。
周りの人がざわつきかけた、その時でした。
「ちょっと失礼~」
模擬とはいえ、戦闘訓練のただなかに、緊張感ゼロでえっちらおっちら向かっていく人がいます。
若旦那です。
軍服の代わりに大きな白衣をまとい、止血帯やらガーゼやらが入った桶を抱えています。
丸い体のわりには器用に練兵場に潜り込んだ若旦那は、倒れた兵士の横に赤い旗を立てると、治療を開始しました。
思わず身を乗り出して見つめてしまいます。
「大丈夫大丈夫、血がたくさん出てるけど、傷は深くなさそうだね」
若旦那の丸っこい指が、ちまちまと献身的に動いています。止血帯を、まるで小さな子をスカーフでくるむように素早く、ていねいに負傷した兵士の頭に巻いていきます。
そうして若旦那が何か呪文を詠唱すると、止血帯がぼうっと緑色に輝き始めました。
若旦那が生来お持ちのやさしさと、積み重ねられた経験による手際の良さが共存している、若旦那の<治癒>魔術。
私が大好きな魔術です。
「あの方、グラットンさんですよね? すごいです、あっという間に治してしまいました!」
「セラ様も<治癒>魔術はお得意でしょう?」
「一応『大聖女』の生まれ変わりですからね。でも経験はグラットンさんの足元にも及びません」
セラ様がきらきら輝く瞳で覗き込んできます。
好奇心たっぷりのその目は、どこか猫にも似ていました。
「リリスさんは、グラットンさんのお家でメイドさんをやられていたんですよね。グラットンさんって、どんなお方なんですか?」
「若旦那は――ちょっと抜けていらっしゃるところもありますが、優しくて研究熱心なお方です」
ほんとうは、ちょっとだけ迷いました。若旦那のことを正直に描写すべきかどうか。
だって、セラ様も若旦那に興味がおありになる。そして若旦那は、たぶん、セラ様に一目ぼれしている――。
私の脳裏を、三文小説の筋書きがよぎります。
(ここで、若旦那の悪い印象を植え付ければ、セラ様は若旦那と距離を置くようになるでしょうか)
そう考える自分に苦笑してしまいます。
(セラ様も若旦那もいい人たちですから、お互いを気に入るのは時間の問題でしょう。それに――若旦那を悪く言うことなんて、私にはできませんからね)
私は続けます。
「若旦那はすごいんです。寝食を忘れて<治癒>魔術の研究に没頭されて、つい半年前に、地域の伝染病だったパルメット病を根絶してしまわれたのです」
「まあ、あの皮膚病を!? すごい方なんですね!」
「自慢の主です。……もっとも、研究に打ち込みすぎて、箒に乗って出かけようとなさったりもしますが」
「あはは。面白い人ですね。それにそういうおっちょこちょいなとこ、ちょっとわたしに似てるかも」
「おっちょこちょいかどうかはともかく、セラ様と若旦那は似ていると思います。こう、小動物っぽい感じが」
セラ様は楽しそうに笑い、練兵場の方に視線をやります。
と、若旦那もこちらを見ていることに気づきました。セラ様が無邪気に手を振ると、若旦那は目に見えてうろたえてしまいました。
(ああ、お顔が真っ赤。……ちょっとだけ、羨ましい)
だって私は、あんなお顔を向けられたことがないのですから。
「わっ、ねえねえリリスさん! 今まで気づかなかったですけど、模擬戦闘、もう終わっちゃいそうですよ!」
「えっ? でも、模擬戦闘は通常一時間以上はかかるはずでは」
そんなことを言っている間に、敵陣に切り込んでいった剣術課の兵士が、敵の指揮官の徽章を奪い取り、高々と掲げました。
長い帽子を被った兵士が、朗々と宣言します。
「勝者、剣術課!」
わっと歓声が上がります。私たちも慌てて拍手をしました。
「しかも徽章を奪い取ったのって、ダンケルクさんじゃないですか!? すごーい!」
「し、指揮官が自ら敵陣に切りこんで行かれるとは……」
派手好みのダンケルク様らしい行動です。
そう思っていると、徽章を手にしたダンケルク様が、バルコニーの下に近づいてきました。
「リリス。リリス・フィラデルフィア」
「はいっ」
何か御用でしょうか。ああ、メイドが主の頭上からご用件を伺うなどいけません、下に降りなければ。
そう思って立ち上がった私に、ダンケルク様は剣を捧げるしぐさをしました。
抜きはらったサーベルの刀身が、光を受けてぎらりと光ります。額に汗をにじませたダンケルク様は、にやりと笑みを浮かべました。
「この勝利をお前に捧げよう」
そうして刀身にそっと唇を寄せます。まるで、女王陛下に勝利を捧げる騎士のように――。
きゃあっと声を上げられたのは、セラ様でした。
「すごいすごい、かっこいいですねえ!」
「はあ……」
一応婚約者役なので、体裁を整える必要があるのでしょう。ダンケルク様の部下の方々が、好奇の目でこちらを見てくるのが、大変いたたまれないです。
私はお手洗いに行くふりをして、そっとバルコニーを離れました。
バルコニーを降り、お手洗いでさっと髪形を整えます。あんなに注目を浴びるとは思ってもみなかったので、あんまりきちんと化粧をしてきませんでした。
薄く紅をさしてみます。多少はましになったでしょうか。
そう思いながらお手洗いを出て、バルコニーに戻ろうとすると――。
「きゃっ」
誰かに手を引かれ、部屋の中に連れ込まれました。
一瞬身がすくみましたが、嗅ぎなれたコロンのにおいに、警戒心を解きます。
「……もう、ダンケルク様。悪ふざけはやめて下さい」
「すまん。せっかくの勝利なのに、お前があんまり嬉しそうじゃなかったものでな」
「嬉しさよりも気恥ずかしさの方が大きいです」
「まあ、お前は慎ましいおんなだからな」
「あのですね、この際ですから申し上げておきますが、私は一応、ダンケルク様の婚約者っぽい役、という大役を仰せつかっているのです。それがどれだけ緊張するか、想像もつかないでしょうが」
ダンケルク様は軍服の上着を脱ぎ、シャツのボタンを三つ開けた楽な恰好でした。
それでいて、ずっと私の手を握って離さないので、目のやり場に少し困ります。
「そのことなんだが」
「はい?」
「……お前、ほんとうの婚約者になる気はないか」
ご冗談を、と言いかけた唇が、何か熱いもので塞がれました。
――ダンケルク様のお顔が目の前にあります。ぎらぎら光る緑の目、けものじみて鋭く、今にも食べられてしまいそうな眼差し。
挨拶というにはあまりにも熱っぽいキスが、私を襲っていました。
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