第13話 長い夜(上)

「ふむふむ。『大聖女』時代の話が聞きたいと、そういうことならいくらでもお話しできます!」


 セラ様は私のお願いを快諾して下さいました。

 そうしてなんと、セラ様にモナード家までいらして頂くことになったのです。


(ほんとうは、ちょっとだけ、いやですが……。若旦那とセラ様が一緒にいらっしゃるところを見て、平常心を保てる自信がありません)


 同じ<治癒>魔術の使い手であることから、セラ様と若旦那はたまに長くお話されていることがありました。

 それはだいたい魔術省での出来事で、お見掛け次第、さっとその場を逃げ出すのが常だったのですが――。


「セラに貸している本があるんだ。それにこれから貸す予定の本も取りに来てもらいたいから、ここに来てもらってもいいかなあ?」


 と、若旦那に言われてしまえば、はいと申し上げるほかありません。ダンケルク様が意味ありげに私を見てきたのは、無視しましょう。

 私たちはみんな魔術省に通勤する身ですので、それぞれ仕事を終えたら、魔術省の入り口で待ち合わせをすることに致しました。


 さて、セラ様がお見えになるのなら、それなりのご用意をしなければなりません。

 私はキッチンメイドではありませんが、グラットン家の食卓を切り盛りしてきた自負がございます。


 ――と思っていたのですが。


「申し訳ございません、思ったより魔術省でのお仕事が長引いてしまいまして! 暗くなってしまいましたね」

「あはは、構わないよ。ダンも遅くなるらしいし、ゆっくり帰ろう」

「そうですよ、全然気になさらないで下さい、リリスさん」


 私の<秩序>魔術に汎用性を持たせるため、いろいろと実験をしていたら、すっかり遅くなってしまいました。

 ほんとうならもっと早くもモナード邸に戻って、色々と準備をするはずだったのですが。

 お詫び申し上げる私に、若旦那もセラ様もにこにこと優しい笑みを返して下さいます。そればかりでなく、忙しすぎやしないか、と私の身を案じて下さるほどでした。


 それから三十分遅れでやってきたダンケルク様と、四人で馬車に乗って帰ります。

 折悪しく、ものすごい雨が降り注いで来ました。


「これではセラ様がお帰りになれませんね」

「泊まって行けばいい。客間はまだ空いているだろう」

「大丈夫ですよ! このくらいの雨、慣れっこですから」


 セラ様は気丈におっしゃいますが、このご時世ですから、聖女さまをおひとりで帰すわけには参りません。満場一致でセラ様のお泊まりが決まりました。

 

(寝巻は私のものをお貸しするとして……着替えは、以前ダンケルク様にあつらえて頂いたドレスなら、問題なくお召しになって頂けるでしょう)


 馬車がモナード邸に着きました。ダンケルク様が屋敷内に明かりをともします。

 雨だけではなく、風も相当強いようです。建付けの悪い台所の窓が全開になっていて、床がびしょぬれになっていました。

 <秩序>魔術で手早く掃除を済ませ、さて何を作ろうかと思案しておりますと。


 セラ様がひょっこりと顔をお出しになりました。


「リリスさーん。何かお手伝いします!」

「いえ、セラ様のお手を煩わせるわけには」

「と、おっしゃるだろうとダンケルクさんが言っていましたので。全員で来ちゃいました」


 えへへ、と笑うセラ様は、後ろに若旦那とダンケルク様を引き連れていました。

 思わず笑みがこみ上げてしまいます。どう見ても台所の似合わない方たちなのに。


 台所仕事を手伝わせるなど、メイドとしてはあるまじきことですが、三対一では劣勢もいいところ。

 私は腹をくくり、四人で夕飯を作ることにいたしました。

 

 献立は、ベリー仕立てのソースを添えた鴨肉のソテー、カリフラワーとジャガイモのミルクスープ、黒パンにチーズを添えて。

 ダンケルク様がソテーした鴨肉は絶品でした。さすがあのご両親のご子息でいらっしゃいます。

 ちなみに若旦那に包丁を持たせたら、あらぬ場所へ飛んで行ったので、お皿を出す係をお任せしました。


 食卓を囲むあいだ、セラ様はいたく楽しそうにしていらっしゃいました。


「修道院にいた頃を思い出します! こうやってみんなで作ったご飯を食べるのって、いいですよね」

「おや? 魔術省でも夜ごと盛大な晩餐会が開かれているんじゃないかい?」

「そうなんですけどー……あれってちょっとずつ出てくるし、フォークの扱いまで色んな人から見られちゃうし、肩がこっちゃうんですよね。あ、も、もちろん、全てありがたく頂戴しているんですけど!」

「分かります。イリヤさんのお家にお呼ばれしたとき、私も同じような気持ちになりました」

「リリスさんも!? そう、そうなんですよね、イリヤさんのお家ってすっごく名家で大きいから、召使の人もたっくさんいて、緊張しますよね!」


 貴族の家では、一品ずつ出す大陸式の晩餐が常識だそうです。

 それは一皿ずつ給仕(サーブ)してくれる召使がいるからこそ成り立つ方式で、グラットン家やモナード家ではついぞ行われたことのない晩餐でした。

 なんといってもメイドは私一人きりでしたし、家の方々も、そういった形式にこだわらないようでしたから。

 

(それに最近では『一人で飯を食うのは味気ない』とダンケルク様に言われて、メイドでありながら一緒に食卓を囲ませて頂いておりますし……。なんだか、価値観がおかしくなりそうですね)


 けれどセラ様にとっては、こちらの夕食の方がなじみやすいのでしょう。

 嬉しそうなおしゃべりはこちらの気分も弾ませて下さいます。


(セラ様と一緒にいると、なんだか自分まで、明るくて気さくで素敵な人間になったような気がしますね)


 好きな人の好きな人なのですから、セラ様のことを少しくらいは憎たらしく思っても良いはずなのに、ちっともそんな気持ちが起きません。

 せめてミス・キャンベルのような方だったら、怒りも湧いてくるのですが。


(だいたい、旦那様が好きになる人が悪い人なはずありませんものね)


 ちょっとした諦めの気持ちと共に、私はため息をつきました。







 私たちは四人、居間の暖炉の前に集まりました。ダンケルク様が熾(おこ)した火は、絶えることなく赤々と燃えています。

 

「わたし、昔話っていうのに慣れていなくて。いつでも質問や突っ込みを入れて下さいね」


 そう前置きして、セラ様は食後のミントティーのカップに触れながら、ぽつりぽつりと語りだしました。


「『大聖女』アナスタシアの記憶はいつも、修道院の小さなステンドグラス――オリーブの枝をくわえた白い鳩の模様から始まります。

彼女はお祈りの時に、いつもその鳩のことを考えていました。祈りを捧げるべきは鳩ではなくて、天にまします我らが神なのに。

ですが、そのおかげで気づくことができたのです。『黒煙の龍』の存在に。


 ある日いつものように、早朝のお祈りに出向いたアナスタシアは――いえ、ここからはアーニャと呼びましょう。

 アーニャはいつも見上げる鳩の色が、少し灰色になっていることに気づきました。きっと煤か泥がついたのだと思い、布を取ってきた彼女は、とんでもないものを目にします。


 それは、龍の出来損ないのようなものと、一人の女性が戦っている姿でした。

 そう、その女性こそが『大魔女』アレキサンドリア。アーニャが親しくサンドラと呼び、戦場で何度も支えることになる人です」


 白い鳩のステンドグラス。

 なぜでしょう。その鳩が、少し首をねじってオリーブの枝をくわえているところが、目の前にありありと浮かんできます。

 きっと私はそれを、見たことがある。どこか遠く、今ではないいつかのこと。


「『大魔女』は白銀の髪を持ち、紫色の目をした背の高い女性でした。あちこち旅して、魔術の研鑽を積んだという彼女は『黒煙の龍』を追ってここまで来たそうです。

『黒煙の龍』は村を荒らし、家畜を食らうばかりでなく――黒(ノア)と呼ばれる悪いものをばらまいて、人々の心をもかき乱す存在でした」

「……人の持つ心の暗い部分。普段ならコントロールできているはずのその思いを引き出し、これ見よがしに突きつける、小鬼のような悪い存在――」


 知らないうちに口から言葉がこぼれてきます。セラ様は優しく頷かれました。


「そう、そんな気持ちをばらまく龍は、その段階ではまださほど大きな存在ではありませんでした。

――『大魔女』アレキサンドリアの夫を食らうまでは」


 若旦那とダンケルク様が息を呑む声が聞こえます。

 私は不思議と落ち着いてそれを聞いていました。なんとなく『大魔女』は――怒っている気がしていたので。

 セラ様は静かに続けます。


「アレキサンドリアの夫は高名な魔術師であり、膨大な魔力の持ち主だったそうです。それを食べた『黒煙の龍』は肥大化し、ものすごい量の黒(ノア)をばらまくようになった」

「――そうして、首都に攻め込んだ。己の力をさらに高めるための至宝を手に入れるために」

「それは国王陛下のおひざ元にて、国を鎮護する宝玉、マカリオス・エスファンテ。『至福の輝き』の意味を持つこの至宝は、この国を鎮護するだけの力を持っていました」

「その力を狙った『黒煙の龍』は、激闘の末、滅ぼされた……ということになっていますね」

「ええ。ですが『わたしたち』は知っています。龍が完全に滅んではいないことを」

「確かに首都から追い払いはしましたが、首を落とす寸前に、あれは姿を消した……」

「リリスさんのおっしゃる通りです。『大魔女』と『大聖女』は、結局龍殺しを最後まで完遂できなかったわけですね」


 そうおっしゃったセラ様はまたゆっくりと頷き、それから尋ねられました。


「リリスさんは何かを思い出したんですか?」

「思い出したというよりは、知っていた、という方が正しいでしょうか。『大魔女』はきっと、何かのヒントを私の中に残していかれたのだと思います」

「ええ。生まれ変わることを、呪いによって封じられたあの人は、種を残すことで再びの災禍に備えようとしたのです。その種の一つがリリスさんの中に宿っていたのですね」


 芽吹かない種もあったでしょう。けれどそのうちの一つは、確かに私の中に結実しました。


「……どうして、私だったのでしょうね。もっと他に適任がいたのでは」

「いえ、これ以上ない適任だと思いますよ? そもそも<秩序>魔術は使い手の性格によるところが大きい魔術ですから」

「性格ですか」

「はい。リリスさんは『大魔女』にとてもよく似ています。それに――」


 セラ様の次の言葉を聞こうとした、次の瞬間。


 家じゅうをひっかき回すような、ものすごい揺れが私たちを襲いました。

 横揺れと縦揺れを取り交ぜた不規則な動きに、たまらず床に伏せると、何か重たいものがのしかかってきました。


 それがダンケルク様であることに気づいたのは、揺れが少しずつ収まってからでした。

 顔を上げれば、セラ様と若旦那が、手を握り合いながら身を寄せ合っているところが見えてしまいました。そんな場合ではありませんのにね。


「今のは……!?」

「すごい揺れでしたねえ! 本棚からばびゅんって本が飛んでいくのが見えました!」


 興奮状態のセラ様。

 ――その背後に忍び寄る黒い靄に背筋が凍ります。


(黒(ノア)!? どうしてここに……いえ、<秩序>魔術の詠唱が間に合わない!)


 私はとっさにポケットに手を突っ込みました。

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