第12話 唯一無二の<秩序>魔術

「”三度唱えるは我が名、二度唱えるは主の御名(みな)、そして一度唱えるは魔が名――静謐よここに、そして全てを<秩序>へ帰せ”」


 私の詠唱と共に、練兵場に赤い魔術陣が広がってゆきます。

 魔術師の方々はそれを興味深げに観察しながら、意見を交わし合っています。


「杖や呪文書媒体もなしに、詠唱のみであの効果か?」

「しかも詠唱の単純さとは裏腹に、魔術陣の密度はすごいぞ」

「ああ。この魔術陣一つに込められた情報量を読み解くのに、俺たちが全員で取り組んでも一週間はかかる」


 魔術省にお勤めになるような、魔術のプロフェッショナルたちが、私の魔術陣をしげしげと眺めている――というのは、どうにも気恥ずかしいものですね。


 私は<秩序>魔術を、他の魔術師の皆さんにお伝えするべく、先週からこうやってデモンストレーションを行ってきました。

 ミス・グラットンの帯びた力は、明らかに『黒煙の龍』に連なるもの。

 ということは、その龍が復活し、この国のどこかに潜伏している可能性があるのです。

 龍そのものに魔術は有効です。ですが龍が発する黒(ノア)は、通常の魔術を一切受け付けないのだそうです。


(確かにあの黒い靄は、ダンケルク様の攻撃も防いでしまいましたもんね……)


 悪さをするのはこの黒(ノア)です。生気を奪い、魔力を奪い、力を奪う。

 だから目下のところ対処すべきは、この黒(ノア)であり、黒(ノア)に対抗するためには<秩序>魔術が必要だと、そういうことのようです。

 

 ですが<秩序>魔術を使えているのは、今のところ私一人だそうです。

 しかもこうして他の人にお教えしようにも、当の本人が魔術の『要素』の理論を完璧に理解していないため、ろくに伝授できないといったていたらく。

 私の魔術陣を眺めて首を傾げる魔術師の方々を見て、申し訳ない気持ちがこみ上げてきます。


「申し訳ございません……。私が一からご説明できればよかったのですが」


 私の言葉に首を振るのは、魔術陣を眺めては何か鬼気迫る様子でメモを取っていた、イリヤさんです。


「いや。これは説明できるものじゃないのかもしれない。何しろ百五十年前の記録には<治癒>魔術の体系は記されていても、<秩序>魔術の方は全く書かれていなかったのだから」

「そうなんですか?」

「<治癒>魔術が体系化されて伝わっているのは、君の元勤務先だったグラットン家が、優秀な<治癒>魔術を開発していることからも分かるだろう?」

「はい。若旦那の<治癒>魔術は、大聖女さまの<治癒>魔術と根本を同じくするものだと聞いています」

「<秩序>魔術の方は、そういうのが一切ない。それに連なる魔術が何であるかも分かっていない」


 つまり<秩序>魔術は、魔術の中でも唯一無二の魔術であるらしいのです。


「その魔術を生み出した『大魔女』は寡黙だったようでな。自分の魔術を積極的に他人に伝えようとしなかったらしい」

「……というよりは、この魔術は使い方を誤ると、まずいからではないでしょうか?」

「おっ。さすが使い手だけのことはあるね」


 イリヤさんはにやりと笑います。賢いこの方は<秩序>魔術の持つ危うさに気づいていたようです。


「<秩序>魔術の手順は、解体・再構築・固定。再生のみを行う<治癒>魔術とは手順の複雑さが異なる」

「そうですね。イメージとしては、まずそこにあるモノ、要素をえり分けます。えり分けたそれらを、正しい位置に配置して、最後にそれを固定する感じでしょうか」


 書架の整理に例えても良いかもしれません。

 雑多に並べられた書物を一度取り出し、作者別に分類して、アルファベット順に配置。そして書架の扉を閉める。

 イリヤさんは頷くと、にやりと笑みを浮かべました。


「本に例えればそうなるだろう。ではこれを、人の体で例えたらどうなる?」

「……ちょっとグロテスクなことになりますね」

「だろう? 解体など穏やかではない。リリスであれば人体に<秩序>魔術を使うことはできるだろうが、不慣れな人間が手を出せばあっという間にスプラッタだ。そりゃあ広く伝わらないわけだよ」


 私たちの会話を聞いていた魔術師の方々は複雑な表情を浮かべました。


「しかもミス・フィラデルフィアのご説明は、手順をかなり単純化したものでしょう。それらの内容がこの魔術陣のどこに対応しているのか、私たちでは解読するのが難しそうです」

「えっと、一つ一つの文様の説明をすれば分かるでしょうか……?」

「問題はその文様の組み合わせ方にあるのですよ、ミス・フィラデルフィア。あなたは無意識のうちにとんでもなく難易度の高い文様を展開されている」

「も、申し訳ございません」


 イリヤさんはけらけらと快活に笑いました。


「何を謝ることがある! 君は出色の魔術師だ」

「で、でも、この魔術以外にほとんど何もできません。空を飛ぶのだって怪しいくらいです」

「それは多分、やろうとしなかっただけだと思うよ。この<秩序>魔術を使いこなせる力量があるのだから」

「買いかぶりすぎです……」


 私の魔術はひとえに若旦那を楽にさせるためのもの。あの人のためだけに磨かれた腕なのです。

 独善的な理由で高められた技術を、誇る気持ちにはなれません。

 うつむいた私の背中を、イリヤさんがばんっ! と強くたたきます。


「胸を張れ! どのような理由であれ、どのような経緯であれ、君が持つ力は余人をもって代えがたい、素晴らしいものだ!」

「イリヤさん……」

「それを悪用するならばいざ知らず、君はその技術を正しい方向に使おうとしている。正しくあろうとしている。ならばうつむく必要はどこにもない!」


 お腹の底から響くような、力強い言葉。イリヤさんの大きな瞳は、その言葉に偽りのないことを如実に物語っていました。


「前を向きなさい、リリス・フィラデルフィア。君が君である限り、その魔術は決して色あせることなく、君と共にあるだろう」


 預言めいた言葉はしっかりと私の心に染み込みました。


「それに案ずることはない。我々もただ君の背中を見つめるばかりではないさ」

「と、言いますと」

「君の魔術文様からヒントを得て、こういう簡単な<秩序>魔術を展開する魔術具を作っている」


 そう言ってイリヤさんが懐から取り出したのは、文様の描かれた数枚の羊皮紙でした。

 確かに、その文様には<秩序>魔術の効力の片鱗が宿っているように見えます。


「これがあれば<秩序>魔術の使い手でなくても、一瞬であれば簡単な<秩序>魔術が使える――はずだったんだが、どうにも上手く稼働しなくてねえ」

「……あの、僭越ながら、もしかしたらここを直した方が良いのかもしれません」

「なるほど?」

「あとは、こことここの線を変えて……」


 そうして私たちは、日が暮れるまでずっと、一枚の羊皮紙を覗き込んでいました。





 魔術省から帰宅すると、薄暗い居間には若旦那がいらっしゃいました。

 床に寝っ転がって、壁に足を上げながら熱心に何か書きつけていらっしゃいます。いつものことです。

 私はカーテンを引いて、魔術で部屋の蝋燭に火をつけました。


 私が帰ってくるのと同じタイミングで、ダンケルク様もお戻りになりました。

 旅装のダンケルク様は、今の若旦那をご覧になるなり、盛大に噴き出しました。


「トドがいるのかと思ったぞ、ウィル」

「ああーごめん、今、いいとこで……。あともうちょっとで、破傷風に対する有効な術式が……深められ……」


 あお向けに寝転がったまま、本を下敷き代わりに、ものすごい勢いで何かを書き連ねてゆく若旦那。傍らにはおびただしい量の紙が散乱しています。

 それを顔色一つ変えずに眺めている私をご覧になり、ダンケルク様は呆れたような顔になりました。


「日常茶飯事か、これ」

「はい。若旦那の研究が順調なときはおおむねこうです」


 ダンケルク様のコートを脱がせると、すすけた煙のにおいがしました。

 よく見れば、あちこちに魔術攻撃を受けたあとがあるではありませんか!


「だ、ダンケルク様、お怪我はありませんか?」

「無傷だ」

「遠出されるとはおっしゃっていましたが……どちらへ行かれていたんですか?」

「キャンベル家の保有地。最高の”もてなし”を受けたよ」


 皮肉っぽく笑ったダンケルク様は、お疲れの様子でソファに身を投げました。ずっしりと沈み込む体躯が、この方の疲労を物語っています。

 しんどそうにブーツを脱いだダンケルク様は、荒々しく髪をほどきました。


「この街――イスマールにもうキャンベル家の人間はいない。屋敷ももぬけの空だ」

「正体がばれた以上、長居する理由もありませんものね」

「ああ。様々な名家に嫁いだキャンベル家の娘たちも、全て姿を消したそうだ。まるで煙のように、な」


 若旦那のような人がたくさんいるということでしょうか。それは結構、罪深いことのように思います。


「聞き取り調査はさせているが、はかばかしくないな。皆記憶を抜き取られたように、キャンベル家の娘たちのことを覚えていないんだ」

「何も痕跡を残さず、この街から逃げるなんて……。他に何か手掛かりはないのでしょうか」

「ミラ・イラビリス内で、あいつらの保有地がある場所に調査に入ったが、全て空振りに終わった」


 空っぽのお屋敷には罠が仕掛けてあって、ダンケルク様たちはいちいちそれに対処しなければならず、大変だったそうです。


「途中でイリヤが罠にハマっちまって」

「イリヤさんが? だ、大丈夫でしたか?」

「ああいや、そっちのはまるじゃなくて、のめりこむの方な」


 仕掛けられた複雑な罠に興奮したイリヤさんが、全ての罠を解除するまでこの屋敷から出ないぞ! と宣言するなどして、別の意味で騒ぎになったそうです。イリヤさんらしい、とだけ申し上げておきましょう。


「だが苦労のかいあって、興味深いものを見つけた。郊外の屋敷の厩にあった……鱗だ」


 そう言ってダンケルク様は、懐から布に包まれた三枚の鱗を見せて下さいました。

 かすかに煤のにおいがするそれは、少しだけ黒(ノア)の気配がします。


「これは……『黒煙の龍』が復活したのでしょうか」

「まだ分からん。この鱗の大きさから推定される生物の大きさは、全長十三メートル、高さ五メートル。文献にあった『黒煙の龍』よりはいくらか小さいようだ」

「ですが、この個体がまだ大人ではないという可能性もありますよね」

「そう、イリヤもそれを危惧していた。問題はそれがいつ成体になり、いつ俺たちに牙を剥くのか、ということだ」

「……これ、ちょっとだけ血がついていますね」

「なに?」


 黒ずんだ液体がこびりついています。人間の血ではないようです。 


「『黒煙の龍』の血ですね。私は見たことがありませんが『大魔女』の記憶にあります」

「血のついた鱗……ということは、龍は負傷しているのか?」

「可能性はありますね」

「そうだな。あとでイリヤに伝えておこう」


 ダンケルク様はソファの上に寝ころびました。まるで大きな肉食獣のよう。


「キャンベル家の製品から、今関係者をたどっているが……。さて、連中が俺たちに尻尾を掴ませるかどうか、だな」

「そもそも、どうして彼らは若旦那に催眠をかけて、魔術を盗もうとしたのでしょう?」

「キャンベル家、そしてその背後にいるだろう『黒煙の龍』は、いったい何が目的なのか……」


 相当お疲れ様なのでしょう。ダンケルク様のまぶたがとろとろと下がっていきます。


(確かに、最も考えるべきところでした。――なぜ『黒煙の龍』は再び姿を現そうとしているのか。黒(ノア)をこの国に広めて、何をしようというのでしょうか?)


 私の問いはぼんやり宙に浮かびます。答える声はありません。


(私もせめて『大魔女』の生まれ変わりだったら、記憶の中に残っているかもしれないのに)


 そう考えたところでひらめきました。


(セラ様にお伺いすれば、答えが返ってくるかもしれませんね)

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