第4話 <秩序>魔術の使い手
「あれが掃除魔術だって? そんなわけないだろう!」
イリヤさんはそう言うと、豪快に紅茶に口をつけました。
爆発したような金髪をお持ちのイリヤ・ジェリッシュさんは、魔術省の技術顧問だそうです。研究者と言った方が分かりやすいでしょうか。
このお部屋で日がな一日魔術の研究をし、軍事的に役立ちそうなものがあれば報告するのがお仕事だとか。
「ですが、私は別に<秩序>の要素を理解しているわけではないのです」
魔術の基本。一番大事なこと。
それは、その魔術の『要素』を理解しているかどうかということ。
例えばテイラーが私の服を魔術で作れるのは<裁断><裁縫>の『要素』を理解しているからです。
『要素』は本を読んで学ぶこともできますし、誰かの魔術を受けて理解することもできます。
天才ともなれば、見るだけでその魔術の『要素』が分かると言いますね。
「別に勉強したわけでもないんだろ? 驚きだな」
「あの、疑うわけではないのですが、本当に私の魔術は<秩序>魔術なんでしょうか?」
「ばっちり疑ってるじゃあないか。まあ信じられないのも無理はない。私も書物で読んだだけだからな」
イリヤさんはそう言うと、整理された本棚に向き直り、あまり迷わずに一冊の本を取り出した。
「ま、この時点でほぼ証明されたようなものだがな」
「え?」
「普通の掃除魔術であれば、私は探している本がどこにあるか分からなかっただろう」
「……それは普通の掃除魔術ではないのですか?」
「普通じゃない」
きっぱりと言い放ったイリヤさんは、本のページをさっと繰って、一つの図式を見せて下さいました。
「絡まった糸の例えが一番分かりやすいだろう。<秩序>とは絡まった糸のかたまりをほぐし、一本の糸に戻すことを指す」
ぐちゃぐちゃになった糸が一本に引き延ばされている図が見えます。
「君の魔術はこれ。糸はそのままで、混沌を元通りにする。――だから私はこの本がどこにあるかわかるし、自分のやりかけの実験がどこにあるかも、貴重品が捨てられていないかも分かる」
「はあ……?」
イリヤさんはその下の図を指さしました。
ぐちゃぐちゃに絡まったかたまりに、はさみを入れてばらばらにしている図です。
「普通の掃除魔術は、こっちのはさみを使っている方だな。確かに絡まった状態からは脱せているが、こうずたずたになっては糸の意味がない」
「そうなると、どこに探している本があるのかも分からないし、貴重品が捨てられていないかどうかさえ分からない、ということだな」
「でも、それはとても困りませんか? 主人が、自分のものがどこにあるか分からないような掃除なんて……掃除とは言えなくないでしょうか?」
ひゅう、とイリヤさんが器用に口笛を鳴らしました。
「言うねえ! だが普通のメイドが使うような掃除魔術はそういうものだ。君は最初からこの魔術が使えたのかい?」
私は静かに首を振ります。
「最初の頃はメイドがたくさんおりましたので、皆で分担して手で掃除しておりました。私だけになってから、魔術で掃除をするようになり……旦那様と奥様が行方不明になられてからは、もうこの魔術が使えていました」
「ふうん……訓練をしたのかい?」
今度はしっかりと頷きます。
「はい。若だん……グラットン家の旦那様のために」
隣のダンケルク様がちらりと私を見ました。未だに若旦那と呼んでしまう私を、だめなメイドだと思っていらっしゃるでしょうか。
「お一人で<治癒>魔術の研究をされ、家の名を背負っていかれる旦那様に私ができることと言えば、家のことをきちんとするくらいでしたから」
「まったく、メイドの鑑だね君は」
(メイドだからではなく、よこしまな片恋ゆえ、と言ったらイリヤさんは笑うでしょうか。それとも、怒るでしょうか)
若旦那に少しでも楽になってもらいたくて。――少しでも、すごいねと言ってほしくて。さすがだねと笑ってほしくて。
私は日々掃除魔術の速さ・美しさを向上させるべく、密かに頑張っていたのです。我ながらほんとうによこしまだと思いますが、ですが、必死だったのです。
(だって若旦那は、ご両親が行方不明になって、いきなり家を継ぐことになって――それでも、笑って、頑張っていらしたんですもの)
「しかし君、磨けば相当な使い手になるぞ。どうだ、魔術省で働かないか」
「私がですか? む、無理です! ずっと家のことしかしてきていませんし、お給料を頂けるほどの魔術は使えません」
「その<秩序>魔術の研究をさせてもらうだけでいいんだ。別に難しい本を読めとか、論文を書けとか、そういうわけじゃない」
「で、ですが、私はただのメイドですので……。その、ダンケルク様に恥をかかせてしまうことに」
「ならん」
きっぱりと言い切られ、反論の言葉を失ってしまいます。
「あ、あのでも、ダンケルク様」
「ここが教育省やら国王省なら話は別だがな、魔術省だぞ? 髪も結わずコルセットも身に着けない女が、こうして成果主義の中で生き残っているんだ。メイドの一人や二人どうということはない」
それに、とダンケルク様はちらりと私に視線を投げかけてきます。
「もし、お前を教育省や国王省に放り込んだとしても、連中はお前をどこぞの名家の令嬢だと思うだろうよ」
「恐れながらダンケルク様、それは少々無理があるかと」
「なぜだ? 元々お前は整った顔立ちだし、たたずまいにも品がある。服さえ整えれば立派に騙しおおせるさ」
はあ、という返事しかできません。どこぞの名家の令嬢だなんて、恐れ多くて考えるのもおこがましいです。
イリヤさんはにやにやとダンケルク様を見ています。ダンケルク様はその視線を払うように、顔の前で綺麗な手をつと動かしました。
「考えておいてくれ。悪いようにはしないから。……ところで、グラットン家と言えば、この間一人息子が結婚したらしいじゃないか」
どきん、と心臓が跳ねました。
「らしいな。まだ本人から直接話を聞いていないが」
「ああそうか、ダンと彼は友人だったな。数少ない男友達から結婚の報告も受けていないとは……。寂しいやつだな」
「戦場にいたんだよ俺は。まあ、色々話は飛び込んでくるが」
ダンケルク様は椅子の背もたれに体を預けると、優雅なしぐさで足を組みました。長い脚、美しいウイングチップの革靴が視界をよぎります。
「――俺はウィルの友人だ。分かるだろ、人が良いだけが取り柄の、あの男の友人だ」
「ひ、人が良いだけではありません。<治癒>魔術にかけては比肩するもののない、素晴らしい魔術師でいらっしゃいます!」
慌てて抗議すると、ダンケルク様は面白くなさそうに頷いた。
「はいはい、加えて<治癒>魔術の大いなる使い手でもあらせられるわけだ、が。――そんな奴が、友人たる俺に、手紙でさえも結婚の報告をしないなんてことがあるか?」
「お手紙でも報告を受けていらっしゃらなかったのですか?」
それは少しおかしな話です。若旦那は隠し事のできないたちなのに、結婚なんておめでたいお話を、お手紙でもなさらないなんて。
「リリス、お前はどうだ? 結婚するなんて話、聞いてたか?」
「いいえ。それらしい方がいらっしゃるなんて、想像もつかなかったです」
「メイドが知らないってことは、手紙やプレゼントのやり取りなんかも皆無だっただろう。逢引きだってしていたかどうか」
「あいびき……」
私はここ数か月の若旦那の行動を思い返してみます。
しわしわのシャツでお出かけしようとなさったり、急いでいるからといって箒で空を飛ぼうとしたり(箒は女性の乗り物です!)、いつもの若旦那以外のなにものでもありませんでした。
「女に会うんだ。普通は少しくらいめかしこむものだろう」
「格好をつけたり、妙におしゃれしたり、そういうのはありませんでしたね……」
「だろう? だから変なんだ。あいつの結婚はもしかして、仕組まれたものかもしれない」
――主よ、懺悔します。
その言葉を聞いた瞬間、はしたなくも私の胸は高鳴ってしまったのでございます。
(もし、若旦那の結婚が仕組まれた、間違ったものならば――その結婚をなかったことにすれば、私はまたグラットン家に戻れるかもしれません)
いえ、それどころか。ありえない想像、夢物語であると分かっていても、考えてしまうのは――。
(私が、若旦那の――お嫁さんになることだって、もしかしたら)
そう考えていた私に天罰を下すかのように、部屋の扉がノックもなしに開け放たれました。
「失礼、こちらにミス・ジェリッシュはおいでかしら?」
女王様のような声と共に現われたのは、薔薇のような美貌を持ったミセス・グラットンと――。
すっかり青ざめて、生気のない若旦那でした。
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