第3話 魔術省へおでかけ
私がモナード家のメイドとして雇われてから、一週間。
注文した本棚は後日配送され、居間の壁にぴたりと収まりました。
ダンケルク様のご昼食を作り終えた私は、その本棚にどんなふうに本を納めるか試行錯誤しておりました。
「本の順番には、こだわりがおありですか。ダンケルク様」
「ない」
ちなみに昼食は、分厚く切ったローストビーフを、からしを塗ったライ麦パンにはさみ、玉ねぎと赤ワインのゼリー仕立てソースをたっぷりとかけたサンドイッチです。
ダンケルク様は着席してお食事をとられるのがお嫌いだそうで、サンドイッチのような片手でつまめるものを召し上がりながら、何かを読まれるのが常でした。
今も何かの地図を見ながら、大きな口でばくりばくりとサンドイッチをほおばっていらっしゃいます。
戦場から戻っていらっしゃったダンケルク様ですが、向こう半年は、半分休暇で半分事務仕事といったスケジュールだそうです。
辞令の合間、とダンケルク様はおっしゃっていました。よく分かりませんが、お国に仕えるのも大変です。
一週間のうち、四日ほど出勤され、あとの三日はこうして読書や研究、睡眠にいそしんでいらっしゃいます。
意外だったのは、女性を口説きにお出かけしている様子がなかったことですが、そのうちいつもの調子を取り戻されるでしょう。
「では適当に納めておきますね」
「うん。それで、だ。今日はお前を連れていきたいところがある」
「どちらでしょう。家具はもう間に合っているかと存じますが」
「いや、俺の職場」
そのとき私は、きっとメイドにあるまじきしかめっ面をしていたのでしょう。
顔を上げたダンケルク様が、ぶぶっと噴き出しました。
「毛を刈られる最中の犬みたいな顔してる」
「いっ、犬でございますか」
「不服そうな顔を隠しもしないが、きちんと主人の言いつけに従っている、利口な犬だよ」
「私めがその犬のように従うとは限りませんが」
「従うよ、お前は。メイドの鑑のようなおんなだからな」
なんとなく褒めていないような口調でおっしゃると、ダンケルク様は手に着いたパンくずを地図の上でぱらぱらと払いました。
「ダンケルク様のお仕事場と言えば……ザンビーニ広場の横にある魔術省でございますか」
「そうだ。お前の魔術を見せたい相手がいる」
「私の……? 掃除魔術を、でございますか?」
頷くダンケルク様に、私は思わず笑いだしてしまいました。
「ダンケルク様もメイド相手にご冗談をおっしゃることがあるんですね」
「ご冗談など言った覚えはないが」
「あら?」
「お前が自然に使ってるそれ――地図の上のパンくずをさりげなく払おうとしてるやつ、そうそれ。普通の掃除魔術じゃないぞ」
「普通でないならなんでしょうか」
パンくずを窓の外に払い終えてから尋ねると、ダンケルク様は恐ろしいことをおっしゃいました。
「<秩序>魔術だ」
「……といいますと、かの大魔女アレキサンドリア・ゼノビアが使用し『黒煙の龍』を封印したという、あの?」
「『黒煙の龍』がばらまいた
「……大変失礼ながらダンケルク様、何か悪いものでもお召し上がりになったのでしょうか」
「主人への敬意ってもんがないのかお前。というか、俺はここのところお前が作ったものしか口にしていないが?」
「そうでした」
それにしたって<秩序>魔術だなんて! ダンケルク様はやはり変わっておいでです。
<秩序>魔術というのは、私たちの世代ですとほとんどおとぎ話のようなものです。
大魔女アレキサンドリア・ゼノビアが世界を救ったのが、おおよそ百五十年前ですから。
「そう言えば、子どもの頃は大魔女よりも、大聖女さまの方が人気があったような気がします」
「ああ。<治癒>魔術の大聖女、アナスタシア・フォーサイトだな。同時代に活躍した偉大な魔術師だ」
女の子にとっては、秩序なんてものより治癒の魔術の方が、美しくてかっこよく見えたものです。
それに、大魔女は確かに龍を封印したかもしれませんが、それだけです。
大聖女はその後、傷ついた人々や魔獣、崩壊した街を修復する大偉業を成し遂げたのですから、仕事量が違います。
「でもさすがに、私が<秩序>魔術を使えるというのは眉唾ものかと」
「では言わせて頂くがな。普通の掃除魔術というのは、十秒で部屋全体を掃除できたりはしない」
「……はあ」
「さらに言えばその部屋のものを全て把握し、分別し、瞬時にえり分けるのも不可能だ。普通の掃除魔術ならばな」
確かに私の掃除魔術は、他のメイドより少しは優れているかもしれません。何といっても一人で屋敷を掃除しなければならなかったのですから、効率性とスピードが第一です。
ですから、私が少しくらい上手に掃除魔術を使えているからといって、それがすぐ<秩序>魔術につながるのは、性急すぎる気もします。
そう言うと、ダンケルク様はふっと鼻で笑いました。
「どちらが正しいかは今日職場に行けば分かるだろう。あの女の見立てはいつも正確だ」
「何時頃お出かけでしょう」
「約束は三時だから、まあ四時頃に着けばいいだろう」
「それは遅刻というものでは?」
「あの女は時間の概念が希薄だからな。四時でも待たされるだろうが、まあ運が良ければすんなり会えるだろう」
ダンケルク様はそうおっしゃいました。
*
さて、あつらえて頂いたドレスを身にまとい、ダンケルク様の馬車に乗り込みます。
馬車は四頭だての立派なもので、モナード家の狼を表す家紋がしっかりと刻印されています。まだ新しいようですね。
ゆっくりと空に舞い上がった馬車は、交通ルールをしっかり守りながら、イスマールの空を走ります。
ここは帝国ミラ・イラビリスの首都、イスマール。
ダンケルク様がお勤めの魔術省をはじめ、陸軍省や教育省、国王省など二十二にもわたる省庁が並んでいます。
観光するような場所はありませんが、昔から魔術の研究で栄えた都市であり、歴代の国王陛下や女王陛下の名が冠された大学が多くあります。
信号を待つあいだ、一人の女性が横に並びました。箒ではなく、エキゾチックな絨毯の上に乗っています。
帽子を被っておらず、手袋もしていないのですが、その身軽さがなんだか素敵な感じの女性です。
「最近は絨毯でも空を飛ぶのですね。楽しそうです」
「国境付近では結構絨毯は見かけるぞ。女乗りが多いな。男よりもスピードを出すんで、伝令の時に重宝した」
「女性の方が小回りがきくというのは聞いたことがありますね。若だん……いえ、グラットン家に勤めていたときに来ていた石炭売りの子が言っていました」
特定の貨物を運ぶ人は、落下物を防ぐために地面を通行することが求められているため、その石炭売りの子はいつも羨ましそうに上空を見上げていました。
「そう言えばお前、なぜウィルの家のメイドをやっていたんだ?」
「私は孤児だったのですが、五歳の頃あの家に引き取って頂いたのです。その頃はまだ旦那様も奥様もお屋敷においでだったので、人手が必要だったようで」
「ふうん。それで文字も魔術も習った、と」
「メイド長に教えてもらったんです。あと、若旦那と一緒に家庭教師の方に教えて頂いたりもしました」
どこの馬の骨とも知れぬ子を、後継ぎと一緒に勉強させるあたり、旦那様も奥様も肝が据わられていたとしか言いようがありません。
ですが、そのおかげで私は読み書きも魔術も、ひととおりこなせるようになりました。
「五歳まではどこにいたんだ」
「あまり覚えていないのです。どこかの修道院で保護されていたとは思うのですが」
ダンケルク様は、そうかと言って窓の外をご覧になりました。
いつの間にか馬車は再び走り出していて、絨毯に乗った女性はどこかへ行ってしまっていました。
――十五分ほど走ったでしょうか。馬車は静かに降下していきます。
魔術省の中庭には、馬車や箒、三人乗りのボートといった乗り物がたくさんあり、信号手によって見事に離発着を管理されていました。
馬車から降りるのに手を貸してくださったダンケルク様は、そのまま流れるように私の手をご自身の腕に導きます。
自然なかたちで腕を組むことになり、その早業に舌を巻きました。
(なるほど、こうして女性の方をエスコートするのですね……!)
「こっちだ、リリス」
石造りの、そっけないほど簡素な建物が並ぶ魔術省は、一歩中に入れば迷宮のように入り組んでいるのだとか。
魔術省は機密魔術も扱っているため、部外者の侵入には相当気を配っているようでした。
中に足を踏み入れれば、濃密な魔術の気配と冷ややかな空気が出迎えます。埃一つない廊下を見ていると胸がすくようです。
通り過ぎる人は軍人らしく、まっすぐ前を向いて足早に過ぎ去っていきますが――。
(ちらちら見られている気がしますね……。確かに、モナード家の当主がどこの馬の骨とも知れぬ女を引き連れていては、視線も浴びようというものです)
私がもっと美人なら、ダンケルク様も堂々と歩けたでしょう。
そこはとても申し訳ないですが、まあ、カモフラージュに私を選んだ時点で覚悟して頂かねばならないことでしたし。
(せめて猫背にならないよう、背筋を伸ばして、堂々と歩かなければですね)
そうしてダンケルク様と一緒にやってきたのは、かなり奥まった場所にある部屋でした。
重い扉を開ければ、様々な素材のにおいと、本のかびくさいにおいがぶわりと押し寄せてきました。
(! なんて汚い、掃除しがいのあるお部屋……!)
よだれが出そうなほど汚くて、乱雑で、埃の積み重なった部屋。
恐らくは研究に使われているのでしょう。部屋の中央に置かれた巨大な机には、色んな器や草花や開きっぱなしの本が所狭しと置かれています。
(こういう場所はゴミとそうじゃないものが区別しづらくて、難易度が高いんですよね……! ああ、本の隙間から飛び出しているふせんの位置を揃えたい。曲がった絨毯を直したい……!)
「おや? ダンケルク・モナード様がわざわざ私の研究室にお越しとは!」
その言葉と共に別の扉から現れたのは、爆発したような金髪の美しい女性でした。
美しい黄金色の髪はもじゃもじゃのまま一つにまとめられ、コルセットもろくにつけていない格好は奔放そのもの。
ですがその顔にきらきらと輝く二つの青い瞳が、彼女の格好を一つのファッションに昇華しているようでした。
「約束したことさえ忘れているとはな」
「あれ、そうだっけ。っていうか、こんなきれいな人を連れてくるなんて思わなかったよ! ひょっとしてぇ、婚約者のお披露目かなにか?」
「違う。彼女はうちのメイドだ。面白い魔術を使うんで、お前に見てもらおうと思ってな」
そうしてダンケルク様はこともなげにおっしゃいました。
「この部屋、掃除して良いぞ」
「ほんとうでございますか!」
「は? え、ちょっと待てよダン! ここは私の聖域であり研究室であり避難場所で」
「失礼致します!」
私は部屋の真ん中に立ち、踵を二回打ち鳴らしました。
いつものように現れた赤い魔術陣が、汚い部屋のすみずみにまで行き渡ります。
「”三度唱えるは我が名、二度唱えるは主の御名(みな)、そして一度唱えるは魔が名――静謐よここに、そして全てを<整頓>へ帰せ”」
ものすごい勢いで部屋の汚物とそうでないものが分別されていきます。
素材は素材でひとまとめ、書物は読みかけのところにしおりをはさんで閉じておき、害虫はまとめて外へ放り出します。
なんだか高級そうなもの、動かしてはいけなさそうなものはそのままに。けれどその周辺のパンくずと埃は確実にゴミ箱へ。
なんだか楽しくなってきます。ダンケルク様の居間などくらべものにならないくらいの乱雑ぶりで、腕がなるというものです。
魔術を使っていた時間は一分ほどでしたでしょうか。だいぶ綺麗になったところで、仕上げに窓を開け放って、おしまいです。
「ふう! すっきり致しましたね!」
埃一つない整頓された部屋で、そう声をかければ――。
金髪の女性は、呆然とした顔でつぶやきました。
「……百五十年ぶりの<秩序>魔術だ」
「だろ?」
引き続き呆然と私を見つめる金髪の人。得意げに笑うダンケルク様。
「……あら?」
私はただ、きょとんとしながら、ぴかぴかの部屋の真ん中に立っています。
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