第8話 二度目の失恋(上)
「おいリリス、ちょっといいか」
「はい」
ダンケルク様は、お着替えなどはご自身でなさいます。その際私の出る幕はないのですが、たまに私をお呼びになる時があります。
「失礼致します」
「ん。サーベルのタッセルは赤がいいか、青がいいか」
儀仗用のサーベルを掲げてダンケルク様が聞かれます。私は一歩下がって、ダンケルク様のお姿を拝見します。
お召しになっているのは、黒の儀礼用軍服。
ウエストを強調した長いジャケットに、細身のスラックス。胸元の徽章の数は数え切れぬほどで、私などは目がちかちかするものです。
「……青はいかがですか? 赤ですと胸元の徽章の色と喧嘩しそうです。それに手袋が白ですし、式典で手元に紅白の色味があると、そちらに意識が行ってしまいますでしょう」
「だな」
「御髪はどうなさますか。結いますか」
「んー……そうだな。青いリボンで」
「かしこまりました」
私はダンケルク様の細い髪を丁寧に梳き始めます。式典なので、前に流すいつものスタイルではなく、ハーフアップできっちりとまとめ上げました。
鏡の中のダンケルク様は、どこかの詩にでも謳われそうな美貌です。
銀髪に緑の目、そうして肌の色は抜けるように白い――となれば、多少なりとも女性らしさを感じさせそうなものですが、ダンケルク様の場合はあまりそんな感じがしません。
恐らく背が高く、軍人らしいお姿でいらっしゃるからでしょう。儀礼服も様になっていらっしゃいます。
(前に儀礼服のダンケルク様とお供したときは、女性方の目線がすごかったですね……。あの中で生きていらっしゃるのですから、ものすごく強い心臓をお持ちなのでしょう)
「最近儀礼服が多いですね」
「叙勲がぱらぱら来るもんでな。一気にまとめてやれってんだ」
そう毒づいたダンケルク様は、完璧ないで立ちですっと立ち上がります。
「そうだ、お前今日は魔術省に来られそうか」
「行けますが、何か用事でも……」
「大聖女がウィルの治療をするそうだ」
若旦那の治療!
その言葉に自然と背筋が伸びるのを感じます。
「魔術省に、二時にウィルとミセス・グラットンを呼び出してある。そこで大聖女どのが不意打ちで現れ、催眠術を<治癒>するというわけだな」
「わ……分かりました。私が行ったら、警戒されてしまうでしょうか」
「大丈夫だろう。俺は大聖女どのの警護を任されているが、そのお供と言えばいい」
警護のお供というのもなんだか妙な話ですが。
(なんだかドキドキしてしまいますね……。大聖女さまの生まれ変わりの<治癒>魔術を拝見できるというのもそうなんですが、やはり、若旦那の催眠が解けると思うと……)
催眠が解ければ、やはり結婚はなかったことになりますよね。そうしたら、またお家に呼び戻してくださいますでしょうか。
もちろん、私などが奥様の後釜に――などと大それたことは考えておりません。
(でも――ダンケルク様が着せて下さったドレスがあれば、ちょっとくらいは……。見直してくださいますでしょうか? って、いけませんね! 身分不相応なものを着せて頂くと、分不相応なことを考えてしまいます)
私は邪念を振り払いながら、ダンケルク様をお見送りすべく、一緒に玄関まで降りていきました。
*
魔術省を訪れるのも、これで十度めくらいでしょうか。そろそろ慣れて参りました。
儀礼服姿のダンケルク様のエスコートで、聖堂へ向かいます。
果たしてそこには、緊張した面持ちの聖女さまがいらっしゃいました。
私を見た聖女さまは、ぱあっとお顔を輝かせ、軽やかな足音を立ててこちらにやってきます。
「お久しぶりです、リリスさん! 今日はリリスさんのお知り合いを<治癒>するんですよね。腕がなります!」
「私がもう八年近くお仕えしている主人なのです。どうかよろしくお願いします」
「もっちろんです! ……あれ? じゃあ後ろの、モナードさんのお家にいらっしゃるのは」
「ああ、それは……」
雇って頂いているからです、と申し上げる暇もあればこそ。
聖女さまは、その飴玉めいた目をきらんと輝かせました。
「もしかして、モナードさんの噂の婚約者さまというのは、リリスさんのことなんでしょうか!」
「はぇ? あ、いえ、ち、ちが、いえ違わないのですが」
「とってもお似合いです。美男美女で、背筋がぴっと伸びていて! でもそれでいて、お互いを許し合っている……信頼している感じがします」
聖女さまが優しいお顔でおっしゃいます。このお方からそう言って頂けるのは、とても名誉なことだと思います。
(これがダンケルク様でなくて、若旦那と一緒のときに言われたら……なんて、お二人に失礼すぎますね。だめだめ!)
ダンケルク様はいたずらっぽく笑いながら、私の顔を覗き込んできます。
「ん? なんだリリス、不服そうじゃないか」
「めっそうもございません。私などがダンケルク様に釣り合うはずがないのに、と思っていたのです」
「そうか? あんまり自己評価が低いのは美徳とは言えんぞ」
「かと言って、高ければよいというものでもないでしょう」
聖女さまがくすっと笑いました。
「ふふ。やっぱり、楽しそうです」
「ほら、大聖女さまはお分かりだ。素直になれよリリス」
「元からこの上ないほどに素直ですが」
「まあそうだな。顔に全部出ている」
などと気安くやり取りをしていたダンケルク様の顔が、ふと引き締まりました。
警戒の色を帯びた目が、まっすぐに聖堂の入り口を見つめていらっしゃいます。
「……来るぞ」
その言葉に応ずるように、扉がゆっくりと開きました。
現れたのは、濃紺のドレスに身を包んだイリヤさんと、それから。
相変わらず花のように美しいミセス・グラットンと、対照的にしおれきってしまった若旦那のお姿がありました。
「あら、先客がいらしたの」
ミセス・グラットンは不愉快そうに片眉を上げます。そんなお顔でさえ様になっているからすごいと思います。
イリヤさんは、いつものように何気ない様子で言いました。
「彼女がグラットン家の魔術を保管している」
「……金庫に保管されていると聞いていたけれど?」
「金庫が人でないとは言っていない」
すげなく言い放ったイリヤさんは、ダンケルク様にそっと目くばせをなさいます。
ダンケルク様は心得た様子で体から力を抜きました。けれど、私の手を取る腕が微かにこわばっています。
儀仗のふりをして腰に下げている真剣をいつでも抜けるように。
その点、聖女さまは役者ができていたと言わねばなりません。にっこりと、太陽のような笑みを浮かべて、ミセス・グラットンの元に駆け寄ります。
そうして修道服の裾をつまみあげ、優雅にお辞儀をなさいました。
無邪気なしぐさに、ミセス・グラットンは毒気を抜かれたような顔になりました。面白くなさそうに聖女さまを見下ろしています。
(例えるならば、キツネと小鹿(バンビ)……といったところでしょうか。なんて、奥様をキツネ呼ばわりしてしまいました。ダンケルク様の言い方が移ってしまいましたね)
聖女さまは笑ったまま、ミセス・グラットンの後ろに控えている若旦那の前に進み出ました。
そうして、さくらんぼのような唇がゆっくりと詠唱をつむぎました。
「”三度唱えるは我が名、二度唱えるは主の御名(みな)、そして一度唱えるは天が名――安寧をここに、そして全ては<治癒>される”」
私のにそっくりな、けれど細部は確かに異なる詠唱が、うすみどり色の魔術陣を描きます。
例えるならば優しい蔦。木漏れ日。植物の穏やかな気配を帯びた魔術陣が、じんわりと若旦那の体の中にしみ込んでいって――。
あの、大好きな紅茶色の瞳が、ゆっくりと生気を取り戻してゆきます。まるで靄が晴れたよう。
そうして、その美しい瞳は、聖女さまの姿を認めます。
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