第27話 龍退治(上)

「そう言えばグリフォンって、人の言葉が分かるそうですよ」

「頭が良さそうな顔をしていますから、言葉を発しても驚きませんね」

「ふふ。できそうですよね。昔『大聖女』が、この子とは違うグリフォンの治療をしたことがあるんですけど、その時お礼にってもらった羽を羽ペンとして使っていたら、異国の文字を綴れるようになったことがありまして」

「それは……イリヤさんが知ったら、狂喜乱舞しそうなお話ですね」


 やけに緊張感のない話をしてしまうのは、やはり私たちが、不安にさいなまれているからだと思います。

 賢いけものはそれを分かっているのでしょう。大きな翼をはためかせ、夜風を切り裂きながら、ものすごい速さで進んでゆきます。


 グリフォンの背中には当然ながら初めて乗りますが、なかなか悪くありません。

 ビロードのような毛並みに触れるとぞくぞくしますし、翼が力強く躍動するさまは、見ていて胸がすくような思いです。


(きっと、こんな時でなければ、もっと楽しめたでしょうが)


「リリスさん! ……あれ、なんですか!?」


 悲鳴じみたセラ様の声。彼女の指さす方向を見た私は、自分の目が信じられませんでした。


 ――地上のわずかな明かりに照らされているのは、大地から空に屹立する、巨大な柱でした。


 魔術省の時計台がそのまますっぽり収まりそうなほどの大きな黒い柱が、郊外の草原の上にそびえたっています。

 その柱から、まるで夜空の闇を吸い取って、大地に流し込んでいるかのように、黒い靄が流れ出してゆくのが見えました。


「黒(ノア)……!」


 稲光をまとわせたその柱のただなかに、黒いぼろぼろのドレスを纏った女性がいるのが分かりました。

 きっとあれこそが、ベルガモット・キャンベル。

 最後のキャンベル家の娘であり、私たちが倒すべき相手。


「グリフォンさん、近くで下ろして下さい」


 こちらの意図などお見通しとばかりに、グリフォンはゆっくりと降下してゆきます。

 と、地上に到着する前に、黒い柱がぞろりとうごめきました。


「来ます、リリスさん!」

「ええ――”三度唱えるは我が名、二度唱えるは主の御名(みな)、そして一度唱えるは魔が名――静謐よここに、そして全てを<秩序>で覆え”!」


 放たれる激流のように押し寄せる黒(ノア)を、<秩序>魔術でいなしながら、どうにか地上に降り立ちました。

 グリフォンは私たちを地面におろすと、また飛び立っていきました。国王陛下の持ち物なので、ここから離脱してくれた方が気が楽です。


 かつては農場であったと思しき草原は、あちこちに黒(ノア)の残滓がひらめき、炎魔術や雷魔術のあとがありました。

 ――それに、黒(ノア)を植え付けられて、互いに攻撃しあっている兵士の方々も。


 彼らは私たちなど眼中にないようです。体の奥で黒(ノア)が暴れているのでしょう、目の前の動くもの全てに、けだもののように切りかかっていきます。


「ひどい……!」


 セラ様が怒りと恐怖をあらわにして呟きます。


(この中に若旦那とダンケルク様もいらっしゃるのでしょうか? ――いえ、探すのはあと、まずは仕事をしなければ)


「よく来たわね、リリス・フィラデルフィア。それにセラ・マーガレット」


 猫撫で声で私たちの名を呼ぶのは――最後のキャンベル家の娘。

 タコのようにあちこちに伸びる髪は、毛先にいたるまで黒(ノア)が充填されていて、禍々しい気配を放っています。


「あなたはベルガモット・キャンベルですね」


 女はにこりと笑いました。


「……龍の体の中で、一番力のある場所はどこだか、ご存知?」

「知りたくもないですが」

「答えはね、左側のお腹のうしろ、生殖器の少し前についている鱗よ。――そこを食べた私が言うんだから、間違いないわ」


 セラ様が私の腕をぎゅっと、痛いほどに掴みます。

 その真っ白なお顔には脂汗が浮かんでいました。


「この人……! この人、今まで見てきた中で、一番龍に近いです……!」

「イリヤさんに教えて差し上げたいですね。龍の体の中で、食べるべきは左側の下半身、と」


 そう言うと、セラ様が顔を歪めます。それが無理やり作った笑みだということに気づくまで、少し時間がかかりました。


「リリスさんも冗談を言うんですね」

「……そうでもしなければ、この状況に耐えられなさそうで」

「同感です。――強すぎる、この人!」


 ベルガモット・キャンベルはくすぐったそうに笑いました。


「あなたたちの考えていることなんて、とうにお見通し。五人まとめて結界に閉じ込めて殺す――なんて、ちょっとばかり単純すぎやしないかしら?」

「単純ですが、合理的です」

「そう、そうね。合理的なことは大事だわ。だから私、あなたたちの作戦を逆手にとることにしたの」


 ベルガモット・キャンベルがひっきりなしに放つ黒(ノア)の濃度は異常です。

 これ以上無駄話を聞いている暇などないのですが、なぜでしょう、彼女は相手を自分のペースに巻き込む不思議な力があるようです。


 私たちは、蛇に睨まれたかえるのように、動けずにいます。


「四人の姉さまたちは、首都でこれ見よがしに黒(ノア)をばらまく。あなたたちは待ってましたとばかりに首都に大掛かりな結界をこしらえる」

「……」

「でも、結界を作るのにも、<秩序>魔術を使うのにも、魔力がいるわね? それに兵力も、首都内に釘付けになる」

「――分かりました。私たちが四人に手こずって、消耗しているそのあいだ間に、あなたが」

「ええ、私が。ここから首都を黒く染める。あの黒い柱は楔のようなものね。ここからじわりと黒(ノア)を染み込ませて、二度と洗い流せぬようにしてやるわ」


 空にそびえる黒い柱から、泉のように湧き出てくる黒(ノア)を見ていると、彼女の言葉が壮大な夢物語でないことが分かります。

 

(気おされてしまうほどの巨大な力です……! この人を結界に封じ込めるなんて、できるわけが――)


 その瞬間、怯えた私の視界の端で、ぎらりと何かが光りました。

 凄まじい勢いで射出されたそれは、ベルガモット・キャンベル目がけて矢のように飛んでいきます。

 けれど彼女は黒(ノア)で難なくそれを打ち払います。地面に転がった銀の杭を見て、つまらさなそうに、


「銀の杭ていどで、この私を撃ち落とせるとでも――」

「思っちゃいないさ、当然な!」


 そう叫んでベルガモット・キャンベルに飛び掛かっていったのは、サーベルを携え、ぼろぼろになった――ダンケルク様でした。

 あちこち煤と泥にまみれ、頭からは血を流し、片腕の袖がずたずたに引きちぎれています。

 それでも、その見慣れた翡翠色の目は、闘志を失ってはいませんでした。


「ほらほら、<秩序>魔術の使い手が来たんだぞ? ちょっとくらい怯えたほうが、かわいげがあるんじゃないか!」

「おあいにくさま。かわいげは他の姉さまにお譲りしたの。――そんなことよりお前、あれだけの攻撃を食らって、まだ生きてるの? さっき腕を引きちぎったじゃない」

「腕の一本や二本で俺を殺せたとは思わないことだな」


 ダンケルク様は素早く踏み込んでサーベルをふるいます。黒(ノア)と果敢に打ち合うさまは、おとぎ話に出てくる龍退治の物語のよう。

 ですがベルガモット・キャンベルの方が圧倒的です。

 無尽蔵に湧く黒(ノア)は、短剣や槍やらサーベルやらに姿を変え、ダンケルク様をどんどん追い詰めていきます。


 黒(ノア)の攻撃がダンケルク様の太ももを深く抉り、血がほとばしった瞬間、口から悲鳴が転がり出ました。


「ダンケルク様!」


 自分の声がこんなに弱弱しいとは思いませんでした。叫んで誰かにすがることしかできない、ちっぽけな存在になり下がったかのよう。

 けれどダンケルク様は、痛みに顔を歪め、だくだくと流れる血を押さえながらも、私を鼓舞するようににやりと笑います。

 

「問題ない。何しろ俺には専属の治癒魔術師がいるからな?」


 ダンケルク様の後ろからぽてぽてと歩いてきたのは、若旦那です。

 片手に大きなボウガン、片手にはいつも研究用に持ち歩いている小さな手帳を携えて、戦場には似つかわしくないほどののんきさで、ダンケルク様の足を見下ろします。


「深い切り傷か……。うん、次はこの理論を試してみようかな。ちょっと痛いけどごめんねえ」

「いッ……てえ!」


 さすがは若旦那。一瞬にしてあの深手を治癒してしまわれました。

 なのにダンケルク様はぶうぶうと文句を言っています。


「ウィル、お前なあ! さっきから痛みの強い魔術ばかり試してるだろ!」

「即効性があるものはだいたい痛むんだよ。良薬口に苦しってやつだね。それよりこのボウガン重いんだけど、ずっと持ってなきゃだめかな」

「知るか、きりきり撃てよ。当たれば時間稼ぎくらいにはなる。それくらいしかできないんだからちゃんとやれ」

「ずいぶんな言い草だねえ。さっき引きちぎられた君の腕を、綺麗に再生してあげたのは、どこの誰だったかな?」


 お二人とも煤まみれでぼろぼろですが、大きな怪我はないようです。

 けれどぐったりと疲れ切って、魔力もほとんど残っていないのが分かります。

 それでも、ぽんぽんと交わされる言葉は、まるでモナード邸にいるときのようで。今までぐっと詰めていた呼吸が楽になるのを感じます。


 この女性にはかなわない、やられてしまう――そう思っていた自分が馬鹿らしく感じてきます。


(大丈夫、大丈夫。絶対に……倒せる……!)

 

 ベルガモット・キャンベルは、面白くない座興を見せられた女主人のように、ついと指先を動かしました。

 その指先に黒くこごる、殺意を帯びた黒(ノア)の剣が、何の前触れもなく、ダンケルク様たちに向けて放たれました。


「ッ、この程度……!」


 ダンケルク様はそれをサーベルで払い落としました、けれど――。

 その剣からまたたき二つぶんほど遅れたタイミングで放たれた、五本の剣には、気づいていらっしゃらないようで。


 ベルガモット・キャンベルが嘲笑交じりに言いました。


「剣は一本だけだと、そう思った? その油断を悔いながら、みじめに死んでいきなさい」


 感覚が一瞬遠のきます。ただ見えているのは、ダンケルク様と若旦那を襲う五本の剣だけ。

 間に合わない、と思った瞬間、体の底が煮えるように熱くなりました。

 心臓の鼓動が速まり、それに押し出されるように叫びます。


「”退(ひ)け”!」

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