第19話 進展

 龍の目的について、アレキサンドリア様は既に感づいていらっしゃるようです。

 私は頂いたスコーンを握りしめたまま、身を乗り出して尋ねました。


「お、お分かりになるのですか? 私たち、そもそもそれを探しにこの丘へやってきたのです!」

「ああ。というかこれは至極簡単な話でねえ」

「か、簡単と申しますと」

「龍はそのかたちを失い、五人の娘に分かたれた。単純計算で黒(ノア)を振りまく存在は五倍に増えた、わけだが」


 アレキサンドリア様は、既に何個めか分からないスコーンを手のひらに乗せ、厳かな口調でおっしゃいました。


「食い扶持も五倍に増えた、ということになる」

「食い扶持でございますか」

「黒(ノア)とて無尽蔵に増えるわけじゃあない。人の多くいる場所、人の感情がよどむ場所、そういった所からエネルギーを吸い取る必要がある」

「それが以前の五倍……となりますと、確かに大変そうですね」

「そう。手っ取り早い方法は、人の多い場所を襲い、人を飼うことだろうね。劣悪な環境に置いて、負のエネルギーを吸い取るわけだ」


 人の多い場所。とくればもちろん、考えられる場所は一つです。


「首都イスマール……!」

「そうなるだろうな。五人に分かれた龍は、首都イスマールを制圧し、人々を支配下に置き、餌場とするだろう」

「そ、そんなのいけません! 即刻止めなければ」

「どうやって?」


 そう切り込まれて、言葉に窮します。どうやって、五人を止めるのか。その方法はまだ思いついていません。

 私の表情を見て取ったアレキサンドリア様が、にやりと笑いました。


「――あたしに策がある」





 その策を聞かされた私は、思わず唸ってしまいました。


「た、確かに、キャンベル家の方々を一人一人探し出す手間は省けますが、かなりの博打になりませんでしょうか?」

「こういう害虫はねえ、一か所にまとめて潰すのがセオリーなんだよ。というわけで、あんたに地図を送る」

「地図でございますか」


 アレキサンドリア様は、まるでシルクの生地を広げるような手つきで、空中を撫ぜました。

 ぶわりと青白く浮かび上がるのは、首都イスマールの地図。赤く輝く点は、アレキサンドリア様の分体がある場所だそうです。


「あたしの分体が存在する場所。そこを楔にすれば、黒(ノア)を一気に浄化するための結界を構築できるだろ」

「け、結界なんて、作ったことありません! 私はメイドですし、きちんとした教育も受けていませんし」

「じゃあ初挑戦だ! 大丈夫、<秩序>魔術ほど難しくないから」


 恐ろしいことをおっしゃいます。イリヤさんと話が合いそうなお方です。

 透明な地図は静かに折りたたまれ、私の体に吸い込まれていきました。紛失の心配はなさそうです。


 と、アレキサンドリア様がひくんと肩を震わせました。

 不審な音を聞きつけた狼のように、さっと辺りを見回します。


「熊みたいなやつがこちらに近づいているぞ」

「熊ですか。<秩序>魔術でどうにかなればいいのですが……」

「心配するな、あたしが全部やっつけてやるから――と、言いたいところだが」


 アレキサンドリア様が呆れたような顔でこちらを見てきます。


「あんたの名前呼んでるみたいだけど」

「えっ」

「あーあー、この鍾乳洞って、かなり壁分厚いんだけど……ほら、来るよ」


 岩が砕けるものすごい音が、どんどん近づいてきます。地面が揺れ、いくつかの鍾乳石が天井からぼろぼろと剥落しました。

 ズガン、ズガァン、と掘削する音に、たまりかねて耳をふさいだ瞬間――。


 目の前の石壁がものすごい勢いで吹き飛びました。アレキサンドリア様が私を引き寄せてくれなかったら、岩のいくつかが当たっていたことでしょう。

 

(こ、こんな勢いで掘り進むなんて、一体どんな生き物なんでしょう……!?)


 粉塵と、それから岩のかけらにまみれ、真っ白になったその生き物は――。


「……リリス? リリスか!?」

「だ、ダンケルク様!?」


 まさかの、ご主人様でありました。


「私もいるぞーッ!」

「イリヤさんまで! 一体どうやってここが、」


 言いかけた私を、粉塵まみれのダンケルク様が強く強く抱きしめました。


「良かった……! 生きてる、生きてる……ッ」


 喉の奥から絞り出すような、悲痛な言葉に、私は言葉を失ってしまいました。

 きつく抱きしめられて苦しいはずなのに、それを伝えるのがはばかられるくらい、ダンケルク様は真剣でした。

 抱きしめていないと、私が消えてしまうとでも思っているかのように。


 ダンケルク様、と声をかけても返事はありません。ただ大きな犬のように、私の肩口に顔を埋めて黙りこくっています。


「イリヤさん、あの、一体どうやってここが?」

「うむ! あの滝つぼと川の流れから、きみが流れつきそうな場所を逆算して、候補をいくつかピックアップした。そのうえで<秩序>魔術の痕跡を追ったんだよ。あたしが<秩序>魔術の痕跡手順を確立しておいてラッキーだったね」

「ありがとうございます……!」

「うん、もっと褒めてくれてもいいんだぞ。まあ、探すこと自体はそこまで難しくなかったんだが。ダンケルクがひどくうろたえてなあ」


 イリヤさんが話して下さったところによると、滝つぼに落ちた私を追って、なんとダンケルク様もそこに飛び込まれたそうです!

 私と違って泳ぎが達者なダンケルク様でしたが、急流のため私を見つけられず、早々に断念。

 代わりにイリヤさんの元へ駆けつけ、この辺りで私が流れ着きそうな場所を探して下さったのだとか。


(そう考えると、やはり私は結構な時間気を失っていたのですね……)


「この鍾乳洞からきみの魔術の気配がすると言った途端、熊のように壁を壊し始めてこのありさまだ。壁を破壊せずとも、迂回する場所はあると言ったんだがね」

「た、大変なご迷惑を……」

「いやいや、迷惑をかけられたのはきみだろう。まったく、部下にキャンベル家の手のものが紛れ込んでいるとは、油断ならないな!」

「あ、ですが朗報もあるのです! この鍾乳洞に、大魔女の分体があって――」


 私は抱きしめられたまま、苦労して身をよじります。

 ですが、アレキサンドリア様のお姿を見つけることはできませんでした。

 いつの間に消えてしまわれたのか。あるいは、私しか見ることのできないお方だったのか。


 いずれにせよ、ダンケルク様とイリヤさんは、私が一人きりでここにいたと思われているようです。

 ダンケルク様の分厚い手が、何度も何度も私の背中を撫でます。

 体温を分け与えるように。――ここにいることを、確かめるように。


 分体という言葉を聞いたイリヤさんが、目をきらんと輝かせました。


「大魔女の分体? なんだそれは、胸躍る響きだなあ!」

「え……っと、はい、今からでもご説明させて頂きます」


 善は急げと言いますし、イリヤさんの魔術省のお部屋で、分体とそれからアレキサンドリア様の「策」について、お話しようと思ったのですが。

 何しろがっちりと抱きしめられています。熊にハグされたらこんな気持ちでしょうか。


「だ……ダンケルク様、その、離して、くださいぃ……!」

「やだ」

「やだ、じゃなくて、大事なお話なんです!」

「嫌だ」

「言い直せばいいというわけではありませんっ」


 しかし相手は軍人です。私の抵抗むなしく、ダンケルク様の腕から逃れることはかないませんでした。

 それを見たイリヤさんが、珍しく優しいお顔で微笑んでいらっしゃいます。


「まあ、今日ばかりは見逃してやるか。何しろほんとうに、見ているこちらがかわいそうになるくらい、必死にきみを探していたんだから」

「……」


 粉塵と岩のかけらにまみれ、美しい銀髪は見る影もありません。

 よく見れば、手にはあちこちに小さな切り傷があります。手足の装備もぼろぼろです。

 なりふり構わず私を探して下さったのでしょう。


(ああ、この人を心配させてしまった)


 きっとお詫びにはならないでしょうが、私はダンケルク様の背中にそっと手を回して、少しだけ力を込めました。

 ここにいます、と伝えるように。





「あああああリリスさああああん! ご無事でよかった、ほんっとうによかったです……!」


 モナード家に帰れば、泣きはらしたお顔のセラ様と、安堵で緩み切った若旦那が出迎えて下さいました。


「滝つぼに落ちちゃったって聞いて、もうほんとに、だめかと……! わたしの魔術は何の役にも立たないし、わたしは、わたし、何にもできなくて……!」

「ご心配をおかけして申し訳ございません、セラ様。若旦那も」

「うん、うん……。ほんとに、もうだめかと思って……あはは、今頃遅れて手が震えてるや」


 無理やり笑みを浮かべる若旦那は、相変わらず私を後ろから抱きしめて離さないダンケルク様の腕を、ぽんぽんと叩きました。


「君の気が狂わずにすんで良かった」

「……ああ」


 物騒だけれど、旧知の仲だからこその心のこもったやり取り。

 私の後ろで、ダンケルク様が微かに鼻をすする音がしたのは、聞かなかったことにいたしましょう。


 セラ様は今日もお泊りです。セラ様のベッドを整えようとしたら、今日は休んで下さいと意外な力で押し戻されました。

 自室に戻って着替えると、いつになく重い溜息が出てしまいます。


(私もなんだかんだで疲れているようですね)


 滝つぼから落ちて、鍾乳洞に流され、あの大魔女と言葉を交わしたのです。

 一介のメイドには、身に余る出来事と言えましょう。


 ですから今日は、早く眠れるかと思いきや。


「……逆に目が冴えてしまっていますね」


 疲れているのは事実なのですが。アレキサンドリア様とお話ができたことで、突破口が開けたような気分なのです。

 色々考えてしまって、ベッドの上で何度も寝返りを打った私は、ついに観念して起き上がりました。


(ハーブティでも飲めば、眠くなるでしょうか)


 そう思って、足音を忍ばせて階下に降りた私は。


 暖炉の前に座って、火を見つめながら、微動だにしないダンケルク様のお姿を目にするのです。

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