第19話 進展
龍の目的について、アレキサンドリア様は既に感づいていらっしゃるようです。
私は頂いたスコーンを握りしめたまま、身を乗り出して尋ねました。
「お、お分かりになるのですか? 私たち、そもそもそれを探しにこの丘へやってきたのです!」
「ああ。というかこれは至極簡単な話でねえ」
「か、簡単と申しますと」
「龍はそのかたちを失い、五人の娘に分かたれた。単純計算で黒(ノア)を振りまく存在は五倍に増えた、わけだが」
アレキサンドリア様は、既に何個めか分からないスコーンを手のひらに乗せ、厳かな口調でおっしゃいました。
「食い扶持も五倍に増えた、ということになる」
「食い扶持でございますか」
「黒(ノア)とて無尽蔵に増えるわけじゃあない。人の多くいる場所、人の感情がよどむ場所、そういった所からエネルギーを吸い取る必要がある」
「それが以前の五倍……となりますと、確かに大変そうですね」
「そう。手っ取り早い方法は、人の多い場所を襲い、人を飼うことだろうね。劣悪な環境に置いて、負のエネルギーを吸い取るわけだ」
人の多い場所。とくればもちろん、考えられる場所は一つです。
「首都イスマール……!」
「そうなるだろうな。五人に分かれた龍は、首都イスマールを制圧し、人々を支配下に置き、餌場とするだろう」
「そ、そんなのいけません! 即刻止めなければ」
「どうやって?」
そう切り込まれて、言葉に窮します。どうやって、五人を止めるのか。その方法はまだ思いついていません。
私の表情を見て取ったアレキサンドリア様が、にやりと笑いました。
「――あたしに策がある」
*
その策を聞かされた私は、思わず唸ってしまいました。
「た、確かに、キャンベル家の方々を一人一人探し出す手間は省けますが、かなりの博打になりませんでしょうか?」
「こういう害虫はねえ、一か所にまとめて潰すのがセオリーなんだよ。というわけで、あんたに地図を送る」
「地図でございますか」
アレキサンドリア様は、まるでシルクの生地を広げるような手つきで、空中を撫ぜました。
ぶわりと青白く浮かび上がるのは、首都イスマールの地図。赤く輝く点は、アレキサンドリア様の分体がある場所だそうです。
「あたしの分体が存在する場所。そこを楔にすれば、黒(ノア)を一気に浄化するための結界を構築できるだろ」
「け、結界なんて、作ったことありません! 私はメイドですし、きちんとした教育も受けていませんし」
「じゃあ初挑戦だ! 大丈夫、<秩序>魔術ほど難しくないから」
恐ろしいことをおっしゃいます。イリヤさんと話が合いそうなお方です。
透明な地図は静かに折りたたまれ、私の体に吸い込まれていきました。紛失の心配はなさそうです。
と、アレキサンドリア様がひくんと肩を震わせました。
不審な音を聞きつけた狼のように、さっと辺りを見回します。
「熊みたいなやつがこちらに近づいているぞ」
「熊ですか。<秩序>魔術でどうにかなればいいのですが……」
「心配するな、あたしが全部やっつけてやるから――と、言いたいところだが」
アレキサンドリア様が呆れたような顔でこちらを見てきます。
「あんたの名前呼んでるみたいだけど」
「えっ」
「あーあー、この鍾乳洞って、かなり壁分厚いんだけど……ほら、来るよ」
岩が砕けるものすごい音が、どんどん近づいてきます。地面が揺れ、いくつかの鍾乳石が天井からぼろぼろと剥落しました。
ズガン、ズガァン、と掘削する音に、たまりかねて耳をふさいだ瞬間――。
目の前の石壁がものすごい勢いで吹き飛びました。アレキサンドリア様が私を引き寄せてくれなかったら、岩のいくつかが当たっていたことでしょう。
(こ、こんな勢いで掘り進むなんて、一体どんな生き物なんでしょう……!?)
粉塵と、それから岩のかけらにまみれ、真っ白になったその生き物は――。
「……リリス? リリスか!?」
「だ、ダンケルク様!?」
まさかの、ご主人様でありました。
「私もいるぞーッ!」
「イリヤさんまで! 一体どうやってここが、」
言いかけた私を、粉塵まみれのダンケルク様が強く強く抱きしめました。
「良かった……! 生きてる、生きてる……ッ」
喉の奥から絞り出すような、悲痛な言葉に、私は言葉を失ってしまいました。
きつく抱きしめられて苦しいはずなのに、それを伝えるのがはばかられるくらい、ダンケルク様は真剣でした。
抱きしめていないと、私が消えてしまうとでも思っているかのように。
ダンケルク様、と声をかけても返事はありません。ただ大きな犬のように、私の肩口に顔を埋めて黙りこくっています。
「イリヤさん、あの、一体どうやってここが?」
「うむ! あの滝つぼと川の流れから、きみが流れつきそうな場所を逆算して、候補をいくつかピックアップした。そのうえで<秩序>魔術の痕跡を追ったんだよ。あたしが<秩序>魔術の痕跡手順を確立しておいてラッキーだったね」
「ありがとうございます……!」
「うん、もっと褒めてくれてもいいんだぞ。まあ、探すこと自体はそこまで難しくなかったんだが。ダンケルクがひどくうろたえてなあ」
イリヤさんが話して下さったところによると、滝つぼに落ちた私を追って、なんとダンケルク様もそこに飛び込まれたそうです!
私と違って泳ぎが達者なダンケルク様でしたが、急流のため私を見つけられず、早々に断念。
代わりにイリヤさんの元へ駆けつけ、この辺りで私が流れ着きそうな場所を探して下さったのだとか。
(そう考えると、やはり私は結構な時間気を失っていたのですね……)
「この鍾乳洞からきみの魔術の気配がすると言った途端、熊のように壁を壊し始めてこのありさまだ。壁を破壊せずとも、迂回する場所はあると言ったんだがね」
「た、大変なご迷惑を……」
「いやいや、迷惑をかけられたのはきみだろう。まったく、部下にキャンベル家の手のものが紛れ込んでいるとは、油断ならないな!」
「あ、ですが朗報もあるのです! この鍾乳洞に、大魔女の分体があって――」
私は抱きしめられたまま、苦労して身をよじります。
ですが、アレキサンドリア様のお姿を見つけることはできませんでした。
いつの間に消えてしまわれたのか。あるいは、私しか見ることのできないお方だったのか。
いずれにせよ、ダンケルク様とイリヤさんは、私が一人きりでここにいたと思われているようです。
ダンケルク様の分厚い手が、何度も何度も私の背中を撫でます。
体温を分け与えるように。――ここにいることを、確かめるように。
分体という言葉を聞いたイリヤさんが、目をきらんと輝かせました。
「大魔女の分体? なんだそれは、胸躍る響きだなあ!」
「え……っと、はい、今からでもご説明させて頂きます」
善は急げと言いますし、イリヤさんの魔術省のお部屋で、分体とそれからアレキサンドリア様の「策」について、お話しようと思ったのですが。
何しろがっちりと抱きしめられています。熊にハグされたらこんな気持ちでしょうか。
「だ……ダンケルク様、その、離して、くださいぃ……!」
「やだ」
「やだ、じゃなくて、大事なお話なんです!」
「嫌だ」
「言い直せばいいというわけではありませんっ」
しかし相手は軍人です。私の抵抗むなしく、ダンケルク様の腕から逃れることはかないませんでした。
それを見たイリヤさんが、珍しく優しいお顔で微笑んでいらっしゃいます。
「まあ、今日ばかりは見逃してやるか。何しろほんとうに、見ているこちらがかわいそうになるくらい、必死にきみを探していたんだから」
「……」
粉塵と岩のかけらにまみれ、美しい銀髪は見る影もありません。
よく見れば、手にはあちこちに小さな切り傷があります。手足の装備もぼろぼろです。
なりふり構わず私を探して下さったのでしょう。
(ああ、この人を心配させてしまった)
きっとお詫びにはならないでしょうが、私はダンケルク様の背中にそっと手を回して、少しだけ力を込めました。
ここにいます、と伝えるように。
*
「あああああリリスさああああん! ご無事でよかった、ほんっとうによかったです……!」
モナード家に帰れば、泣きはらしたお顔のセラ様と、安堵で緩み切った若旦那が出迎えて下さいました。
「滝つぼに落ちちゃったって聞いて、もうほんとに、だめかと……! わたしの魔術は何の役にも立たないし、わたしは、わたし、何にもできなくて……!」
「ご心配をおかけして申し訳ございません、セラ様。若旦那も」
「うん、うん……。ほんとに、もうだめかと思って……あはは、今頃遅れて手が震えてるや」
無理やり笑みを浮かべる若旦那は、相変わらず私を後ろから抱きしめて離さないダンケルク様の腕を、ぽんぽんと叩きました。
「君の気が狂わずにすんで良かった」
「……ああ」
物騒だけれど、旧知の仲だからこその心のこもったやり取り。
私の後ろで、ダンケルク様が微かに鼻をすする音がしたのは、聞かなかったことにいたしましょう。
セラ様は今日もお泊りです。セラ様のベッドを整えようとしたら、今日は休んで下さいと意外な力で押し戻されました。
自室に戻って着替えると、いつになく重い溜息が出てしまいます。
(私もなんだかんだで疲れているようですね)
滝つぼから落ちて、鍾乳洞に流され、あの大魔女と言葉を交わしたのです。
一介のメイドには、身に余る出来事と言えましょう。
ですから今日は、早く眠れるかと思いきや。
「……逆に目が冴えてしまっていますね」
疲れているのは事実なのですが。アレキサンドリア様とお話ができたことで、突破口が開けたような気分なのです。
色々考えてしまって、ベッドの上で何度も寝返りを打った私は、ついに観念して起き上がりました。
(ハーブティでも飲めば、眠くなるでしょうか)
そう思って、足音を忍ばせて階下に降りた私は。
暖炉の前に座って、火を見つめながら、微動だにしないダンケルク様のお姿を目にするのです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます