第18話 麗しの大魔女

 覚醒を自覚したとき、まさか目を覚ますとは思ってもみなかった私は、うわあとのんきな声を上げてしまいました。


「煉獄(れんごく)……というわけではなさそうですね。私、まだ生きているみたいです」


 辺りは真っ暗で、遠くで水の滴る音が聞こえています。

 私は下半身を水に浸した状態で、どこかの岸辺に打ち上げられているようでした。


「ここは……川べり? にしてはずいぶんと、石の多い場所ですね」


 ゆっくりと起き上がり、怪我のないことを確かめます。

 体がこわばり、冷え切っているところを見ると、滝つぼに落ちてから結構な時間が経っているのかもしれません。

 それでも、あそこから落ちてびしょぬれになっただけで済むとは、なんたる幸運でしょう!


 おおかたミス・キャンベルあたりが、黒(ノア)で悪意を植え付けた兵士に、私を殺させようとしたのでしょうが、まさか不首尾に終わるとは、彼女も想像がつかなかったでしょう。

 状況の整理がつくと、むくむくと怒りが沸き起こってきます。よくもまあ人を滝つぼに突き落としてくれたものです。


「ですが、私はこの通りぴんぴんしているわけですし……僭越ながら、ミス・キャンベルにはざまあみろと申し上げたいですね」


 私は立ち上がり、手のひらに明かり代わりの炎を灯しました。

 そしてここが洞窟であることに気づきました。

 真っ暗なのも、石が多いのも当然です。

 ですが最初に予想したような、滝の裏にひっそりと存在する洞窟――というわけではないようです。


 恐らく、川の支流が流れ込んでいる洞窟なのでしょう。かすかではありますが、水の中に森の木々のにおいがします。

 ゆらりと揺らめく炎が、この洞窟の意外な大きさを教えてくれました。天井がかなり高いです。

 

(それにこの風……この洞窟、どこかに繋がっているようですね?)


 私は<秩序>魔術で身なりを整えました。びしょぬれの体が乾燥し、いくらかマシになりました。

 ちょっとだけコルセットも緩めて動きやすくして、いざ出発です。


「ずいぶんと広い洞窟ですね」


 数十歩行けばもう行き止まり、というような規模ではありません。 

 複雑に入り組んだ道は、さながら迷宮のように、私を奥へ奥へといざないます。

 道に迷って出られなくなる前に引き返すべきでしょうか。でも、引き返しても川しかありません。

 泳げない私としては、陸をさまよう方がいくらかましというものです。


 足元に気を付けながら、一時間ほどさまよった頃でしょうか。


「わあ……! すごい、鍾乳石ですね!」


 開けた大きな空間で、三角錐の細長い石が、天井からも地面からも生えています。

 どれもほのかなエメラルドグリーンで、内側から光っているようです。

 手のひらの明かりがいらないくらいの明るさが、幻想的で美しいです。


(苔が生えているのでしょうか? ああいえ、これは――魔力を帯びているようですね)


 どういう仕組みかは分かりませんが、この鍾乳石一つ一つが密度の高い魔力を帯びており、この鍾乳洞全体の空気をずっしりと重くしているようです。

 ここで魔術を使えば、さぞ威力の高いものになるでしょう。気を付けなければなりませんね。


「出口はあるでしょうか」


 私は鍾乳洞をさ迷い歩きます。出入口らしいところは見当たりません。

 全貌を把握するため<秩序>魔術を展開してみます。


「”三度唱えるは我が名、二度唱えるは主の御名(みな)、そして一度唱えるは魔が名――静謐よここに、そして全てを<秩序>へ帰せ”」


 私の魔力がぶわりと鍾乳洞全体に行き渡り、様子を教えてくれました。


「どうやら、出口らしきものはなさそうですね」


 冷たい手で心臓を締め上げられるような心地がしました。

 だって、出口がないなら、あの川をさかのぼって出るしかありません。

 けれど私は泳げないし、そもそも偶然ここに流れ着いたのですから、どこに向かえばよいのか分かりません。


 八方ふさがり、となりかけたところで、私は強く首を振ります。


(絶望してはだめ。大丈夫、まずはやるべきことをやりましょう。――きっと若旦那や、セラ様や……ダンケルク様も心配してくださっているでしょうし)


「恐怖や諦念に捕らわれていては、突破できるものもできません。まずは落ち着いて、ここから出る方法を見つけましょう!」

「へえ。ずいぶん冷静なんだね」


 ハスキーな女性の声。まさか先客がいるとは思ってもみなかった私は、文字通り飛び上がってしまいました。

 その女性はこつ、こつという踵の音を引き連れ、クスクス笑いながら私の前に姿を現します。


 長く艶やかな赤毛に、目を見張るほどの白い肌。

 うっすらとそばかすの散った鼻梁はすんなりと高く、どこか怜悧な印象を与える美しいひとでした。

 黒ずくめの、体のラインに沿ったドレスが、よくお似合いです。


「あなたは……?」

「あたしはアレキサンドリア・ゼノビア。大魔女、と呼ばれていた」


 心臓が止まるほど驚きました。

 とうの昔にお亡くなりになった伝説の人が、目の前にいるなんて!


 ――ですが、心のどこかで納得している自分がいました。この人こそ、<秩序>魔術を編み出した、希代の魔術師なのだと、私の何かが告げています。

 同類をかぎ分ける力、とでもいうのでしょうか。とにかくこの人の言葉に偽りがないことはすぐに分かりました。

 彼女は私を値踏みするように見つめました。


「で? あたしの<秩序>魔術を使ってるあんたは、いったい?」

「あ……り、リリス・フィラデルフィアと申します。下手な猿真似をお見せしまして、申し訳ございません……!」

「ああいや、別に責めちゃいないし、あんたの<秩序>魔術は猿真似でも何でもない。すまないね、あたしの悪い癖で、普通に話してるだけなのに、どうにも威圧感があるらしいんだよね」


 大魔女はニッと不敵な笑みを浮かべておっしゃいます。

 もしかしたら、見た目より気さくな方なのかもしれません。


「あんたの<秩序>魔術がホンモノでなけりゃ、あたしは今ここにいない。――分かっちゃいるだろうが、このあたしは影法師だ。とっくに死んだ本体がここに残していった、魔術機構の一つに過ぎない」

「魔術機構……でございますか」

「平たく言やあ、誰かの<秩序>魔術をきっかけに起動する人形、ってとこさね。あたしはあんたを助けるためにここにいる」


 そう言って大魔女は、ぱんぱんと手を二つ叩きました。と、目の前の、腰かけるのにちょうど良さそうな岩の上に、湯気を立てた紅茶のカップが現れます。

 それだけではありません。美味しそうな焼き立てのスコーンに、クロテッドクリームにいちごのジャム、それからきゅうりのサンドイッチといった軽食まで揃っています。


「まずは一息つこうじゃないか?」







 こうして話してみると、大魔女――いえ、アレキサンドリア様は、やはり非常に気さくな方でした。

 気さくというよりは、せっかちなのかもしれません。社交儀礼にありがちな枕詞やおべっかを好まず、単刀直入な話を好まれるようです。

 がしっ! と掴んだスコーンに、どかっ! とジャムを乗せ、もぎゅっ! と一口で半分くらい食べてゆく様は、見ていて気持ちが良いほどでした。ご自身を人形とおっしゃるわりに、旺盛な食欲でいらっしゃいます。


 紅茶を頂くうちに、少し落ち着いた私は、自分が流された経緯を簡単にお伝えしました。

 アレキサンドリア様はもぎゅもぎゅと口を動かしながらも、耳を傾けて下さっているようです。


「……というわけで、トリンドルの丘の北にある崖から落ちて、気づいたらここにいたのです。この洞窟は一体どこなのでしょう」

「ああ、トリンドルの丘から二キロくらい離れた場所だよ。出口がないように見えるが、この近くの水路が開く時間になれば、水位が下がって外への出口が現れるから、安心しな」

「よ……よかったです。お恥ずかしながら私、泳げなくて、どうしようかと」

「何とかなるさ。さて、今度はあたしの話をしても?」


 私は居住まいを正して『大魔女』に向き直りました。


「さて、そもそもなぜあたしがここに設置されたか、なんだが」

「はい」

「あたしとアーニャ……大聖女が、百五十年前に『黒煙の龍』を仕留め損ねたことは、あんたも知ってるだろう」

「アレキサンドリア様が首を落とされる前に、遠くへ逃げてしまったと聞いております」

「そう。龍は必ず戻ってくるだろうと考えたあたしは、生まれ変わりの算段を立てたが、それは龍の呪いでかなわなかった」


 だから大魔女は「種」をあちこちに残したのです。それは以前セラ様からお伺いした通りでした。


「しかし『種』にも限度があった。あれは決定的な知識を残せないし、そもそも効果が弱い。ってことであたしはここに分体を設置した」

「分体……。ですが、なぜこのような狭い鍾乳洞に? 誰かが訪れることなどめったになさそうですが」

「ここの石筍――鍾乳石には、魔力が詰まってる。分体を維持するにも魔力が必要だから、この場所はちょうどいいのさ」


 それに、とアレキサンドリア様が付け加えます。


「分体(あたし)はこの鍾乳洞にしかいられないわけじゃない。半径二キロメートルの範囲で<秩序>魔術が検知されれば、出現するようになってるんだ。だから遅かれ早かれあんたには会えただろうよ」

「その分体というのが、いまいちよく分からなくて」

「そうだな、知識をまとめた記録媒体――本のようなもの、と思ってもらっていい。ここだけじゃないよ、いろんな場所にあたしの分体はある。どれもみんな、<秩序>魔術をきっかけに起動するようにしたんだ」

「なるほど……。ですが、どうしてそこまでして? 書き物に残したり、大聖女さまにお伝えするだけではだめだったのでしょうか」


 その質問に、アレキサンドリア様は満足げに頷かれました。


「答えは簡単。あたしが受けた呪いは、生まれ変わりを封じるものだけではなかった」

「と言いますと」

「龍にまつわる秘密を誰にも言えなくなる、という呪いも受けてしまっていたんだよ。それをすり抜けるために色々編み出したんだが、分体という方式でなら、後世の人間に知識を伝えられることが分かった」

「なるほど。先ほど人形とおっしゃいましたが、それは龍の呪いをかいくぐるためのものでもあったのですね」

「そういうこと」


 さて、とアレキサンドリア様は、三つ目のスコーンに取り掛かります。

 大量のクロテッドクリームを塗りたくりながら、


「龍の秘密を考えるにあたって、問題になってくるのは――なぜ、あたしは龍の首を落とせなかったのか? ということだ」


 私は少し考えてから口を開きました。


「あなたほどの方が、技術的な問題で仕損じるとは思えません。何か……剣を振り下ろすのをためらわせるようなものが、あったのでしょうか?」

「正解だ! ――端的に言えば、その龍は人間の赤子を抱いていた」

「赤ちゃんを……。しかしそれは、誰の」

「分からん。分からんが、その赤子には、黒く滑らかな鱗が生えていた。これが龍の秘密だ」

「黒い、鱗……。黒(ノア)の加護を受けた赤子、でしょうか?」


 アレキサンドリア様は、我が意を得たりとばかりに頷きます。


「そう、そうだ、龍のクソ野郎が己の加護を与えた存在――。本来であれば、切り伏せるべきだったんだろうけど」

「赤ちゃんを、切り伏せるのは……できませんね」


 例え、忌まわしい黒い鱗が生えていたとしても。例え、龍の仕込んだ明らかな罠であると、分かっていても。

 何の罪も重ねていない、ふくふくで、やわらかな存在を殺すのは、無理です。できません。


「あ、もしかして。その赤ちゃんが、キャンベル家の開祖だったりするのでしょうか……?」

「キャンベル家?」


 私は簡単に、ミス・キャンベルのこと、キャンベル家の五人姉妹が、龍の肉体を食べたことなどをお話しました。

 するとアレキサンドリア様は、豪快な笑いをこぼし、


「十中八九あんたの見立ては正しい。そうかそうかそうきたか、外道な龍めが! 拾った赤子を盾として命を拾い、黒(ノア)の加護を百五十年間与え続けることによって、その一族の肉体を黒(ノア)に馴染ませる」

「そして、自分の体を食べさせて、五人姉妹に黒(ノア)をばらまくようにさせる……」

「一体ではかなわなかった、ゆえに今回は五体で挑もうという、その心意気は良いんだけどさぁ。厄介なこともあるもんだ」


 アレキサンドリア様は、私にスコーンをすすめながら、考え込むように空中を睨みました。


「さて、そうすると――龍の目的は一つに絞られるね」

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