第16話 丘へ
キャンベル家の五人の娘たちが『黒煙の龍』の体を食べ、その権能を分散したということ。
そしてそのうちのお一人――若旦那の奥様だった方が、昨晩モナード家を襲撃し、セラ様と私に危害を加えようとし、あまつさえさらおうとしたこと。
けれどそれを私の二つ目の<秩序>魔術で、どうにか退けたこと。
魔術省で、昨晩あったことを説明すると、イリヤさんは嬉しそうに飛び上がりました。
「朗報が多すぎるぞ! いいニュースは分散して持ってきてくれ、まったくもう」
そう言って、相変わらず爆発したような金髪を、ひっきりなしに手でもてあそびながら、
「二つ目の<秩序>魔術とは新しすぎて最高すぎる。あたしに見せてくれるよな? なあ?」
「そ、それはもちろん」
「良かった! それで次のいいニュースは? 『黒煙の龍』が五人の女に食われ、その能力を五つに分散した、だったな!」
「それはいいニュースなのでしょうか?」
「あったりまえだろう!」
拳を握りしめて力説するイリヤさん。
「ここから導かれる仮説は以下の通り。一つ、龍が食べられるということ、つまり実体を持っているということ。一つ、それを食うことで権能が宿るということ。誰にでも与えられるものではないのかもしれない。キャンベル家の女たちに適性があったから黒(ノア)を扱えるようになったのか、あるいは誰でも龍の体を口にしさえすれば、黒(ノア)を操れるということなのか……!?」
相変わらずの長広舌は、イリヤさんがご自身の考えをまとめられている証拠なので、放っておくことにいたします。
「いいなあいいなあ! あたしも龍を食べてみたい! 美味しいのかな? ワニみたいな味がするのかな? ワニ食べたことないけど」
「味の問題ではないのでは……」
「そうだ、食べる部位によって宿る力は変わってくるのかな? 君たちを襲ってきたミス・キャンベルは、どこを食べてどのくらい強いんだろう? これはあたしの感覚だが、左半身を食べた女より、頭部を食べた女の方が強そうな気がしないか?」
「まあ、イメージとしてはそうですが」
「龍を食べることにより、黒(ノア)を装甲のように身に着けられるというのも面白いな。そうなれば君以外の人間が対抗できなくなるから、我々は作戦の変更を余儀なくされる」
「そうですね、最初は『黒煙の龍』は一体しかいない、という前提でしたし、作戦変更は必須でしょう」
「あーっもう、五人に今すぐここに来て欲しいッ! 知りたいことが多すぎる!」
もはやマッドサイエンティストの域に入ってきたイリヤさんは、けれど叫んだことで冷静になったのでしょう。
咳ばらいを一つして、先程からずっと置いてきぼりだったセラ様に向き直ります。
「と、いうわけで。黒(ノア)を振りまく発生源が五倍に増えたということだか? あたしたちはより一層防衛態勢を強化しなければならない」
「は、はいっ」
いきなりキリっとし始めたイリヤさんに、セラ様がこくこくと頷きます。
「君たちの話では、百五十年前の『黒煙の龍』は、首都(ここ)の秘宝を狙って襲ってきたそうだね?」
「はい。マカリオス・エスファンテを狙いましたが『大魔女』と『大聖女』で阻止しました」
「確か文献にもそのようなことが書かれていたはず。あとで裏付けを取ろう」
「今回の復活も、その至宝が目的なんでしょうか」
そもそも、とイリヤさんが首を傾げます。
「前回はなぜマカリオス・エスファンテを欲しがったんだ?」
「マカリオス・エスファンテは、国の錨と呼ばれ、国の鎮護を務めてきた魔術具の一種です。『黒煙の龍』は、マカリオス・エスファンテの『事物を固定する』という効果に目をつけたのだと思います」
「事物を固定する……。ははん? 『黒煙の龍』の存在は、あまり確固たるものではなかったようだね」
「『大魔女』の夫を食らって肥大化するまでは、単なる小鬼にしか過ぎませんでしたから。悪魔的な力を持っていますが、その本質は精霊に近いのです」
精霊。ケット・シーであったりバーバ・ヤガであったり、人の生活に密接なかかわりを持ちながらも、さほど脅威ではないいきものたち。
つまり『黒煙の龍』は、神や悪魔に連なるものではないということです。
「なるほど……。しかし、今回既に『黒煙の龍』は食われてしまっている。固定すべき存在はない、そうだろう?」
「確かに、おっしゃる通りです」
キャンベル家の娘たちに分割された『黒煙の龍』の権能。
既に実体を持っている彼女たちにとって、マカリオス・エスファンテを手に入れることは、あまり意味がないように思えます。
「では彼女たちの目的は、一体何なのでしょう」
「ふむ。昨晩君たちを襲撃したことを考えると、恐らくは黒(ノア)に関係することだろう。邪魔ものである君たちを排除してから、ゆっくりと仕事に取り掛かりたい、そう思ったんじゃないかな」
一理あります。私たちは黒(ノア)に対抗できる唯一の存在ですから。
セラ様が、何かを思い出すように宙を見つめながら、ぽつりとつぶやきました。
「どのくらい役立つかは分かりませんが……。百五十年前に龍が死んだ場所に行けば、何か手掛かりがあるかもしれませんね」
*
「そ、それでピクニックに行くというのも……なんだか申し訳ないような気が……」
「『結果的に』ピクニックな感じになっちゃうだけで、ピクニック目的ではありませんから、大丈夫です!」
セラ様はそうおっしゃいながら、慣れた手つきでサンドイッチを作っていきます。
私はその横で具材を用意しながら、バスケットに色々詰めていきます。昼食、ワイン、小腹が空いたときのためのクッキー、ジャム、クリーム、紅茶を沸かすためのセット一式……。
さて、なぜ私たちがピクニックの用意をしているかと申しますと。
百五十年前に『黒煙の龍』が死んだ場所が、郊外の森近く、少し小高いトリンドルの丘――つまり、ピクニックにはもってこいの場所だからでございます。
(『黒煙の龍』が死んだ場所に行けば何かが分かる、と『大聖女』の生まれ変わりであるセラ様がおっしゃるんですから、遊びではないのです。しっかり準備をしなければ)
と思うのですが、お弁当を用意しているセラ様は、なんだかとっても上機嫌です。
カリカリに焼いたベーコンにチーズをはさみ、キュウリを乗せようとしたセラ様を、一瞬迷ってお止めします。
「――若旦那は、キュウリの混じったサンドイッチがあまりお好きではありません」
「そうなんだ! 教えて下さってありがとうございます!」
「ですが、キュウリ単体のサンドイッチはお好きなので、そちらを作って頂けますか」
「分かりました。チーズとキュウリ、合うのになあ」
そう言ってくすっと笑うセラ様は、先ほどより少しうきうきした様子で、キュウリサンドイッチ用のパンを手に取ります。
「バターは厚めがお好みです」
「はあい」
セラ様は手際よくサンドイッチを作ると、しっかりと清潔な布でくるんで、バスケットに納めました。
既にぎっしりと食料の詰め込まれたバスケットを見、満足そうに頷いていらっしゃいます。
「このくらいあれば、途中でお腹が空く心配はなさそうですね!」
「ええ。では参りましょう」
「あ、持ちますよリリスさん」
「問題ないです、私が持ちます」
「いえいえわたしが」
「私が」
などと言い合う横から、すっと伸びてきた手が一つ。
若旦那です。ひょいっとバスケットを持ちあげると、大型犬の子いぬのようなまなざしで、私たちを見つめます。
「レディたち、ここはもちろん私が持っていくからね。馬車に乗って待っていてよ」
「わあ、グラットンさん、ありがとうございます!」
「し、しかし若旦那、それはさすがにメイドの私が」
「いいからいいから」
主人に物を持たせるメイドなどメイドではありません。
(いえ、主人と食卓を囲んだり、主人にドレスを買ってもらったりしている時点で、だいぶメイドの本分から逸脱してはいるのですが!)
何度も若旦那からバスケットを奪おうとしましたが、いやに俊敏な身のこなしで全て避けられてしまい、結局馬車まで持って頂くことになりました。
コルセットをぎゅうぎゅうに締め上げないといけない外出着でなければ、廊下の角でバスケットを奪えたものを。
(馬車から降りるときは絶対に、バスケットを奪います! スタートダッシュさえ決めれば大丈夫なはず!)
一人作戦会議を開く私の手を、横からついとすくい上げる方がいらっしゃいました。
ダンケルク様です。
軍服に身を包み、腰にサーベルを下げられています。丘に行くとは思えない恰好ですが、それもそのはず。
何しろ『大聖女』の生まれ変わりと、<秩序>魔術の使い手は、今やキャンベル家の人々に狙われているのです。
軍人たるダンケルク様ですから、一番気にされているのは、ミス・キャンベルをはじめとした方々の襲撃でした。
これから向かうトリンドルの丘も、既に何人もの兵士の方々が、警備に当たって下さっていると聞いています。
(いけません、気が緩んでおりました。遊びに行くのではないのです、『黒煙の龍』の目的をしっかりと確かめなければいけませんね!)
そう考えながら、ダンケルク様のエスコートで馬車に乗り込みます。
向かい合った二人がけの席で、私とダンケルク様が横並び、若旦那とセラ様が並んで腰かけています。
馬車がゆっくりと空へ舞い上がりました。トリンドルの丘まではおよそ三十分ほどでしょうか。
「――その顔は、また何かクソ真面目なことを考えている顔だな」
「えっ」
「ピクニックじゃないんだから、気を引き締めなければ、とか考えてるんだろう」
「そ、それは当然です。『黒煙の龍』の目的を確かめ、次に襲われた際も撃退できるように、策を練らなければならないでしょう」
はあ、と聞こえよがしにため息をつかれるダンケルク様。メイドに向かって何ですか、そのため息は。
「お前が昼夜問わず、魔術省で<秩序>魔術の簡素化に取り組んでることは、ここにいる全員が知ってる」
「イリヤさんに付き合って、徹夜をされている日もあるってことも!」
「その状態で帰ってきて、私たちの料理を作ったり、部屋の掃除をしていることもね」
セラ様と若旦那。思いもかけぬ方向から言葉が飛んできて、思わずぽかんとしてしまいます。
ダンケルク様が、ぽんぽんと私の頭を――セットされていない部分を――軽く撫でました。
「ま、息抜きだと思って、今日はゆっくりしろ」
「で、でも……」
「そのために俺の部下を総動員したんだ。キャンベル家の女たちが勢ぞろいでやってきても心配ない」
「ほんとは、お弁当もわたし一人で作ろうかと思ったんですけど……」
セラ様が照れくさそうに笑っていらっしゃいます。
「リリスさん、神業みたいな速さで準備しちゃうんですもん。魔術使ってないのにすっごく早くて、手品を見ているみたいでした!」
「えっと……も、申し訳ございません……?」
「謝ることじゃないですよー! グラットンさんの好きなサンドイッチも作れましたし、結果的によかったです」
これから向かうのは、完全な遊びではないにしろ、完全なお仕事でもない、ということでしょう。
確かに息抜きが必要なタイミングだったかもしれません。それを本人よりも先に見破ったお三方は、やはりすごい方々です。
「皆さん、私のために……ありがとうございます」
「ぜんっぜんです。こちらこそいつも助けてもらっちゃって、ありがとうございます!」
ふふ、とはにかむセラ様は、横目でちらりと若旦那をご覧になります。
その視線を受けた若旦那が、どぎまぎと視線をそらすのと、つきんとした胸の痛みと共に見つめました。
馬車の席ですから、自然と肩が触れ合う距離です。セラ様も若旦那も、そのことを少しだけ意識しているように見えました。
(こうして見ると、ほんとうに――お似合いな二人でいらっしゃる)
柔らかな色調。穏やかな表情。はにかむお顔なんて特に、似ていらっしゃいます。
と、私の手をダンケルク様がぎゅっと握ります。
指と指を絡め、安心させるように、きゅ、きゅっと力を込めました。
高すぎるダンケルク様の体温がじんわりと染み込んできます。
(この方はよく人を見ていらっしゃる。人の心なんて、きっと自分の手のひらを見るように分かってしまうのでしょうね)
まあ、そういうところが、女性の人気を勝ち得る理由なのでしょうけれど。
それでも、すがるには十分な手のひらでした。
力を込めて握り返すと、少しだけ触れ合っている肩が微かにこわばりました。
緊張されている、のでしょうか? 数多の女性を口説いてきた、この方が?
(そうか――。ダンケルク様は、私が好きなんですね)
どこか他人事のように受け止めたその事実が、私の胸の痛んだ場所を、静かに包み込むようでした。
痛んだところは、きっとずっと治らないけれど――それでも。
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