第2話 力との出会い
目を覚ますと、いつもの天井が目に入る。時間は午後八時、カーテンは閉まっていない。どうして家にいるんだろう。
ふと気になってスマホをとる。
クラスSNSを確かめる。担任の杉本が、遅刻から無断欠席に変わったことを怒っている。それを無視してクラスメイトの発言を見ると、やはり吾妻が急にいなくなったことや、別れのイベントを出来なかったことを悔やむ声が多く見られた。
「吾妻、本当に……」
吾妻の、か細いのに柔らかかった身体の感触を思い出す。夢ではなかったのか。固くなった股間に手を伸ばすと、いつもと違うべたべたした感触、吾妻の痕跡が確かに残っている。
僕は立ち上がり、一階にあるバスルームに向かう。学校指定の服を脱ぎ捨てると、身体に残った吾妻の痕跡を確認しながら、それが済んだものから洗い流していく。
「本当なのか」
吾妻は、ドームに行った人間は死ぬのか。僕はどうしようもなくなった股間の興奮を処理すると、バスルームから出る。身体を拭き部屋着をきて、カーテンを締め、電気をつける。
そして、うちに一台きりのパソコンを開く。噂でパソコンの方が検索ブロックにかかりにくいと聞いたことがあるからだ。
「未来労働の真実……」
検索バーに入力し、エンターキーを押す。処理中を示すくるくる回る円を眺める。
時間が過ぎ、駄目かと思った矢先、真っ白なブラウザ上に黒い枠線が表示される。やがてその中に沢山の枠が現れ、画像以外の要素が表示される。
「未来労働という名のギロチン……」
その先を読もうとすると、404エラーの画面に変わってしまう。
「さっきまで表示されかけてたのに、存在しないページのエラーが出るって……」
その後は、何度検索をかけても、履歴から開いても、全てが404エラー表示になってしまう。ページが表示されないことこそが、未来労働死刑説が真実である証拠のように思えてくる。
僕は居ても立ってもいられなくなり、吾妻が行ったと思われる南関東ドームへの行き方を調べる。京皇線北小沢駅からバス二十分、ギリギリ最終バスに間に合う時間だとわかる。僕は急いで二階に上がり、外出用の服に着がえる。
家を飛び出してからの約二時間、僕はどうやればドームに入れるか、どう吾妻を助けるかをひたすら考えた。正面から乗り込むか、どこかから忍び込めないか。
そもそも、吾妻は今日の内にドームに向かったのだろうか。南関東ドームで間違いはないのか、そして、ドームに着いてから殺されるまでには時間がかかるのか。
あまりにも情報がないことに、愕然とする。この情報のなさなのに、どうして自分は政府発表を無条件に信じていたのだろうか。
僕は他に乗客のいないバスから降り立つ。辺りは真っ暗で、ドームから漏れるわずかな灯りだけがぼんやり夜に浮かんでいる。
ゲートは固く閉じられ、警衛室には人影がある。周囲を囲う柵の上には有刺鉄線が三重に張り巡らされている。
柵に綻びはないだろうか。僕はわずかな希望を見つけるために柵に沿って歩き出す。
歩き始めはよく整備された道路だったが、次第に土で汚れた遊歩道に変わる。周囲は森林で、いわゆる武蔵野の森と呼ばれる内の一部なのだろう。
静まりかえった森の中から聞こえてくる葉擦れの音や鳥の声が、とても不気味に感じられる。更に時折聞こえる犬の遠吠えが、野犬でもいるのではないかと想像させられて、肝が縮む思いをする。
ふと立ち止まり、ドームの窓から漏れる薄明かりを眺める。誰かが外を見たりはしないだろうか。
突然、背後に足音を感じて振り返ろうとする。しかし、あっという間に身体の自由を奪われ、猿ぐつわをかまされる。必死に暴れようとするが、強烈な力で持ち上げられてしまう。僕はどうにかして身体を捩り、相手の姿を見ようとする。
そのとき僕が見たものは、人間とは似ても似つかない異形のもの、大きく開いた瞳孔と口に納まりきらない大型の牙を持った化け物だった。
僕は必死に暴れるが、誰かにハンカチで鼻を押さえられ、意識をなくしてしまった。
「困ったな。連れてくるべきじゃなかったかな」
「いいの。まずは、対象年齢でドームに興味を持っている子なら、連れてきて怒ったりしないから」
僕は目を開ける。
そこには二人の女がいて、僕について話しているようだった。一人は大人の女性で、長い黒髪を持っていた。もう一人は、僕と同年代らしい若さの、とても華奢な骨格の娘で、生真面目そうな顔に眼鏡がよく似合っている。
「あら、気づいたのね。気分はどう? 外傷はないみたいだったけど」
「あ、あの、あなた達は……」
「まず、私達はあなたの味方だから。怖がらないでね。未来政府による過去侵攻に反対する勢力の人間なの。あなたは、ドームの中から恋人を助け出したいんだよね。なら、私達はあなたの協力者になりうる存在なの」
「要は、未来人……?」
「そう。あなたの味方の、ね」
僕はゆっくり上体を起こす。身体中の痺れた感覚から、少しずつ通常の身体に戻りつつある。
「未来人にも、戦争に反対する人達がいたってことですか」
「そう。何故なら、戦争推進派が行うことが命の選別になるから。自分達の都合で、生かす人と殺す人を選り分けているからなの」
「自分の先祖だけ生かすってことですか」
「その通り。逆に、敵対勢力の先祖を積極的に殺したりもしているの。この、ドームで」
殺す、という言葉が重い。早く吾妻を助け出さなくてはいけないと、僕は立ち上がる。
「あっ、まだちょっと早いよ」
ふらふらと倒れかけた僕を、眼鏡の少女が受け止めてくれる。
「危なかったぁ。ほら、ベッドに座って」
「ごめんね。あそこで騒がれるのはちょっと困るから、寝てもらったの。横川第二でも。悪いけど、学生証から住所も調べさせてもらったよ。あと十分もすれば歩けるだろうから、安心して」
――この人達に眠らされたのか。
「あの、僕の、友達が……」
「横川第二で見たわ。あなたの恋人でしょ。心配なのはわかるけど、無茶したら駄目。騒ぎを起こすと、あなたがすぐあいつらに殺されちゃうんだから」
「殺される……」
「南関東地域で召集されたものは、南関東ドームで一週間くらいかけて遺伝情報のチェックと保存をされるの。その上で、彼女の死が本当に未来人に悪影響がないことが確認されたら、処分されるの。だから、今はまだ、彼女は無事なはず」
僕は安堵して、ため息が出る。
「良かった」
ふと、互いに名前を知らないことを思い出す。
「僕は山岸
「私は
「もしかして、軍隊か何かですか」
「そうね、ほぼ。正確にはNGMOといって、民間の軍事組織なんだけど」
「民間の軍隊……!?」
「そう。世界中の人権派NPOの依頼を受けて、選民思想と戦っているの」
「人権派の、軍隊……」
「未来には未来の問題がある。そこから目をそらすために過去との戦争なんて考えるのよ」
僕は立ち上がる。足元がふらつくが、壁に手をやってバランスをとる。
「そんなことのために、吾妻が!」
「いいね。あなた、いい感じ。面白いもの、見せてあげるからおいで」
「肩貸しますね」
竜川琴音が俺を支えてくれる。細い肩だが、身体のバランスがいいのか、とても歩きやすい。
扉をひとつ越えた先に、人影のような物が目に入る。
「まずは、さっき君を回収したときの子。この子がネブラ」
僕は息を飲む。先ほど目にした化け物が、眠るようにして座っていたのだ。
座っているのに、高さは三メートルほどある。薄青色の皮膚、頭頂部の角が縦に三つ並んでいる。丸い目は閉じられ、半開きの口には無数の大きく鋭い牙がはえている。そして、身体の前面が大きく切り開かれており、中の空洞が生々しい。
「それから、あっちの子はフルグル」
河邉さんが指さした先にも、座って三メートルほどの化け物が置かれている。濃い灰色の身体で、頭頂部から背中にかけて、鋭い棘がはえている。
顔は人間に近い形をしている。ネブラと同じように、胸から腹までが切り開かれ、中に小さな空洞が出来ている。
「あの、これってもしかして、未来軍の生体バトルスーツってやつですか」
「ご名答! 戦車、ヘリコプター、護衛艦、航空機まで、運用次第で全ての現代兵器と対抗可能な生体バトルスーツ、BSLBだよ」
「本当に、生体なんだ……」
僕は生々しい空洞の奥を除く。形が平たくなった内臓が背中側に張り付いていた。
「この子達は元々、月の裏側から掘り出された超古代文明の遺産なの。この空洞に入り込んで、自分の身体の拡張として使えるんだ」
河邉さんは話しながら、僕をフルグルの方に誘導する。
「乗ってみる?」
悪戯っぽく僕の目を覗き込んでくる。
「え!? ……害とかないんですか」
「慎重だなぁ。長期間の使用や、長時間連続使用時には身体に影響が出ることがあるよ。短時間なら全くの無害だよ」
「じゃあ、乗ってみます」
僕は扉のように開いている
しかし、いきなり右足がずぶりと入り込む。驚いた僕に、河邉さんはそうそう、そこが足の入れ場だよ、身体の向きが反対だけど、と笑っている。
僕は勇気を出して身体の向きを変えてから、左足も置いてみる。先ほどと同じでずぶりと沈み込む。
すると突然、開いていた肋骨が自動的に締まる。真っ暗になったと慌てるが、不思議と周りの様子が見えるようになってくる。目を動かして確認すると、自分の視点が高いところにあることに気づく。おそらく、今はフルグルの視点で見ている。
「動いてみなよ」
河邉さんがそう言うならと、まずは立ち上がる。足はまっすぐ伸ばした訳ではないが、これで通常の歩行が出来そうだ。
足を動かし、歩いてみる。
「凄い! センスいいねぇ」
河邉さんが嬉しそうに言う。
「訓練すれば、かなり腕利きの搭乗者になれそうだね」
僕はフルグルの手足を動かしてみながら、これを使って吾妻を助け出せないかを考える。やりようによっては、うまく行きそうな気がしてきた。
「初めてだから、それくらいにしといた方がいいよ」
竜川琴音が心配そうに言う。
「後でどっと疲れが出るから」
「そうだね。さっきの位置に戻って、イジェクトって言ってごらん」
僕は言われるままに元の位置に戻り、イジェクトという。視界が真っ暗になったかと思うと、突然肋骨が開き、外に押し出される。
「な、おわわ」
前に倒れそうになった僕を、竜川がサポートしてくれる。
「ありがとう」
「うん」
「本当に、なかなか筋が良かったよ。搭乗者になってみない?」
河邉さんが急に真剣な表情をする。僕は少しだけ考える。
「僕の友達を……、助けたいです……」
河邉さんは難しい顔をする。
「たった一週間で君がどこまでできるかわからないけど、そうよね。元々は施設内部の写真撮影や破壊が目的なんだけど、お友達の救出もやってみようか」
「ありがとうございます!」
僕は深いお辞儀をする。
「じゃあ、明日から特訓ね。っていうか、家族のことや学校のこと、何も聞いてなかった。教えてくれる?」
「はい。家族は母と義父、小さい兄弟が二人。義父の仕事の関係で海外にいます。だから、俺の独り暮らし。自由は利きます。学校は横川緑山高校二年。連絡だけすれば休めます」
「じゃあ、一週間休める言い訳を考えて、明日の朝、さっそく学校に連絡して」
「はい」
「宿舎の案内をします。来て」
僕は返事をしながら、胸が熱くなるのを感じていた。
――吾妻を、助けられる。
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