第11話 矢ケ崎少佐

 夏休みに入り、佐原慶次郎を学校で護衛する任務も休みになり、僕はいい機会とばかり潜空艦のトレーニングルームにもっていた。


 いざというときに、自分と仲間が生き残るためのトレーニングだ。もちろんそれは、陽菜を守ることにも繋がっている。


 全身EMSによる筋肉刺激、ランニングマシンでの持久力とダッシュ力の強化、射撃、BSLBシミュレータによる操縦訓練など、潜空艦で可能なあらゆる訓練に汗を流す。


 その上、深夜に人気のない場所を見つけては、フルグルを使用したBSLB運用訓練もやらせてくれる。ネブラのもやの中での活動訓練も行い、より連携も高まってきている。


 その中で、僕は静音装備での隠密おんみつ行動や、フルグルの個性も、新たに掴みかけていた。

 トレーニングをひとつ終えると、陽菜が給水やタオル交換のために声をかけてくれる。それも、僕にとっての大きなモチベーションだった。


 最近の作戦計画では、北関東ドーム破壊工作、二度目の南関東ドーム破壊工作、占領政策本部襲撃計画などが持ち上がっているらしい。いずれも近隣に展開している潜空艦チョークを複数動員しての作戦となる。


 陽菜からドリンクを受け取り飲んでいると、艦内にサイドパイプの音が鳴った。

「戦闘準備」

僕は急いで陽菜にドリンクを返し、担当の気密扉きみつとびらを閉めつつガレージに向かう。


 ガレージに着いたときには、すでに竜川中尉が到着して、白兵戦の準備をしていた。


「ヒロ、訓練より遅いよ。実戦はスピード勝負だからね!」

「はい! すみません」


 着ていた作業服に弾帯だんたいを巻く。防弾チョッキを着て、アサルトライフルを準備する。鉄帽ヘルメットとデジタルゴーグルを接続して装備する。最後に、アサルトライフルに着剣する。


 以前、竜川中尉に教えて貰ったところでは、対潜空艦戦は、潜空艦の希少さから撃破より拿捕だほを優先することが多いらしい。そのために、まずは白兵戦のフル装備を優先する。


 クストスは潜空艦を合計二十隻保有しているが、これは日本政府と同率世界三位の保有数らしい。一位は米国政府で、二位は中国政府だ。


 潜空艦は、月の裏側で発見された鉱石を元に建造されるが、クストスは使用法がわからない時期から先んじて、その鉱石を買い占めしていたという。


 そのようなパワーバランスのため、クストスの潜空艦を欲しがる勢力は多いらしい。


 潜空艦「エンドレス」は激しく上下左右にかじを切りながら、相手との駆け引きを行っている様子だ。食後すぐなら、気持ち悪くなっていたかもしれない。


 異空間は何万層にも分かれており、敵の潜空艦を探知できることはあまりない。


 唯一リスクが高いのは、潜水艦になぞらえて潜望鏡深度と呼ばれる層にいるときで、通常空間からも異空間からも探知・攻撃を受けやすい状況となる。そのとき以外は、様々な層に行ったり来たりするだけで敵を避けられることも多いらしい。


 とはいえ、白兵戦となれば、生身の身体で銃を撃ち合うことになる。フルグルに守られて戦うよりも、かなりリスクが大きい。


「ヒロ、緊張してるの」

「はい。白兵戦になったら、初めてなので」


「大丈夫だよ。訓練通りにやるだけ。私が守ってあげるから」

「僕も、僕も竜川中尉を守ります。いつも訓練に付き合って貰ってる成果を出して見せます」


 竜川中尉が驚いた顔をしている。静音のため空調が止まっているせいか、ガレージの気温は上がっている。竜川中尉の顔も赤くなっている。


「せめて、竜川中尉の背中を預かれるように頑張ります」

「ヒロ、お、男らしく、なったね……」

「竜川中尉のお陰です」


 頻繁ひんぱんに上下左右への動きを繰り返していたエンドレスが、やがて静かになる。そして、ミサイル発射音が響き、より揺れが強くなる。しばらく細かな舵の操作が続き、また静かになる。


 そして、サイドパイプの音が響く。

「状況終了」

「終わった……」

 僕はアサルトライフルの片付けを始めながら、ほっとしてため息をつく。


「白兵戦にならなくて良かったね」

「はい。撃つのも撃たれるのも、出来れば避けたいです」

 僕がまたため息をつくと、竜川中尉が楽しそうに笑った。


「ヒロに背中を預けられるのは、もうちょっと先かな」

 竜川中尉はとてもいい笑顔でそう言った。



 夏休みのある日、河邉かわなべチョークのレクリエーションが実施された。静岡の海水浴場で遊ぶという企画だ。


 河邉少佐は元々イベント好きとのことで、宿や食事の手配から、現代で使用されている水着の買い付けまで、全て自分で準備したらしい。


 参加者は河邉少佐、竜川中尉、諜報員からコードネームなつみ、陽菜、佐原、僕の六人だ。ちなみに、普段から内偵ばかりで会う機会が少なく、素顔も本名もさらさないコードネームなつみが誰なのか、河邉少佐ですら知らない。


「こ、この水着、悪意ですよね?」

 顔を真っ赤にした竜川中尉が、自分が着ているスクール水着を指さしている。名札には「2-2竜川」と書かれている。


「河邉さん、私の胸が小さいの馬鹿にしてますよね?」

「ロリ体型ときたらスクール水着が日本の伝統よね、ヒロ君」

「なんか曲解きょくかいされてる気が……」


 河邉少佐は赤のビキニ、コードネームなつみは緑のビキニ、陽菜は黄色と水色の組み合わせで胸元と背中が大きく開いた水着を着ている。


 僕と佐原は自分で調達したハーフパンツタイプをはいて、上半身は裸だ。

「ヒロ、なんとかいってやってよ。絶対におかしいってば! 貧乳差別反対!」

 竜川中尉は諦めがつかないのか、まだ騒いでいる。


「とっても似合ってますよ」

「そ、そう!? って、それフォローになってないから」

 佐原が慰めにならないことを言い、竜川中尉が眼鏡を光らせながらノリツッコミをする。なんだかんだと竜川中尉は状況を楽しんでいるようだ。


「それじゃあ、さっそくビーチバレーでもやろうか」

 河邉少佐の提案でビーチバレーが始まる。河邉少佐・陽菜・僕のチームと、コードネームなつみ・竜川中尉・佐原のチームに分かれる。


 陽菜と佐原を除けば、みんな引き締まったアスリート体型であり、高度な試合が期待された……のだが、筋力・持久力に優れていても球技がうまくやれるとは限らず、活躍するのは陽菜と佐原ばかりだった。


「二人を活躍させるための企画よ!」

 河邉少佐の負け惜しみに近い言葉が響く。


 一通り汗を流したところで、僕は飲み物を買いに海の家に向かう。砂は熱せられて、ビーチサンダルがあっても熱いと感じるほどだ。


 飲み物の種類を確認しながら、どの店を利用しようか考えていると、若い女性二人が男五人に囲まれているのを発見する。


 迷いなく止めに入ろうとしたとき、別の男が先んじて男達に話しかけた。背が高く、色白で、髪の毛が少し茶色い。日本人としては薄めのブラウンの瞳だ。


「レディが困ってるじゃないか」

「なんだよ。お前に関係ないだろ」

「困っている人を放っておけないタイプなんでね」


 集団の一人が、男の腕を取ろうとするが、瞬く間に投げられて地面に転がっていた。

「てめえ、よくも」


 別の男達も次々に投げ飛ばされ、最後の男はヘッドロックされ、どこかから出てきた拳銃を突きつけられていた。


「私は未来軍所属の矢ヶ崎興毅少佐だ。未来軍士官は全員が治安維持任務を帯びており、殺人・暴行等の現行犯を射殺する権限を与えられているのは知っているか」

「ちょ、ちょ、ご、ごめんなさい、撃たないで、ください……」


「君達の態度次第だな。私は上にコネがあるから、射殺を躊躇ためらう理由はないんだ」

 ヘッドロックされている男をそのままに、他の男は蜘蛛くもの子を散らすように逃げていく。


「おい、お前等ぁ……ごめんなさいぃ。もうしません、撃たないでぇ」

 銃を突きつけられた男が泣き出す。


 矢ヶ崎少佐が背中を突き飛ばすと、男は地面に顔をぶつけ、尻だけ持ち上がった情けない格好になり、股間が濡れ始めた。

「ひぃぃ、ごめんなさいぃ……」


 どうにか立ち上がった男は、足をもつれさせながら走って逃げていった。

「あの、ありがとうございます!」

 女性二人が感謝を述べつつ去っていく。それに対して手を振っていた矢ヶ崎少佐が、僕の方に視線を向ける。


「君、山岸ひろ君だね」

「は、はい」

 僕は未来のメディアでは有名人のため、矢ヶ崎少佐も僕の顔を知っていて不思議はなかった。


 僕は緊張感を高めて、矢ヶ崎少佐を見つめる。

「サマーバカンスに水をさすような野暮な真似はしないさ。だけど、せっかくの縁だからアイスコーヒーの一杯でもご一緒できないかな」


 威圧するような気配はまったくないのに、なぜか言うことを聞きたくなる不思議なプレッシャーに戸惑う。


 なんとなく背中を追いかけていくと、気づけば海の家の一つにあるカフェスペースで向き合って座っていた。


「おそらく戦場ではまみえたことがあると思うが、私は死の風と呼ばれている。君はもしかして、フルグルのパイロットではないだろうか」

「……はい」


「やはりか。信じがたいことだが、君があのフルグルを……。二ヶ月ほど前に乗り始めたばかりで、あの動きか」

「訓練は、させてもらってます」


「いや、それはもちろんだ。BSLBのパイロットで、ハードな訓練をしていない人間なんていないよ。だが、私に言わせれば君は規格外だよ。手強い相手だ」


 矢ヶ崎少佐がどこか楽しそうな表情で、僕の目をじっと見ている。

「敵にしておくには惜しいな」

「ぼ、僕は寝返ったりしませんよ」


「わかっているさ。ところで、君の恋人は元気かい」

「ヒロー、どこ行ったの」

タイミングよく陽菜が現れてしまい、僕は冷や汗をかく。陽菜が、この人に連れ戻されてしまうような気がした。


「ヒロー、あっ、いた」

 そう言って店に入ってきた陽菜が、矢ヶ崎少佐を見て凍りつく。


「吾妻さん、久しぶりだね。良かったら山岸曹長も交えてお話ししないか」

「あ、あの……」

「君達に危害を与える気は全くない。まあ座り給え」

 戸惑い気味の陽菜が、僕の隣に座る。


「吾妻さんがいなくなってから、過去人の社会生活に復帰できたか、ずっと心配していたんだ。大丈夫かい」


「あの、ヒロと同じ潜空艦で手伝いをしています」


「そうか。やはり、そうなるな。見たところ、不便もなく暮らせているように見えるが……」


「はい。良くして貰っています。その、練馬にいたときと同じで。その節は本当にありがとうございました」

「なに、こちらの都合で不便をかけたんだ。恩に着る必要はないさ」


「陽菜がお世話になった人って、矢ヶ崎少佐だったの?」

 僕は陽菜救出以来ずっと気になっていた疑問をぶつける。

「うん。後見人になってくださって、いろいろ面倒を見て貰ったの」


「そうか。あの、ありがとうございました。陽菜のこと……」

 それを知ってしまうと、僕はこの人と戦えるんだろうかという疑問が浮かんでくる。


「彼女の恩人とは戦いづらいかい?」

「え!? は、はい」


「戦場では友人であれ、恩師であれ、躊躇わずに戦うものだ。そうしないと、君の命が危うい。私も、次に戦場でまみえたときには君を全力で倒しにいく。君が遠慮する理由はない。吾妻さんも、そのことはわかってやってもらえないか」


「……はい」

「おっと、もうこんな時間か。拘束してしまって済まない」

「いえ、……あの」

僕は勇気を出して、矢ヶ崎少佐を呼び止める。


「どうした」

「あなたは……、どう見ても悪人に見えません。でも、どうして、ドームで行われているようなことに手を貸すんですか」


「悪人に見えない、か。私は君と違って、戦争が始まる前から軍人だった。軍人である以上、文民統制シビリアンコントロールの原則のもと、文民が決めたことを遵守じゅんしゅする義務がある。これで、答えになっただろうか」

「軍人、だから……」


「では、失礼するよ。サマーバカンス中に貴重な時間をくれてありがとう。次は、戦場だろうな」

「……はい」


 矢ヶ崎少佐の筋肉質な背中を見守りながら、僕はこの人と戦わなければいけないのだと覚悟を決めようとする。


「ヒロ?」

「ああ……矢ヶ崎さん、いい人なんだな」

「……うん」


 僕達はソフトドリンクを買って二人で仲間の元まで持って帰る。


 いつになくテンションの高い河邉チョークでのバカンスは、宿についてからの夜の花火も、枕投げも、恋愛トークも、みんな盛り上がった。


 二日目の海でもはしゃぎ倒して、遊び疲れて、潜空艦に回収されるなり、自分のベッドに倒れ込むなりする人間が続出した。


 佐原は今回のイベントでだいぶメンバーと馴染なじみ、クストスへのわだかまりも少しはほぐれたように感じられた。

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