第6話 噂

 佐原救出から二週間、学校の行き帰りと休み時間に僕は佐原のそばに行き、彼を護衛し続けている。前よりマシになったのは、佐原との雑談で退屈がしのげるようになったくらいか。


 佐原は相変わらず、クストスという組織や、メンバーを信じていない。俺のことも一線を引いているようで、学校でたまたま気があった友達というような気安さはない関係だ。


 しかし、現実にクストス以外の勢力に狙われ、クストスに守られた事実だけはわかっているようで、俺や諜報員達による警護自体は受け入れているようだ。



 この間、処分予定が変更になった女性がいたらしいという噂話から始まり、異例の事態に占領政策本部が混乱している話や、特別な保護を受けている日本人がいるという情報もクストスの諜報網に流れてきているらしい。


 河邉かわなべさんが言うには、それらが吾妻あづまに関する情報であると踏んで、重点的に調べてくれているらしい。



 僕は潜空艦に設置された全身EMS装置を使う。電気刺激で筋肉トレーニングができる機材だ。あちこちの筋肉をいたぶられながら、吾妻――陽菜のことを考えていた。


 親の転勤で幼稚園の友達と別れて、新しい街の小学校に入学した僕の最初の友達が陽菜ひなだった。


 たまたま家が近かったこと、親同士の相性がよく家族ぐるみで仲良くなったこと、学校で隣の席になるのが多かったことなど、偶然が重なって親しくなっただけの幼馴染みだ。


 中学の三年間は、なんとなく互いに遠ざけるような関係だったが、また偶然同じ高校になってから、共通の友達がいてまた遊ぶようになった。


 もちろん、遊ぶ内容はおままごとや鬼ごっこから、カラオケやボーリング、ファーストフード店でのおしゃべりに変わったが。


 陽菜が未来センターに出頭した日の朝のことは、唐突でもあったが、今になってみれば、僕にとって全く伏線のないことでもなかった。仲間と別れて二人きりで帰宅するとき、互いに意識する時間がない訳ではなかったと思う。


 だからあの日、たまたま僕と顔を合わせた陽菜があんな行動に出たのも、単なる思いつきだけではなかったような気もする。


 また一方では、自分にとって都合のいいように考えているだけのようにも思え、今更になって陽菜にこだっている僕を、彼女自身はどう思うだろうかと怖くなったりもするのだ。



 全身EMS装置のタイマーがなり、僕は重い身体を起こす。次に、定められた時間内に白兵戦用の戦闘服に着替え、フル装備と同じ重さの背嚢はいのうと模擬銃、装具を身につけてランニングマシンに乗り、心肺能力を鍛える。


 その手段が未来になってもほとんど変わらないことに、僕は面白味を感じる。違うのは高地トレーニングと同じ酸素濃度になるマスクをつけることと、標準設定が不規則走といって、早歩き程の速度からダッシュになったり、中速になったり、急に停止したり、急坂を駆け上るなど、実際の戦闘場面に即した設定になっていることくらいか。


 良く出来たもので、全面モニターには、敵に追われたり、追いかけたりする場面が映し出される。


 この緩急の多い設定で、ひたすら何時間も耐える。心肺能力を鍛えつつ、精神力も鍛えるという点で、二十世紀なり、もっと前なりとやることが変わらないのだ。


 BSLBの登場により戦争が変わったと言われる一方で、結局最後に生死をわけるのは持久力と不屈の精神であるという。それはとても面白く、同時に訓練中に「未来のくせに原始的だ」と憎らしくなることでもある。


 最近は、週に二回はこのような基礎体力(+精神力)トレーニングが入るようになり、その分の時間は週末に潜空艦で時間の遠回りをして補い、BSLBのシミュレータや銃撃訓練、知識の習得を行うようにしている。


時間の遠回りとは、潜空艦の機能を使い、現実の時間(土日でいうと、四十八時間)より艦内の時間が長くなるように(だいたい、プラス二十時間ほど)ゆっくり航行することだ。



 僕が実戦仕様のランニングマシンで汗を流していると、河邉さんがトレーニングルームに入ってくる。


「ヒロ君、そのままでいいから聞いて。吾妻陽菜さんとみられる女の子が見つかったの」

 僕は足を止める。とても、走りながらでいいと聞き流す内容ではない。


「どこなんですか?」

「練馬の未来軍基地。そこで軍属として働いているらしいの。なぜ処分されずにそこにいるかは、まだわからない。画像が送られてきたから、確認して」


 軍属というのは、軍人以外で軍に所属して雑務などを行う仕事なんだそうだ。

 河邉さんがウォッチ型デバイスで画像を宙に描き出す。そこには、エプロン姿でレジに立つ吾妻陽菜が確かに映されている。


 売店か何かで働いているのだろうか。少しやつれたようにも見えるが、虐待など非道な仕打ちを受けているようには見えない。

「間違いないです。陽菜に違いありません」


「わかった。では、その前提でさらに調査を進めて、救出計画を立てていくね。ヒロ君はすぐにでも救い出したいと思うだろうけど、相手は首都圏全域を担当するBSLB の基地なの。入念な情報収集と救出計画が必要になる。まだ時間が必要だけど、待ってもらえるかな」


 今すぐにでも、という気持ちはある。しかし、わがままを言ったところで調査速度が上がるわけでも、救出が成功するわけでもないだろう。

「……はい、わかりました」


「あなたには命がけの仕事を頼んでいる割に、約束を果たすのにとても時間がかかってしまって、本当に申し訳ないわ」


「そんな、大丈夫ですよ。乗りかかった船というか、未来政府の言いなりにならなくて済むというか、とにかく、ここの仕事を頑張りたいと思っています」


「そう言ってくれると……」

僕は河邉さんに対して右手を胸に当てる脱帽時の敬礼をして、ランニングマシンの継続アイコンを押す。足元が動き出し、画像も動き出す。


「ありがとう。訓練、頑張ってね」

「はい」


 練馬からの救出作戦。きっと、大がかりなものになるだろう。今の僕がすべきことは、訓練と実戦で経験を積み、強くなることだ。そうすることで、救出作戦で吾妻を守り、救い出すだけの力を得られる。そう思うと、力が入り、心拍数が上がる。


 すると、心拍数アラームがなり、感情を鎮めることを求められる。僕はいかんと思いつつ、呼吸法を変える。張り切りすぎが機械に見破られて、なんとなく恥ずかしかった。



 さらに数日が過ぎたある日の放課後、僕は佐原に誘われてハンバーガー屋にいた。珍しく、ゆっくり話をしたいというのだ。

 僕はスマホのアプリで居場所の報告だけ済ませて、ハンバーガーをかじりながら佐原と向かい合う。


「なぁ、クストスの訓練って過酷なのか」

「まぁ。でも、現代よりは合理的で効率的な訓練が多いらしい」


「へぇ。山岸がどんどんいい身体になっていくから、本当なんだろうな」

 僕は自分の身体を見て、確かに少し前より筋肉質でたくましくなったような気がした。


「佐原もやってみたいとか」

「それはない。俺は前線向けの人間じゃないよ」

 僕はなんとなく脳筋だと馬鹿にされた気分になって、ムッとした。


「俺はやっぱり、参謀タイプじゃないか? 陰湿そうだろ」

 冗談にもそんなことないとは言えず、僕は黙り込んだ。参謀タイプかどうかはわからないが、やはり佐原には陰湿さがつきまとう。


「いや、俺がどんな経緯でクストスを作るのか、素朴に疑問に感じることがあってさ」

「どうなんだろうな。俺も詳しいことは教えられてない」


「そんなんで、命がけで俺のこと守るのか。お前は聞き分けのいいわんちゃんかよ」

 僕はまたムッとする。やはり、佐原はデフォルトで人を見下すところがある。嫌なやつだ。ひょっとして、僕がずっとクストスに居続けると、こいつが上司になるのだろうか。嫌だ。それはとても嫌なことだ。


「そうそう、BSLBって、俺はこないだちょっとしか見られなかったんだけど、どういう物なんだ? 鬼みたいな感じなのか」


「あぁ。鬼というか、霊長類と爬虫類を組み合わせたような。動きはチンパンジーみたいな霊長類の動きで、表面はうろこがあって爬虫類はちゅうるい的な」


「なんか、キモいな。中とか生臭くないのか」


「あぁ……。気にしたことないから、臭いは大丈夫なんじゃないか。霊長類と爬虫類に似てるったって、月の裏から掘り出してるんだから、地球の生き物と根本的に違うのかも」


 ちなみに、月の自転周期と公転周期が同じなため、月はいつでも地球に同じ面を見せている。月の裏というのは、まさに字義通りで地球から見えない裏側のことなのだ。


「へぇ……」

「なんで、急に興味持ったんだよ」

「俺、実は小説を書くのが趣味でさ。話題のものを書けば、文学賞とかにいいかと」


「はぁ?」

 僕は呆れてしまい、それ以上言葉が出なかった。佐原は一人で勝手に満足したようで、一人物思いにふけっている。


 しばらくくして家に帰るというので、今日はここで諜報員に警備を引き継いで、僕も家に帰ることにした。いつもの書店での立ち読みよりは短い時間で済んだため、いつもより長く訓練が出来そうだった。



 家で支度を済ませて潜空艦に向かう。

 今日の浮上予定地点に行くには、吾妻の家の前を通る。子供のときからほとんど変わっていない玄関周りの花々を見る。吾妻のお母さんは、何を思いながら花を育てているのだろう。



 潜空艦に乗艦すると、ガレージで河邉さんが僕を待っていた。

「練馬からの救出作戦が形になってきてるの。作戦に向けて、他のチョークとの連携訓練を実施するから、これから潜空母艦に行くよ」


「潜空母艦?」

「潜空艦の支援や補給のための艦だよ。そこで、他の潜空艦チョークと合同シミュレーションを実施するの。今まで私の方針で階級とか気にしないで来たけど、そこでは軍人の言動を心がけてもらえるかな」


「あ、そうですよね。もちろんです、班長」

「そうそう、そういう感じ。念のため、琴音は竜川中尉だからね。君の役務は臨時訓練生で、階級は戦時曹長になっています。そういうことで、よろしく」

「はい、気をつけます」


 河邉さんは僕に到着までの訓練を指示してガレージを去る。それと代わるように、竜川中尉がガレージにやって来る。

「竜川中尉、今日もよろしくお願いします」


「ふふっ、違和感あるね、山岸曹長」

 竜川中尉は微笑むと、潜空母艦に到着するまでシミュレーターでの練習を指示する。竜川中尉も参加して、連携の練習をしているうち、艦内に「ホヒーー」とサイドパイプの音が響き、潜空母艦そばへの到着が知らされた。


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