第8話 吾妻陽菜

 処分場の入口に立った陽菜は、その臭いに辟易へきえきしつつ、自分の人生が終わる瞬間がいよいよ来たのだと悟った。


 漂う死臭の中、最終検査の名目のもと、全ての服を脱がされ、スキャンされている。女を全裸にさせる場に、ニヤニヤ笑う男も混ざっている点で、やはりここで死ねるのだとわかる。生きてここを出る者にやっていい仕打ちではないからだ。


 おそらく、目の前にある扉が開いて閉じれば、ガスか何かで殺され、その先で肉片になるまで細かくきざまれるのだろう。


 人は短い人生だったというかもしれない。しかし、自分にとっては長すぎた人生だったと思う。ずっと大切に思っていた男を失った以上、この生に執着はないとさえ考えている。


 陽菜は自分を待たせている扉をにらむ。怖がってたまるか。扉は陽菜を焦らすかのように開かない。こんなにももったいぶって、何をしたいというのか。

 扉が開く。


 しかしそれは、自分から見て右側の扉――職員区画の扉だった。

「別室に移動する。服を着てついてきて」

女性職員が面倒臭そうにそう命令する。


「私の番じゃないの?」

「予定は変わることがあるの。それから、この部屋で見たこと、思ったことは絶対に誰にも話さないこと。いいわね」

 服を着た陽菜は、女について職務区画に入る。珍しいことなのか、周りの施設職員達の好奇の視線が刺さるようだ。


 ――自分は、死ぬつもりだったのに。

 陽菜の戸惑いをよそに、女はつかつかと先を歩いていくのだった。


 待合室で長く待たされた陽菜は、二時間ほどたった後に、ようやく施設長室に案内された。

「あなたが、吾妻陽菜さんですか。さあ、お掛けになってください」


 施設長室には二人の男がいた。一人は年配の物腰の柔らかい男で、こちらが施設長だと思われる。もう一人は、余裕のある仕草ながら眼光に鋭さのある若い男だった。


 若い男は一度立ち上がり、自分の隣を掌で示した。それは普通の日本人であればキザったらしい動作なのだが、その男にはよく似合った。きっと、育ちのいい男なのだろう。


 陽菜が言われるままソファの片隅に腰掛けると、若い男は隣に失礼すると言ってから、ゆったりした動作で腰を掛けた。


「さて、どう話したものか。あなたは一度、あのスペースに立ち入ってしまったのですな。はて、どうしたものか……」


 施設長が何かを考えあぐねている様子なのを見て、若い男が口を挟んだ。

「施設長殿。この、瞳に聡明な光を感じる少女にごまかしは利かないでしょう。なんなら、私から彼女に聞かせましょうか」

「おお、そうして下さるとありがたい」


 責任逃れの口実が出来たのだろうか、施設長はとてもホッとした様子で若い男に微笑んでいる。

「吾妻陽菜さん、単刀直入に申し上げて、あなたは今日殺される予定でした。それを、変更せざるを得なくなったということです」


「それはなぜですか」

「当然の疑問ですね。しかし、大変恐縮ながら、今の時点であなたに聞かせる訳にはいかないのです。申し訳ない」

「そんな」


「お怒りや戸惑いはごもっとも。ただし、ひとつだけ言い訳をさせていただきたい。それは、我々にもはっきりとは理由がわかっていないのです。なぜか、あなたを死なせてはいけないという判定が土壇場どたんばで出たということです」


「そんなことって……」

「そう、大変なレアケースです。前例がない。だから、たまたま別件でこちらを訪ねていた私に、施設長殿から相談があったのです。あなたの扱いについて」


「私の、扱い……」

 陽菜は生き残ってしまった運命を呪いながら、男をにらみつけた。


「そう怒らないでください。実は私、占領政策本部に太いコネクションがあるんです。秘密を知ってしまったあなたを、また家に戻すわけにも、殺してしまうわけにもいかないのです。ただただ拘禁することもできるでしょうが、人道的でない。あなたも嫌でしょう。そこで提案ですが、基地で軍属として働いてみませんか。軍属というのは、戦う軍人としてでなく、軍隊の仕事をすることです。それなら、私がコネを使って便宜べんぎできる。ただの拘禁と、どちらがいいでしょうか」


「拘禁か、基地で働くかですか? 私は殺して欲しいです」

「自殺願望をお持ちでしたか。だが、申し訳ないが、それができないから、このようなお話になっているのです」


「選択肢はないに等しいんですね」

「全く、お詫びのしようもない。軍属として働く方でよろしいですね。なに、同僚は未来人ばかりですが、同じ日本人です。言葉に困ることも、文化の違いに戸惑うこともない。よろしいですか」

「……わかりました」


「私は、BSLB乗りで過去派遣群かこはけんぐん機甲歩兵大隊付きこうほへいだいたいつきの矢ヶ崎光毅少佐といいます。困ったことがあれば、いつでも相談するなり、呼びつけるなりしていただいて構わない。私があなたの後見人だと思っていただいていい」

「わかりました」


 陽菜は矢ヶ崎という若い男をしっかり見据える。食えない男のようだが、当面、自分が頼れるのはこの男だけなんだろうと、なんとなくわかる。

 軍属の仕事……何をやればいいのか皆目見当もつかないが、道がそこにしかない以上、悩んでも仕方ないのだ。



 陽菜はその日の内に、矢ヶ崎少佐と共に練馬未来軍基地に移動した。さっそく、矢ヶ崎の手配によって基地内の女子寮に部屋が割り当てられ、最低限必要な衣類や雑貨が揃えられた。


 食事は、施設内の食堂を利用できるようになった。寮内の共同浴場も使用可能だそうだ。

 更に業務の割当も決まり、基地内の売店で翌々日から働くことになった。


 その日の夜、業務終了間近の食堂で矢ヶ崎と一緒に夕食をとった。

「色々、ありがとうございます」


「なに、こちらの都合で不便をかけるのですから、当然のことです。これからも、困ったことがあればいつでも言ってください。もちろん、先ほど紹介した女性兵士に相談してもいいですよ。彼女には、しっかり頼んでおきましたから」


 一日、矢ヶ崎に世話になって感じるのは、彼は顔が広く、人望が厚いということだった。誰もが、彼が頼んだ案件を喜んで引き受けてくれたのだ。


 彼はそれを占領政策本部のコネのお陰だと言うが、虎の威を借りる狐には到底見えない。彼自身の人柄で人望があるのだろう。


 陽菜は、食事と風呂を終え、割り当てられた部屋に戻る。これからは、未来人の一員として生活する必要があるという。つまり、過去人だった吾妻陽菜はどこにもいなくなったのだ。


 ベッドの上に寝転がった陽菜は、目を閉じる。死のうと思っていた決意は本物だったつもりだが、こうして全く新しい人生が始まるのだと思えば、それで良かったとさえ思える。


 唯一、気がかりなのはヒロのことだ。もう、私のことを忘れてくれただろうか。

 あの日、どうせ死ぬ身体なら、ずっと自分を気にかけてくれていたヒロのために貸してやりたいと思った。しかし、それによってヒロの心により深い傷を与えることになってしまったのではないか。


 いずれにしても、今さら悔いても仕方ないのだ。私は、ここで、ここから、別人になる。それでいい。そう思いながら、陽菜は眠りに就いた。


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