日本が未来人に征服されてしまいました。

青猫兄弟

第1話 唐突な別れ

 日本の初夏、暑い日にはすでに蝉の声が響く。僕はハンカチで額の汗を拭いながら、授業の残り時間を埋めようとする教師の雑談にうんざりする。 


 ここは大学進学クラスのため授業ペースが早く、よく時間が余る。日本史B担当の佐々木は、余った時間を自習やミニテストのために使わず雑談に費やすのだ。


 一度定年して更に十年は働いている佐々木は年齢ゆえか、暑さに鈍くてエアコンをつけない。開け放した窓から時折吹き込んでくる風が、滲む汗を冷ますと同時に、いちいち誰かのレジュメを飛ばす。


 一年前のこの日、一部メディアが第二次天孫降臨と揶揄やゆした一方的虐殺が終結した。佐々木が勝手に名付けるには「現代×未来戦争」という。


 環境破壊、資源の無軌道な消費、国債の乱発による国家財政の破綻、極端な少子高齢社会。それらがもたらした過去の負債からの解放を目指し、未来人達が現代の国家に宣戦布告、その戦いにより地球の全人口の十パーセントが失われたという。


 現代国家で最後まで抵抗した日本が降伏したこの日が、「未来の日」と呼ばれる屈辱的敗戦のメモリアルデーだ。未来人にとっては、これが過ちだらけの過去から解放されるための第一歩なんだそうだ。


 くだらない。実にくだらない。


 僕はねちねちと「未来の日」を批判する佐々木が鬱陶うっとうしくて仕方ない。未来で強制労働でもさせられればいいのに。ここに貴方達を非難する有害老人がいますよと、指を差してやりたいところだ。


 また風が吹く。窓辺の席から飛んできたレジュメを掴む。

 誰のものかと辺りを見回すと、吾妻陽菜あずまひなが席を離れて寄ってくる。


「サンキュー」

吾妻はそれだけ言って僕の手からレジュメを取ると、僕の左斜め前の更に左隣にある自分の席に戻る。短いスカートと金色に染めたボブヘアーが揺れている。


 思わず肉感的な太股の白さに目を奪われ、はっとして目をそらす。幼稚園からの腐れ縁の幼馴染みにそんな感情を抱くのは、とても抵抗があるからだ。


「えー、もう時間か。あー、杉本先生からも聞いているだろうが、このクラスでは吾妻さんかな。明日からドームで生活することになります」

教室が一気にざわつく。

「聞いてないよ」

「そんな、突然に」

あちこちで悲鳴に近い声が挙がり、クラスメイトの大半の視線が吾妻に向けられる。


「あの、先生。こうなるのが嫌で、事後報告にしてほしいと杉本先生に頼んでたんですけど」

吾妻が立ち上がり、強い口調で佐々木に抗議する。

「あ! そうだったか。それは申し訳ないことをしてしまった」

「ホント、マジで迷惑です」

「いや、本当に済まない」


 吾妻は身体の向きを変え、クラスメイト全員に向けて発言するようだ。

「あの、もう仕方ないから言うけど、私、送別会とか手紙とかそういうの嫌いだから。心配してくれる気持ちは嬉しいけど、本当にそっとしておいて欲しいの。お願い」


 吾妻はそういうと席につく。そう言われても、そんなわけには、と小声で言い合う声も聞こえる。しかし、当の吾妻に「そういうの嫌い」とまで言われてしまうと、それらの声が大きなものに変わることはなかった。


 翌朝、寝坊した僕は開き直って朝食をゆっくり食べ、クラスSNSを使って担任に遅刻の連絡をする。決して優等生ばかりの学校ではないので、それだけすれば焦る理由はない。

 指定のワイシャツとスラックスに着替えたら、ゆったりと玄関を出て鍵を閉めた。


 そこで、ばったりと吾妻に会ってしまう。

「よぉ。今から行くの?」

「うん。じゃ」

吾妻は休日に見かけたことのある白いワンピース姿だ。裾をひらひらさせながら、僕の視線を避けるように下を向いて歩いている。


 そのとき、僕の気のせいかもしれないが、吾妻の目が大きく腫れている気がした。僕は急いで追いかけて、吾妻に追いつき、隣を歩く。

「何よ」

「いや、その、なんだ。別に、死ぬわけじゃないんだろ。いつかは、この街の誰かが同じように行くわけだし、それが僕かもしれない。だからさ……」


 吾妻は苛立たしさを抑えたような声で、僕をにらみながらいう。

「あんた、未来に連れてかれて働くなんて馬鹿な話、本気で信じてるの」

「いや、でも、その……」


「あぁ、馬鹿の相手は疲れるから、もう学校に行ってよ。逆方向じゃない」

僕は馬鹿と言われて少し腹が立つ。馬鹿な話だろうがなんだろうが、未来と現代の日本政府が揃ってそう発表している以上、それを信じるほかない。


「間引きなのよ」

「万引き?」

「馬鹿。ま・び・き、だって。地球の資源を枯渇させないための間引き。私の叔父さんが連れてかれたの知ってるよね。落ち着いたら荷物を送って欲しいと言ってたのに、その後、連絡をとるどころか、どこにいるのかさえわからないのよ」


「その、連絡がとれなくなる話は聞いたことあるけど。でも、未来と今はその、とても遠いというか、なんというか、連絡に時間がかかるんだろ」

「もう半年。半年もの間、近況報告の手紙一通すらないのよ。おかしいと思わないの」


「そうなんだ。でも、もしそうだとしたら、お前、殺されに行こうとしてるのか」

「そうだけど」

吾妻が強い視線で僕を睨む。


「そうって、おい、自殺みたいな話になってるじゃん」

「自殺じゃない。殺されに行くの」

「いや、だから、殺されるとわかってて行くのは自殺と一緒だろ」

「あー、だから馬鹿と話すのは嫌なのよ」

吾妻は僕から目をそらし、歩くペースが速くなる。


「待って。待てよ吾妻」

「何よ」

「なあ、本当にもう、死んじゃっていいって思ってるのか。将来やりたいこととか、その、思い残したこととか……」

 吾妻が俯く。


「なら、ちょっと付き合って」

吾妻が方向を変えて歩き出す。その早い歩調に、僕は黙って着いていく。


 しばらく歩くと、住宅街の中でもアパートやマンションが多い区画に入る。吾妻はその中のひとつであるマンションに入る。鍵を持っているらしく、エントランスのロックを解除して中に進む。


「な、なあ。ここ、他人んちじゃないのか」

「いいから」

 エレベーターに乗り、三階で降りる。

 吾妻は慣れた様子で通路を進み、ひとつの部屋の扉に鍵を入れる。

 スムーズに鍵が開き、扉が開く。


「入って」

 僕は吾妻に言われるまま、玄関に上がり込む。吾妻は扉を閉めて鍵をかける。そのとき、吾妻の髪の毛からいい匂いがして、僕の鼓動が速くなる。

吾妻が靴を脱いで上がるのを見て、僕も右に倣う。


「見て。買ったばかりの本」

吾妻が指さした先には、確かに真新しい、難しそうな本が山積みになっている。

「これは趣味のアニメBD。録画用のハードディスクなんて、アニメの予約録画が一杯セットされてた。こんなにこの荷物に執着ある人が、連絡ひとつ寄越さないんだよ」

「まぁ、言われてみれば」


 ここはどうやら、連絡がつかなくなった吾妻の叔父さんの家だと、僕は理解する。確かに、いろいろなことがやりかけで、この荷物をまた使う気まんまんだったように感じられる。


「ヒロ、未来労働の真実ってサイト、見たことないの? 大抵の場合、検索ブロックかけられちゃうことで有名な」

「ないなぁ。正直、自分の身近で誰かがいなくなるなんて考えもしなかったし」


「じゃあ、戦争のとき、不自然に生かされた人がたくさんいるの、知ってる? ほぼ全滅した部隊で一人だけ全く狙われなかった人のこととか」

「聞いたことはある」


「あれ、命の選別らしいよ。だって、未来人にしてみれば、うっかり自分の先祖を殺したら自滅でしょ? 未来人の存在・生命に関わる人は、どうしても生かすらしいの。反対に、未来人に関係のない人間は殺される。戦争のどたばたの中では、殺しちゃいけない人を殺しちゃうこと、ありうるでしょ。だから、戦争終結後に丁寧に情報を判別して、いらない人間を殺してるの」


「なにそれ。現代政府も知ってるのかよ」

「多分」


 僕は一言許可をもらって、別の部屋も確認してみる。マンションの一室のあちらこちらに、半年も音信不通になる人の部屋ではない状況が見てとれる。


 ふと背後で衣擦れの音が聞こえて、僕は後ろに振り向く。白いワンピースが床に脱ぎ捨てられている。

「え?」


 吾妻は、当たり前のようにブラジャーを外し、ワンピースの上に落とす。僕は思わず生唾を飲み込む。

「エッチしよ」

「……、あ、コンドームとかない」

「ふふっ、これから死ぬ女の避妊を気にしてくれるの? やっぱ、ヒロは優しいね」

 僕は蛇に睨まれた蛙のように固まり、もう何も言えず、吾妻の唇で口を塞がれてしまった。



 ベッドの上、同じ毛布の中にいると、吾妻の素肌がとても温かい。吾妻は僕の胸に手をやると、細い指で優しく、そこに円を書いた。


「人間は死を前にすると性欲が強くなるっていうけど、ホントなんだね。ヒロがいてくれて良かった」

 僕が抱き寄せると、吾妻はまた優しいキスをしてくれた。


「ヒロは、これで童貞じゃなくなったんだし、積極的になればきっと彼女できると思うよ。顔もそこそこいいし、優しいし、上背も結構あるし」


僕はどうしてかとても悲しくなって、声が出ない。吾妻はベッドを出ると、脱ぎ捨てた下着を拾ってそれをつけ始める。


「ヒロ、元気でね」

「あのさ、吾妻。お前が彼女になってくれないのか」

「遅いよ、馬鹿。ホント馬鹿。ヒロは馬鹿だね」

ワンピースを拾った吾妻は、それを着て、乱れを直していく。


「やったら愛着湧いちゃって、これから死ぬ女に告るとか、馬鹿すぎるから」

 僕は涙が出そうになり、落ち着くために深呼吸をする。そして、自分の服を集める。


「鍵、ここに置いてくね。新聞うけに入れておいて。もともと、鍵をそこに返す予定だったの」


「先に行くのかよ」

「未練が出たら嫌だから」

 急いでスラックスを履き終えた僕は立ち上がる。


「なら、未練持ってくれよ。そうだ、一緒に逃げよう。どっか遠くの街へ行って……」

「馬鹿……」

吾妻はそれだけ言うと、足早に部屋を出て行く。


 僕は慌ててティーシャツとワイシャツを着て、吾妻が置いていった鍵を掴む。戸締まりをして、言われたように鍵を新聞うけに落とす。

 大急ぎでマンションを出て、左右を探す。近くの十字路まで走って見ると、国道からバスに乗る吾妻の姿が見える。


 僕はスマートフォンを取り出して吾妻の番号にかける。

〈この電話番号は、現在使われて……〉

「そんなのずるい、最悪だよ」


 僕は急いで国道まで駆ける。バスの扉が閉じ、吾妻が車内後方の席に座るのが見える。目立つように手を振るが、運転手は気づかずにバスを進めていく。


 タクシーを探すが、それらしい車は全く見えない。僕はバスの方向へ走り出すと、交差点を左折するのを見つける。少しでも近道になる道路を知っており、その道に入る。


 僕は走って走って、走り続けて、途中下車のあったバスにようやく追いつき、乗り込む。通路を進むと、吾妻の隣に座り、強引に手を繋ぐ。


「馬鹿……」

 俯いたままの吾妻に何を言っていいかわからず、僕は目を瞑る。そうすることで、吾妻の手の小ささや温かさ、柔らかさがより強く感じられた。

 三十分もバスに揺られると、横川市第二未来センターに到着する。


 手を繋いだままバスを降り、建物を見る。元は児童福祉の施設だったのか、窓に子供向けキャラクターのシールが貼りついたままになっている。

「じゃあ、行くね」

「駄目だ」

「行かなきゃ」


 吾妻は僕の耳元に小声で話しかける。

「さっきので赤ちゃんできてたら、大ピンチになっちゃうよ」

「僕が責任をとる」

思わず大声になってしまい、周りの人達の視線が痛いほどに刺さる。


「もう。もう、遅いの。さよなら」

吾妻は隙をつくかのように強い力で僕の手を振り払うと、未来センターに駆け込んでいく。

「吾妻! 吾妻ーー!」

建物の中まで入り込もうと歩き出した僕の腕を、誰かが強く引く。

 そのまま僕は、眠り込んでしまったようだった。

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