32:怒哀

 私はクレアに治癒を施し続けた。


 彼女はもう死んでいる。


 この肉体では蘇生することは叶わない。


 肉体の損傷が激しすぎて目覚めることはない。


 だから私のやっていることは無駄なこと。


 けどまだ魂はこの身体にある。


 私が術を解けばすぐにこの子の魂は、

 この身体から離れて行ってしまう。


 一度死んでから蘇生した例がないわけではない。


 死が確認されてから数分後くらいなら

 奇跡的に目覚めたということを聞いたことがある。


 けれどこの身体では無理なのだ。


 内臓はぐちゃぐちゃ、

 背骨と肋骨も一部砕けている。


 おそらく脊椎も大きく傷付いているはずだ。


 こんな状態で蘇生なんて出来るはずがない。


 治癒でどうこう出来る傷でもない。


 だから魂だけをこの体に引き留めているだけだ。


 一度は諦めたけれど、

 彼の取り乱し様を見たらこうしなくてはと思った。


 もしこの子がいなくなれば

 彼は壊れてしまうかもしれない。


 そうでなくとも今までの彼ではなくなってしまう。


 何とかしないと!


 でもどうしたらいいの?


 ただ魂を引き留めていても仕方がない。

 私には何も出来ないの?


 彼の為に、この子の為に……。


「事態はあまり芳しくないようだな」


 全身を黒い鎧で覆った男。

 その人物に背中越しに声を掛けられてた。


「魔王様……」


 彼は魔王。

 現、魔族支配圏の覇者。

 魔族の最高権力者。

 もっとも強い魔族といわれている。


「私が変わろう」


 その彼が私とクレアの間に割って入っり、

 クレアに治癒を掛ける。


「で、でもこの子はもう……」


 助からない。


 例えそれが魔王であっても、

 覆すことができるとは到底思えない。


 それは魔王である彼も

 判っていることだと思っていた。


 しかし彼の口からは予想しない言葉が出た。


「何とかしてみせよう」





「がぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 人の姿になり、『牙』を手にし、

 魔力を乱暴に放ちながらブラドに攻撃を続ける。


 ブラドは腰に差していたレイピアを抜き応戦する。


 だが戦いとしては一方的なものだ。


 ひたすらにブラドが攻撃を受け続けた。


 その度にブラドの肉体が飛び散り、

 辺りに血飛沫を撒き散らすが、

 それらも霧となり再びブラドの体へと戻っていく。


「はははっ! いい調子です、シリウス!

 もっと!もっとぉっ!!」


 奴が憎い。


「ブラドォォォォぉおおおおおっ!!!!」


「アハハハハハハっ!!!」


 奴の笑い声が憎い。


「もっとだぁ!もっと私を殺してください!

 そしたらいつか……

 私を殺し切れるかもしれませんよぉ!」


 奴の存在が憎い。


「死ねぇぇぇぇえええええっ!!!」


「やはり貴方は最高ですよ、シリウス!

 貴方を理解出来るのは私しかいない!

 私を理解出来るのは貴方しか!」


 全て憎い。


「殺すぅぅぅぅううううううっ!!!」


 何もかも全てが……。


「ウルフっ!」


「九尾、あちらはもういいのか?」


「クレアは……魔王様が見てくれている」


「魔王様が……。

 しかし……

 これをなんとかしないといかんのだろうが……

 止められると思うか?」


「ウルフ……」


 ブラドが泉に落ちた。

 なのでその泉に魔力の塊を落とした。

 魔力から発する熱で泉は干上がった。


 ブラドを森ごと凪ぎ払った。

 森だったそこには木などどこにもなくなった。


 ブラドを山もろともに真っ二つにした。

 山が大きな音を立てて崩れていく。


 この辺りは元々、

 緑に囲まれた場所であったはずなのに、

 激しい攻防で急速に荒野が広がり続けている。


 ブラドも反撃していないわけではない。


 しかし、あまりの怒涛の攻撃に

 大した抵抗は出来ていない。


 それでもブラドの表情は喜びを写していた。


 何度、首を跳ねても起き上がる。

 何度、バラしても起き上がる

 何度、殺しても起き上がる。


 何度も、何度も、何度も……。


 ……俺はなんでこんなにこいつが憎いんだっけ?


 なんでこんなに殺しても殺しても気が済まない?


 なんか考えるのも面倒だな。


 もう全てどうでもいい。


 いっそ、全て消してしまおうか。


 ここも、世界も、俺も、全部消してしまえば……。


 そんなことを考えていると何か……。


 何かが聞こえた。


 それを聞いた瞬間に

 全ての考えがどこかに消え去った。


「ウルぅぅぅっ!」


 この声は……?

 今、確かに聞こえた。

 幻聴?

 でもそれは確かに彼女の声だった!


「…………クレア?」


 声が聞こえた方に視線を向けると……彼女がいた。


 彼女が、立っている。


 彼女が何度も俺の名前を呼んでいる。


「クレアぁぁっ!」


「馬鹿な……。あの傷で死んでいない?」


 ブラドの方は少し驚いた様な反応を見せていたが、

 俺はそんなこと関係なくクレアの方へ駆け付けた。


「どこへ往くのですかっ! 貴方の相手は……」


「しばらく私が相手をしよう」


 黒い鎧の男が追おうとしたブラドの足を止めた。


「魔王っ……様。なるほど……

 彼女が生きているということは、やはりっ!」


 不意を突く様にブラドのレイピアが

 魔王の喉元を狙う。


 しかし魔王はその剣先を苦もなく

 紙一重でかわした。


「貴様はどこまで知っている。どこまで知った。」


「さぁて、何のことか。

 そんなことより、

 私と彼の邪魔をしないでもらいたい」


「悪いが少しの間、待ってもらおうか。

 なに、私もお前を退屈にはさせはせんよ」




 目の前のそれは信じられない光景だった。


 死んだと思っていたクレアだ。


 いや、『思っていた』などではない。

 間違いなく死んでいた。


 普通にはあり得ないことにまだ信じられていない。


「クレア……なのか? 本当に……生きて」


 彼女の頬に触れようとした。


 けど彼女に触れる前に手が止まった。


 これは幻ではないかと思った。


 もしかしたら触れた瞬間に

 消えてしまうのではないかと思った。


 幻でもなんでもよかった。


 彼女の生きている姿が見られるなら

 ずっとこのままでいいと思った。


 しかし彼女の手が俺の止まった手を包んで

 自分の頬に触れさせた。


「私だよ。ごめんねぇ、心配かけて……。

 もう大丈夫だよ。

 魔王さんが治してくれたんだ」


 彼女の手と頬から彼女の体温を感じた。


 その瞬間、涙で視界が揺らいだ。


「温かい……クレアだ。本当にクレアだ……。

 クレア、クレアぁ……良かったぁ、よかったぁぁ」


 止めどなく涙が溢れるのを抑えられなかった。


「生きててくれたぁぁ……

 ごめん、守るって約束したのにぃ……

 守ってあげられなくてぇ……ごめん……ごめん」


 子供の様に泣きじゃくった。

 こんなに泣いたのはいつ以来だっただろうか。


 少なくとも俺の記憶の中では

 これほどの涙を流したのは初めてだった。


「いいんだよ、ウルは悪くないよぉ。

 私もウルを悲しませちゃった。ウル、ごめんね」


 彼女は俺が泣き止むまで

 優しく抱き締めていてくれた。

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