30:想い

クレアに魔族だと知られるより少し前の夜ーー


 ふぅ、今日も一日が終わったなぁ。

 毎日毎日よく飽きないな、

 寝顔はこんなに可愛いのに……。


 いつものようにベッドで揉みくちゃにされた後……

 クレアが眠りに着いた頃だった。


(ねぇ?)


(ん? キュウビ、起きていたのか)


 もう先に寝ていたと思っていた

 キュウビに声を掛けられた。


(貴方その子のこと、どう思っているの?)


 その子というのはクレアのことで

 間違いないだろう。


(そうだな。いい飼い主だと思っている)


 本心だ。

 何の迷いもなくそう言える。


(そんなことは聞いてないわよ。

 私は『女』としてどう思っているのかを

 聞いているのよ)


 キュウビが言ったことに動揺した。


(お、女としてってクレアはまだ子供だぞ)


(貴方、クレアと同じ歳でしょ)


 ぐっ……。

 それはそうなのだが……。


(で、どう思っているの?)


 なんだなんだ。

 何故そんなことをしつこく聞いてくる?

 こいつには関係のないことだろうに。


(そんなこと聞いてどうする。

 仮に俺がクレアに想いを寄せたところで

 どうにもならないだろ。犬と飼い主だぞ。

 ずっと一緒に暮らしてきたんだ。

 それに俺は魔族だ。魔族は生きる時間も違うし、

 子供の出生率だって100分の1から

 1000分の1にまで下がる。

 何より周囲がそれを認めない。

 人間のクレアと一緒になんて、なれないだろ……。

 クレアは人間と結ばれるべきだ。)


(……今みたいなことを考えてる時点で

 『黒』だって言ってるのと

 同じだと気付いてるの?)


(うるさい! さっさと寝ろ!

 この話は二度とするなよ!)




 あの会話でキュウビは俺の気持ちを知ったはずだ。


 ならこの状況でクレアが

 『キュウビから聞いたこと』とは……。


(お前マジふざけんなぶっ殺すぞ!)


 流石に禁じ手だろ!

 人の気持ちを勝手にバラすのは!


(想い人を傷つけて逃げ出した臆病者の卑怯者から

 何を言われても怖くも何ともないわよ?)


 ぐうの音もでない。


「ごめんね、ウルがそんなに悩んでいたなんて

 気づかなくて」


「クレアは何も悪くない。

 それに俺はクレアに酷いことをーー」


「私、ウルのこと大好きだよ」


 心臓が止まるかと思った。


 何度も聞いてきた言葉。

 もう聞くことはないと思っていた言葉。

 そんな言葉を投げ掛けてもらう資格なんて

 もう俺にはないのに。


 嬉しい。

 けど俺がそれを受け止めてしまっては……。


「……それはずっと一緒にいたからで」


 そうだ。勘違いしているのだ。

 それは飼い犬として、家族としての話だ。


「確かに私もまだ良くわかってない……。

 けど私にとって一番大切なのは『ウル』なんだよ。

 これが恋愛っていう感情かはよくわからないけど、

 お母さんやマリア、モコちゃんに対する

 『好き』とは全然違うのはわかる。

 だからこの気持ちはきっと……」


 喜んでは駄目だ。

 それに気持ちだけの問題ではない。


「でも俺は、魔族だから……」


「関係無いよ。関係無い。そんなの全然関係無い!」


 クレアの声がどんどんと強くなる。


「私はどんなことがあってもウルと一緒に居たい!

 もうウルと離れたくない!

 ウルは違うの?

 ウルは私のこと好きじゃないの!?」


 そんなことは決まっている。

 でもそれは口にしてはいけないんだ。


 だが俺はクレアにもう嘘を付けなくなっていた。


「そんなの、一緒に居たいに決まっている。

 俺だってクレアのことが……」


 ずっとこの言葉を口にすることを避けてきた。

 何度も贈られて来ていたのに

 返すことのなかった言葉。


 それを口にすればもう想いを止めることが

 出来ないと思っていた。


 でもこの時はもう止まることが出来なかった。


「クレアが好きだ」


 クレアの表情が笑顔に変わる。


「良かったぁ。良かったよ」


 この表情だ。

 俺が大好きなクレアの表情だ。

 この笑顔にずっと惹かれていた。


「ウル、帰ろうよ。あの家に一緒に。

 ずっと一緒にいよう?」


 クレアがまっすぐに俺の目を見てそう言う。


 俺の気持ちはもうどうにもならない。

 もう我慢なんて出来ない。


 だから嫌だったんだ。

 こんなこと言われたらもう手離せない。

 絶対にクレアを離すことなんて出来ない。


 もう、クレアの感情が

 恋愛のそれでなかったとしても、

 別に好きな奴が出来たとしても

 俺がクレアを離すことはない。


「……わかった。一緒に帰ろう」


「ゥ……ウルぅ……」


 彼女をそっと抱き寄せた。

 彼女は腕の中で泣いている。


 この姿で彼女に触れたのは初めてだ。


 手を通して伝わる彼女の体温は温かかった。




 しばらく泣いてからクレアが体から離れた。


「もう、大丈夫か?」


「大丈夫じゃありません。

 家に帰ったらいっぱい色んなことを

 させてもらいます」


 瞼は赤くなっているがもう涙は見せていない。

 とりあえずは大丈夫そうだ。


 しかし色んなことってなんだろう?

 あれか?それともあれか?

 ……心当たりが結構あるな。


 でも仕方がない。

 今回は彼女のいう通り、なんでもしてあげないと。


「わかったよ。それじゃぁ、

 早く終わらせて帰らないとな」


「これから、危険なことをするの?」


 これから始まる戦いのことを言っているのだろう。

 だがクレアに余計な心配を掛けることは出来ない。


「いや、大丈夫だ。直ぐに終わる。

 少しだけ離れていてくれ」


 クレアは少しだけ離れたく無さそうだったが、

 ゆっくりと俺から離れてくれた。


 クレアに背中を見せ、廃城の方角へ少し歩み寄る。


 するといつの間にか

 テントから出て来ていたフェニスが

 何かを察して声を上げる。


「お、おい! シリウス! 何をするつもりだ!」


 俺は今から自分のすることを簡潔に言葉にした。


「全て消し飛ばす」


「なっ! 目視出来るとはいえ、

 あそこまでどれだけ距離があると思っている!」


「ペトロフもブラドも灰も残さん。

 一瞬で片付ける。それで終わりだ」


 通常であるならこの方法は取らない。

 山にだって動物が住んでいる。


 しかしその山々には猛毒で

 もう生きている生物はいないだろう。


 ならば気にする必要もない。


 何より早く終わらせてクレアと帰るのだ!


 『牙』を取り出し、魔力を込める。

 だが今日はいつもとは違う。


 周囲にも肉眼で捉えられるほどの

 高濃度の魔力が俺から溢れ出す。


 白くも、灰色にも、銀色にも見えるであろう

 俺自身の魔力。


 いつものようにただ力任せに

 魔力を放つのではなく、

 凝縮に凝縮を重ね、魔力を操作し効率良く循環させ

 収束させ『牙』に込める。

 そして城を目標に定める。


 俺が攻撃用に唯一、『技』として昇華させた一撃だ。


 『牙』を振ることはない。

 ただ目標に向けて付き出し、

 引き金としてその技を唱えるだけだ。


 ただは唱えるだけーー。




ペトロフの根城ーー


「ペトロフ様!」


「なにごとだ」


「外を見てください!」


「あ? なんだ、あの光は?

 ……あれは……魔力なのか!?

 ふ、ふざけるなあんな膨大な魔力で攻撃されたら

 結界なぞ関係なくここら一帯、

 全て消えてなくなるぞ!」


「そんな……」


「何故だっ!

 あれほどの魔力なら準備に時間が掛かったはず!

 何故、あのような状態になるまで放置しておいた!?


「も、申し訳ございません!

 ですがあれはたった今、発生しまして……」


「たった今だと!ならばあれは、アイツか……。

 あの化物の仕業かぁ!」


「ペトロフ様! ここから離脱を!」


「間に合う訳ないだろぉ!

 ブラドは! ブラドはどこへ行ったぁ!」


「それがお姿が見えませんで……」


「ぐぅっ! ブラドォォォッ!!」




「『灰色狼の咆哮フェンリル・ロア』」

 

 それを唱えると『牙』からは魔力が高圧縮された

 膨大な銀の光が飛び出す。


 その光は一度、空中で収束し、

 不規則な軌道を描きながら、城へ向かって行く。


 それはまるで巨大な狼の様な姿をしていた。


 白銀の巨大な狼が結界ごと

 城を丸飲みにするように包み込む。


 次の瞬間、とてつもない轟音と光を放った。


 その轟音は狼の咆哮にも似ていた。


 光が収まってから皆が目を開けると

 そこには廃城も、それがあった山も消えていた。


 その山だけではない。

 周囲の山々もろともに消失していた。


 まるで最初から

 そんなものはなかったようにすら写る。

 完全な更地になっている。


 山があったであろう場所は荒野が広がっていた。


 瓦礫も遺体も何も残りはしなかった。 


「これで終わりだ」


 俺は仕事を終えた。

 これでもうあとは帰るだけだ。


 姿を狼に戻し、クレアに元へ戻る。


「規格外だとは思っていたがこれ程までだとは……」


「本当に何一つ残ってないわね。

 これじゃあ、

 あいつらの死亡確認も出来ないんじゃないの?」


「俺の知ったことじゃない」


 俺はブラドとペトロフを討伐するのに

 協力しただけだ。

 あとは勝手にしてくれ。


 クレアがこちらに歩いてくる。


 いつもは俺が飛び掛かられていたんだ。

 今日は俺から飛び掛かってやる。


 俺からそんなことはしたことがなかった。

 それは気恥ずかしさ以外に、

 受け止めてもらえない不安も、

 自分の中にあったからなのかもしれない。


 でも、今なら彼女が受け止めてくれると

 確信出来る。


「ウル!」


 彼女が笑顔で俺を迎え入れてくれる。


 この幸せを噛み締めて、帰ろう。


 あの家へ。


 彼女との距離が近づき、


 これから飛び掛かってやるという所まで

 駆け寄った途端、


 目の前が真っ赤に染まった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る