28:逃避

 それからさらに数日が経ち、

 ようやくその一報が入った。


 思っていたより時間が掛かった。


 ペトロフの居場所が掴めたらしい。

 ブラドも一緒にいるとの情報もある。

 今回は今までのブラドの情報とは違い、

 確かな情報のようだ。


 魔王軍は早急に軍を編成し、

 ペトロフの根城へ攻め入る準備を進めている。

 魔王はブラド共々、

 ここで終わらせるつもりのようだ。


 その時は近づいている。


 知らせが届いた後、

 普段通りの普通の日常を過ごした。


 普通に飯を食って。

 普通に風呂に入り。

 普通にクレアとふれあい。

 普通に眠りについた。


 クレアが眠りについたことを確認して起き上がり、

 そっと窓から家を出た。



「……あれ? ウル?」



 夜の村を抜けてあの時の街道まで来た。


 先日の争いの痕はほとんど残ってはいなかった。

 キュウビの部下の妖狐達が隠蔽するために

 修繕してくれたらしい。


 だがそこには見知った者が立っていた。


「やっぱり一人で行く気だったようね」


 キュウビだ。

 ここに来る前に部屋に姿があることは

 確認していた。


「……あれは身代わりか」


「そうよ。貴方が一人で行くつもりだと思ってたから

 先回りさせてもらったわ」


 思っていた以上にこちらの行動を

 読まれていたことには驚いたが、

 俺のやることに変わりはない。


「行かせないつもり、ではないよな?」


 キュウビが俺を止める理由はないはずだ。


 それにそれがあったとしても実力差は

 キュウビ自信が良く知っている。


 キュウビがそんな無駄をするとは思えない。


「私が止めたら行くのを辞めてくれるの?

 ……私はただ聞きに来ただけよ」


 俺に聞きたいこと、いくつかは察しが付く。


「何をだ?」


「どうしてあの子に何も言わずに行くの?

 ここにはもう戻って来ないつもり?」


 その問いか。

 キュウビ相手に嘘を付く理由はない。


「……そうだ」


 キュウビは驚かなかった。

 俺の行動から解っていたことだろう。


「別にブラド達を倒してから

 戻って来ればいいじゃない。

 あいつらがいなくなれば問題はなくなるでしょ?」


 確かにブラド達からの襲撃を警戒する

 必要はなくなる。

 しかし……


「問題は、ある。

 俺もここに来てもう10年だ」


 あと数年もすれば普通の犬なら寿命で死ぬ。

 だが俺はそれを過ぎても何年も生きる。


「村人の中には長く生きる俺に

 気付くものがいるはずだ。

 俺を化物と、魔物と、魔族の仲間だと言う者も

 現れるかもしれない。

 そうなった時、

 クレアやソフィアさんが言われの無い

 差別を受けるかもしれない。

 俺はそんなことは許せない」


 当たり前のことだ。仕方のないことだ。


 それに……。


「本当にそれだけが理由なの?」


「……どういうことだ?」


「それなら住む場所を変えれば済む話でしょ?

 住む場所を変えるぐらい、

 貴方と一緒にいるためなら

 あの子ならそうするはずよ。

 そんな簡単なことが理由であるとは考えずらいわ。

 他に理由があるのでしょ?」


「……」


 キュウビの言う通りだった。


 もちろん嘘ではない。

 ただそれだけが理由ではない。

 そちらの理由の方はあまり話したくはなかった。


「……貴方、

 まだ人の姿を彼女に見せていないのでしょ?

 何故?

 あの子はあの姿の貴方だってきっと受け入れたわ。

 魔族である貴方を受け入れたのですもの。

 あの姿になった貴方くらい、

 受け入れられないはずがない。

 なのにーー」


「そんなこと、わからないだろっ!」


「っ!」


 つい声を荒げてしまった。


 だがそれを聞いていることに我慢が出来なかった。

 こいつに俺の抱いている『怖さ』は理解できない。


「ずっと犬だと思っていた相手が人の姿をしていたなんて、

 気持ち悪いだろ!気色悪いだろ!?」


「あの子がそんなことを思うはず……ないじゃない」


「それに、もし……」


 その先の言葉を口にすることを躊躇った。


 『もし』彼女が俺を受け入れてくれたなら……。


「……そういうことね。

 あなたが怖がっているのは、

 彼女に拒絶されることと、『受け入れる』こと。

 だから答えを出さずに離れようとしたのね」


 全くもってその通りだ。


 俺はどちらも怖いんだ。

 どちらの答えを聞くことも怖い。


 俺が魔族であることがバレた時から、

 俺はここを離れることを決めていた。


 彼女の気持ちがどちらであってもいいように。


 俺はここに居続けることを諦めた。


 その答えを聞くことが怖かったからだ。


「そうならどうだと言うんだ」


「別にどうもしないわ。

 私は聞きたかっただけって言ったでしょ。

 それにもう私が話す必要はないわ」


 俺に向いていたキュウビの視線が逸れた。


 その視線は俺の後ろを向けられている。


 その意味に気がついた。

 『匂い』がする。彼女の『匂い』が。


「ウルっ!」


 彼女の声だ。


 キュウビは最初から彼女が来るまで

 時間を稼いでいたのだ。

 俺もキュウビに気を取られて気付かなかった。


 声のする方に俺は振り向かない。


 彼女の顔を正面から見たら

 決断が揺らいでしまうと思ったからだ。


「何処に行こうとしてるの? 約束したでしょ?

 何処にも行かないって。ここにいるって。

 なのにどうして?

 私が何かしたの?

 何かしたなら謝るから、だからーー」


 彼女に非なんてあるはずがない。

 これは俺の身勝手な感情が原因だ。


 それでも俺はここを離れなければならない。


 だから俺はーー


「……もう飽きたんだよ」


「飽き、た?」


「毎日、毎日、

 小娘の相手をするのにもう飽きたんだ。

 もう十分だろ? 10年もここに居たんだ。

 そろそろ開放されたっていいだろう」


「私が、ウルを縛っていたの?」


「そうだ。ずっと縛られていた。

 だってそうだろ?

 毎日ずっとそばにはお前がいた。

 それでどうやって自由に生きろと言うんだ?」


 後ろ向きに彼女を横目で見た。


 クレアが黙ってしまい、

 小さく震えているのが見える。


 自分が一緒にいたことで

 俺を縛っていたのだと思い。


 そう思わせているのは、

 そう勘違いさせているのは俺だ。


 そんな彼女を見ているだけで胸が締め付けられる。

 心臓が抉られるようだ。


「世話になったことには感謝している。

 だがもうこれで終わりだ。じゃあ」


「えっ!?ま、待って……待ってよ、ウル」


 彼女は力なくその震えた手を伸ばす。


 その手を掴んでしまいたい。


 けど俺はその手を取ることを必死に抑えた。


 そして人の姿に変わり、

 『牙』を彼女に突き付けた。


 彼女も流石に驚いた様子だ。


 大きく目を見開いてこちらを見ている。


「ウル……なの?」


「この姿が本当の俺だ。人狼という魔族だ」


 俺自身が後戻り出来ないように

 これで終わりにする。


 ここで終わりにする。


「これ以上、俺の邪魔をするなら許さない。

 例え、お前であっても。」


 俺はクレアを『威圧』した。


 この『威圧』はあくまでも技術だ。


 本当に殺気や闘気がなくても

 実行することが出来る。


 俺がクレアに殺気や闘気を

 出すことなんて出来ない。


 それでもクレアにそれを浴びせるのは

 身が引き裂けそうな思いだった。


 それでも俺は彼女の元を離れることを選んだ。


「ぁ……ウル……」


 彼女が怯えている。


 当然だ。


 心でも感情でもなく身体がそうなるように

 『威圧』しているのだから。


 彼女の目には俺が明確な敵意を向けているように

 写っているだろう。


 それでいい。


 あとは俺がこの場を去るだけだ。


 ふとキュウビが近付いて来るのを感じた。


 今度はクレアに気を取られて、

 キュウビの接近に気付かなかった。


 俺がそちらに振り向こうとした瞬間、

 顔面に大きな衝撃を感じた。


 衝撃の方角に思い切り撥ね飛ばされ、

 地面を不規則に転がり、木に激突した。


 何が起こったかは判っている。


 キュウビに殴られたのだ。


「貴方、誰に向かって牙剥いてんのよ。

 ……貴方がこんな卑怯者だとは思わなかったわ!」


 避けようと思えば避けられた。

 けど俺はそれは避けてはいけないものだと思った。

 いや、俺がそうしてもらうことを

 望んだのかもしれない。


 キュウビが再び俺の元に近付いてくる。

 しかしその歩みが止まった。


 キュウビの後ろにはクレアが抱きついていた。


「モコちゃん、やめて……。

 ウルを……ウルを苛めないで……」


 クレアが泣いている。


 こんな時でも彼女は……。


 キュウビはそれをムリに

 振りほどこうとはしなかった。


「クレア……。でも」


 もう限界だ。


 これ以上、彼女の姿を見ていられない。


「もういいか。なら行かせてもらう」


 俺は再び狼の姿に戻り、足早にその場を後にした。


「待ちなさい!

 クレア! ウルフが行っちゃうわよ!?」


 クレアはもうキュウビに抱き付いてはいない。


 そのまま力なく地面に手を付いて、

 涙を溢していた。


「クレアぁ!」




 クレア達が見えなくなったところからは

 全力で駆け出した。


 あの場にいられなかった。

 あの場を離れたかった。


 少しでも早く。

 少しでも遠くに。


 彼女の存在が感じられなくなるまで。

 俺の中の彼女を薄めるため。


 俺はただひたすらに逃げ出した。

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