#12 復縁の兆し


 「あ、あれ? すみません、こちらたーくん……じゃなくて、岸和田泰介さんのお部屋ですか?」


 ドアの前に立っていた女性・今井綾沙は、慌てふためいた様子でそう言った。


 一方で私はドアを開けたまま固まっていた。その刹那、さまざまな思考が頭に過ぎる。


 どうしてここに!? 復帰目的か!? それとも密かに関係が続いていたのか!?


 脳内会議があらぬ方向に進みそうな私に対して、今井綾沙は落ち着かない様子を見せる。

 表札をチラ見したり、部屋の中を少し覗いたりしている。

 そして何より、私のことを何度も盗み見てくる。


「はい、岸和田の部屋です。何かご用ですか?」


 さっさと用事を聞いて、せんぱいが帰ってくるまでにこの忌々しい女を帰らせようとする。

 だがそんな私の下衆な考えとは裏腹に、彼女は要件をすぐに言おうとしなかった。

 やがて口を開くと、代わりとなる質問をぶつけてくる。


「すみません。あなたは、岸和田くんとどういう関係ですか?」


 随分と直球な質問に思わず首を傾げてしまう。

 

 別れたのにどうしてそんなことを気にするのだろう?

 やっぱり、復縁を企んでいるのか!?


 だけどここで嘘をつくわけにもいかないので普通に答える。


「私は彼の後輩です」

「ほんとにですか?」

「本当です」


 何故か過剰に伺ってくる彼女に不信感を覚える。

 というか、彼女は私のことを知らないようである。

 高校時代に何度か会ったことはあるのだが、あれから私もだいぶ変わっているので無理もないか。


「あなたはどちら様ですか?」


 こちらだけ関係を聞かれるのもおかしい気がして、すでに知っている関係を尋ねる。

 さて、どんな回答が返ってくるのか。


「私は岸和田くんの……。お友達です」


 彼女は言いづらそうに地面を見つめながらそう口にする。自分で振っておいて罪悪感でもあるのだろうか。


「あの……。岸和田くんは何時ごろ帰って来ますか?」


 ……なんですと?


 まさかこの女はせんぱいに会いたいのか? 別れたのに? そんなことがあるのか? 

 通常の場合、別れたカップルはほぼ会おうとしない。そして万が一に会う機会を作るのなら、それは紛れもない復縁の兆しである。


「当分帰ってこないので、要件があるなら伝えておきますよ」


 絶対に二人を合わせてはいけない。乙女の直感という奴がそう告げてきた。

 そのお告げを信じて私は嘘を口にする。


「……そうですか。なら出直してくるので大丈夫です。ありがとうございました」


 ぺこりとお辞儀をして今井綾沙は踵を返す。

 彼女は歩みを進めながらため息を溢して肩を落とす。

 その動作が、妙に私の印象に残った。



 ○○○



 「初売りってのは人が多かったな」


 数え切れないほどの人が行き来するショッピングモールを出て、隣で信号待ちをする澄香に声をかけた。


 俺の右手には小さめの敷布団が入った袋。澄香の両手にはお土産と弁当が入った袋が持たれている。

 お互いに御目当ての品が買えたのである。


「ん、そうだね……」


 澄香は柄にもなく考え事をしているようだった。いつも以上に素っ気無い声が返ってくる。

 一応俺も兄なので、悩める妹の姿は気になってしまう。


「どうした? 何か買い忘れたか?」

「いや、違う」

「なら……」

「今井さんのことだよ」


 言われてドキリとする。まさか澄香から彼女の名前が出てくるとは。

 突然の言葉には驚いたが、難なく言葉を返す。


「綾沙が、どうかしたのか?」


 恐る恐る俺は澄香に尋ねる。彼女はあらぬ方向を眺めながら、呟くように答える。

 その眼差しはどこか虚で、遠くを見るようであった。


「どうしてフラれたのかなって思ってさ」


 あまりに酷なことを平然と言いのける澄香に、俺は若干眉をひそめる。

 そんなこと、俺の方が聞きたいくらいだ。


「分からん。たぶん、他の男のところに行ったんだろ。抱きしめ合ってるところ見たし」


 言って思い出す。暗い空と降り注ぐ粉雪。見上げた先の彼女と見知らぬ男。

 将来、死ぬ間際の走馬灯でも見ることになるだろうその情景は頭の底に張り付いて離れない。


「そんなことないと思うんだけどなぁ……」


 澄香は俯いてそんなことを言う。ならば俺の見間違いだと言うのか? そんなことはあり得ないし、何よりラインがブロックされたのが良い証拠である。


「合ったんだよ。お前はあいつを神聖化しすぎてる」


 つい口調が刺々しい物になってしまう。だがそんな俺に慣れっ子な澄香は、気にすることなく話を続ける。


「いやでも、今井さん昔言ってたよ」

「ん? 何を言ってたんだ?」


 気になる台詞が聞こえて反応する。


「二人が高校生のとき。お兄ちゃんが今井さんを家に連れてきてさ、そのときに私は今井さんと話したんだよ」


 初耳だった。そんなことがあったのか。


「そのとき今井さんに言ったの。『今後もあの人をよろしく頼みます』って。そしたらさ、『ずっと面倒見ますよ』って言ってくれたんだよ」


 ……そんなことがあったのか。妹と元カノが知らぬ間にそんな会話をしていたと思うと、なんだか照れ臭いものがある。


 でもその綾沙の言葉は嘘だった。現に別れを告げられた。


「だからさ、お兄ちゃんを振るなんて、ちょっと信じられない」

「…………」


 タイミング悪く、ずっと足止めをしていた赤信号が青に切り替わる。

 澄香の言葉へ答えるには間が悪くて、俺は黙って歩き出す。東京に立ち並ぶビルを見て、今度は俺が考え込む番になった。

 

 『ずっと面倒見ますよ』


 そう口にする綾沙は、果たして本気だったのだろうか。



 ○○○



 「おかえりなさい、あなた!」

 「はいはい、ただいま」


 玄関を開けるなり、待ってましたと言わんばかりに白鈴が駆け寄ってくる。その台詞は馬鹿らしいが、留守番を長引かせてしまったので何も言わないでおく。

 現時刻はすでに午後一時になっている。


「遅くなって悪かったな。腹減ったか?」

「いえいえ全く。お二人と食べたかったので!」


 冗談でもこういう健気なことを言う白鈴は俺の目に可愛く映る。一方の澄香は目を細めているが。


「じゃあ飯にするか」


 狭いローテーブルの上に、買ってきた弁当を並べていく。元日だからと言っておせちを食べるほど、俺は食に対して意識はない。


「いただきます」






「ごちそうさまでした」


 弁当が意外にも美味しくて、俺は満足していた。それに、三人で昼食を摂るのも楽しいものがあった。

 白鈴と澄香がよく話すようになって、なんだか良い関係性になっている。

 例えば、


「世界史の先生、元気にしてる?」

「ああ、新井先生ですね。元気ですよ」

「じゃあ、バレー部の森田先生は?」

「残念ながら元気ですよ」

「あの先生うざいもんねー」


 なんて、地元の高校の話で盛り上がったり、


「澄ちゃんは彼氏とかいないの?」

「残念ながらいません。白鈴さんは……」

「いない! せんぱい聞きましたか? 私、今彼氏いませんよ?」

「へー、それはかわいそうだなー」


 恋話とも呼べない何かをしたりして、何となく楽しく過ごした。



「せんぱい、どんな敷布団買ってきたんですか?」


 と、ゴミを捨てながら考えていると白鈴が話しかけてきた。


「シングルベッドより少し小さいやつ。安かったから」

「なら、はみ出ないようにくっついて寝ないとですね!」

「はいはい、そうだなー」


 常識的に考えて寝床の配当は、ベッドに白鈴と澄香、敷布団に俺というのが定石だろう。だと言うのに、何故俺と白鈴が狭い敷布団で寝ることになっているのだろうか。甚だ疑問である。


「ところでせんぱい、明日はどこか出かけますか?」


 白鈴はそんなことを聞いてくる。澄香は明日の午前中に帰るので、その後に時間ができるのだ。


「そうだな。駅まで澄香を送って、その後にどこかいきたい場所あるか?」

「せんぱいとならどこでも行きたいです!」


 嬉しいことを言ってくれるが、それでは話が進まない。

 

「だったら、俺が毎年行ってる商店街にでも行くか。マグロやらカニやら買って、二人で食べるのもいいな」

「それはいいんですけど、せんぱいにそんなお金があるんですか?」

「値切りまくるに決まってんだろ。貧乏人を舐めるなよ?」

「さすがです、せんぱい……!」


 俺のクズ発言に対して、感極まった様子を見せる白鈴。ツッコミをもらいたかったが、目を輝かせる彼女を見るとそんな気も引いていく。


「じゃあ明日はそのつもりでな」

「はい、楽しみにしてます!」


 俺も楽しみにしておこう。



 ○○○



 「せんぱい寒いですー。くっついていいですか?」

 「すぐ着くから我慢してくれ」

 「えー」


 寒気を纏った風が歩道を通り抜けていく。

 時刻は午後8時。そりゃ寒いわけだ。


 夕食を摂った俺たちは外を歩いていた。別に散歩とかではない。きちんとした目的地を目指して歩みを進めている。


「お兄ちゃんまだ? 銭湯に着く前に凍りついちゃうよ」


 マフラーに顔を埋める澄香もそんなことを言う。

 軟弱者め! と言ってやりたいところだが、実際俺も身を震わせていたので何も言えない。


 寒さに身を縮こませながら歩くこと約2分。やっと目的地に到着した。

 近所の銭湯。

 駆け込むように扉をくぐり、暖かい空気に包まれていく。


「はあ……。寒かった」


 先ほどまで白かった息も普段のものに変わっている。

 白鈴も澄香もやり切ったような表情を浮かべているが、生憎ここは入口である。安心するにはまだ早い。

 ということでまだ寒いので、やはり早く湯船に浸かりたい。


 受付のおじさんに代金を支払って、彼女らより早く脱衣所に進むとしよう。


「じゃあ二人とも、出てきたらここで待ち合わせな」

「うん」

「はい」


 二人は震えた声で返事をする。なんとも面白い姿だが、俺から誘って来たので笑ってはいけない。

 

 我が家の風呂は風呂とも呼べないような小さい物だったので、こうやって銭湯に来たのだ。あの狭い風呂を三人で入り回すとなると、結構な時間がかかってしまう。多少お金を払ってでも、こちらにやって来る価値はあった。


 足早に脱衣所へ入るなり、そそくさと服を竹籠の中に投入する。暖房が効いている脱衣所とは言え、先ほどまでの道のりですっかり俺は凍えていたので、とにかく急ぐ。

 シャイな息子を隠すためのタオルを手に取って、いざ入り口の戸を開ける。

 戸が小気味の良い音を出しながらスライドする。


 真っ先に目に飛び込んで来たのは、昭和を感じさせる富士山の壁画だった。



 ○○○



 真っ先に目に入って来たのは、少し時代遅れを感じさせる富士山の壁画だった。


 広い浴場は人の気配が薄く、蛇口などもほとんどが空いていた。

 だが、そんなことよりも


「……白鈴さん、そんなに見ないでください……」

「ん? ああ、ごめんなさい。つい視線が寄っていって」


 頬を赤らめて恥じらいの表情を浮かべる澄ちゃんに、苦し紛れの言い訳と謝罪をする。


 だけど、私の言い分も聞いてもらいたい。


 彼女の胸が大きいのだ。


 推定Dくらいのそれはタオルで隠されているが、少し横からはみ出ている。高校二年生なのにこんなえちえちな体をしていていいのだろうか。それに加えてスタイルもすらっとしていて綺麗だ。


 対して私の場合は、澄ちゃんよりも小さいタオルなのに余裕で隠せているし、彼女の横に並ぶとお子様ボディーが際立ってしまう。


「し、白鈴さん! あそこに座りましょう!」


 澄ちゃんは照れを隠すように移動して蛇口の前に座る。仕方ないので、私もその横に腰をかける。


 ジャンプーやリンスをする彼女を横目にして、私は僻みの意味を込めた質問をする。


「どうしたらそんなに大きくなるの?」

「えっ! な、なんですかいきなり!」


 体を洗いながらさらに追及する。


「牛乳とか飲んでるの? ブラジャーに気を遣ってるの? それとも遺伝?」

「いや分かりませんよ! それにこれ、コンプレックスなんですからね」


 くっ! 言われてしまった!

 巨乳自慢の上等句、『コンプレックス』。こんな屈辱を受けたのは初めてである。


「何か一つでもいいからさ、胸が大きくなる方法教えてよー」

「いやですって!」


 澄ちゃんはそう言いながら体を流して、流れるように湯船へ浸かっていく。

 なんとも早い行水に驚くが、私もすぐさまその後を追いかけて湯船に足を踏み入れる。


「あったかくて癒される!」

「そうですね、気持ちいい……」


 先ほどまで躍起になって彼女へ質問をしていたが、湯船に浸かればそんなこと頭から抜けていく。


 ほぼ二人しかいないこの空間でしみじみと思う。


 湯気で薄く遮られた視界。壁に描かれた富士山。水の流れる音。温められていく体。これぞ銭湯といった要素が詰め込まれている。

 目を閉じたら寝てしまいそうな、この瀬戸際のような環境がなんとも良い味を出している気がした。

 

 そんな幸せに浸っていると、隣の澄ちゃんが口を開く。


「白鈴さんは、自分の胸を気にしてるんですか?」


 澄ちゃんは微笑みながらそう聞いてきた。だがその表情には嫌味や皮肉のような類いのものは感じられない。

 だから私も、自然に答えることができた。


「……うん。私、Bのそこそこしかなくて……」


 別に胸の大きさなんて気にしていなかった。だけど最近、気づいてしまったのだ。せんぱいの身の回りにいる女性は皆、巨乳であるということに。

 だから少しでも大きく見せたいのだが、そう簡単なことではない。


「じゃあ私の質問に答えてくれたら、胸を大きくする方法を教えますよ」

「ほんとに?」

「ええ、ほんとに」


 救いの女神が現れた気がした。流石せんぱいの妹、人間ができている。


 だがその質問を耳にしたとき、私はサッと血の気が引いていく気がした。


「うちの兄のこと、どう思ってます? 恋愛的な意味で」


 暖かい湯船の中で、私の肝が凍りつく気がした。

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