#20 白鈴雛乃は過去を見る
「白鈴さんって放課後は暇?」
午後の授業が終わり、教室の中に喧騒が満ち始めたころ。
窓からいわし雲を眺めていた私のところに、ロングの黒髪を靡かせた一人の女子生徒が駆け寄ってきた。
彼女の名前は覚えていない。
だけど、クラスの中心的な位置にいる生徒の一人であることは知っている。
「え、えと、はい」
ぎこちない言葉を返しながら、手持ち無沙汰で乱れてもいない眼鏡を掛け直す。あまり関わりのない人と話すのは、どうも落ち着かないのである。
「よかった! ならこの後、私たちで合コンがあるからさ。白鈴さんも来てよ!」
妙にテンションの高い彼女は、私の気持ちに構う様子もなく無邪気に誘ってくる。
こんなあざとい女子はさぞかし男子からの人気もあって、合コンでも無双できるのだろう。
と、失礼ながらに純粋な感想を抱きながら、彼女に対応する。
「そ、その、私は今日」
「私、尾沢由紀ね! よろしく、白鈴さん!」
「今日は行けない」という私の言葉を遮って、彼女・尾沢由紀は軽快に自己紹介を果たした。
カラオケなんて、全く訪れたことがなかった。
地方にある街でも繁華街という場所は存在していて、そこは私の住む世界とはかけ離れたところだった。
「じゃあ早速入りましょう!」
私を誘った尾沢さんは元気過ぎる掛け声と共に、何人もの男女を率いて店の中に入っていく。
その一団の少し後ろを、私は一人テクテクとついて行く。
クラスでも話す人がいないのに、こんな派手な遊びについて来たのは後悔するしかない。
そして部屋に通されると早速、思いもしなかった苦行が待ち構えていた。
「どうもはじめまして! 私、尾沢由紀という者です! 皆さんとお話しできることを楽しみにしてました! よろしくお願いします!」
完璧と言わざるを得ない自己紹介に、私を含めたその場の参加者が拍手を送る。
たぶん、こう言った人種の人々を「コミュ力おばけ」と言うのだろう。
今回集まった参加者は男女合わせて10人。結構大規模なイベントらしい。
ここに来るまでに尾沢さんが、「一人ドタキャンしちゃって」と言っていたので、私の役目は数合わせだろう。
だから、この自己紹介で異性のハートを掴む必要は、これっぽっちもないのだ。
「はじめまして。白鈴雛乃と言います。皆さんと少しでもお話しができたらと思います。よろしくお願いします」
ぎこちない言葉を重ねて自己紹介を済ます。周りからは乾いた拍手が起こるが、別に男受けを狙っているわけじゃないから構わない。
今日は数合わせでここに来たのだから、別に一人で過ごしたって悪いことではないのだ。
むしろ、一人でいれば今後誘われることもないだろう。
と、思っていた私はなんとも呑気だった。
実際に合コンが始まると、私は途端に一人になった。
はっきり言って、ここまでは想定内だった。
だけど、確かな誤算があった。
疎外感が強過ぎるのだ。
自己紹介の時点でほぼ全員の男性は、私を狙いから外したのだろう。
それはいいのだが、私の周りだけ不自然に席が空いているのだ。まるで皆、私とは関わるまいと。
まあ他の参加者たちは皆、はしゃいだり大きな声を上げているので、そういったノリについていけない私からすれば少しありがたいかもしれない。
だから私は仕方なく、こうしてソフトドリンクをちびちびと口に運び、残りが無くなったらまた取りに行くという生産性の皆無な作業をしなくてはならない。
「はぁ……」
放課後という貴重なひと時を、こんなくだらないことに浪費するのは結構辛いものである。ため息の一つだって自然に出る。
そしてそんなため息の直後、一人の男子がこちらへ寄ってきた。
「ちょっとごめん、お隣いい?」
私はその瞬間、大きく驚いた。
こんな疎外されている私に、話しかけてくる人がいたとは。
せっかくこんな場に来ているのに、私なんかに話しかけても無駄だろうに。
でもどうしよう、自己紹介で聞いたはずなのに名前が思い出せない。
控えめな微笑みを浮かべて、私の目線に合わせるように背を丸める姿勢。至って普通の顔立ち。だけど淡く耳に残るような優しい声音。
返事ができずに黙り込む私に、彼は察したかのように助け舟を出してくれる。
「俺は岸和田泰介。白鈴雛乃さんで合ってるよね?」
「あ、はい。そうです……」
消え入るような声でなんとか返答すると、彼は安心したように微笑んでくれる。
そうだ、思い出した。
確かこの人は私の一つ年上、つまりは先輩なのだ。
だからこんなにも、軽快な様子で話しかけてきたのだろう。
「あ、隣、どうぞ……」
いちいち言葉の前に「あ」という枕詞が付くのは、コミュ力弱者の全員が抱える不治の病である。
でも彼はそんな恥ずかしい症状を気にすることなく、普通に話しかけてくれる。
「白鈴さんはこういう雰囲気好き? 俺は結構苦手でさ」
こういう雰囲気というのは察するに、ドンピシャ騒ぐようなこの場の空気のことだろう。
私は普通に本音で答える。
「私は、正直言って苦手です。あまりこういうのは」
「そっか、なら良かった。同士がいてくれて」
彼は嬉しそうにそう言うと、手にしていたソフトドリンクに口をつける。
勝手に同士と言われるのは嫌だが、まあ実際そうなのでいいだろう。
けど唯一嫌なのは、
「あの、さん付けしなくていいです。白鈴でいいです……」
年上にさんを付けられるのはなんとなく嫌だった。
すると彼は一瞬迷いの表情を見せたが、すぐさま明るく返事をしてくれる。
「分かった、……白鈴」
ぎこちない呼び方をする彼がなんだかおかしくて、私の頬も自然と緩んでしまう。面白い人は案外好きだ。
「えっと、私はなんて呼べばいいですか?」
「なんでもいいよ。さん付けでも先輩呼びでも」
そう言われると私は先輩呼びを選ぶことにする。
理由は至って簡単で、彼の名前を呼ぶのが照れ臭かったからだ。
「えーとじゃあ、先輩で」
「よろしくな、白鈴」
たかが普通の自己紹介をしただけで、不覚にも私は嬉しく感じていた。
元々誰とも話すつもりはなかったのに、意外にも合コンらしいことをしていたからだ。
でも、これから会話が弾むのかは心配なところである。
その私の心配は、完全なる杞憂だった。
彼は相変わらず私の元を離れることなく、また同時に会話が途切れることもなかった。
だからわたしも彼のテンションに当てられてか、段々と口を開く回数が増えてきた気がする。
「白鈴は部活とか入ってないの?」
「入ってないです。ちょっと、私には向いてなくて……」
「白鈴は趣味とかあるの?」
「いや、特にないです。あまり自分から行動できなくて……」
こんな会話を30分は続けているのに、彼は飽きるそぶり一つ見せずに私と話してくれる。
大して面白くない答え、いや、心底つまらない答えしか返せない私に対しても、彼は笑顔を絶やすことなく変わらず会話を続ける。
そんな彼を見てふと、本当に私のことを狙っているのかと疑ってしまう。
でも彼を見ても、下心が全く見えてこない。
この部屋全体に充満してうんざりする、下心という概念が。
だからこの人からは、ここにいる異性とは少し異なった雰囲気を感じたのだ。
そしてその疑いの心は着々と芽生えて成長し、合コンの終了が間近になる頃にはすっかり、確信へと変わっていた。
この人は、私みたいな地味な子が好きなのではないか、と。
だから思い切って、切り込むような質問をしてみたのだ。
「先輩は、どういう女の子が好きですか?」
学校のことや趣味などの話題から質問が一転して、彼は少し驚いたように表情を変えた。
でも、「うーん」と顎に手を添えて考えたあと、嫌がる顔をせずにあっさりと答えてくれる。
「……明るくていつも笑顔の子、かな?」
「そう、ですか……」
胸の位置で持たれていたグラスが、自然と下がる。
その答えは明らかに私のこととは思えなかった。
私はお世辞にも明るいとも言えないし、笑顔なんて自分でも分かるくらい似合わない。
つまり私は、先輩の好みとはかけ離れていた、むしろその対称となるような性格だったのだ。
だから私は落胆して、グラスの中を見つめるしかなかった。
でもそこで、私はあることに気づく。
何故私は肩を落として、残念がっているのだろう。
私はこの合コンに、無理やり連れて来られた身だ。はなから異性と関係を結ぶつもりなど毛頭なかったはずである。
だから私は、こんなにも落胆する自分自身に驚いた。
「えー皆さん! そろそろお時間なので、お開きと致しましょう!」
そんな風に自分の気持ちについて考えていると、尾沢さんの明るい声が部屋に響く。
反射的に壁の時計に目を向ければ、その針はいつの間に七時を指していた。
高校生にとって七時というのはまあまあに遅い時間である。皆、帰る支度を始めて出口からぞろぞろと出て行く。
傍に今日の成果と言わんばかりの異性を置きながら。
「白鈴、俺たちも出ようか」
彼はそう言って私に退室することを促す。
自然と私は、彼の傍に並んで部屋を出て行く。
廊下を進んで店を出るとすでに日は落ちていて、街の至る所がキラキラと鮮やかに光っていた。
そんな中、皆は今日の感想を伝えあったり、スマホを出して写真を撮影したりしている。
私はそう言ったことが嫌いで、スマホを取り出す気にはなれなかった。SNSの類が、そもそも私の質と合わなかったのだ。
だけど今日は、少し違かった。
「先輩、あの……連絡先交換してくれますか……?」
おそらく私の人生において、一度も発したことのない台詞を口にした。
全身全霊の力と勇気を振り絞って。
でも、さっきまで何事にも優しく接してくれた彼は別人のように目を泳がせた。
「あーいや、それは……」
さっきまでとは打って変わって、彼の声はしどろもどろになっていく。
そんな思ってもいなかった歯切れの悪い反応に、私は慌ててその言葉を取り消そうとする。
「あ、いや、すみません、変なこと言っちゃいました……」
今度は私の方が目を泳がせる。なんだか、自分だけ本気になっていたようで恥ずかしくなってしまったのだ。
だけど彼は少し悩んだあと、改めて言葉を綴った。
「……いいよ、白鈴」
「え、あ、はい。ありがとうございます……」
想いもしなかった反応につい挙動がおかしくなってしまう。
でも、先ほどまで断られると思っていた言葉だったから、驚きよりも嬉しさの感情が勝った。
順調にラインを交換して、両親しかいなかった友達の欄に彼のアカウントが追加される。
当然私は友達の欄が増えたことよりも、彼の連絡先が追加されたことに喜びを感じる。
なんだか、快調な一歩目を踏み出せた気がしたのだ。
だけど数秒画面を見つめたあと、私の動きがピタリと止まる。
目についたのは彼のアイコン。
キラキラと彩られた画像には二人の男女が笑みを浮かべていて、幸せそうな印象が与えられる。
女子の腕が男子の首を捉えており、抱きつく姿勢になっている。幸せそうに抱きしめる彼女と、嫌々ながらも満更でもない笑みを浮かべる彼。
それはまさしく――
「たーくん! おつかれさま〜」
ふと背後から可愛らしい声が駆け寄ってきた。
一瞬私のことかと体をビクつかせたが、彼女の言うたーくんが誰のことであるかをすぐに理解してしまった。
彼女は自然と、隣にいる彼の手を握ったのだ。
「綾沙、そういうのは人前だと……」
「浮気防止だよ! ほら、もっとギュッてしてあげる!」
綾沙と呼ばれた彼女は次の瞬間、彼の懐を目掛けて抱きついた。
彼は一瞬驚いて後退りながらも、数秒後には彼女の背中を優しく抱き返す。
それを見た瞬間、経験したことのない痛みが私の胸を襲った。
刹那、分かりたくもないことが一瞬にして頭に過ぎる。
先輩には彼女がいる。
先輩は今回の合コンに何らかの理由で参加した、もしくは参加させられた。
彼女らしき人が意に返していない所がそれを物語っている。
先輩が話しかけてきたのは、私が恋愛に無頓着そうだったから。
もし話しかけて相手を本気にさせてしまったら、申し訳ないからだろう。
だから、先輩は私のことを恋愛的に見てすらいなかった、という事実だけが無慈悲に残る。
「…………」
痛む胸を我慢して、素早く踵を返す。
イチャつくカップルたちを背に、私は一人帰路に着いた。
「あれだけ思わせぶりなことをしておいて」という台詞は、言いたくても言えなかった。
元々恋愛目的で参加していない私が、そんなことを言えるはずなかったから。
「はぁ……」
生産性のなかった時間にため息が溢れる。結局あの時間で得たものは、先輩の連絡先とたくさんのソフドリ。
そして、ほろ苦い失恋の経験だけだったから。
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