#19ワンナイトじゃないラブを
「お邪魔します」
綺麗に整えられた玄関で、せんぱいがいつの日と同じ台詞を口にする。
だからつい私も当時のことを思い出して、舞い上がるように聞き覚えのある言葉を返す。
「お邪魔されちゃいます!」
この間と全く同じ返答にせんぱいも驚いたのか、控えめな笑みを浮かべてくれる。その反応も、この間と全く同じものだった。
まさか覚えるのかな、と思ってみるが、当時の彼は相当酔って記憶が飛んでいたのだった。覚えているはずがない。
だけど私は気になって、この前と同じ台詞を再び言う。
「せんぱい、もしかして緊張してます? そんなに意識されると困っちゃいますよ!」
これでどうだ、と言わんばかりの心境で答えを待つ。
だけどその返ってきた答えは、私の想定したものとは全く異なるものだった。
「いや、悪いな。さすがになんだか緊張して」
あ、あれ?
おかしい。この間と反応が正反対ではないか。
本来のせんぱいなら、震えた声で強がりを見せるはずなのに。
まあ、今は夜の11時。そんな時間に後輩の部屋へお邪魔するのは、緊張しても仕方ないか。
自分の中で無理やり解決して、私はせんぱいを部屋に通す。長らく戻っていなかった部屋だが、過去の私は優秀だったようで、部屋の中は綺麗に整えられていた。
えっと、せんぱいを部屋に通した後はどうするんだっけ?
「綺麗な部屋だな。少しは散らかってると思ってた」
と、迷いを胸にしている私に、せんぱいが無意識の助け舟を出してくれる。
そうだった。
せんぱいが部屋について感想を溢すから、私はこう答えるのだ。
「部屋の綺麗さと心の綺麗さは比例するんですよ!」
それに続いてせんぱいは「反比例の間違いなんだよなぁ」と呟いてみせるのだ。
忘れていた記憶は、同じような場面に遭遇することで蘇るのだと、私は確かに実感する。
だけど、せんぱいから返ってきた言葉は、私の思いもしないものだった。
「確かにそうだな。白鈴は優しくていい後輩だから、こんなに綺麗な部屋なんだろうな」
あ、あれ?
皮肉とも思えるその台詞だが、生憎せんぱいの言い方は本心に聞こえる。
違和感を覚えながらも、私は次の行動に移る。
「せんぱい。私、シャワー浴びてきます」
「ああ。じゃあその後、俺も浴びるよ」
お、食いついてきた!
私は浴室に向かいながらしめしめと思考を巡らせる。
男女二人+ベッドのある部屋+シャワー
=性なる営み。
この絶対的に揺るぐことのない方程式は、せんぱいも重々承知の筈だ。
となれば、せんぱいは『やる気』なのではないだろうか。
準備は万全である。
ゴム、ティッシュ、ビデオでの予習、脳内シミュレーション。
そして極め付けに、この手に握られた可愛い下着といい香りのボディーソープ。
完璧過ぎる準備に、私は浮足立ちながらシャワーを浴び始めた。
数分後、一瞬にして浴室から出てきた私は、鏡で自らの姿を入念に確認していた。
少し伸びた髪型や低い身長はひとまず置いておいて、あるところを凝視する。
あるところ、つまりは胸である。
自分の胸を揉んだりしてみるが、手のひらに難なく収まるそれはBカップに相応しい感触だ。
私は部屋でブラジャーをつけたくないので、生憎下着による豊胸は望めない。
潔く、ありのままの大きさを見せるしかない。
と、今夜の不安を文字通り胸に抱きながら、洋室にいるであろうせんぱいへ呼びかける。
「せんぱーい、お風呂空きましたよー」
「はーい」と響く生真面目な声を耳に、私は大きめのTシャツを纏って浴室を出る。
大きめのTシャツというのは最強の装備である。
ノーブラによって胸元の魅力が興奮を誘い、裾から伸びる生足は色気に溢れる。
ひらひらと揺れる生地に体のラインが際立って、たちまちせんぱいは悩殺される!
そして狭い通路でせんぱいとすれ違いながら、私は今夜の勝利を確信した。
今、絶対に胸を見た。
いや、もしかしたら足かもしれない。
でもとにかく、私の体をチラリと盗むような視線で見てきたのだ。
その揺るがぬ事実に小さな胸を踊らせて、私はベッドに勢いよく飛び込む。
せんぱいのベッドに比べたら藁にも等しい寝心地だが、このベッドには頑張ってもらう必要がある。
なにせ、どれほど激しい夜になるか分からないのだ。
なんて、お花畑の思考で今夜の営みを想像すること約数分、せんぱいが浴室から出てきた。
せんぱいがこちらに歩いてくると、いい香りが漂ってくる気がする。
ボディーソープなどは私と同じはずなのに、こうもいい匂いがするのは何故だろうか。
「シャワーまで使わせてもらって悪いな」
!? 今、確実に足を見た!
私はベッドに腰をかけているので、正面に立つせんぱいの目線がよく分かる。今さっきの目線は、私の顔ではなく体を捉えていた。
どうやら、こんな私にも色気を感じてくれているようだ。うれしい。
そして私は、勇気を持ってその一言を彼に告げる。
「せんぱい、今夜は寝かせませんよ!」
「いや、眠いから寝かせてくれ」
「……はい?」
え、え? あれ?
なんだかおかしい気がする。
もしかして、しないのかな?
そんなのはダメだ! 私の方はもう、これほど準備が整っているというのに!
だけどそんな感情も、せんぱいの一言で一瞬にして消える。
「俺もベッドで寝ていいか?」
……そ、そういうことか!
せんぱいは自分から誘いたかったのか。これは申し訳ないことをしてしまった。
男性というのはプライドが強い生き物である。せんぱいにそう言った側面があることは否めない。
「いいですよ! 一緒に寝ましょう!」
さあ私の初体験の幕開けだ、と意気込んでそう口走る。
だが、せんぱいは何やら部屋の電気を落として、そのままベッドに腰かけた。
一瞬違和感を覚えるが、もしかしたら暗闇の中で行うのが好きなのかもしれない。
視覚を奪われた方が色々と興奮するというのは、私も聞いたことがある。
だけど、
「じゃあ、おやすみ白鈴」
せんぱいはそのままベッドに背をつけて、おやすみの言葉を口にした。
「え? お、おやすみです……」
僅かに遅れておやすみを返すと、せんぱいはするりと掛け布団に潜っていく。
何事もなかったかのように掛け布団を纏うせんぱいに、私はしばし置いてけぼりを食らった気になる。
おかしい! こんな色気が溢れる格好の女の子と二人きりなのに、どうしてこうまで泰然自若とした態度が取れるのだ!
そんなことを思いながら、私もつられてベッドに入っていく。
せんぱいは壁の方を向いていて、そっぽを向く状態となっている。
実は興奮していたりするのだろうか?
もしそうだったら嬉しいが、同時に少し大変である。せんぱいの夜這いを待機しながら、眠ったふりをしてベッドに入らなければならない。
それだと、私はいつの間にか本当の眠りに落ちてしまうかもしれない。
……でも、やっぱりそんなことはないと安心する。
隣に眠るせんぱいを意識して、私の胸が熱くなるのを感じるのだ。
だから私は安心して、この小さな胸を撫で下ろせる。
せんぱいの方に体を向けて、ゆっくりと目蓋を閉じることにした。
○○○
今みんなには、俺が意気自如とした態度で眠りについたように見えるかもしれない。
だが俺は今、持てる力の全てを解き放って、全力で平然を装っていた。
ベッドに入れば自然と眠れると思っていたが、生憎それは全くの間違いだった。
その証拠に俺の意識は遠退く気配を知らず、重いはずの目蓋は一向に下がろうとしない。
肩越しに控えめな寝息が聞こえてきて、自然と意識が白鈴に向く。ベッドに入ってから、かれこれ30分はこうしてきた。
何故眠れないのか。
そんなのはまさに愚問であると言えるだろう。
今夜の白鈴はどこか色気付いてるのだ。
ダボダボのTシャツからはその下が見えそうだし、Tシャツの裾からはパンツがチラリと垣間見える。
こんな白鈴に意識を向けない方が、はっきり言って異常である。
だから俺はそんな白鈴が気になって、後ろに眠る彼女を一眼見ようとチラリと視線を送る。
だが生憎この部屋は暗闇である。表情どころか顔すら見えない。
そして俺は思い切って体の向きを変えることにした。
先ほどまで右肩にあった床が左肩にやってくると、目の前に白鈴の気持ち良さそうな寝顔が現れる。
小さく開いた口は周期的に呼吸を行い、無防備なその姿にはなんとも唆られるものがある。
続いて、そんな白鈴の顔をついじっと見つめてしまう。
メイクを落としても変わらず可愛いな、とか、眠っていてもどこか微笑んでいるように見えるな、とか。
色んな感想が次々と浮かび上がってくる。
でも次の瞬間、俺は「やってしまった」という感想のみを抱くことになる。
「せんぱい、どうかしましたか?」
笑顔の白鈴と、暗闇の中で目が合ったからだ。
○○○
ほら! やっぱりきた!
私は二つの意味で深い喜びを感じる。
眠気に耐えて30分もの間、寝たふりを続け通したこと。
せんぱいが予想通り、私に行動を起こしてきたこと。
特に後者の喜びは計り知れないほどに大きい。
「せんぱい、どうかしましたか?」
その小さな一言で、せんぱいはみっともない様子で慌てふためく。
「あ、いや、そのだな……」
「私の寝顔がそんなに可愛かったんですか?」
予め用意しておいた台詞で質問すると、せんぱいは目線を逸らす。
だがこの後、飛んでくるはずの言葉と反応は返ってこなかった。
代わりに、
「……悪い、ほんとに可愛くて、つい」
「そ、そうですか! 全くもう、せんぱいは……」
まずい、大きく動揺してしまった!
なんとか苦し紛れに言葉を返すと、誤魔化すように次に用意していた台詞とアクションを使用する。
「せんぱい、こっちきて」
そう言ってもせんぱいは照れているのか、こちらによって来ない。そのくらいは想定内なので、私がせんぱいに寄り添って背中に腕を回す。
「ちょ、白鈴!」
「言うこと聞かないせんぱいのせいです!」
せんぱいの胸に顔をぴったり寄せて、上半身を押し付けるように密着させる。密かに足を絡ませて濃密に入り混じる。
やばいどうしよう。
脳内で、幸せを感じるホルモンがドバドバと分泌されているのを感じる。中毒性が高過ぎる。
「白鈴、どうしたんだ?」
「えへへ、男の子ってこういうのが好きなんですよね?」
その台詞にドキッとしたのか、せんぱいは口元を緩めながらハグを拒む。こんな素直じゃないところが好きだ。
「ぎゅ〜!」
更に体を密着させて、せんぱいとの距離を縮める。
するとどうだろうか。せんぱいの顔がすぐ間近に迫っているではないか。
濃密に目線が絡み合い、見つめ合うこと約10秒。
その間、私たちは何も言葉を発さずに、ただ互いの顔を見つめ合うだけだった。いや、見つめ合ったのは顔ではなく、互いの唇だったのかもしれない。
でもその後、行動を起こしたのはせんぱいの方だった。
私の頭を後ろから手で押さえて、だんだんと私はせんぱいに引きつけられていく。
ゆっくりと、慎重に。着々と私はそれへ向かっていく。
それ、つまりはファーストキスである。
そして二人の唇が重なり合おうとしたその瞬間、
「や、やっぱりダメ! 恥ずかしい……」
いつの日と同じ台詞をふと、再び吐いてしまった。
そんな私の反応に、せんぱいは慌てて取り繕おうとする。
「ご、ごめん。悪かった」
気まずい雰囲気が立ち込めようとした場を、その原因を作った本人である私がフォローする。
「いや、嬉しいんですけど……」
少し言葉を模索してから、なるべく軽やかで可愛らしく、この間は言わなかったことを言ってみる。
「そういうのは、付き合ってからのお楽しみですよ」
夜の営みまでを想定していた私が到底言えるはずのない言葉を、冗談と本気の入り混じる心情で言ってみたりする。
○○○
忘れていた記憶は、同じような場面に遭遇することで蘇るのだと、俺は確かに実感した。
『私と付き合ってくれませんか?』
いつの日か、彼女が口にした告白。
『俺も大好きだよ、白鈴』
それに返した俺の言葉。
合コンの帰り、白鈴の部屋で起こったことが俺の頭に鮮明な形で浮き上がってきた。
今なら全てを思い出せる。
酒で酔った俺が、白鈴にあらぬことをしようとしたこと。白鈴が俺への想いを告白してくれたこと。白鈴が俺と付き合いたいと言ったこと。
俺がその返事に、オーケーをしたこと。
全てを思い出して、今の白鈴の心境が痛いほど伝わってくる。
彼女はきっと、俺のことが好きなのだと。
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