#18 真実を掴もうとして


 「今年もよろしく〜!!!」


 わいわいガヤガヤという表現は稚拙ではあるが、それは的確に店内の様子を表す言葉だった。

 喧騒と響めきが混じり合い、誰が何を言っているのかも分かりにくい店内で、サークルを仕切る先輩が叫び声に似たコールをした。


 その声に呼応して「ウェーイ!」だとか「よろしく〜!」といった歓声が上がる。

 俺はそういったノリにはついていけないので、無言で生ビールの入ったグラスに口をつける。口元につく泡が、これまたいい味を出している。

 すると隣に座る白鈴が、大きく肩を揺さぶってきた。


「ウェーイですよ! せんぱい!」

「や、やめろ! ビールが溢れる!」


 慌てて口からグラスを離して、慌ててテーブルの上にに置く。可愛いのだが、時と場合を考えてもらいたいものだ。


「ウェーイ?」


 首を傾げながら上目遣いを使い、そう言ってくる白鈴。赤ちゃんみたいで可愛いな、なんて感想を抱きつつも、それを言うわけにもいかないので毅然とした態度を見せる。


「いや、しないから」

「もう、ノリ悪いですよ!」


 白鈴は平然と殺傷能力の高い言葉を繰り出す。だけどその後に続けて「でも、私はそんなところも好きですけど!」なんて付け加えて戯けてみせる。

 俺の傷つきかけた心に、癒しの息吹が吹きかかる。


「せんぱい〜。私、飲み過ぎてクラクラしてきました〜」

「嘘つけ。今日は一口も酒飲んでないだろ」


 そう周知の事実を述べるが、白鈴は聞く耳を持たずに俺の肩へ寄りかかってくる。なんだかいい匂いがしてくるが、ここは飲みの席である。あまり目立ちたくない。


「くっつくな! 離れろ!」

「くっつく! 離れない!」


 白鈴は少し向き直って、俺の肩に頬を擦り付けてくる。

 くそっ! ここが飲み会じゃなかったら絶対拒否しないのに!


「お、二人ともお熱いですなぁ!」


 と、俺たちで無邪気な攻防を繰り広げているところに一人の男がやってきた。


「岸和田よぉ。そんなに他の女に尻尾振ってたら、彼女に愛想尽かされちまうぜ」


 そんな無神経なことを言いながら酒を口に運び、ガハハと付け加える男に苛立ちを覚える。

 だが無理もない。おそらくこいつ・田嶋宏人は、俺と綾沙が別れたことを知らないのだ。


「田嶋。俺は尻尾なんて振ってない。それに、綾沙からの愛想なら、つい最近尽かされたばかりだ」

「き、岸和田おまえ……! まさか!」


 昭和の俳優みたいな反応をする田嶋に、俺は自らへの嘲笑を込めた笑みで返答する。


「ああ、振られた。つい数週間前にな」

「ぐわぁ! 悪かった! そんなつもりじゃなかったんだ!」


 今度は歌舞伎俳優のような大袈裟な反応を見せ、畳の上に額を擦り付ける。表現力豊かな奴だなぁと、思わず感心してしまう。


「いや、別に気にしてないからいいよ」

「いや! その顔と声は気にしてるやつだ!」

「どうして分かるんだ……」


 妙に鋭い田嶋に恐れ入るが、彼はそのまま言い訳を口にする。


「お似合いの二人だったからそんなことないかと思ったんだ。それにしても、どうして急に振られたんだ?」


 田嶋はつい先ほど謝った者とは思えない台詞を吐く。でも、今日は酒が入って気分がいいので、田嶋の戯けごとにも付き合ってやる。


「実は俺もよく分からん。俺が振られる直前もあいつの様子は普通だったし、何か気に触ることをした覚えもない」


 ありのままのことを伝えると、田嶋は「うーん」と眉をひそめ始めた。だが数秒間そうすると、いきなりパッと表情を明るくさせる。

 何か閃いたようだ。


「このサークルに西森っているだろ? 確かあいつは、お前の彼女さんと……元カノさんと同じサークルを、掛け持ちしてるんだ。ちょっと呼んで、聞いてみようぜ」


 田嶋はそう口にするなり、「おーい西森! ちょっといいか?」なんて言いながら、どこかへ行く。

 すると俺の横で沈黙を貫いていた白鈴が、ようやくその口を開いた。


「せんぱいは、ほんとに心当たりとかないんですか?」


 首を傾げてそう聞いてくる白鈴だが、その表情にあざとさはなく、ただ純粋な気持ちを表していた。

 はっきり言って、こんな白鈴は珍しい。


「心当たりは……やっぱりないな」

「……そうですか」


 白鈴はその不思議な表情を保ちながら、ちびちびとソフトドリンクに口をつける。

 その様子がなんとなくいつもと違う気がして、俺は直感的にある言葉を投げかけた。


「白鈴、もしかして何か知って」

「岸和田、連れてきたぜ! こいつが西森だ!」


 俺の言葉が勢いのある声にかき消され、田嶋が早くも戻ってきた。

 その傍らには、眼鏡をかけた誠実そうな男がいる。


「西森悠です。今井さんのことで何か?」


 端的な問いと丁寧な口調には、さも真面目と言った印象を受ける。

 だがその問いに答えたのは俺ではなく、横にいる田嶋だった。


「それがよ西森。こいつが綾沙に振られたらしいんだけど、何か分かるか?」


 綾沙、なんて馴れ馴れしく呼ぶなと言いたいところだが、今の俺にそんな資格はない。

 抽象的過ぎる田嶋の質問は馬鹿丸出しだが、西森はそんな馬鹿にも真面目な対応を見せる。


「失礼かもしれませんが、別れたのはいつですか?」


 その問いに俺は考える間も無く答える。


「クリスマスの晩。『実は、他に好きな人ができちゃったの。これ以上付き合っていてもたーくんのためにならないし、今日で別れよう』てメッセージが送られてきてさ」


 あまり語りたくない過去を、苦虫を噛み潰す思いで伝える。何度も見返して、その文章も覚えてしまった。

 すると西森は何やら手帳を開き、その日付を確認する。


「その日、僕たちのサークルはクリスマス飲み会でしたね。時間は……そう。確か7時から9時です」


 そう言われて俺は思い出す。そういえば、彼女は二日前くらいからそう言っていた。


 でも今はそれよりも大事なことを、スマホで確認する。


「別れのメッセージが届いたのはだいたい8時半ごろ」

「その時間帯はみんな、たぶん飲んでる真っ最中でしたね」


 すらすらと答えてくれる西森に感謝を覚える。これだけで新たなことがわかってきた。

 それは田嶋も同じだったようで横から口を挟んでくる。


「飲み会中に別れのメッセージを送ったのか。なら、その席で綾沙と同じだった奴が『他の好きな人』じゃないのか?」


 だがそんな田嶋に、西森は被りを被った。


「いや、今井さんは均等に人と話してましたね」

「誰かと親気にしてなかったのか?」


 西森の言葉に、何故だか俺は悔い気味に追及する。西森も少し驚いた様子を見せたが、少し考え込んだ後に思い出したかのように答えてくれる。


「そういえばあの飲み会では、ずっと近くに賀代くんがいましたね。言われてみれば帰りも二人だった気がします」

「……そうか」


 なんとか重々しい言葉を捻り出す。

 どうやら、その賀代という男が『他の好きな人』のようだ。

 分かりきった事実を田嶋が声に出して確認する。


「ってことは、その賀代って奴が浮気相手なのか!?」

「いやでも、そうとは言い切れませんね」


 声を荒げる田嶋に、至って冷静に答えを返す西森。

 聞き捨てならない台詞が聞こえたので、自然と俺も前のめりになる。


「そうとは言い切れない、というのは?」

「賀代ってのは女癖が悪いことで有名でして。わざわざ浮気してまで付き合うような奴じゃありませんよ」


 ふむ確かに、綾沙がそんな奴と浮気するとは思えない。

 なら、綾沙の浮気相手は他の誰かだろう。


「他に心当たりのある奴はいないのか?」

「……そうですね。特に思い当たる人物はもういません」


 そうか、これは結構めんどくさい。

 西森の言った通り、その賀代という男が浮気相手とは到底思えない。

 賀代の性格は女好きということらしい。

 綾沙はそう言った人にも分け隔てなく接するが、だからと言って好意的になることはない。

 

 ということはやはり、他に別の浮気相手がいるのだろう。

 だが、それをこの場で特定するのはさすがに酷だ。


「そっか。ありがとう、色々分かったよ。田嶋も、わざわざありがとな」


 こんな話に付きあってくれた二人へ礼を述べる。

 西森はぺこりとお辞儀をして戻っていく。一方の田嶋は誇らし気に鼻を鳴らして、その場に居座る。


「で、岸和田よぉ。何か分かったことはあったか?」


 おそらくその言葉は何気ない、なんの他意もないたった一言。

 だけどそんな純粋な問いに、俺は大袈裟な嘘をついた。


「綾沙は案外、ヤリチンの方が好きなことが分かった」

「……相変わらず冗談が下手な奴だなぁ」


 そんな失礼な感想に「うるせぇ」と一言だけ返すと、俺はその口にビールを運ぶ。

 まるで本当の言葉を誤魔化すように、唇についた泡を指で拭い、勢いよくテーブルにグラスを置く。


 本来返すべきだった言葉はこうだ。


 ――俺は案外、浮気相手の男に嫉妬していることが分かった

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