#17 眠れない夜に
「せんぱい、明日の夜にサークルで新年会があるらしいですよ」
ベッドに寝転がる白鈴が、スマホを見つめながらそんなことを言った。
ただいまの時刻はちょうど夜の11時半。
寝る前にスマホを見るのは睡眠に影響しそうだが、先ほど聞き捨てならないことが聞こえたので、注意することなく彼女に言及する。
「明日の夜って……。随分と急だな」
通常、こういったイベントごとは最低でも三日前くらいには告知されるべきだろう。帰省中で来れない人だって少なくないはずだ。
「せんぱい行きますか? 行くなら私もついて行きますよ!」
そう聞かれても「うーん」と考え込む他ない。
サークルには何人か友人はいるが、こんな唐突な新年会にやってくるのかは定かではない。
でも、そんな友人の中で、行くことが決定している人物がたった一人だけいた。
「暇だから行く。人数が少なくても、白鈴と話すのも楽しいからな」
「……せんぱい! 大好きです、一緒ついて行きます!」
「はっはっは! やめいやめい!」
なんて、少し早く訪れた深夜テンションで盛り上がる。
普段なら軽く遇らうはずの白鈴の戯言にも、ノリ良く答えてしまう。
「じゃあわかりました。せんぱいも出席ということで連絡しておきます!」
「おう、さんきゅな」
良く出来た後輩である白鈴は、俺の連絡まで済ませてくれる。手間が省けてよかった。
「飲み会は明日の夜8時から、大学付近の居酒屋です」
「そうか。ってことは結構早くにお暇しないとだな」
我が家から大学はまあまあの距離がある。
俺には生憎、夜遊びに現を抜かす趣味はないので、早く帰るとしよう。でないと、終電に間に合うか微妙なところになる。
「大丈夫ですよ、せんぱい! 私の部屋に泊まっていってください! 濃厚なワンナイトを送りましょう!」
「いやいや、なんだか悪いから帰るよ」
「いえいえ、私は今もこうしてせんぱいの部屋に泊まっているわけです。それのほんのお返しですよ」
白鈴は唇に人差し指を立てて、上目遣いを器用に使ってウインクする。
その可愛らしい仕草に、不覚にもドキリとしてしまう。
「……分かった。じゃあ泊めてもらうよ」
「やった! これからは私の部屋に通い詰めてもいいですよ?」
「通い詰めても、白鈴の不在率が高そうだから断っておく」
すると白鈴は含みのある笑みを浮かべ始めた。「ふっふっふ……」とわざとらしく笑う彼女は可愛いが、同時になんとなく怖くも感じる。
白鈴はベッドから降りて、自分の鞄を漁る。
「そんなせんぱいにはこれをあげちゃいます!」
そしてこちらに広げられた手のひらには、何やら鍵がのっている。
「……何これ?」
「合鍵です!」
「はい?」
驚愕を露わにする俺に構わず、白鈴はまだ続けて尚、「いや、だから合鍵ですよ!」なんて言ってくる。
「はい、せんぱい!」
満面の笑みでそう言って、鍵を俺の方に差し出してくる。
いや、こんなの困るんだが。
「いいよ、そんなの悪いから」
即席の建前でそれを回避しようとする。
だが白鈴は一向に引く様子を見せない。
「せっかく合鍵があるのに、自分で持ってるのも味気ないじゃないですか。だから、持っていてくれるだけでいいんです」
白鈴はうっすらとした微笑みを浮かべながら、優しい口調でそんなことを言う。
その表情はいつもの演技じみたものとはどこか異なり、俺の心境が一気に揺れ動いた。
「……分かったよ。持ってるだけだからな」
「それでこそ私のせんぱいです!」
手のひらを差し出すと、その上にひょいと鍵が置かれる。
「それを私だと思って、大事にしてくださいね!」
「いや、どんな鍵だよそれ……」
呆れの呟きをこぼしながら鍵を見る。
これで俺は、白鈴の部屋を自由に出入りできるのか。
でもそう思うと、なんだか俺の方が優位に立っている感覚に陥る。それはあまり、いいことではない。
「白鈴少し待っててくれ」
白鈴から貰った鍵を鞄に入れてから、決して綺麗とは言えないクローゼットを開ける。
中身が整っていない引き出しを開けて、手探りでお目当てのものを模索していく。
「せんぱい、何やってるんですか?」
「いや、少し待って……。あった!」
やっと探り当てたものを掴みながら、ゆっくりとそれを取り出す。
「はい、白鈴」
取り出した手のまま、白鈴の前に小さなそれ・合鍵を差し出す。
すると先ほどまでこちらを攻めていた白鈴は、別人のように慌てふためいた様子で拒む。
「い、いやいや! そんなの悪いですって!」
「せっかく合鍵があるのに、自分で持ってるのも味気ないからさ。だから、お守り気分でいいから持っててくれ」
白鈴がついさっき口にした言葉を、そのまま彼女に伝える。
すると白鈴はやはり満更でもなかったようで、頬を淡く染めながら鍵を受け取ってくれた。
「せんぱいも、こういうことするんですね」
「ただのお返しだよ。白鈴がくれたからな」
この合鍵は元々、元カノに渡していたものだった。
だが別れる数日前に、彼女がこの鍵を部屋に置いていったのだ。
俺と彼女は互いの部屋に忘れ物をすることが多かったから、当時の俺は「また忘れてる。相変わらずうっかりなところがあるな」なんて楽観的に捉えていたものだ。
だけど今なら分かる気がする。それは意図して忘れていったのではないかと。
別れた後に鍵を返すよりも、鍵を返してから別れたかったのではないかと、俺の頭の片隅にはそんな考えがあった。
そんな回想に耽っていると、鍵を大事そうに見つめていた白鈴がふと口を開いた。
「うれしい……」
口から溢れたような呟きが、俺の耳にまで届く。
そんな声を聞くと、返って俺の方が照れ臭くなってしまう。
「そんなに嬉しいのか?」
「もちろんです。なんだか、結婚指輪を渡されて告白されたような気分です」
大袈裟な表現をする白鈴ではあるが、その喜びは伝わってきたので良しとしよう。
「まあ、嬉しそうで何よりだよ」
「はい、すごく嬉しいです。大事に持っておきます」
そう言って白鈴はこちらに顔を向ける。
その表情は時々見かける、あざとさのない、自然でありのままの笑顔。
稀に見せる彼女のこの表情が、俺は案外好きだったりする。
○○○
俺は合鍵で綾沙のことを思い出してしまい、眠れずにいた。
本来なら眠りの中で文字通り、夢のひと時を送っているはずの午前1時。だが生憎、俺の意識は嫌なほどに鮮明である。
隣のベッドからはすやすやという可愛らしい寝息が聞こえてくる。白鈴はもうすでに眠っているようだ。
「はぁ……」
眠れない自分に苛立ちを覚えてため息が溢れる。ただ、こんなことをしても意識が遠退いていくわけでもなく、静かな部屋にうっすらと音が残るだけだった。
そんな状況を打破するべく、俺は狭い敷布団から一時的に脱出する。
部屋の中は暗くてあまり見えない。だけど灯りをつけても白鈴を起こしそうだったので、俺はドアを開けて台所に移動する。
1Kは玄関から続く通路と、洋室の間にドアがあるため、こう言ったときには非常に役立つ。
照明をつけて、折り畳み式のパイプ椅子を音を立てないように展開すると、その上に重い腰を下ろす。
暗闇の残る空間に軋む音が響き、その残響が消えると再び静寂が訪れる。
だが如何せん照明一つでは暗いので、もう一つの微かな光を灯す。
微かな光、つまりはスマホである。
けど照明の代わりに光るそれは、暗闇を消し去るだけで他に用途がない。
現代人ならSNSとかをぶっきら棒に眺めるかもしれないが、残念ながら俺のスマホにはその類のアプリは入っていない。
唯一それに近いものがあるとすれば、緑がトレンドマークのSNS、ラインくらいだろう。
高校時代からネットに苦手意識のあった俺だが、綾沙から勧められて始めたのが、このラインだった。
当時は綾沙との連絡用にしか使わなかったのだが、今となっては彼女との連絡は断絶し、両手で数えられる程度の知り合いが残っている。なんとも皮肉な話である。
そんなことを思ってラインを開くと、ふとあることが気になった。
綾沙のラインはどうなっているのか。
フラれてから一度も見ていないトーク欄に、「既読」の二文字はついているのか。
そう考えてしまうのは当然のことであると思う。
商店街で綾沙と会ったとき、彼女は別れ際にまた会えるのか尋ねてきた。
これは、『依を戻したい』ということに違いないのではないだろうか。
そんな淡い思いを胸に、トークルームを開く。
そして、既読の文字はついていなかった。
「……あほくさ」
少しでも期待してしまった俺を殴りたい。
こうして変わらぬ事実を突きつけられると、さっきまで思いもしなかった考えが浮かんでくる。
彼女の方から振って、一か月も経たない内に復縁願望が芽生えるなんて到底考えられない。
それに、もし仮に既読がついていたとしても、だからと言って彼女が依を戻したいわけではない。
第一、こちらへ好意があったのならば返信するのが普通だ。
でも何よりおかしかったのは、彼女から再び好意を向けられると少しでも希望を抱いた、この俺だったのかもしれない。
だけど、
『会いたいなら、いつがいい?』
そんなメッセージをつい、送ってしまう。
こんな真夜中に既読がつくはずないのに、ブロックされているに決まっているのに。
彼女のことはもう、好きじゃないはずなのに。
当然そのメッセージには何の反応もない。
誰もいない空間で俺がただ一人、誰にも気づかれない一言を発しただけだった。
「何やってんだろ……」
ふとそんな台詞がこぼれ落ちる。
自分の意思と行動が結びつかないこの感覚は、自分自身に深い虚無感をもたらす。
俺が綾沙を求めているはずないのに、どうして俺はメッセージを送ったのだろうか。
それはきっと俺がまだ――
でもその解を出すことなく、俺はスマホの画面を切る。
パイプ椅子を折り畳んで元の場所に置くと、小さな明かりを落とす。
ゆっくりとドアを開けて洋室に戻っていく。
月光すら満足にない、暗がりが支配する部屋の中をただ進む。
暗闇で見ることはできないが、白鈴の心地いい寝息だけは耳に届いてくる。よかった、起こしていなかったようだ。
俺は窮屈な敷布団に体を伏せて、枕に頭を預けることにする。
本来この時間なら、寝床に入れば自動で意識が遠退いていくはずである。
でもやはり、眠れる気配は全くしなかった。
理由は嫌なほど分かっている。
――それはきっと俺がまだ、彼女に未練を抱いているから。
先ほど放棄したはずの解が、頭の片隅からどうしても離れなかったのだ。
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