失恋したての俺を、あざとい後輩が必死に励ましてくれます
シノノメさん
#1 失恋は新たな恋の始まり
別れ話は実に唐突だった。
粉雪が宙を舞い、人々が行き交う街の歩道を、俺は全力疾走で駆け抜けていた。
鮮やかにライトアップされたイルミネーションも、クリスマスケーキを売るサンタたちも、今の俺には関係ない。
重要なのは右手にあるくだらない液晶。いや、それに映った文字たちだった。
『実は、他に好きな人ができちゃったの。これ以上付き合っていてもたーくんのためにならないし、今日で別れよう』
このメッセージを機に、彼女からの既読の表示は途切れている。二回かけた電話も繋がる様子はなかった。
「はぁはぁ……着いた……」
幾度となく通い詰めたアパートに、息を切らしながら到着した。服は汗と雪ですっかり濡れて、靴の底も浸水している。
クリスマスを彩る特別な雪たちは、無慈悲に俺へ降り積もる。
少し雪が強くなった気がして、空にふと目を向ける。
だが、そんな意思とは裏腹に、俺の目はただ一点で、彼女の部屋で止まった。
もう振ったから、もう恋人はいないから。
そんな言い訳をする彼女を想像するが、生憎もうそれは彼女ではなく『他の誰かの彼女』であると、俺は底知れぬ絶望と共に理解する。
見上げた先に見えたのは、開いたドアの前で抱きしめ合う、見知らぬ男と見慣れた彼女の姿だったから。
○○○
「いつからクリスマスは、カップルがイチャつく日になったんだよ」
飲み終わった缶コーヒーを、テーブルの上に乱暴に置く。
俺・岸和田泰介は大学のカフェで、吐き捨てるようにそう口にした。
「イチャついてるカップルが目に入りやすいだけで、本当はそんなことないと思いますけど」
そんな正論を口ずさむ後輩・
「まあでも、私はクリスマスをせんぱいと過ごせてうれしいですよ!」
「へいへい、それは良かったな」
いつもと変わらない白鈴の戯言に素っ気なく言葉を返すと、彼女は唇を尖らせた。
「せんぱい、ひどいですよぉ。せっかく私が元気付けてあげようとしてるのに」
俺がスマホの画面を弄っているのを見ながら「せんぱいは私のこと好きじゃないんですか?」と問うてくる。上目遣いとつぶらな瞳のダブルパンチはなんとも可愛らしいが、俺の返す言葉は決まっていた。
「まあ、あざといのは嫌いじゃないぞ」
「またまた、そんな照れたこと言って〜」
白鈴はニヤリと笑いながら俺の腕を突いてくる。彼女は頻繁にボディータッチをしてくるが、正直ドギマギするのでやめてもらいたい。何より、妙な勘違いが起きかねない。
「無闇やたらにボディータッチしてはいけません。世の男性は結構意識します」
「でも私、せんぱいくらいにしか触りませんよ? どうですか? いい女でしょ?」
「……はいはい、超いい女ですよ」
スマホをいじりながら適当に返答すると、白鈴は俺が何をしているのか気になったようだ。
「せんぱい、さっきから何してるんですか?」
「
「うわぁ……」
俺の声が自然とワントーン下がると、白鈴は嘲弄するような笑みを浮かべた。
「せんぱい、やっぱり未練たらたらなんですね」
「まあ否定はできないな」
「おお、意外にも素直。見栄の一つでも張っていいんですよ?」
「お前に見栄を張ったって笑われるだけだろ」
「まあそうなんですけどね」
ニコニコと笑みを浮かべる白鈴を横目に、俺はスマホの画面をそっと閉じる。まあ別に、わざわざ消す必要もないだろう。連絡先はともかく、写真は見たくないが。
「それよか、白鈴はクリスマスなのに予定とかなかったのか? もう結構な時間だぞ」
「あ、せんぱい心配してくれてます? でも今日はコンビニ夜勤があるだけなので大丈夫ですよ」
「そういう心配じゃないんだが……」
俺が聞いたのは、恋人との用事はないのか? というニュアンスだった。だがこの彼女の反応を見る限り彼氏はいないようだ。
この後輩・白鈴雛乃とは高校からの仲であるが、恋人がいると言ったことは耳にしたことがない。それは大学で同じ学部、サークルで過ごしていても変わらなかった。
小柄で可愛らしい体格とブラウンがかったショートの髪型。
客観的に見れば結構な可愛い系の顔をした彼女だが、誰とも付き合えないのはその癖のある性格のせいだろう。
俺はこいつのあざとくて、いい意味で軽いところはむしろ好きである。元カノに振られた今、こうしてすぐに駆けつけてくれただけで助けられていた。
一年の特別な一日であるクリスマスの晩に、わざわざ励ましに来てくれるのは嬉しいものである。それに白鈴は、話を重く受け止めるでもなく、わざとおかしなテンションで軽く流してくれる。今夜会ったときの第一声は『よっ! 寝取られ男!』という、もはや清々しいまでのものだった。
つまり、なんだかんだで白鈴は優しい奴なのだ。現に今も、夜勤があるのにも関わらず、時間の合間を縫って俺の相手をしてくれている。
「それより、元カノさんから既読つきましたか? もしかしてブロックされてる?」
「まあその説が濃厚。今頃新しい彼氏と濃密なワンナイトを過ごしてるんじゃないのか?」
「せんぱいはその一端を覗いてきましたけどね」
「うるさいうるさい。てか、その時はもう別れようって言われてたから、寝取られじゃねぇんだよ」
「あくまでも『失恋』であると」
俺は深くため息を溢す。ため息をすると幸せが逃げるらしいが、もはや俺には逃げる幸せすら残っていない。
そんな俺を見かねたのか、白鈴は俺を元気付けようと、更にテンションを上げた口調で言う。
「大丈夫です、せんぱい! 失恋は新たな恋の始まりです!」
雑誌の謳い文句のようなことを口走り、彼女はまだヒートアップする。
「お正月はサークルやらで新年会、忘年会! あ、初詣にも行きましょう! 学校が始まれば飲み会のほかにも合コンなんかがありますよ! 新しい彼女もすぐにできますね! 私は応援しますよ!」
あははと笑い声を付け加える白鈴。そんな彼女に、俺は無理矢理笑顔を作って心なく答える。
「ありがと、白鈴。色々楽しみだな」
空の缶コーヒーをゴミ箱に投げ入れて、俺は鞄を手に持つ。
「せんぱい、もう行っちゃうの?」
「白鈴はこの後バイトだろ? あんまり付き合わせたら悪いからな」
「……そっか。じゃあまたね、せんぱい! 何かあったらすぐ連絡してね!」
「おう、ありがとな」
そそくさとその場を去って、大学を後にする。
大学の外はまだ白く、満天の粉雪がふわふわと空を舞っていた。まるでクリスマスの演出のように華やかなそれを、少しの間見上げて考える。
元気を出せ、俺。
白鈴があれほど頑張って慰めてくれたのに、情けないツラをしてどうするのだ。未練たらしいのは男らしくない。
第一、失恋したのは俺の落ち度でもある。ただただ被害者感を出していても、この先前へは進めない。
たかが失恋一回、こんなことは誰だって経験する。俺だけじゃないのだ。これからの人生で、こんなことより辛いことがいくつも待っているに決まっている。
……ただ少し思った。この空が雪ではなく雨ならば、どんなに良かったことだろうと。
粉雪ではきっと、目元の滴は誤魔化せないだろうから。
〇〇〇
夜遅くの街は、彩りで溢れかえっていた。
彩りと言っても、イルミネーションやライトアップだけではない。行き交う人の全員が、いつもより煌びやかに見える。
その原因は決まって一つ、カップルの多さだ。
右を見ても左を見ても、下手したら上を見てもカップルがいるのではないだろうか。そんな気さえ湧いてくる。
これほど青く輝く男女に囲まれていると、自然と元カノのことが頭に過ぎってしまう。
ダメだ、精神的におかしくなりそうな所に来てしまった。
本来なら、こんな世紀末のような場所は避けて通るのだが、残念ながら今回は違う。ここに用があるのだ。
喧騒が漂う人混みの中を突き進んで、目的地を目指す。だが中々前に進めない。離れ離れにならないように、手を繋いだカップルが多過ぎるのだ。
その間を引き裂き、無理矢理そこを通り抜ける。別に八つ当たりなどではない。ただ単純にこうするしかなかったのだ。
そう自分に言い聞かせて、同じ手口でカップルを割き続けて前進する。
なんとか人の群れを抜け出して、落ち着きのある一帯に出た。通勤ラッシュや渋谷ハロウィンに巻き込まれたかのような疲労感が、一気に身体へ押し寄せてくる。
だが、神様も俺を見かねたのか、少しの幸運をもたらした。
俺が出た所は、偶然にも俺の目的地であるカフェだった。
ライトブルーに光る看板は存在感が薄く、店を出入りする客の姿は見られない。
黒と白を基調としたシンプルな外観はどことなく高級感を放っているが、実際は普通のカフェである。
ふらふらと店内に入ると、心地の良いドアベルの音が頭上で鳴る。
席はまばらに空いており、俺はカウンターに腰を下ろした。
メニューも開かず、店員さんに注文する。
「抹茶ラテお願いします」
「はい、抹茶ラテおひとつですね」
俺は自称であるが、この店の常連である。東京に来て初めて入ったカフェがここで、勝手に親近感を覚えて以来、結構な数を訪れている。最近はよく元カノと来ていたので、一人で入るのは実に一年ぶりだ。
……やめておこう、悲しくなる。
「はい、抹茶ラテです」
見慣れた若い女子店員が抹茶ラテを差し出してくる。
俺がこの店員を覚えているのなら、相手も覚えているのだろうか。なんて、自意識過剰な思考を巡らせて最初の一杯を口に運ぶ。
「はぁ……」
飲み慣れた味というのはやはり落ち着く。
だが、飲み慣れた味とは対照的に何かが足りないのだ。それは多分、いつもいるはずの誰かがいないから。隣の席が無慈悲に空いているからだろう。
「はぁ…………」
気を晴らしに来たのに、帰って暗い感情になった気がする。
俺は残りのラテを味わいもせずに一気に飲み干して、そのまま流れるように席を立つ。
やっぱり帰ろう。ここにいても虚しくなるだけだ。
滞在時間約二分で会計に進む。先ほどの店員さんも驚いたようで、急いで会計に回っている。
「お会計390円です」
貧相な中身の財布から390円が抜き取られて、更に酷い状態になる。昔はよく見栄を張って奢っていた俺だが、今思うとなんて愚かなことをしたのだろう。
と、ネガティブな思考に陥っている俺を他所に、店員さんがレシートに何かを筆を走らせているのに気づく。
「こちらレシートになります」
そうやってレシートを、裏面で渡された。そこには何か文字が書かれている。
「あ、あの」
「ありがとうございました」
彼女はすぐに会計を離れてカウンターに戻ってしまい、俺は出かけた言葉を喉に戻した。
来店の時と同じドアベルの音を耳にしながら、雪の漂う店外へと出る。
そしてすぐさま、渡されたレシートに目を向ける。
そこには震えながらも綺麗な文字で、一言だけ言葉が綴られていた。
ご都合が合えば明日の一時ごろに、
女の子から手紙を受け取った事実に、俺はこの時気がついた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます