#7 恋敵に勝てる気がしない


 「え? せんぱい?」


 試着室の前で、見慣れた後輩・白鈴雛乃と目が合った。きょとんとした表情で固まる彼女と同様に、俺もまた瞬時に凍りつく。

 白鈴の後ろで彼女の友人が不思議そうにこちらを見ているが、そんなことは気にしていられない。てかあの人、合コンの時に会った尾沢さんだ。

 

 互いの顔を見つめ合うこと数秒。先に動いたのは白鈴の方だった。

 彼女はいつものあざとい笑みを作ると、いや、いつも以上のあざとい笑みを作ると、俺の方へと歩み寄ってくる。


「せんぱい、こんなところでどうしたんですかぁ?」


 ニコニコと聞いてくるのが逆に恐怖感を増大させる。

 たぶんこの言葉の真の意味は『私の誘いを断っておいて貴様は何をしてるんだ』と言ったところだろう。

 別に悪いことはしていないはずなのに、そう言われると何故か後ろめたさを感じる。


「えっとだな。今日はその、一昨日から誘われてて」

「岸和田さん、どうかしましたか?」


 俺が丁寧に説明を開始しようとすると、試着室から西ノ瀬がひょいと出てくる。やばいまずいやばい、タイミングが悪過ぎる。

 

 俺の直感は的中し、白鈴のターゲットが俺から西ノ瀬に移ったのを感じる。

 

「こんにちは。もしかしてせんぱいの彼女さんですか?」


 おい待て、そんなこと聞いたら西ノ瀬が困る。第一、西ノ瀬は元から人見知り気質なのだ。

 でも西ノ瀬はなぜか頬を染めて、満更でもなさそうな表情で答える。


「い、いや、彼女だなんてそんな……。まだお友達ですよ」


 日本語とは実に精密な言語である。お友達ですよの前に『まだ』の二文字がつくだけ意味合いがガラリと変わる。

 すると白鈴はそんな言葉を信じたのか、数秒間フリーズした後、俺の方を向いて店に響く声で言った。


「せんぱいの浮気者!」


 客の視線が、俺に一極集中した。



 ○○○



 「――と言うわけで、別に俺たちは付き合ってないし、西ノ瀬を優先したのは先に誘ってくれたからってだけだ」


 ショッピングモールの一角にあるカフェで、俺は彼女らに説明していた。

 白鈴は柄にもなく真面目そうに、西ノ瀬は誤解させたことを申し訳なさそうに、尾沢さんは適当に耳を傾けて話を聞いてくれた。

 全てのことを話し終えると、白鈴は神妙な面持ちで俺に再度尋ねてくる。


「ほんとうに、付き合ってないんですか?」

「付き合ってない」


 きっぱりとそう断言しても彼女の表情は曇る。もう三回は否定してるのだが。


 でもそんな白鈴もようやく納得してくれたようで、通常通りの笑みを浮かべ始めた。やはり彼女にはこの感じが似合う。


「全くもう、てっきり浮気したのかと思いましたよ。私というフィアンセがいるのに!」

「交際してないから浮気でもフィアンセでもないんだよなぁ」


 バカな冗談を言いのける白鈴はすっかりいつも通りだ。さっきまで勘違いしてたのはどこの誰だったか。


「白鈴さんは岸和田さんが好きなんですね。なんだかいい後輩関係です」

「それはどうもですー。ありがとうございますー」


 白鈴は唇を尖らせて雑に返事をする。彼女は西ノ瀬のことをあまりよく思っていないようだ。

 ひどい返事に、思わず西ノ瀬の表情も引きつっている。


「西ノ瀬悪いな、こういうかわいそうな奴なんだ」

「いえいえ、そんな。私は白鈴さんと仲良くなりたいですよ。岸和田さんのお友達ですから」


 品性のない発言をする白鈴とは対照的に、西ノ瀬は上品に言葉を紡ぐ。その言動からは底知れぬ寛大さが溢れている。


「岸和田さん、今日のところはお開きにしましょう。このままデートしてもなんだか悪いです。続きはまた後で」


 そう言って西ノ瀬はすぐに席を立つ。俺もそんな気がしていたので、その後を追うように席を離れる。


「じゃあ俺も今日のところは帰るよ。白鈴と尾沢さんもまたね」


 二人をカフェに残して、俺はそそくさとその場を後にした。

 とんだ買い物になったが、案外楽しかったのは内緒である。



 ○○○



 「あれは相当な強敵だねー」


 二人が去ったカフェで、隣に座る尾沢由紀がそう呟いた。ストローを咥えて能天気に呟く姿は、諦めているようにすら見える。


「あんなのに勝てる気がしないよぉ……」


 私はテーブルにみっともなく突っ伏して腕を伸ばす。先ほどの件による精神的ダメージが体に蓄積されていたのだ。

 それに加えて、せんぱいが他の女の子とデートしていた事実が納得いかないのである。


「西ノ瀬藍花さん。岸和田くんとはカフェで出会った。三山大学経営学部で岸和田くんと同期。かなりの美形でスタイル抜群。胸はおそらくEカップ。内気で人見知りな性格」


 ついさっき収集した情報を由紀ちゃんが纏めてくれるが、聴けば聴くほどダメージが募っていく。

 そして最後に極め付けの一言。


「ひなちゃんは全部で負けてるね」

「うぐっ!」


 反論も強がりもできないから、私はただ項垂れることしかできない。


 降って湧いた恋敵の名は西ノ瀬藍花。現れることのないと思っていた恋敵が最強に近いような人物で、私はひたすらに肩を落とすしかなかった。

 もはやライフが0の私に、由紀ちゃんは無慈悲にも話しを続ける。


「お買い物デートってことはすでに何回かデートしてるのかも。下手したら付き合っててもおかしくないと思うけど」

「それはないよ! せんぱいが付き合ってないって言ってたもん」

「これだから盲信者は……」


 「あのねー」と講釈を垂れるように彼女は続ける。


「現実見なさいよ。あれはたぶん、内気や人見知りを装った肉食系で間違いないわ。お家デートにでもなったら、岸和田くんが襲われちゃうかも」

「聞きたくない、聞きたくない」


 私は耳を塞いで恐ろしい声を絶とうとする。でも、一応由紀ちゃんは恋愛に精通してるので、思わず聞き耳を立ててしまう。

 

「ザ・男にモテそうな女って感じ。声も綺麗でおしとやかだし。胸も大きくて、男の支配欲を掻き立てる内気な性格。うん、ひなちゃんの負けだね」

「分かりきったことを言わないで……」


 彼女・西ノ瀬藍花さんが『まだお友達ですよ』と言ったとき、私は一瞬で負けを悟って絶望してしまった。

 ああ、せんぱいは彼女に取られてしまうのだと。

 そう思った原因は、


「少し元カノさんに似てるんだよね、あの人」


 西ノ瀬さんと会ったとき、ビジュアルが誰かに似ていると感じた。そして話が進んでいくうちに、せんぱいの元カノさんに似ていることに気がついたのだ。


「胸が大きくて寛容的な性格と、セミロングの髪型にお淑やかな口調。それに対して私はペチャパイでお盛んな性格と、ショートの髪型にあざとい口調」


 まるで違うではないか。やっぱりせんぱいは元カノさんを追ってるから、そっちに似せたほうがいいのかな?


 そっと未成熟な胸元に手を当てて思い出す。

 酔い潰れた夜に自らをCカップと言ったが、それは少し違った。実際はBカップのそこそこしかなくて、恥ずかしくてサバを読んだのだった。


 続いて髪の毛をひらひらと触ってみる。

 ふわふわとなびく髪は肩にギリギリ付かないほどの長さである。でもたぶん、せんぱいの好みはセミロングくらいなのかな。


 悩みに悩んだ末、由紀ちゃんに助言をもらう。


「どうすればいいのかな。どうすれば勝てるのかな……?」

「そんなの、方法は二つしかないでしょ」


 由紀ちゃんはさも当然のように言う。だけどそれがどうにも気になって、私はつい身を乗り出して聞く。


「その方法とは!?」

「アプローチとイメチェン」


 …………。


 黙り込む私に、由紀ちゃんは詳細まで語り出す。


「アプローチってのは割と簡単。デートに誘ったり、手を繋いでもらったり、思い切って告白してみたり」

「それ、たぶん意味ない」


 私は長年せんぱいと触れ合ってきた。その中で何度か好きと伝えたこともあったけど、彼は決まってその言葉を流す。


 手を繋いで欲しいと言ったこともあったけど、『そういうのは彼氏にやってくれ』の一点張りで相手にしてもらえる気配はなかった。当時は彼女さんがいるからガードが固いのかと思ってたけど、別れた今でもその対応は継続している。


 それにデートの誘いは昨日断られたばかりだった。


「じゃあ、アプローチが無理ならイメチェンね」

「具体的には?」

「まず髪型や胸が重要だけど、それよりも性格ね。ひなちゃんはあざといからさ、もっと内気な感じになって」


 言われて考える。

 私の口調があざといのは紛れもない事実であり、同時に演技である。自分でも狙いすぎてると思うときはあったけど、この方がかわいいと聞いてずっと直せずにいた。

 実際に高校時代、せんぱいはこのあざとい口調が好きだと言ってくれたのだ。もしかしてあれは、ただ気を遣ってくれただけだったのかな。


 そんな風に思考が交差していく。

 だけど、


「でもそんなすぐに直せないよ。あと数日で初詣だし」

「まったく、今日は何のためにここに来たの?」


 呆れた様子をみせて、由紀ちゃんは私に問いかける。

 そうだ、そういえば、


「初詣の準備」

「そうよ、その通り」


 昨日、せんぱいから初詣に誘われて舞い上がっていた私は、すぐさま彼女に連絡して、初詣の服装を選んで欲しいと頼んだのだ。

 そのおかげで私の手元の袋には、厳選の末に辿り着いたデート服が入っていた。


「この後色々付き合ってあげるからさ、頑張ってイメチェンしよう! 岸和田くん好みの女の子にしてあげるよ」


 具体的に何をどうするのかは分からないが、由紀ちゃんは張り切った様子でそう言ってくれる。本当に真面目に、私の悩みを解決したがっているのが伝わってくる。


 だけど私は尻込んで、中々返事ができない。

 髪型や口調を変えるというのは結構難しいように感じてしまい、いまいち判断がつかなかった。

 何より、全てを尽くしても敵わなかったらと考えると、足が竦むような感覚に陥ってしまう。


 でも彼女の一言を聞いて、私はすぐに決断した。


「このまま西ノ瀬さんに取られちゃっていいの?」

「絶対だめ!」


 そんなこと、あってたまるものか。

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