#8 初詣デートにご利益を
いくら年を重ねても、大晦日の夜は不思議と胸躍るものである。
大掃除をしたり年越し蕎麦を食べたり、家族で一家団欒の時を過ごしたり。
一年の最後を締めくくるこの一日を有意義なものにして、次の年を綺麗にスタートさせたい人たちが大多数だろう。
かく言う俺も、そんな大多数の中の一人である。
俺の場合は大掃除。と言っても、ワンルームで部屋は狭く、家具はソファーとテーブル、少しのクローゼットしかないので『大』が付くほどの掃除でもない。
時刻は夜十時半。
クローゼットの中を整理していると、懐かしいものに遭遇して手を止める。
少し黄ばんだ箇所が見られるメッセージカード。その差出人の欄にはつい数日前まで彼女だった人物、今井綾沙の名前が書かれていた。
『いつもわがままに付き合ってくれてありがとう。大学生活でも一緒に頑張ろうね。大好きなたーくんへ』
短く綴られたその文字は色褪せていて所々霞んでいる。
確か大学に入ってすぐの俺の誕生日に貰ったものだ。
プレゼントはなかったけど、十分に嬉しかったことを覚えている。
元々恥ずかしがり屋な部分のあった彼女が、こうやって短いながらも想いを綴ってくれたのだ。
この手紙を貰った当時、たったこれだけの文字を何度読み直したか分からない。それほどまでに当時の俺は舞い上がっていた。
だが、別れた今それを見ると実に空虚な気持ちになる。大学生活はもう一緒ではないし、俺のことを大好きなんて言ってくれる彼女はもういない。
「…………」
それをそっとクローゼットの中に戻して何事もなかったかのようにベッドへ飛び込む。大晦日という一年の節目の一日に、ブルーな気持ちになるのはよろしくない。次の年まで未練を残すわけにもいかないし。
それに、もうそろそろ時間だ。
あいつがせっかく来てくれるのに、誘った俺が沈んでいては申し訳ないだろう。気合を入れておこう。
頬を手のひらでパチパチと叩いて気持ちを立て直す。
するとちょうど、部屋にインターホンの音が鳴り響いた。
玄関に足を急かせて扉を開ける。
そこにはいつもと似ても似つかない後輩・白鈴雛乃が立っていた。
○○○
「今日はなんだか雰囲気が違うな」
目的地の神社へ続く道を並びながら、隣を歩く白鈴にそんなことを言った。
別に後輩の身嗜みをじろじろと見ているわけではない。
でも今夜の彼女の服装はどこか大人びていて、いつもの女の子らしい服とは明らかに違っていることだけは確かに分かった。
「もしかして、変ですか……?」
白鈴は自信のなさそうな声音でそう聞いてくる。俺からしたら違和感があって変だが、客観的に見れば相当似合っているのでその旨のことを伝える。
「いや、すごく似合ってる。ただちょっと、いつもより大人びてる感じがするなと思って」
「そうですか、ありがとうございます……」
……あれ? おかしいな。
普段の白鈴なら褒められただけで大袈裟に反応して鬱陶しい気さえするのに、今日の彼女はひどく落ち着いたリアクションだ。
なんというか、物足りないまである。
つい気になって、俺は彼女に聞いてみる。
「大丈夫か? 今日元気ないみたいだけど」
「い、いえ。平気です」
白鈴のたじろぐ姿なんて、高校以来見ていなかった。でも彼女は今、明らかに尻込んでいて不自然だ。
そんな俺の感性は的中していたらしく、彼女はまた思いもしないことを唐突に言ってくる。
「あのせんぱい、腕組んでもらっていいですか?」
「いや、そういうのは彼氏と」
俺が毎回多用する言葉を綴っている間に、白鈴は俺の腕を掴んで
思いがけない行動に、今度は俺がたじろぐ。
「し、白鈴!?」
間抜けな声を上げる俺にも構わず、白鈴は体を寄せ続けてくる。
そして彼女とピッタリくっついたことで、俺はあることに気づく。
「あれ? 白鈴、髪型変えたか?」
白鈴の髪型は見慣れた幼気の残るショートではなく、肩よりも少し伸びた、いわゆるセミロングだった。
加えて、なんだかいい香りがする。香水だろうか。まあ、そんなことを言うのは気持ち悪いので口には出さないでおく。
「は、はい。実は少し変えました」
相変わらずおかしな様子の白鈴だが、そのときだけ少し微笑んで嬉しそうな素振りを見せた。よかった、別に体調面とかの問題はないようだ。
そして気づいたからには、褒めてあげるのがマナーというものだろう。
「なんだか、その髪型も似合うな」
「ほ、ほんとですか? ありがとうございます!」
少し褒めただけで白鈴は笑顔を覗かせて喜ぶ。いつもよりは落ち着いているように見えるが、普段の彼女らしい反応が見れて俺の頬も自然と緩まる。
「イメチェンってやつか?」
「……はい。どうですか?」
何気なく聞いたが、そう聞き返されると俺は弱い。俺の返す言葉はこれしかないからだ。
「いいと思うぞ」
白鈴は言葉を返さなかった。うんうんと嬉しそうに頷くだけで。
嬉しそうな彼女を見るのはやはりいい。本当に彼女には笑顔が似合うと痛感する。
でも、流石にこんなにもくっ付かれていると恥ずかしくなってくる。というかもう、こんなの恋人同士がする奴だ。
「ちょっと白鈴」
だけどそこで、出かけた言葉をつまらせる。
俺の体にしがみつく白鈴の表情が、普段は見ることのないであろう緊張と嬉しさに満ちたものに見えたからだ。
能天気で明るい雰囲気の彼女からは到底想像できないような、大人びていてどこか控えめな雰囲気。
彼女がいつもの調子なら軽く流せたのに、こんなにも真面目になっている彼女を見ると、そうするのは流石に悪い気がした。
「なんですか?」
「……いや。恥ずかしいからさ、神社に着くまでにしてくれ」
そんなことを告げると白鈴は小さく頷きを返して、更に体をくっつけてくる。
一方、俺は緊張と恥ずかしさで背筋をピンと伸ばして、ぎこちない歩みを進めるしかなかった。
来年の到来を残り一時間に控えた大晦日の晩、俺は今年一番と言える程の緊張を味わっていた。
今日の白鈴は
俺にやましい感情が湧いたのは紛れもない事実である。
だけど同時に、彼女が無理をしているように見えて仕方なかったのも、揺るぎようのない事実であった。
○○○
由紀ちゃんのアドバイスを聞いてよかった。
服とか髪型を考えてもらった甲斐があった。せんぱいはちゃんと気づいて褒めてくれた。嬉しい。
アドバイス通り、大胆なボディータッチもした。せんぱいは明らかに恥ずかしがっていた。私もだけど。
せんぱいはいつものように流したりはしなかった。やっぱり、こういうのが好みなのかな。前のスタイルが良くなかったのかな。
でもこれなら、今回の目標を達成できる気がする。
今回こそはせんぱいに伝えるのだ。
大好きです、の一言を。
○○○
「うっわぁ。すごいな人の数」
初詣に訪れた神社はかなりの人混みで溢れかえっていた。
まだ年すら明けていないのに、俺たちのように気の早い人々がこんなにもいるとは。
賽銭箱の大行列に並びながら達観したように辺りを見ると、あまりの群集に軽く引いてしまう。これでは人混みどころか『人がゴミのようだ!』ってやつだ。ムスカ大佐もこんな気持ちだったのだろうか。
それに加えて、この混雑たちに目を向けて見るとあることに気づく。家族連れやカップルばかりなのである。
通常運行の白鈴ならば「私たちもカップルに見えますかね!」くらい言ってきそうだが、生憎今日の彼女はそんな様子ではなかった。
むしろこんな感じに
「カップルばかりですね……」
と、随分落ち着いた声音で呟く始末である。なんとも調子が狂う。
そんな違和感を解消するべく、俺は白鈴に話を振ってみる。
「白鈴は五円玉持ってるか?」
「はい、ちゃんと」
約束通り腕から離れてくれた白鈴に尋ねると、彼女は財布を確認することなく答える。準備周到なことはなによりだ。
そんなことを思う俺も用意はちゃんとしていて、久方ぶりに身に付けてきた腕時計でチラリと時間を伺う。
示された時刻は11時55分。年明けまでもう間もなくである。
「今年は色々あったなー」
柄にもなくしみじみとした表情でそんなことを呟く。人混みでうるさい中でも無事白鈴には聞こえたようで、彼女は相も変わらず閑やかな様子で話し出す。
「来年はいい年になるといいですね」
「いや、どうして今年が悪かったみたいな言い方なんだよ」
別に彼女にフラれて浮気紛いなことをされたからって、そんなことは気にしてない。いや、嘘だ。結構気にしてる。
俺が強がって反論すると、白鈴はマフラーで口元を隠してくすくすと笑う。女の子らしい仕草に、不覚にもドキッとしてしまう。
「白鈴の今年はどうだったんだ?」
内心に沸いた感情を隠すようにぎこちなく白鈴に尋ねる。実際気になっていたので、逃げたわけではない。
すると彼女は地面を憐むような目で見つめる。
「私の中では長年進まなかったものが、ようやくゆっくりと進み出した感じです。早くこうしておけばよかったな、とつくづく思います。なんでこうしなかったんだろって」
俺はその言葉の意味があまり理解できなかった。
大学入試が無事終わったから? とうとう大学生になれたから? 一人暮らしを始めたから?
様々な意味を模索するが、ピンと来るものは特にない。
だけど、暖色系の灯りに照らされた彼女の艶やかな横顔を見ると理由もなく、ある言葉が浮かんできた。
「それってイメチェンのことか?」
「……え?」
白鈴は隙をつかれたように微かな声を上げた。
その声に構わず、俺は感じたことを伝える。
「なんだか今日、すごく無理してると思って。最初は気合い入れて来てくれたと思ったけど、やっぱりなんだか変だ」
「そ、そんなこと……」
否定の言葉は途中で途切れる。あながち間違っていなかったようだ。
目を逸らす白鈴に、続けて言葉を浴びせる。
「腕を組んできたり、身を寄せてきたのは正直嬉しかったけど、いつもの白鈴はこんなことしないだろう。今日はどうしたんだ?」
俺と彼女との間に沈黙が落ちる。でもそれは非常に短いものだった。
白鈴は思い口を開かせる。
「だって、こうしないとせんぱいが喜んでくれないかと思って……」
その瞬間、俺はドキリとする。彼女の横顔に映る瞳が、微かにだが潤んでいたのだ。
だが、彼女はまだ話を続ける。
「せんぱいが好きそうな感じにして、積極的にしないといけなくて。だから頑張って色々準備してきたんです」
今にも泣いてしまいそうな白鈴を、俺は見守るしかできない。
「こんなに準備したのに、まだ足りないんですか? 私はせんぱいのことをこんなに……」
その言葉が聞こえたあと、白鈴の頬から一滴の涙が溢れた。
こんな時、できる男ならどうするのだろうか。
背中をさすって慰めの言葉をかけるのか。彼女の望む言葉を届けてあげるのか。はたまた彼女を抱きしめてあげるのか。
だがどちらにしても、俺の言えることは決まっていた。
「俺は。白鈴は白鈴だから、どんな感じでもいいんだ。だけど、無理してるのだけは見てられなくて」
ついしんみりとした声色になってしまい、雰囲気が凍り付いていく。騒がしい群集の中でたった一ヶ所、切り取られたかのように二人の間に沈黙が走る。
まずい。変なことを言ってしまったかもしれないと思ったその時――
「なんちゃってです、せんぱい!」
白鈴はニパァーと笑ってこちらへ向き直した。その表情には先程の落ち着いてお淑やかな雰囲気などはなく、完全にいつものあざとい笑顔だ。
そしてこの時、「は?」と間抜けな声を上げた俺を誰も責められないだろう。
「今日はせんぱいをドキッとさせようと思って。どうでしたか、ドキッとしましたか?」
こ、こいつ! 最初から仕掛けていたのか!
やばい、どうしよう。さっき勢いで嬉しかったなんて言ってしまった。
「白鈴――」
言葉を言いかけた瞬間、周りから歓声が上がった。太鼓や拍手の音、遠くの方から花火の破裂音までもが聞こえてくる。
すると目の前に立つ白鈴が一歩こちらへ歩み寄って、こう告げてきた。
「今年もよろしくお願いしますね、せんぱい!」
新年初のことよろはうんざりするほど見慣れた、あざと過ぎる後輩のものだった。
○○○
今回は大健闘だった。
即興で誤魔化せたのはよかったけど、失った駒は数知れない。
せっかく頑張って練習した演技も、大人びた仕草も、これで使えなくなってしまった。
こんな服、もう着る機会は当分来ないだろう。もちろんあの内気な私も、当分出番はない。
だけど、収穫は確かにあった。
「身を寄せてきたのは正直嬉しかったけど」
彼の言った言葉が頭の中を駆け回って仕方がない。
それに、彼が私を気にかけてくれてたことも分かった。
見た目や性格じゃなくて、『私』ならいいと言ってくれた。
本当によかった。嬉しかった。
準備した甲斐があった。策を練り込んだ甲斐があった。
一歩進んだ気がした。西ノ瀬さんにも対抗できる気がしてきた。
だけど唯一の難点は、私に勇気が足りなかったことくらいだった。
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