#14 元カノは巡り合わせる
「じゃあね澄ちゃん! あっちでも元気でね!」
人の往来が激しい駅口で、遠くに見える澄香に手を振る。白鈴は人の目も憚らずに声を出して、必死に別れの挨拶をしている。
妹と後輩の距離が知らぬ間に縮まっていて、つい微笑みが溢れてしまう。
澄香もこちらに大きく手を振り返して、微笑みながら身を翻す。妹の嬉しそうな顔が見れてなによりだ。
こうして、朝の見送りが終わった。澄香はこれから何時間もかけて、古き良き故郷に帰って行くことになる。
そんな過酷な未来が待ち受ける澄香が人混みで見えなくなると、白鈴がこちらに向き直った。
「じゃあせんぱい、これからはデートの時間ですね!」
気の早いことを言う白鈴だが、かくいう俺も楽しみだったのでその意見に賛同する。デートという言い方はやめてもらいたいが。
「そうだな、確かに朝食も摂って食器も洗ったし。家に帰ってもすることないからな」
スラスラと理由を並べてみる。「俺も楽しみだったから行きたい」なんて恥ずかしいことは、到底言えなかったからだ。
「そうと決まれば早速ですね! 新年早々にデートなんて、楽しみで仕方ありません!」
「だな、俺も楽しみだ」
嬉しそうな表情で笑う白鈴につられて、俺もつい本音を吐露してしまう。だがまあ、楽しみだったのは事実なのでいいだろう。
デートと言われるのは、やはり照れ臭いが。
○○○
「いやいや、まだまだいけるでしょこれ?」
「もう限界ですって、お客さん。勘弁してください」
「せんぱい、頑張ってください!」
人が絶え間なく行き来する商店街の一角で、俺は鮮魚店の店主と数分の間、連々たる攻防を繰り返していた。
お目当ては大きなタラバガニ。一肩4500円のところを3000円まで値切っていたところだった。
「これ以上は駄目な感じ?」
「駄目な感じですよ、半額近くになっちゃいますからね」
「せんぱい、もっと頑張っちゃってください!」
後ろで白鈴が揚々と応援している。なんていい後輩なんだ、彼女は。
そんな白鈴の期待に応えるべく、俺は最後まで残しておいた秘策を繰り出すことにした。
「分かった。じゃあ3000円を二つ買うことにするよ」
「いやいや、一つは定価ですよ。一つに限り3000円です」
「……なら分かった。一つ3500円にして二つ買う、どうだ!」
見栄を切るような素振りでそう言い放つ。
はじめに無理難題を示してから、次に本命の題目を押し付ける。大半の相手は断り続けることを避けて、本命の題目を聞き入れてくれる。
なんて完璧な策略なんだ。
だがこの店主は俺の下賤な策に揺るぐことなく、依然とした態度のまま答える。
「いや、そんなこと言われても駄目です。ちゃんと買ってください」
くっそ! このじじい、中々に賢い! おそらく俺のような客などにも慣れているのだろう。ベテランはこんなのお見通しのようだ。
「……し、仕方ない。なら一つだけ」
「えー私、タラバガニいっぱい食べたいですよーせんぱい! もっと買ってください!」
白鈴が横から、俺の腕を揺さぶって甘い声をあげる。
お、そうか。
諦めかけていた俺だったが、彼女の思惑を瞬時に読み取る。
「いや、そう言ってもなぁ……。俺の財布じゃあそんなに買えないんだ……」
「そ、そんな! 私、楽しみにしてたのに!」
わざとらしい声をあげる白鈴は、チラリと店主の顔色を伺っている。
するとどうだろう。先ほどまで泰然自若を貫いていた店主が、別人のように慌てふためいているではないか。
白鈴も当然それに気付いたようで、いたずらな笑みを浮かべた。そして俯いた様子を見せて畳み掛ける。
「せっかく買えると思ったのに……、ひどいです、せんぱい……」
店主はすぐさま言った。
「分かった! 3500円二つだな!」
「ありがとうございます!」
笑顔に表情を切り替えた白鈴が、悔い気味にお礼を言った。
「いやー、帰ってからが楽しみですね!」
俺の顔を覗き込むようにして、白鈴が笑顔で言ってきた。
その手には先ほどの仁義なき戦いの末に勝ち取ったタラバガニの袋が、大事そうに持たれている。
ゲームセンターで子供に、景品を取ってやった父親の気分だ。
「白鈴、醤油ってまだあったっけ?」
「確かあったと思いますよー。なかったらコンビニまで行けばいいだけです」
今日の朝食も白鈴が作ってくれたので、彼女は我が家の台所事情をよく知っている。下手したら俺よりも知っていそうな気がする。
すると白鈴も同じことを思ったのか、マフラーに顔をうずめながらこんなことを言ってきた。
「なんだか、同棲してるカップルみたいですね、私たち。もしくは新婚さんとか」
「……そうだな」
意味深なことを言う白鈴に苦し紛れの言葉を返す。彼女はそんな俺の様子を見逃すことなく、ニヤついた表情で追求してきた。
「あれ、もしかして照れてます? せんぱい?」
「いやいや、そんな分かりきった冗談に照れるような俺じゃないからな」
動揺を隠しきれない声でそう言うと、白鈴は「ですよねー」と口ずさんで前を向く。
「じゃあ、適当に昼飯食べて帰るか」
「そうですね。でもお弁当でもいいですよー、夜はいっぱい食べるので!」
「あ、そういえば」
白鈴に弁当と言われて思い出す。
そういえば毎年この商店街で買い物をした後は、そのままある弁当屋に寄って行くのが常だった。
大きな唐揚げが売りの弁当屋で、それを家に持ち帰って食べるのが毎年の慣しであり、同時に楽しみだったのだ。
「近くに旨い弁当屋があるんだけど、そこで買っていくか? 唐揚げ弁当だけど」
「了解です! 起算線から12海里です!」
「……それは領海だろ」
敬礼のポーズをとる白鈴は可愛いが、そのセリフは馬鹿らしいのでやめてもらいたいところだ。
家族連れやカップルで溢れる商店街を進んでいく。後ろを歩く白鈴が心配で頻繁に目をやるが、彼女はなんとかついてきている。
でもその様子が妙に心配で、白鈴の前に手を差し伸べる。
カニの入った袋を持ってやろうとしたのだ。
「え?」
だが白鈴はあっけらかんとした様子を見せる。
そして何を勘違いしたのか、彼女は俺の手を握ってきた。
「いや、白鈴!?」
否定の言葉を述べようとするが、白鈴が更に力を込めて握ってきてうまく思考が纏まらない。柔らかくて気持ちのいい手のひらが、俺の手を包み込んでくるからだ。
でも、別にわざわざ否定する意味はないのかもしれない。
「えへへ。なんだか嬉しいです」
照れを隠すように笑いながらそう言う白鈴に、俺は無意識にもドキリとしてしまった。
だから俺は何も言えなかった。離してくれとも荷物を持ちたかったとも。
ぎこちなく手を繋ぎながら歩みを進める。横目で白鈴を見ると、隣を歩く彼女は足元を見つめながら頬を赤らめている。俺の場合も、側から見ればそんな感じだ。
「いらっしゃいませー」
そんな俺たちでも何とか弁当屋まで入ることができた。
そろそろ緊張で手汗が気になり始めたので、いい加減に手を離したい。だけど、白鈴が手の力を緩めることはなかった。
「白鈴、さすがに店の中だから……」
「え? あ! すみません、つい!」
白鈴はぼーっとしていたようだった。俺が話しかけると慌てた様子ですぐに手を引っ込めてくれた。
これで安心して動くことができる。
早速店員さんに注文する。
「すみません、唐揚げ弁当の並盛りを二つお願いします」
注文をして料金を支払うとすぐにホカホカの弁当がやってくる。並とは言い難いほどのボリューミーな唐揚げたちが、箱の中からはみ出ている姿はまさに圧巻だ。
白鈴が食べ切れるかどうか、心配なところであるが。
「じゃあ白鈴、帰るか」
「……はい! ご飯食べた後、何します?」
「だらだら過ごす」
「イチャイチャ過ごす!?」
店を出る頃には白鈴は元の調子に戻っていた。この辺りで商店街を抜けるので、もう手を繋ぐ必要もない。一安心だ。
「またのお越しをお待ちしております」と書かれた看板の下を通過して商店街を出ると、先ほどの人混みが嘘のようになくなっていく。
少し商店街から出ただけなのに、先ほどとは違う世界へ来たように雰囲気が変わった。
人の波が引いて、周囲の様子が開けていく。それがなんとも解放感に溢れるものだったので、俺は心の内で喜ぶ。
だが、俺の喜びは一気に消え失せることとなる。
「あ、あの!」
背後から声をかけられて俺は反射的に振り返る。
その瞬間、ドキリとする。それはいつも白鈴にするドキリではなく、驚いて肝が冷えていく意味のものであった。
流れるようなロングの黒髪は小さなお団子に纏まっていて、もみあげがひらひらと頬の辺りを舞っている。
一昨年の冬に俺が選んであげたベージュのコートは、相も変わらず綺麗に着こなされていた。
「たーくん……だよね?」
恐る恐る、という言い方がふさわしいその声音は、しばらく呼ばれてこなかった恥ずかしい渾名を口にする。
だが呼ばれた当の俺は驚きと動揺で言葉が出てこない。
「久しぶり、だね……」
そこにいたのは頑張って笑顔を心がける女の子。
――俺の元カノ、今井綾沙だったから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます