#11 彼女(元)と彼女(予定)
「つまり、二人はお付き合いしてるわけじゃないの?」
「はい、付き合っていません」
もうだいぶ座り続けて、足が痺れてきたのを感じる。
暖房の効いた部屋で、俺はその言葉を幾度となく繰り返していた。その台詞は聞き入れられることはなかったが、澄香が部屋に乗り込んでから30分が経った今、ようやく彼女は納得した顔を見せ始めた。
「そうなんですか?」
澄香は確認するように白鈴に尋ねる。
下手な返事をしなければいいが……。
「いえ、絶賛お付き合い中です!」
「おい、適当なことを言うな!」
納得しかけていた澄香の表情が怪しむように眉をひそめるものに変わっていく。白鈴の奴め、おかしなことを口走りやがって。
「澄香、本当にこいつはただの後輩だからな?」
「……それは分かってるよ」
お、意外にも物分かりの良い性格をしている。だが、『それは』という一言がどうも引っかかって、俺はその意味をそっと聞いてみる。
「それは、って……他に何か疑っているのか?」
澄香はそのパッチリとした目を細めて目線を流す。そして、さも言いにくそうに考えを口にする。
「……その、デリバリーな女の子とかじゃないの?」
「どうしてそうなる!?」
「ダメだよ、淫行条例に引っかかっちゃうから」
「そんな心配いらん!」
きっぱりと否定してみせる。すると流石の澄香も分かってくれたようで、ようやく納得の言葉を口にした。
「……はあ。分かったよ。そういう関係でもないんだね」
「そうだ。やっと分かってくれたか」
新年早々に労力を大量消費した気がする。白鈴と西ノ瀬が初めて対面した時のような疲労感が俺にこみ上げてくる。
だが、そんな疲れ切った俺を追撃するかのような言葉が浴びせられる。
「白鈴さんと付き合ってたら、綾沙さんに浮気したことになるもんね」
「…………」
俺は何も答えられない。
そうだった。そう言えば澄香にはまだ彼女と別れたことを、いや、フラれたことを伝えていなかった。めでたい元旦からそんなことを思い出したくなかったが、白鈴が助け舟を出してくれる。
「……あのね。実はせんぱいは、つい最近あの人にフラれちゃって……」
「え!? 本当なの、お兄ちゃん!?」
俺は黙って肯定の意を込めた頷きを返す。澄香は「うそ……」なんて頭を抱えているが、生憎そうしたいのは俺の方だ。
「あーあ、あんなに美人さんで良い人だったのに……。お兄ちゃんの唯一自慢できるところがなくなっちゃったよ……」
「言い返す言葉も御座いません……」
落ち込む俺と悲しむ妹。なんともむごい雰囲気の中に、見事なまでに明るい人物が一人いた。
「大丈夫です! せんぱいには私がついています!」
わざとハイテンションで言いのける白鈴は、やはり気の利いた後輩だった。
○○○
「じゃあ私、とりあえず帰りますね」
沈みかけた雰囲気も回復しかけた頃、白鈴が明るい口調でそう言った。
この我が家は非常に狭い。それに加えて寝床はシングルのベッド一つのみで、三人で泊まるというのは少し厳しいものがあった。
だからだろう。白鈴は唐突に帰ると言い出した。
だが俺は、そんな白鈴を止める。
「いや、いいよ。泊まっていけよ」
「大丈夫ですよ、また後でお泊まりできるなら」
唇に人差し指を当てて、笑顔と共にウインクをする白鈴。だが俺はそんな彼女に流されることなく言葉を重ねる。
「そうじゃなくて……正月に白鈴だけ家に1人っていうのも寂しいからさ。澄香もいるけど、うちでのんびりしていってくれ」
数日居ても良いと言ったのに、ここで彼女を返してしまうのはあまりに酷だ。それに一度期待させたのに、彼女に気を遣わせて帰らせるのは男らしくないと感じた。
白鈴は一瞬驚きの表情を見せたが、満更でもないように笑って胸を張る。
「そ、そこまで言われたら仕方ないですね! せんぱいの頼みを無碍にするわけにもいかないので、お言葉に甘えてお泊まりしていきます!」
その慌て様が素の白鈴を感じさせて、俺は思わず彼女の頭を撫でてしまう。
「ありがとう」
「せ、せんぱい!?」
又もや慌てふためく白鈴と、そんな彼女が面白くて撫で続ける俺の微笑ましい光景。終わることのないと思われた和やかな風景だが、それは一人のわざとらしい咳で中断された。
「ごほん。イチャイチャはいいけど、それなら布団を買いに行かないと」
演技がかった咳の本人である澄香がそう言う。
イチャイチャという一言には反論したいものである。
だが確かに、このままだとベットが足りず、俺一人が床とお友達になることになる。それだけは嫌だ。でも布団を買うにしても、俺の財布が耐えるかどうか……。
だがそんな俺の考えは杞憂に過ぎなかった。
「今は初売りとかで色々安いもんね! せんぱいの貧しいお財布でも買えるかも!」
ひどいことを言う白鈴だが、あながち間違っていないので反論できない。
反論に代わる言葉を急いで模索する。
「分かった。なら早速買いに行ってくる。お前らは待っててくれ」
「なら私も行きたい! 東京で買い物とか憧れだったよ!」
普段は素っ気ない妹だが、こういう時だけ目をキラキラと輝かせる。
まあ俺も数年前まで田舎に居たから、東京に憧れを抱く心情は分からなくもない。
「じゃあ澄香も行くか。先に言っておくが、俺に何かを買ってもらうとかの期待はするなよ?」
「そんなの要らないし。事前にお年玉をいくらもらったと思ってるの?」
そう言って澄香は財布の中の札束をちらつかせる。下手したら俺の全財産にも引けを取らないそれは、どこか無償の輝きを放っている。
「まあ、来年にはお前も貰えなくなるがな!」
「負け惜しみは虚しいよ!」
そんな微笑ましい兄弟の会話に白鈴が入れないことに気づいて、咄嗟に彼女へ話しかける。
「白鈴、悪いけど留守番頼む。俺はこの田舎娘に、東京がなんたるかを教えなければならない」
「分かりました! 家は私に任せて、二人とも楽しんできてください!」
結果的に白鈴を一人にさせてしまったことに罪悪感を覚えつつ、軽い財布をポケットにしまう。
コートを羽織って玄関に向かうと、飛び跳ねそうなテンションの澄香が後をついてくる。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい、あなた」
「はいはい、行ってきます」
手をひらひらと振って送り届ける白鈴を見て、つい頬が緩んでしまう。横で澄香が「何その顔、キモっ」と言ったのが聞こえたが、そんなのが気にならないほど彼女は可愛らしかった。
ドアが閉じて歩き出すと、隣を歩く澄香に問いかける。
「かわいい後輩だろ? あいつ」
「すごくあざといけどね」
いつもの俺と同じ感想を抱く妹に、不覚ながらも微笑みが溢れてしまった。
○○○
ついにこの時がやってきた。
自分一人しかいない部屋で、私は心の内で大喜びしていた。
せんぱいのこの部屋が、今この瞬間、私のものになった!
途端私はベッドに寝転がる。
ただ寝転がるだけではない。掛け布団を抱きしめて、シーツに顔を埋める。
ただのベッドとは思えないほどに気持ちのいい感触に身が包まれていく。
「幸せ……」
体が幸福感で満たされる。こんなの癖になりそうだ。脳内麻薬が分泌されていると言っても過言ではない。
彼に見られたらドン引きされる背徳感と、単純に感じる彼の匂いが病みつきになる。今眠ったら良い夢が見れそうだが、このひと時を浪費するわけにはいかないので眠るわけにはいかない。
「せんぱい大好き……」
彼の前では絶対に言えない言葉が、今ならこんなにも簡単に口に出る。そのまま抱きしめた布団をぎゅーっと胸に押し付ける。
こんな日が唐突にやってくるとは、神様も案外いい奴である。
それに並んで義妹(になるであろう)の澄香ちゃんにも感謝しなければならない。私が今、こうして快感に浸っているのも彼女のおかげであると言える。
「んーっ!」
更に顔を埋めてみる。
気持ち良すぎて抜け出せるか心配になるが、体が止まらないのだから仕方がない。これは不可抗力という奴だ。
本来ならクローゼットなども漁ろうなどと下衆な考えを秘めていたが、もはやこちらの虜になってしまったのでそんなことはどうでもいい。
今はただひたすらに、この気持ち良さを感じていたいから。
彼が出て行ってからどれくらいが経っただろうか。
私はベッドから起きていた。理由は簡単である。
インターホンが鳴ったのだ。
帰って来るには早過ぎるので、今度こそ年賀状の配達か何かだろう。
でもまったく、留守番というのも酷なものである。来客に対応するために、こうやってベッド中毒の体を起こさなければいけない。
冷たさを感じるドアノブに手をかけて、見かけ以上に重たいドアを開ける。
するとそこにはどこかで見たことのある顔があった。
「あ、あれ? すみません、こちらたーくん……じゃなくて、岸和田泰介さんのお部屋ですか?」
そう戸惑いながら聞いてきたのは、私が高校時代に嫌と言うほど嫉妬してきた女性・今井綾沙。
せんぱいの、元カノだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます