#10 逆帰省の来客人
朦朧とした意識が微かに鮮明になっていくのを感じる。
カーテンの隙間から漏れ込む日差しと、窓の外に聞こえる鳥のさえずりが俺を起こしている気がした。
「あ、せんぱい起きたー」
でも実際のところ俺を起こしていたのは別の人物。綺麗な指で頬をつついてくるあざとい後輩・白鈴雛乃だった。
不覚にもドキリとしてしまい、眠気がすぐに引いていく。
「おはようございます!」
「おはよう、白鈴」
無邪気で元気な挨拶に、俺はいつも通りを心がけて応じる。
『せんぱい、大好きですよ』
目覚めた今でも、頭の片隅にその一言が残っていた。
彼女の声なのにどこかあざとさを含まない、何気ない自然な囁き声。到底演技をしているようにも、寝言にも聞こえなかったそれが何を意味するのかを、俺は薄々分かっていた。
分かっていたのだが、
「せんぱい、まだ眠たいですか? 目覚めのキスでもしてあげましょうか?」
こんな無茶苦茶なことを抜かす白鈴を見てると、そんな考えは一瞬で吹き飛ぶ。もしかしたら、なんて少しでも考えていた自分が馬鹿らしい。
「いや結構。朝からそんな白雪姫みたいなことはしたくない」
「朝だと刺激が強過ぎ? じゃあ今夜にお預けしましょう!」
「どうしてそうなるんだ……」
やはりいつも通りの白鈴だ。あらぬ勘違いをしなくてよかった。
これで安心して胸を撫で下ろせる。
ただいまの時刻は午前10時。到底早起きとは言えない時刻だが、別に俺には駅伝を見る道楽も初日の出を迎える趣味もない。正月くらいはのんびり寝ていてもいいだろう。
と、何気ない考えを巡らせていると、あることに気づく。
「なんか美味しそうな匂いがする」
「あ、気づきました?」
そう言って白鈴は台所に向かう。そして帰ってきた彼女の両手にはお盆があった。
その上に運ばれてきたのは、さも出来立てという雰囲気を纏った目玉焼きと白飯だった。
「お邪魔してるだけだと申し訳ないので、朝ごはん作りました!」
「おー……」
俺は思わず感心して声を上げてしまう。まさか白鈴がこんなにもできた後輩だったとは。
テーブルの上に置かれた目玉焼きを見ると、なんとも形が整っていない。それに加えて、端の部分が少しばかり焦げている。
だけどそんな不完全なところが、頑張って作ってくれたことを想像させてくれる。
「せんぱい、そんなに見ないでください……。結構恥ずかしいです」
白鈴は照れを隠すように「えへへ」と付け加える。首を傾げて頑張りながら笑顔を作る姿はなんとも愛くるしい。
やばい、どんなにあざとい台詞よりも可愛いし、何よりすごく嬉しく感じる。
「いや、そのな。作ってくれたことが嬉しくて……」
まずい、つい照れて変なことを口走りそうになる。でもこれは本心なので言ってもいいのだろうか。
「……ありがとな、白鈴」
白鈴はこくりと大きく頷くだけだった。その動作がいつもの彼女らしからぬ動きで、演技ではなく普通に照れていることが分かる。
「いただきます」と手を合わせて箸を伸ばす。白米は電子レンジで炊いただけなので普通の味である。
それよりも気になるのは目玉焼きの方だ。
その一切れをパクリと口に入れた途端、白鈴が感想を聞いてくる。まだ味わってすらいないのだが。
「どうですか? まずくないですか?」
『おいしいですか?』ではなく、『まずくないですか?』と聞いてくる辺り、あまり料理はしないのだろうか。
けど、そんな聞き方をするのはもったいないだろう。
「……いや、美味しいよ」
この言葉は本音だった。
だけど同時に、よく分からないというのも本音であった。
本当に美味しいのか、嬉しくて美味しく感じているのか。
でもどちらかと言うと多分後者な気がする。
その証拠に、
「そうですか? なら良かったです!」
満面の笑みを浮かべて喜ぶ白鈴を見ると、目玉焼きがもっと美味しく感じた。
「ごちそうさまでした」
「お粗末さまでした!」
元気な声でそう返す白鈴はなんとも嬉しそうである。我ながらいい後輩を持ったものだ。
朝の楽しいひと時を終えて一息つく。こんなにも健康的な朝食を迎えたのは高校生以来ほとんどなかった。毎朝白鈴が朝食を作ってくれれば、俺の食生活はいちじるしく向上するに違いない。
そんなことを思いながら、俺は食器を持って立ち上がる。だけどどうしてか、そんな俺を白鈴は慌てて止めてくる。
「あ、せんぱい、私が洗います」
「いやそんなの悪いだろ」
「私はお邪魔してる身なので、少しくらい役に立たせてください」
「うーん……じゃあお願いするよ」
「お願いされちゃいます!」
前髪の位置で無邪気に敬礼する白鈴に、食器を渡す。彼女はてくてくと台所に歩いていく。反対に俺はベッドに腰を下ろす。
「ふぅ……」
なんだか幸せな一日の始まりだ。それに今日は元日でもあるので、おめでたい気分が相まって尚更に心地いい。
正直に言って白鈴の料理も、手の込んだおせち料理なんかよりも何倍も美味しく感じた。やはり女の子の手料理というのは、どこか魔性の魅力を持っている節があるのだろう。
「食器洗いを終わらせてきました、ご主人様!」
「どうして秋葉原にいそうな口調?」
「ファンサービスです!」
「だったらファンにやってくれ」
随分と早く戻ってきた白鈴は、俺の隣にちょこんと座る。だが座ったと思ったら、ベッドにそのまま倒れ込んだ。
彼女は天井を見つめながら俺に尋ねてくる。
「せんぱい、いつまでここに居ていいですか?」
「今日まで」
「そんな〜! せめて冬休み終わるまで一緒にいてくださいよ〜」
「俺はいいけど、家には帰ったほうがいいだろ」
「いやです、遠いです!」
何を軟弱なことを……。
正月とはいえ何日も家を開け続けるのはよろしくない。それに年賀状とかが届いてる可能性だってある。
というか、服とかの替えがないだろ。
……あれ? そういえば白鈴の服装が昨夜と違う気がする。
反射的に俺は横目で彼女の様子を凝視する。
「……白鈴、気のせいかもしれないが着替えたか?」
「あ、気づきました? 実は私もう一枚服を持参していたんですよ」
「え? どうして?」
「せんぱいの家に泊まることを見越して」
「てへっ!」と自分で効果音をつけて舌をペロリとだす。うざい仕草なのに可愛いところがたちが悪い。
でも、泊まることを見越して服を持ってきたのは正直嬉しい気がした。昨晩の彼女はそんなことまで想定していたのか、と思ったからだ。
「だからせんぱい、準備してきたのでお願いします!」
「……分かったよ。数日だけだからな」
「やったー! せんぱいと同棲だぁ!」
万歳をしながらはしゃぐさまを見せる白鈴に、つい頬が緩む。どちらかというと居候なのだが、わいわいする彼女を見続けていたいので黙っておく。
だがそんな和気藹々とした部屋に一通の電子音が鳴った。
「あれ? 誰か来ましたね」
それはインターホンの音だった。配達だろうか。元日からご苦労なことである。
「まあ正月恒例の年賀状とかだろ」
わざわざ元日に年賀状を届けてくれるなんて、親切なものである。
さて今年は誰から年賀状が届くのか、と期待を膨らませて扉へ足を運ばせる。
「はーい」
気力のない返事をして無駄に重い扉を開ける。
すると思いもしなかった言葉と声が、俺に浴びせられた。
「あ、お兄ちゃん、久しぶり。一日泊めて」
会うなり素っ気無い言葉を口にする俺の妹・岸和田澄香がそこに立っていた。
○○○
「お兄ちゃん、久しぶり。一日泊めて」
扉を開けたまま、俺は凍りつくように固まった。
遠く離れた郷土にいるはずの妹が、なぜ東京にいるのか。なぜ東京に来たのか。なぜ泊めて欲しいのか。
その全てが分からない。
だがそんな俺でも、確実に言えることが一つだけあった。
家にいる白鈴とこいつを対面させてはいけない!
「あー、どうしたんだ急に」
サンダルを履いて、扉を自然と閉めようとする。
が、
「あれ、なんでブーツがあるの?」
おい! なんでそんなところに気がつくんだ!
言われてしまっては仕方がないので、扉を開けてブーツを見せるしかない。
「いや、実は兄ちゃん今な、東京で靴磨きのバイトやっててさ。これはあれだよ、在宅ワーク的な?」
「靴磨きって革靴とかを磨くんじゃないの?」
俺の苦し紛れに吐いた詭弁に、すぐさま疑問点が提示される。こいつ、相変わらず細かいことを気にしやがって。
でも澄香はそのことについて追及する気は無いようだ。
その隙を見逃すことなく、俺は彼女に質問する。
「それよか、どうして東京にいるの?」
「お兄ちゃんが帰ってこないから逆帰省しに来たの。ついでに来年受験があるから、受験会場を見に来た」
アポなしで来る奴がいるか、と思ったが事前に泊めてくれなんて言われたら、俺は十中八九断っていただろう。
だがどうする? ホテル代を渡して入らせないか? でも財布は部屋の中にある。それに加えてホテル代ほどの金額がその中にあるのかすら怪しい。
と、俺がもたもたと決心できずにいると、澄香は焦ったそうに言ってくる。
「寒いから入っていい? 散らかっててもいいからさ」
そうやって彼女は一歩を玄関に踏み入れる。
まずいまずいやばい。中には白鈴がいるんだ。二人が対面したらめんどくさいことになるのは決まっている。
となれば白鈴をクローゼット、あるいは洗面所に叩き込むしかない。
「いや澄香、今すごく散らかってるからさ。少し待っててくれ」
「どうせ使用済みのティッシュとかが転がってるんでしょ? 一々気にしないからいいよ」
そう言って澄香は靴を脱ぐ。
妹がもっとデリカシーのある人間だったらこれで身を引いただろうが、生憎我が妹は俺に対するデリカシー意識が欠如していた。
そして、
「…………」
「…………」
ベッドで掛け布団に包まる白鈴と、部屋に入るなり立ち尽くした澄香の目が、バッチリと交わっていた。
お互い両者の様子を見合って、口を開く気配はない。バトル漫画などでよくある、動いたら死ぬというやつに近い。この場合は話したら死ぬと言ったところだ。
つまり、この遮った空気を打破するのはたった一人しかいないのである。
「二人とも、ひとまず落ち着いてくれ」
すると澄香は何か大変な勘違いをしたのだろう。俺の言葉からは結びつかないことを口にした。
「ちゃんとゴムしたよね?」
「してねぇよ!」
「してないの!?」
勢い余ってまた誤解を生んでしまった。
この様子だと、全ての誤解を解くには相当な時間がかかりそうだ。
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