第7話 希薄な家族

虎の威を借る狐という言葉を知っているだろうか。








簡単に言えば、他人の力で威張り散らす小物をさす諺だ。


側にいる相手がすごい才能や能力を持っていても、自分にはなんの力もないというそれを自分の力であると勘違いした、まぁ所謂痛いやつである。






虎の付属物、あるいは腰巾着であることを本人が認識しているならまだしも、気付かずにいるのなら始末に悪い。


周りが自分のことをどう思っているかなど気にも留めず、好き勝手な振る舞いをするのだから。




宿主にも迷惑をかけるわ、本人にもヘイトが貯まっていくわで、本当に救えない。






それでも、そのことに最後まで気付かずにいられたならそれはそれで幸せではあるのだろう。




都合のいい夢を見続けられたなら、本人にとってそれは間違いなく幸福なはずなのだから。






最悪なのは中途半端に目が覚めてしまい、自分が何者であるかを正しく認識してしまった、もう狐にすらなれずに他人の視線から逃げ回るだけのネズミにまで堕ちてしまった者であると僕は思う。








もう道化にすらなれない、ただ不満だけをぶつけられ続ける哀れな存在。


カーストトップの彼女を持つ、カースト底辺の身の程知らず。




それが夢から覚めた後に待っていた、藤堂凪の現実だった。




















「凪ー、ご飯よー。もう楓ちゃんもきてるんだから早く来なさい!」




次の日の朝、扉ごしに母さんの声が投げかけられた。


僕の朝は、いつも母親に怒られることから始まる。




時間は朝の7時すぎ。いつも通りの時間に起きて、いつも通りに寝巻きから制服へと着替えている最中だ。




「うん、すぐ行くよ」




返事を返すが、寝坊したわけでもないのに朝から声を荒げられると少しイラっとしてしまう。


ボタンを留めるのも上手くいかず、手元が粗雑になっているのが分かる。






両親は僕がいつまでも昔のまま、楓の世話になっていた頃から変わっていないと思っている節があった。


反論もしたことがあるが、あっさりと流されてしまったことから僕はもうなにかを言うのは諦めてしまっている。正直、リビングに行くのが億劫で仕方ない。


窓の外はあんなに綺麗な青空が見えているというのに、朝から既に気が重かった。




「凪!」




もたついていたからか、再度母親の声が階下から聞こえてきた。


その声はリビングにいる楓にも聞こえていることだろう。


紛いなりにも彼女がいる前で叱りつけるとは、息子に対してあまりにもデリカシーがないと思うが、これに関しても絶賛諦め中である。




彼らからすれば、娘同然のお隣の女の子を待たせることと貴重な朝の時間を無駄にすることのほうが罪なのだ。


子供の内心など、考えることはしない。




いや、彼らにとって僕はいつまでも手のかかる子供のままで止まっているのかもしれない。


その程度には多分僕らの家族の関係は希薄だった。




親からしたら僕らは家族同然に思っているのかもしれないが、僕からすれば楓は幼馴染であり恋人だ。線引きは既に済んでおり、そんな相手に醜態を晒している現実が苦々しい。




このことを多分楓は快くは思っていないだろう。


彼女は優しいから、なにも言えないことは分かってる。




申し訳ないことをしているなと、情けなさばかりがこみ上げた。




「良くないな、こんなこと考えるのは」




嫌な考えを振り切るように、制服を着替え終えた僕はカバンを手に取る。


入れているものは変わらないはずなのに、心なしかいつもより重いように思えた。


あるいはそれは、僕の心の重さを反映しているのかもしれない。


それなら思ったよりは軽いかもなと、どうでもいい考えが浮かんでしまう。






思ったより、僕は疲れているのだろうか。






「分かってるって…」






ぼやきにも似た小さな呟きとともに、僕は扉へと手をかけた。
















「凪、遅いわよ。楓ちゃんは朝ごはん作るの手伝ってくれたっていうのにねぇ。昨日も楓ちゃんにご飯作ってもらったでしょ?もっとちゃんとしないとダメじゃない」




リビングのドアを開けて早々、そんな言葉が飛んできた。


母親の呆れた声だ。最近はいつもこんなことばかり言われている。






母さんの隣にはエプロンをつけた楓の姿があったが、どこか申し訳なさそうにみえるのは、僕の気のせいだろうか。


幼馴染の彼女の前で朝から親に叱られるという醜態を晒す毎日にも既に慣れつつあるが、それでも僕にも思うところはあった。




(ちゃんとしないと?帰りが遅くなるときは僕が料理を作ってるじゃないか)




うちの家は共働きだ。それもあって、両親の帰宅が遅い場合は自分で自炊もしてるし、簡単だけどそれなりに料理を作ることはできる。


今の時代はスマホでいくらでも調べられるし、そんなに難しいことじゃない。






普段作り置きだってしているのに、楓がいるからといってこんなことを言われるのは業腹だが、それを指摘すれば朝から雷が落ちるのが分かっているため、口を挟むことはしなかった。




「あの、おばさん。凪君はちゃんとしっかりしてますから。私も普段からとても助けられてます。片付けだって一緒にしましたよ。料理だって美味しいですし、本当に…」




僕が黙っていたからだろうか。楓がフォローしようとしてきた。


だけどそれは悪手だと僕は知っている。やめてくれよ、頼むから。




「あら、楓ちゃん。いいのよ、そんな気を遣わなくて。うちの息子はほんとだらしなくて恥ずかしいわ。このままじゃ楓ちゃんも苦労するでしょうし、今のうちに言っておかなくちゃいけないの」




「だな。凪、楓ちゃんがいい子だからって、甘えてちゃ駄目だぞ」




ああ、やっぱりだ。楓の言葉はあっさりと母さんにスルーされた。


さらに悪いことに、黙って席に座りながら新聞を広げていた父さんまで茶々を入れてくる。


ろくでもない連携だ。立派な両親をやれていると、アピールしたいのが見え見えだった。




(またかよ。どれだけ楓の前でいい親を演じたいんだか)




この両親はいつもこうだ。僕らが小さい頃は両親の仕事はもっと忙しかったため、こうして朝の時間を家族で取ることも少なく、当時病弱気味だった僕はよく楓の世話になっていた。






朝の迎えから風邪の世話まで、小学生とは思えないほど甲斐甲斐しく付き添ってくれた過去があり、両親からの信頼も絶大なものがある。




その可愛がりようも実の息子以上であることは言うまでもないだろう。


あるいは自分たちが仕事をしている間に僕を押し付けていた負い目のようなものもあるのかもしれないが、楓がいる時は基本的に彼女のことを持ち上げる癖があるのだ。






こうなると比較対象になるのは僕であり、こうして僕を下げられることは日常茶飯事。


それは僕らが付き合い始めたことを告げてから、それはますます加速していた。






僕の両親と楓の両親が昔からの親友ということもあるのだろう。


長期の休みが取れたときは互いの家族でよく旅行やイベント等の思い出を共有していたし、小さい頃から事あるごとに、僕らが将来結婚してくれたら嬉しいみたいな願望を言われていた記憶がある。




僕が楓を意識したのも、それが関係なかったとは言い難いところがあるのも確かだ。






それでも当時の僕はその気持ちが本物であると確かに信じていたし、両親に恋人同士になることを報告したときは我がことのように喜んでくれたことが嬉しかった。






思えばあの時の僕は純粋だったと思う。浮かれすぎていたとも言える。


いずれバレるのは確実であったとしても、僕と楓の関係は隠しておくべきだったのだ。




過度な期待は僕を確実に押しつぶしつつある。彼らにはきっと、僕らが恋人の先。


結婚までたどり着く未来予想図しか描けていない。




「…別に、甘えてなんていないよ。僕はやることはやってるつもりだし」




とんだお花畑だ。言いたいことはいろいろあったけど、それを言うのも億劫で、せめてもの反抗を試みた。




「そうは言っても朝起きてこないじゃないの。楓ちゃんなんて、いつも料理手伝ってくれるのよ」




だけどそれも無意味に終わる。この人にはきっと、僕の言葉が言い訳にしか聞こえていないのだろう。不出来な息子を嘆いている自分に酔っているのだ。




だけどこれは言わせて欲しい。


僕はちゃんと起きてる。だいたい僕の家から学校までの距離はそこまで遠くない。




歩いて二十分もかからないし、充分間に合う時間に起きてるつもりだ。遅刻したことも一度もないんだ。






それに朝の手伝いを拒否したのは母さんのほうじゃないか。今は楓の両親が長期出張をしているから、家でご飯を食べるよう勧めたのもそうだし、昔は料理だってろくに作らず、朝食はいつも冷凍食品だったことを僕は知っている。




楓がいるから張り切ってるだけだって、僕には分かっているんだよ。






父さんだってそうだ。楓が朝来るようになってからは食卓に座るようになったけど、以前なら朝はゼリーくらいがちょうどいいとか言ってたくせに。






どちらも見栄っ張りで、外面だけは取り繕うのが上手い。似たもの同士の夫婦だ。




そしてその血は確実に僕にも受け継がれていることが、また腹ただしい。僕はいつだって、本当の自分を知られるのを恐れている。


だから上辺だけは取り繕うことを覚えていた。


目の前にいる人達のようにだ。吐き気がした。






それだけじゃない。あの年にもなってまだ夢から覚めていない両親の血を引いているなら、なんで僕はもっと能天気に考えることが出来ずにいるんだ。






内心僕は苛立ちを隠せない。そんな子供の心など知らず、母さんは大きくため息をついた。






「凪、楓ちゃんみたいないい子と付き合えるなんて、もう一生分の運を使ってるようなものなのよ。そこをもっと自覚しなさい。しっかりしないと、他の男の子に取られちゃうんだから。女心は案外冷めやすいのよ」






それでたしなめているつもりなんだろうか。ハッパをかけているつもりなんだろうか。




僕はアンタ達の子供だぞ?それが分かっているのか?




普通よりは多少上程度の顔、普通の頭、普通以下の病弱な身体。狭い交友関係。




プラスマイナスゼロでせいぜい凡人止まり。これが僕だよ。


両親から生まれた子供。能力だって変わりはしない。






全部が全部、アンタ達の血を受け継いでいた結果だ。






本人の努力でどうにかなる?漫画かよ、だいたいアンタ達はなにをしてくれた?




いつも仕事ばかりで、僕をまともに見たことがあったつもりか?




幼馴染であるという理由抜きで僕が楓と付き合えるような息子だと、本気で思っているのかよ






勘違いしているのはそっちだ。自覚してないのは両親であり、僕は自分のことをよく知っている。




いつまでも僕らが一緒にいると盲信して、なにも見えていないのはあんた達だよ。






冷めた目で母親を見る僕を、楓は不安そうな目で見つめてくる。








その視線は、あえて無視した。

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