第28話 メモリーズオフ

……後は知っての通りです。私は弱った彼を、自分の家に連れ込みました。




この言い方では、少しはしたないかもしれませんね。でも、上手い言い回しがちょっと思いつかないのです。


逢引というわけでもないし、ギリギリセーフであると願いたいのですが…まぁ、問題はないでしょう。






その理由は涙を流し、後悔の言葉を述べ続ける凪くんをほうっておけなかったというのもありますが、一番の理由は他にあります。






白瀬楓。私が彼女を許せなかったからです。


少なくとも今日だけは、彼を彼女の前に再び立たせることをしたくなかった。


ふたりが会えば、どういう会話がなされるか手に取るように分かるからです。




凪くんはきっと謝ることでしょう。自分が悪かったと。


白瀬さんは許すでしょう。大丈夫だからと。




そして本当はなにに対しての謝罪なのかを彼は告げず、彼女もそれを追求することのない、見せかけだけの和解を行うのです。互いに踏み込まず、傷つけず。それがお互いのためだと言い聞かせて。


そうして彼らはまたいつも通りの日常を過ごすことになるでしょう。




白瀬さんは皆の人気者として多くの生徒に囲まれながら笑顔を振りまき、凪くんはそんな彼女を目で追いながら、多くの悪意に晒され続ける。


ただただ彼の心が磨り減って、それでもそれを隠して我慢し続けるしかない、そんな日常を。






―――それが許せない。彼が自分のせいで苦しんでいることに気付きもせず、彼の変化に目を逸らし続けて、見せかけだけは悲しんだ顔を見せるあの女のことが、私にはどうしても許せないのです。




あの人は、本当の意味で彼を理解してなどいない。自分が傷つくのを恐れ、彼を心に踏み入れずにいる。支え合うこともせずに彼に依存し、甘えている。




なにより、そんな女がただ幼馴染であるという、私より先に彼と出会ったという幸運に恵まれただけであるというのに彼に愛されているという事実が、私の心のほの暗い部分に薪をくべ続けているのです。






そうだ。私なら、彼にあんな顔をさせることはない。


私のほうが、きっとあの人より凪くんのことを―――










「……馬鹿馬鹿しい。それは有り得ないと、さっき理解したばかりじゃないですか」




浮かんできた都合のいい考えを、私の理性が一蹴する。






僕は楓の彼氏だから…一応だけど、それでも裏切るような真似はできないよ






「……っ」




先ほど彼に言われた言葉は記憶に新しく、一字一句が鮮明に思い出せてしまいます。




一之瀬刹那という女は、藤堂凪に拒絶された。




思わず唇を噛んでしまうくらい、私にはそのことが自分でも意外なほどショックでした。






―――やはり私では白瀬さんには勝てないのだと、ハッキリと分かってしまったのですから






私が彼に提案したこと。自分の体を彼に委ねる選択を問うたことには、もちろん理由がありました。


それは弱った凪くんを元気づけたかったというのはもちろんですが、真実は違います。




だってあれは、私が白瀬さんから彼の初めてを奪い、傷を付けることが目的だったのですから。




罪悪感という傷を付け、彼の中に私を遺す。きっと彼は私を見るたびに、今日のことを思い出すことでしょう。


一之瀬刹那が藤堂凪の心に根ざし、刻まれる。その考えが浮かんだとき、自然と出てきたのがあの提案でした。自分でも驚く程、それは流暢に言葉として私の中からまろびでていたのです。


悪魔の誘惑と分かっていても、それを止めることなどできないのほどに。






―――そしてそれは同時に、私が彼から決別するための儀式でもありました。






私が目で追うようになったのは、白瀬楓を好きでいる凪くん。


いつも穏やかな顔を浮かべ、幼馴染に対していつも柔らかく接し、壊れ物を扱うかのようにとても大事にしている彼。


いつも一生懸命で、辛くて大変なことがあっても最後まで向き合い、走りきる彼の姿だったのですから。




そんな凪くんが白瀬さんではなく、私を求めるようであるならば。


弱さに負け、流されるように私を抱いたならば、きっとこの想いも泡沫のように消えていくだろうという確信が、私の中にあったのです。












…そう、結局のところ、私も彼女のことをあれこれと言う資格なんてない。


彼を手に入れた白瀬楓に対し、憎悪にも似た嫉妬を抱いているから、あんな妬み混じりの、自分勝手な行動を取ってしまった。


苦しんでいるのは私だけではないというのに、自分の気持ちに区切りを付けたいという、ただの押し付けです。




優しさを説いておきながら、私は長年焦がれた彼を前にして、抑えることができなかった。彼が傷ついているのが分かっているのに、あんな衝動的な行動を取ってしまったのは、私が楽になりたいと思ってしまったから。




私も醜くて、弱くて。そして子供だったんです。


心に歯止めが効かなかった。


でも言ってしまったことはもう取り返しがつかないから、私はただ審判の時を待つしかない。ゆっくりとティーカップを手に取ります。




彼の喉が鳴り、次に発せられる言葉に、私は耳を澄ませました。


それは一瞬のようであり、永遠のようにも感じる時間。


張り裂けそうな心臓の鼓動を押さえ込みながら、早く早くと待ち続けます。




私を楽にして欲しい。この想いから開放して欲しい。次に進ませて欲しい。


そのためなら、私を貴方に捧げるから。




そんな想いが、次から次へと脳内を駆け巡る。


それは間違いなく、人生で一番願いを込めた瞬間であったことでしょう。偽りなどありません。






だけど、確かにこうも思ったのです。




どうかこの話を、断って欲しいと―――




それは震えという無言のメッセージとなって彼に伝わり、そして―――






「私は振られたってわけですね」




自嘲してしまう。結局、なにひとつ上手くいかずに元の木阿弥となったわけです。残ったのは間接的に振られた女がただひとり。


学校をサボって彼氏持ちの男子を家に連れ込み、自分から誘って失敗した間抜けな女がここにいます。




なんともはや、滑稽なものです。


とてもお話として子供に聞かせられるものではありませんね。笑い話どころか、教訓にもなりはしないでしょう。私は結局ただの村人Aという、スポットライトすら当たらず道化にもなれない、日陰の存在だったいうことです。






お姫様には、なれなかった






(ああ、でも……)




良かったと。そう思ってしまう自分が居るのです。




私の中の凪くんが思い出とならずに、あの頃のままでそこにいてくれた。


弱さに負けず、自分を選ばないでいてくれた。




そのことがどうしようもなく嬉しくて。


振られたはずなのに、自然と喜びの感情が沸いてきてしまう、馬鹿な自分がここにいる。


その中に、愛情と呼ばれるものが含まれているであろうことからは、目を逸らします。


そうすれば、この気持ちを誤魔化すことはできますから。








「ほんと、馬鹿ですね。私は…」




窓の外にはあんなにも青空が広がっているというのに、私の心は曇り空。


だけど、光が差し込んでいる箇所も確かにあって――私は思わず笑ってしまう。




コンコン




部屋を小さくノックする音。どうやら電話は終わったようです。


私はすぐに顔を引き締め、姿勢を正して自分を作り替えていきます。そして小さく深呼吸。




(……よし)




さぁ、どんな話をしよう。とりあえず、明るい話をすればいいのかな。


喜んでもらえるほど、私は会話のレパートリーは多くない。


あぁ、だけど




(笑ってもらえると、嬉しいな)




少なくとも、少しだけ心の区切りはついた。


後は時間に身を任せよう。いつか、この気持ちが昇華できることをただ祈ろう。


だから、今は―――




「はい、どうぞ」




ただ笑おう。彼が、少しでも楽になってもらえるように。








凪くんが笑ってくれるなら、それだけで私は満足ですから

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