第29話 動けないアイドル

三度目のチャイムの音が鳴る。


授業の終わりの合図、これまで何度も聞いてきた電子音の鐘の音を耳にして、私は立ち上がろうとした。




(行かなきゃ)




凪君のところに。心配だった。


先生に報告はしたけど、未だに凪君は教室に姿を見せていない。




(やっぱり一緒に来るべきだったんだ…)




最後に振り返った凪君の顔は青白く、今にも倒れそうだったことを思い出す。


具合が悪くて保健室で寝ているなら、まだ体調が良くないのかもしれない。




(ううん、それ以前にもしかしたら、学校に来れていないのかも)




その可能性がどうしても捨てきれない。後悔と自責の念が押し寄せる。


なにをやっているんだろう、私。これじゃ彼女失格だよ。




―――でも、凪君が先に行って欲しいって言ったから、私は…




不意に浮かんできた言い訳の言葉。それを私は、必死に頭を振るって追い払う。




(何言ってるの。そう言われたからって、彼氏を置いていくなんておかしいよ)




そう、おかしい。どう言われようと、本当に凪君のことが心配なら、私は彼についていないといけなかったんだ。


私の一番大切な人は凪君。これだけはなにがあっても変わることがないし、これからも絶対にないと言い切れる。


凪君は私の全てだといっても良かった。あの人といるだけで、私は幸せな気持ちになれるんだ。


凪君と過ごす日々こそが、私の生きる意味だった。






―――本当に?






また、声が聞こえた。最近よくどこからか聞こえてくるその声に、私の体は硬直してしまう。


今すぐ立ち上がって、凪君がいるだろう保健室に向かわないといけないのに、体がまるで動かなかった。




さっきの時間もそうだった。その前の時間もこうだった。


凪君のところへ行こうとすると、謎の声が私を強引に押しとどめる。心は動けと言っているのに、体がいうことを聞いてくれない。




(やめて、お願い。動いて)




じゃないと、すぐ―――




「楓ー、さっきの授業どうだった?訳分かんなかったんですけどー」




「白瀬さん、ちょっと聞きたいことが…」




ああ、やっぱりだ。あっという間にタイムオーバー。私はまた、負けてしまった。




授業の間の休み時間は10分間。その僅かな時間を縫って、私は凪君のもとへ向かわないと行けなかったのに、すぐにクラスメイトに囲まれてしまう。


今日はずっとこの調子で、私は教室から出ることすらできずにいる。聖徳太子でもない私には、十人の話を聞き分けることなんてできない。ひとりひとり丁寧に対処していくと、時間がすぐに過ぎ去ってしまう。




(これじゃ、また保健室に行けないよ…)




いつもは賑やかで居心地の悪くない空間のはずなのに、今はクラスメイトが私を逃がさないよう取り囲む、城壁のように見えてしまった。みんなも凪君が教室にまだ来ていないことは知っているはずなのに、あまり気に留めていないみたい。


それに思うことがないわけじゃないけど、HRで先生から説明は受けてたしまだ午前中だからというのもあって、そのうち顔を見せると思っているのかもしれない。




朝のやり取りについてはさっきの時間までいろいろ聞かれていたし、説明に追われてたのもまた確か。あれは凪君が体調を崩したことによるもので、喧嘩ではないと納得してもらう必要もあったんだ。私達の仲を誤解しないでもらいたかったし、これも必要なことだと思った。




そう、だからこうして凪君のところにいけないのも、仕方のないことで―――






「あー、楓。ちょっといい?」




諦めかけていたその時だった。私に呼びかける、一際大きな声が聞こえたのは。




「え…?」




「ちょっと話あんのよ、いいでしょ?」




そう言って私の机の前に立ったのはあきちゃんだった。


未だ自分の席から立つことができずにいる私と違い、人気者のあきちゃんは堂々と私を見下ろす格好を取っている。


それになんとも言えない羨望の気持ちを抱いてしまうのは何故だろう。彼女が芯が強く、自分をしっかりと持っていることを知っているからだろうか。




「う、うん。大丈夫だけど…」




「えー、秋乃。ここで話せない話なの?」




頷く私を無視するように、あきちゃんに話しかけるクラスメイト。


その声には不満が混じってる。まだ話し足りないと言いたげだ。うちのクラスにはお喋りが好きな子が多く、彼女もまたそのひとり。よく相談に乗ってあげている子でもあったので、私とは特に良く話す子でもあった。




「悪いね、昼休みまで待ってよ。楓とは、ちょっと仕事の話があんの」




「え!?それってまたモデルの話!!」




「そーいうこと」




途端、黄色い声がクラス中に響き渡る。


私が雑誌の表紙を飾ったことは、通学路での会話を聞いていた生徒が既に学校用のSNSで、軽く拡散してしまっていたらしく、そのことも手伝ってか皆のテンションはいつもより高かった。




「やっぱすげーよな、白瀬さん。マジで可愛いもん」




「住む世界ちげーわなぁ。こんなやり取りしてるクラスなんてうちだけっしょ」




それは女子が顕著だけど、時折男子の声も聞こえてきてしまい、反応に困る。


持て囃されるのには未だ慣れていなかった。こういうのは少し苦手。持ち上げられても、それに応えることができるとは思えないから。






でも、悪い気はしなかった。


私は今、凪君が望む自分になれているのだと、そう思えたから。

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