第30話 分からないんだよ

「楓?」




あきちゃんの呼び掛ける声で、私は我に返った。


少しぼーっとしてしまったらしい。




「あ、うん。なに?」




「なにじゃないでしょ、もう…ほら、早く行くよ」




そう言ってあきちゃんは教室から出て行こうとする。私も慌てて立ち上がり、その背中を追いかけた。




「ごめんね、皆。ちょっと行ってくるから」




「はいはい、いてらー」




「頑張ってね楓ちゃん!」




その声援を背中に受けて、私は少し苦笑する。


大げさだなぁ、皆と。頑張れと言われても、私はこれからどこかに行くわけでもない。ただ話をするだけだ。




「…………」




そんな私を一瞥して、あきちゃんは教室のドアを開けた。力が籠っていたのか、勢いよく開けられたことで大きな音が廊下まで響くけど、特に気に留めることなく私も続く。




(あきちゃん、何の話なのかな)




久方ぶりの教室からの脱出。それを私は望んでいたはずなのに、今は別のことに気取られていることに、その時の私は気付かなかった。


















「あきちゃん、どこまで行くの?」




着いてきてと言われて彼女の後を追うのだけど、あきちゃんは無言で前を歩き続ける。




少し早足。急いでいるのかもしれない。


そんなに重要な話なんだろうか。私も少し身構えてしまう。




そのまま階段に差し掛かったところで、あきちゃんは足を下へと向けた。降りるつもりらしい。私はたまらず声をかけた。




「あきちゃん、そっちじゃないんじゃ…」




なんとなくだけど、こういう内緒の話は上の階でするイメージがあったからだ。


下ったら1階だし、先生達がいる職員室や昇降口がある。話し合いの場所としては不向きに思える。


それに、なによりーーー




「保健室」




小さく一言呟いて、あきちゃんはその足をとめた。




「え…?」




「だから、保健室よ。藤堂の様子、見に行かなきゃでしょ?」




一瞬なにを言っているのか分からず戸惑う私に、あきちゃんは言葉を続ける。


それにはどこか苛立ちが混ざっているように思えたのは、私の気のせいだろうか。




「いつ行くのかとずっと思ってたけど、アンタ全然動かないし。クラスのやつら空気読めないのばっかなんだから、無理に付き合う必要ないっていつも言ってんじゃん」




「それは、そうなんだけど…」




あきちゃんの言葉はやはり鋭い。真っ直ぐな彼女の言葉は、いつもなら頼もしく思えるのに、今の私には痛かった。




「気まずいのはそりゃ分かるけど、でも行かないと駄目だって。私も悪かったから、できれば謝りたいとは思ってるし…」




そう言ってあきちゃんは目を伏せた。


確かに凪君の様子が変わったのは、あきちゃんが私が表紙になった雑誌を見せてからの流れではあると思う。だけど、そのことに罪悪感を覚える必要はない。だってーーー




「それは違うよ、あきちゃん」




悪いのは、きっと私だから




「凪君は、私が変なことを言っちゃったからきっと気分が悪くなっちゃったんだ。あきちゃんはなにも悪くないよ」




私はその事実を淡々と口にする。




……本当は、ちゃんと分かってる。私は目を逸らしてるだけなんだって。




あるいは本当に気分が悪かっただけなのかもしれないけど、朝の凪君は表情こそ暗かったけどご飯はちゃんと食べてたし、足取りだってしっかりしてた。多分、体調不良の線はないと思う。




私はあの時、凪君の逆鱗に触れてしまうようなことを、きっと言ってしまったんだ。




だって、凪君があんな大きな声を出すことなんて滅多にないんだから。あの人はとても穏やかな性格をしてることを、私は誰よりも良く知っている。


幼馴染で、小さな頃からずっと一緒にいた私が、凪君のことを誰よりも理解してるんだから。




あんなふうに怒鳴られたことだって、私の記憶には全くない。そもそも喧嘩すらしたことがないくらい、私と凪君はこれまでずっとずっと仲良しだったんだ。


それは恋人同士になっても変わらなかった。




(だから、分からないんだよ…)




今の凪君と、どう接すればいいのか。


どうすれば仲直りができるのか、私にはまるで分からない。






大切だから、傷つけたくない。


だけど何を言えばいいのか分からない。






そんな袋小路にハマって抜け出せなくなりつつある。


クラスの人達なら、どんな言葉を望んでいるのかまだ分かるから、彼女達の相手をしてるほうがまだ楽で、それで心を落ち着かせて考える時間が少しでも欲しかった。






例えこれが逃げの思考、ただの時間稼ぎだと分かっていても。




今の私は、凪君の顔を見るのが怖かったんだ。




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