第31話  最悪の出会い

「……そんなことない。楓、藤堂のことは、私にも責任はある」




俯く私に、あきちゃんの声が飛んでくる。




「あきちゃん…」




「きっかけを作ったのは私。だから私は、藤堂に頭を下げてくる。それが筋ってもんでしょ?」




まぁあいつは迷惑がるかもしれないけど、そんなことを言いながらあきちゃんは頬を掻いていた。


綺麗な顔は少し赤みを帯びており、もしかしたら照れているのかもしれない。


何事にも物怖じしない彼女にしては、少し珍しい表情だった。




「それ、は…」




「言っとくけど、楓が行かなくても私はひとりで行くからね。今の藤堂の彼女は楓だから声かけたけど、ほんとだったら別にひとりで行ってもよかったんだし」




そう言って、私を一瞥した後、あきちゃんは階段に目を向けた。


あきちゃんの言葉に、私はハッとする。




そうだ、ひとりじゃない。


間にあきちゃんがいるなら、なんとか会話もできるかも。


私も精一杯謝れば、あるいは許してもらえるかもしれない。




「で、どうする?もう時間ないけど」




そう言いながらも、あきちゃんはまだその場を動かない。私の言葉をも待っているんだ。




きっと、あきちゃんなりに私にハッパをかけてくれようとしているんだろう。私がひとりでは顔を合わせづらいことを、あるいは察してくれてもいるのかもしれない。




(ありがとう、あきちゃん…)




友人の心遣いに、思わず胸が暖かくなる。


内心で彼女に感謝の言葉を述べながら、私は大きく頷いた。




「―――行こう。私も、凪君が心配だから」




この気持ちに、偽りなんてない。


私は、凪君とちゃんと向き合わないといけないんだ。話を聞こう。まずはそれから。




逃げたりしちゃ、駄目なんだ。




「……そう。なら、早く行くよ」




そう言ってあきちゃんは階段を下りていく。私も続いて、足を前へと踏み出した。




(凪君…)




大丈夫かな、さっきまでは行けなくてごめんね。今行くから。




「………………な、これは」




この時、私の自分の考えに気を取られていた。


だから前を歩くあきちゃんの小さな呟きが、耳に届くことはなかったんだ。




















「…………え?来て、いないんですか?」




休み時間も残り5分を過ぎたところでたどり着いた保健室。


ドアを潜ると薬品と消毒液の匂いが微かに漂う室内で、椅子に腰掛け、お茶をすすっていた養護教諭の先生に、私たちは話しかけている最中だった。




「ええ、今日は誰も来ていないわよ。男の子も見てないし、早退したって話も聞いてないわね」




「そんな…」




事情を話し、体調を崩した男子がいるはずだからできればお見舞いにきたこと。少しでいいので顔を見たいことを少し震える声で述べたところで、先生から返ってきた返答に私は愕然とする。




凪君が、学校に来ていない




その事実に、私は足元が崩れていくような感覚を覚えた。


次に浮かんでくるのは、様々な可能性。そのどれもが、悪い未来を伴ったものだった。




具合が悪くて倒れているかもしれないよね?




家に帰れても、ひとりで大丈夫なの?熱が出てたりするかも




ううん、もしかしたら無理に帰ろうとした途中で、じ、事故、なんて、ことも……!




あれから何ひとつ私に連絡はきていないという事実が、私の妄想に拍車をかけていった。視界が自然と涙で滲んでいく。




(そんなことになっていたら、私―――!)




「……先生、一応ベッドのほう見てもいい?もしかしたら、ちょっと休んでったかもしれないし」




そんな中で、隣から静かな声が聞こえてきた。あきちゃんの声だ。


その声は私とは違い、とても落ち着いているように思える。


理性的な彼女を見て、何故か私は少しだけ冷静さを取り戻していた。




「いいけど、意味はないと思うわよ?朝に確認はしてるけど、今日は綺麗なままだったわ」




「まぁ見るだけだから。一応自分の目で見ときたいし」




そう言ってあきちゃんはカーテンで仕切られたベッドのほうへと足を向けた。それを見て、私は思わず声を上げる。




「ま、待って。私も見る!」




そうだ、凪君が学校に来た可能性は、まだ捨てきれないんだ!まずは自分で確かめないと!




「……いいけど、保健室であまり大きな声を出さないでね。今はいいけど、誰か寝てたらあまり良くないから」




「あっ、ご、ごめんなさい」




先生に窘められて、私は慌てて頭を下げる。いつもはしない失敗続きで私の調子もどこかおかしくなっているのかもしれない。


その間に、あきちゃんは既にカーテンに手をかけていた。




「まずは右からっと」




シャーという滑るような音が僅かに響き、白いシーツに包まれたベッドが顕になる。そこはやっぱり無人だった。




「……なるほど。確かにいないね。シーツも綺麗で動いた感じはしない、か」




ガッカリする私をよそに、納得したように頷くあきちゃん。


彼女はそのままクルリと反転し、反対側のカーテンにも手を伸ばした。




再び聞こえるカーテンレールが擦れる音。それに吊られて謝罪を終えた私もベッドに近づき、中の様子を伺うけど、そこはやはりもぬけの殻だ。


ベッドも綺麗にメイキングされている。人が利用した形跡はなさそうだった。




「こっちもいないっと。こりゃやっぱり来ていない可能性大ってとこかぁ」




そう言ってあきちゃんは肩をすくめた。


わかってはいたけど、その表情には落胆の色が浮かんでいる。


それは私も同じだろう。互いにガッカリしているのは明らかだった。




「だから言ったでしょう。授業も始まるし、そろそろ戻ったほうがいいわよ」




「はい…」




先生の言葉にも力なく頷くしかない。凪君になにか起こっていたらどうしよう…




だけど、先生の発した次の言葉が、私に新たな光明をもたらしてくれた。




「でも連絡がないのは心配ね。スマホで連絡してみたら?」




「あっ!」




その言葉にハッとする。そうだ、連絡を取ろうと思えばできるんだ。


電話をすれば、すぐにでも凪君の声が聞けるはず!






そう思って、私はスマホを急いで取り出そうと、制服のポケットに手を入れる。


だけど慌ててしまっているためか、私はあることを失念していたんだ。




「……あっ、スマホ、教室だ…」




黒のブレザーのポケットの中には、ハンカチしか入っていなかった。




私の場合、授業中は邪魔になると思い、基本的にスマホはマナーモードにしてカバンに入れていた。今日もそうしていたし、慌てて教室を出てきたから、今は持ってきていなかったんだ。




(なにやってるんだろう、私…)




唇を噛み締める。そもそも、そんなことをしている時点でおかしかった。


いくら普段の習性とはいえ、凪君がいないのに連絡が取れるスマホを手放しているなんて…授業中に連絡が来ていた可能性だってあったのに。






体が動かなかったこともそうだけど、これじゃまるで、無意識のうちに私は凪君から距離を―――






「……楓、ちょっと聞いていい?」




自責の念に駆られているところに、あきちゃんから声がかかった。


私同様、なにか考え込んでいたのか、その端正な顔を顰めている。




「なに?今は早く教室に戻らないと――」




「今日、一之瀬って学校来てなかったよね?」




焦る私に、あきちゃんはよく分からないことを聞いてきた。




「一之瀬さん?確かに、まだ来てなかったと思うけど」




「……そっか。やっぱり」




あきちゃんは下を向き、今度は苛立たしげに舌打ちする。一之瀬さんがなんだと言うんだろう。


そのまま彼女はブツブツと、なにかを呟き始めていた。




「……抜け駆けかよ。お互い負け犬だってのに、いい度胸してんじゃん、アイツ…」




「あきちゃん?早く戻らないと!」




どうしたっていうんだろう。


さっきまではあんなに冷静だったのに、今はまるで人が変わったように悔しげな表情を浮かべている。


何かに気を取らてしまっているみたいだけど、今はそれどころじゃないっていうのに!




「諦めが悪すぎだろ…アンタがそんなんなら、私だって…」




「あきちゃん!」




さっき注意されたばかりだけど、私はまた大声で友人に向かって呼び掛けた。それでも反応がない。


自分の世界に没入しているあきちゃんを見て、私の限界はすぐに訪れてしまった。




「もういい!私ひとりで戻るから!」




そう言って私は保健室のドアに手をかける。


凪君がいないなら、いつまでもここにはいられない。早く、早く戻らないと!




「あっ、楓!」




「先行くね!先生、失礼しました!」




後ろから聞こえてきたあきちゃんの声を無視して、私は保健室から飛び出していく。


その勢いのまま階段を駆け上がり、廊下を早足で歩きながら、急いで教室に戻ろうとして―――




「あっ、白瀬さん」




「っつ!!」




呼びかけられた声に、私は立ち止まってしまう。




(なんで……!)




それはもはや習性だった。この二年近くの間に身に付いたもの。


誰かに声をかけられたら自然に足を緩めてしまうように、私の身体は出来上がっていた。




「あの、今は…」




「ちょうどいいところで会えて良かったよ。ちょっと気になっていたんだ」




焦りから髪を振り乱すように振り返る先にいたのは、ある意味この状況では一番会いたくない人だった。




「あっ…」




そこにいたのは私と同学年の男の子。爽やかな笑みを浮かべ、私の方へと近づいてくる。




(この、タイミングで…!)




話す時間が惜しいのに、私は彼を無碍にできない事情がある。最悪の出会いに泣きたくなった。




「彼とはどう?上手くいった?」




話しかけてきた相手は、高山恭司くん。


私が凪君とのことを相談した、友人でもあるひとりの男子生徒だった。

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