第23話 和解
「で、なんであんなウソをついたの?」
一之瀬さんが自分のハーブティーを飲み干す姿を見届けてから、僕は質問をすることにした。
「気になりますか?」
「そりゃ気になるでしょ。納得しているわけじゃないし」
あんな話を振られて、嘘でしたごめんなさいで済んだら警察はいらない。
相手が相手なら激昂ものだ。襲いかかられても文句は言えないんじゃないだろうか。
「まぁそうですよね。今の藤堂君にする話ではなかったことは自覚してます」
「じゃあなんでさ」
いつの間にか、僕の口調は砕けたものへと変わっていた。
だけどそれに気付くことなく、僕は彼女に先の言葉を促していく。一之瀬さんの真意が早く知りたかったからだ。
「…嫉妬」
「え?」
「いえ、藤堂君がどれくらい白瀬さんのことを愛しているのか、気になったんです。私、誰かに恋したことがありませんので」
なにかを言い直した後に出てきた彼女の言葉に、僕は眉を顰めた。
(要するに、僕は試されたということか)
一之瀬さんが恋をしたことがないというのは意外だったが、それは彼女の事情であり、僕が関与するところじゃない。そしてそれに関しては逆のことも言えるわけだ。他人の心に、いきなり踏み込みすぎではないだろうか。
「そうなんだ…だとしても正直、あまりいい気はしないね」
「それは当然でしょうね。軽蔑してくれても構いませんよ。ひどいことをした自覚はこれでもありますから」
一之瀬さんは自嘲するように口元を歪めた。
やりすぎたという思いはあるのだろう。実際、今の僕には彼女に対する憤りの感情は確かにある。
「反省してる?」
「ええ、してますよ。なんならもう話を打ち切って帰って頂いても…」
だけど、それを引っ張るつもりはなかった。一度大きくため息をつく。
それに反応して、一之瀬さんの肩がビクリと震えた。
「ならいいよ」
「え…」
僕の言葉に、一之瀬さんは顔を上げる。彼女の顔は、今にも泣きそうになっていた。
「それなら、もういいから。気にしてないし、この話はここで終わりにしよう」
気にしてないといえば嘘になる。だけど、僕は一之瀬さんの涙が見たかったわけじゃない。
彼女の言葉を借りるなら、この穏やかな時間を先に進むために使いたいと、そう思ったのだ。
「いいんですか…だって私…」
「いいからやめよう。この話はここで終了ってことでさ。もっと楽しい話をしようよ。そのために誘ってくれたわけでしょ?」
そう言って僕は笑いかけた。ここ最近笑った記憶に乏しいから、上手く笑えているかは自信がない。だけど、これが今の僕ができる精一杯だ。
一之瀬さんには笑って欲しいと、そう思った。
「そう、ですけど…」
「なら、なにか話そう?僕のことばっかり聞かれたし、一之瀬さんの話もしてくれると嬉しいかな」
敢えて明るく話し続ける。こういったことは不慣れだったけど、思ったよりスラスラと言葉が出てきたのが自分でも意外だ。
その甲斐あってか、一之瀬さんはようやくクスリと笑ってくれた。
「ありがとうございます」
「いいって…なんだか急に、立場が逆になっちゃったね」
「ですね」
そのことに気付いて、思わず笑ってしまう。
釣られて一之瀬さんも笑顔を見せる。その後、僕らはふたりでしばしの間笑い続けて、いつの間にか残ったわだかまりは溶けていった。
「なんだろう、久しぶりにこんな笑えた気がするよ」
ようやく笑いが収まり、目尻に溜まった涙を擦りながら僕は言う。
本当にこんなに笑ったのは久しぶりだ。一体いつ以来だろう。
「私も久しぶりに藤堂君が笑った顔を見た気がします…失礼かもしれませんが、少しホッとしました」
同じように目元を擦る一之瀬さん。長いまつげが仕草に合わせて揺れている。
不謹慎ながら、そんな姿も可愛いなとつい思ってしまうのは、男の本能というやつだろうか。
「そんなに暗い顔ばかりしてた?」
「ええ。教室ではいつも。白瀬さんは気付いていなかったようですが…」
最後の言葉は尻すぼみなものだったけど、気にはしない。
楓には楓の事情があったし、気付いて欲しかったわけじゃない。むしろ気付かれたら困ったから、自分なりに取り繕ってはいたのだけど、どうやら一之瀬さんには気付かれていたようだった。
「そうなんだ。僕もまだまだだなぁ」
「そんなことはないです。事情はなんとなく察していたのに、話しかけようとしなかった私の落ち度でもありますから」
今度は一之瀬さんが暗い顔をしていた。そんな顔をさせたかったわけではないし、彼女のせいでは全くないのだ。気にしないでというのは無理かもしれないけど、僕のためにそんな顔をしないで欲しかった。
「いや、気にしないでいいよ。彼女持ちの男子に話しかけても、楓はともかく他の女子はきっといい顔しないだろうし」
「……いい顔はしないでしょうね。特に白瀬さんと宮間さんは」
フォローのつもりだったのに、一之瀬さんは何故か皮肉げにそんなことを呟いた。
「なんで宮間の名前が出るのさ?そりゃあいつは僕のことを嫌っているだろうけど…」
「…それも気付いていないんですか」
疑問を口にすると、一之瀬さんは口元を引きつらせていた。
なんだっていうんだろう。まぁ宮間は楓の親友だからそりゃいい顔はしないかもしれないけど…
「まぁいいです。白瀬さんも気付いていないようですしね。ある意味お似合いですよ、あなたたちふたりは」
「…それ、明らかに皮肉で言ってるよね?」
「ええ、それがなにか?」
…調子が戻ってきたようでなによりだ。
急に勢いを取り戻した一之瀬さんを見て、僕は苦笑する。
それを見た彼女も、不満げに頬を膨らませた。案外表情に出やすいようだ。またひとつ、新たな発見をしてしまった。
「なんですか。変な人ですね」
「それ、一之瀬さんが言う?」
「あ、それ。それです」
その姿が可愛らしくて、また笑っていると、一之瀬さんはビシリと僕を指さした。
「なに?行儀悪いよ」
「ああ、すみません…いえ、そうじゃなくてですね、ちょっと気になったんです。せっかく仲良くなれたのに、いつまでもさん付けはいかがなものかなと」
一之瀬さんの指摘に、僕はしばし逡巡する。
これは無意識のうちに楓と他の女子を線引きしていたのもあるけど、そういえば確かにずっとさん付けではあった。
「あぁ、確かに…」
「中学の頃から一緒だったわけですし、いい機会ですからお互い名前で呼びませんか?…案外、あてつけになるかもしれませんよ?」
その提案には特に異論はない。だけど、少し気になることもある。
「あてつけ?」
「藤堂君ばかり顔を曇らせるのもいかがなものかなと思いまして…知ってます?白瀬さんって、案外嫉妬深い人なんですよ」
(まぁ、それは知ってるけど…)
今度は僕が眉を顰める番だった。そのことに関して一之瀬さんが気付いていたことが意外だったからだ。
記憶にある楓は、いつも穏やかな顔しか僕には向けていなかった。他の人が気付くとは思えなかったので、正直半信半疑なところがある。
「…それ本当なの?あの楓が嫉妬とか、ない気がするんだけど…」
「あ、信じてませんねその顔は。藤堂君が他の子と話していると、いっつも白瀬さんは藤堂君のほう向くんですよ」
ほんとですよと一之瀬さんは強調するが、その顔には確信があるように思える。僕は彼女の洞察力の鋭さに、内心舌を巻いていた。
(…やっぱり侮れない人だなぁ)
楓は全てを持ち合わせている子だ。誰からも好かれて愛される素養がある。
僕とは違い、完璧な女の子を素で演じてきっていた。
そんな楓の僅かな欠点に気付く一之瀬さん。彼女のことを、僕はどうやら過小評価していたらしい。
「……重症ですね。まぁいいです、これに関しては、私にはどうすることもできませんから」
諦めたようにため息をつく一之瀬さん。それを見ていると、なんだか申し訳なさが先に立った。
「あー…ごめん。やっぱりどうにもイメージが…」
「まぁいいですよ。それだけ白瀬さんと一緒にいたということなんでしょう…やっぱり、少し妬けますね」
一之瀬さんの最後の言葉は、よく聞こえなかった。ただ寂しそうな顔だけが、妙に心に焼き付いた。
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