第22話 一之瀬さんの考え
「な、なにを…」
正直、僕は狼狽していた。というか、しない人なんているのだろうか。
一之瀬さんからの突然の提案。それが分からないほど、僕だって子供じゃない。
「そのままの意味ですよ。話の流れで察して下さると助かります。できれば二度は言いたくないので」
一之瀬さんはそう言うと、ティーカップを手に取った。
ゆっくりと口元へ運ぶ動作を見ながら、僕は先ほど一之瀬さんが放った衝撃の一言を脳内で反芻する。
(自信を付けさせるって…つまり、そういうことだよね…)
自然と喉がゴクリとなった。要はあれだ。男になるというやつなんだろう。
その提案はきっと男子なら眉唾物であり、喜ばないやつはそうはいない。
一之瀬さんも目立つことがないだけで相当な美少女だし、女の子からのお誘いなんてある意味夢のようなシチュエーションである。裏があったとしても、多くの男子は飛びつくだろう。
未だ楓とそういう関係になれない僕に、ハッパをかけようとしてくれているのかもしれないけど…
「……悪いけど、断らせて貰うよ」
僕は一之瀬さんからの提案を、丁重にお断りさせて頂くことにした。
「……理由を聞かせて頂いても?」
一之瀬さんは静かに問いかけてくる。視線はこちらに向いていない。ただカップの中を見つめていた。
「僕は楓の彼氏だから…一応だけど、それでも裏切るような真似はできないよ」
「今は他の女の子の家にいるというのに?」
「…痛いところを突くね。うん、でもそれでもやっぱりそういうことをしたら、駄目だと思うから」
一之瀬さんの指摘は、自分でも分かっていることだ。誘われたとしても、ここまで来たことは自分の意志であることには変わりはない。そのことを言い訳するつもりはなかったけど、最後の一線を越えるつもりできたわけじゃない。
「第一、今一之瀬さんとそんなことをしても、自信なんて付かないと思う。僕は弱いから、多分一之瀬さんに逃げてしまうと思うんだ。きっと罪悪感しか生まれないし、なにより一之瀬さんに失礼だよ」
そこを履き違えてはいけないんだ。ここで流されたなら、きっと傷つけあうだけで終わってしまうことだろう。僕と楓の事情に、こんな形で彼女まで巻き込んでしまうわけにはいかない。
「私がそれでも良いと言っても?」
「僕が嫌なんだ。だから無理だよ」
僕は弱い自分が嫌いだ。だけど、これ以上嫌いにはなりたいわけじゃない。
どうしようもない自分であっても、そんな自分から逃げるわけには行かなかった。僕はどこまでいっても藤堂凪であることに変わりはないのだから。
それに、なにより…
「一之瀬さん、ずっと手が震えてるじゃないか。無理なんてしないで欲しい」
彼女の手は、ずっと震え続けていた。
紅茶を飲んでいる時も、話している時も、ずっと。
「だから一之瀬さん、僕は…」
「……バレちゃいましたか。意外と見るところは見てるんですね、藤堂君。私の負けです」
話を続けようとしたとき、一之瀬さんは大きくため息をついた。
カシャリと僅かな音を立て、ソーサーにカップを置くと、彼女はそのまま両手を挙げる。白旗のポーズだ。なんのことかと、僕は一瞬困惑した。
「え、負けって」
「全部ウソってことですよ。藤堂君の反応を見るために付いたウソです。本気な訳ないじゃないですか」
う、うそ?え、さっきまでのあれ、演技ってこと?
事情が飲み込めず目を白黒させてると、一之瀬さんはそのまま頬杖をつき、空いた指先でトントンとテーブルを叩き始めた。
「考えてみてください。今はまだ昼前ですよ?なんで朝っぱらから盛らないといけないんですか。だいたい、私達は今学校サボってる真っ最中です。そんな中で彼氏持ちの男子を家に連れ込んで自分から誘うとか、どんなビッチですか。私そこまで飢えてませんよ」
呆れた顔をしながら諭すように早口で説明してくる一之瀬さん。
なるほど、言われてみれば確かに納得の一言だが、それで僕が納得するかはまた別の話である。
「えええ…」
「本気にしちゃいましたか?残念でしたね、私は安い女じゃないですよ」
いや、ドヤ顔されても…なんだか僕が期待してたかのような言い草だけど、端からそんなつもりなかったんだけど。
「いや、してないから。僕自分から手を出すとか絶対しないから」
「ですよね、藤堂君はヘタ…草食系男子の極みですものね。知ってましたよ。それに彼女さん想いでご立派なことです」
今ヘタレって言いかけたよね?ちゃんと気付いてるから。言わないけどさ。
…うん、確かにヘタレだな僕は…
「…少し妬けちゃいますね」
「ん?なにが?」
「いいえ、なんでも。お気になさらず」
そう言って一之瀬さんはまたカップに紅茶を注いでいく。
(一之瀬さんの考えがサッパリ分からない…)
僕はそれを見ながら、またため息をつくのだった。
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