第3話 深入りできないコミュニケーション
一之瀬刹那とはそれなりに見知った仲ではあった。中学からの同級生というのもあったが、同じ図書委員会に所属しているという繋がりがきっかけで、たまにクラスで話す程度の繋がりが今でもある。
とはいえ普段から積極的に話をする間柄でもなく、どちらかといえば楓のほうが仲が良かったはずだ。僕とは図書館に入荷した本について、意見を交わすくらいしか共通の話題がなかった。
その証拠に僕が彼女について知っていることなんて、本の話題を除けば腰まで伸ばした亜麻色の髪が自慢で、手入れに気を遣っているとか、端正な顔立ちで見た目なクールなお嬢様タイプなのに、口を開けば話丁寧な言葉遣いで話しやすいとか、せいぜいそのくらいのものである。
これは僕があまり積極的にコミュニケーションを取るタイプでもないというのもあるが、それ以前に大きな理由があった。といっても、言うほどたいしたことでもない。聞けば多くの人が納得するだろう理由。
それは僕が楓という彼女持ちであったからだ。
彼女がいるのに他の女子とあまり深く関わるのはどうかという、妙な自意識もあるにはあったが、それだけじゃない。まだ理由はあったのだ。それは僕の側ではなく、楓のほうにである。
完璧な楓にも欠点というものは存在する。きっとそれは紛いなりにも彼氏の関係にある僕しか知らない一面であることだろう。
楓は意外と嫉妬深いところがあるということだ。
このことは人に話したことはない。聞けば惚気のように思うやつもいるだろうし、他人から嫉妬されるだろうことが目に見えている。これ以上敵を作るような真似を自分からするつもりもなかった。このことに関してだけは、以前の自分に感謝してもいいと思っているくらいだ。
一般的に彼女に嫉妬されるというのは彼氏冥利に尽きるだろうし、余裕のある大人なら可愛らしい一面と捉える人もいるだろう。
実際僕は漫画のように暴力を振るわれたり、罵声を浴びせられたような経験はないし、実害を被ったことはない。
そもそも喧嘩をしたことも、これまで一度だってなかった。せいぜいたまに一緒に作る料理の献立で揉めるとか、その程度のものである。
思春期にありがちな男女の意識の差も特になく、嫌悪感を持ったりとか互いを無視することもない。ワガママを言うのも恥ずかしながら僕のほうばかりで、楓は基本的に譲歩する側。昔から彼女はどこか大人びたところのある女の子だった。
そんな楓だから、付き合ってからもなにかが大きく変わることはないだろうと思っていたのだが、僕が他の女の子と話をしているとさり気なく視線で追ってきていることにいつからか気付いていた。
最初は勘違いかと思ったし、楓も男子と話しているわけだからお互い様だと思っていたのだが、これが二回三回と続けばそれはもう偶然と言い訳するには苦しいだろう。
とはいえ、彼女は僕になにかをしてくることは結局なかった。本当にただ見ているだけ。強いて言うなら、その目にどこか寂しさのような色が混じっていたくらいで、割り込んでくるわけでもなく僕に話しかけてくるわけもでない。
まるで主人に構ってほしいけど自分からはそれができない子犬を見ているような気持ちが、いつの間にか湧いてきていた。
なにも言われないからこそ余計に罪悪感が勝ることもあることを、僕はこの時学んだのである。
それからは自分からは極力女子と話さないようにしていたし、そんな僕に楓も満足していたようだったからこれでいいと思っていた。
だけどそれは今思えば失敗だったからもしれない。貴重な対人スキルを養う前に、自分から区切りを付けてしまった僕は、気付けば満足に女子と会話を続けることができなくなってしまっていたからだ。
つまりはその、なんだ。
そういうわけで、今の状況は普通に気まずいわけでして……
「えっと、その…」
僕は上手く言葉を繋げることができずに言いよどんでいた。
これが上級生なり見知らぬ他人なら信号が変わるタイミングを見て去ることもできただろうけど、仮にも相手は顔も知っていて話もするくらいの仲のクラスメイト。貴重な女子の友人枠といってもいい子である。
気まずい雰囲気を引っ張りたくはなかったし、なにか話さないといけないという、妙な使命感が邪魔をしたのだ。
「あの、これからは気をつけるから…」
とはいえ、所詮僕はコミュ力に欠けた陰キャ男子。出てくる言葉も場を切り上げることを優先した無難なものでしかない。
だけど顔色を伺うように呟いた言葉は、どうも一之瀬さんには届かなかったようだ。
彼女は僕の言葉が聞こえていなかったかのようにその整った顔を顰めると、ひとつの質問を放ってきた。
「……今日は白瀬さんと一緒に帰るわけではなかったんですか?」
それはある意味、一番聞いてほしくない質問だった。
「いや、実はちょっと用事があって…」
僕と楓が付き合っていることを知っている一之瀬さんからすれば、確かに疑問なのかもしれないが、僕としても正直本当のことは言いたくない。特に彼女は楓を取り巻くグループとは距離を置いている側の人間であるため、尚更だ。
容姿の整った彼女は本来ならリア充グループに属することができる身分だし、実際交流しているところを見かけることはあるが、普段は大人しめの少人数グループに属している。
本が好きな子が多いらしく、時たまその手の談笑に花を咲かせている姿も見かけるが基本的には穏やかな人であり、放課後に誰かを誘って出かけることもあまりなく、今日も早々に教室を出て行った姿を見かけていた。
「そうなんですか。それは仕方ないですね、でも途中まで一緒に帰るくらいはできたのでは?白瀬さん、今日は藤堂くんと一緒に帰るんだって、嬉しそうにしていましたよ」
だからここで絡まれるなんて想定外だ。いや、ある意味僕がきっかけを作ったのだからこんなことを言うのはおかしいのだろうけど、素直についてないと思う。
聞きたくなかったことまで聞いてしまった。親切心のつもりだというのなら、やめてほしい。それは僕にとって、重荷でしかない言葉なのだから。
「……そうだね、次から気をつけることにする。でも今日は、本当に外せない用事があってさ。楓を連れて行くこともできないから、今度埋め合わせしとくよ」
僕は曖昧な笑みを浮かべ、強引に誤魔化した。
同時に牽制をすることも忘れない。これ以上深く突っ込んでこられても困るからだ。
こういえば大抵の人は引くことを、これまでの経験で僕は知っていた。
「それが宜しいかと。彼女さんを泣かせてはいけませんよ?」
「ああ、もちろん…っと、じゃあ僕はそろそろ行くよ。それじゃまた明日、さっきは本当にごめんね」
それは一之瀬さんも例外ではなかったようだ。思ったよりあっさりと彼女は引き下がってくれた。
信号もちょうどいいタイミングで変わったし、最後の最後で運が味方をしてくれたらしい。
「ええ。ではまた明日ですね、委員会には遅れないようにしてくださると助かります」
「あはは、了解」
挨拶を交わし、僕達はようやく別れることに成功する。
僕は青信号になった歩道を渡り、足早に家へと向かう。
…正直、さっきのやり取りだけでどっと疲れた。さっさとベッドに横になりたい。
それだけしか考えることができず、蹴り上げていた石ころのことも楓のことも、既に頭から消えていた。振り返ることもしなかった。
「……用事があるのに、真っ直ぐ家のほうへと向かうんですね。なのに白瀬さんとは一緒ではない……嘘が本当に下手ですね、藤堂くん」
だからしばらくの間、僕の背中を見つめ続けていた一之瀬さんの視線にも、気づかなかった。
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