第2話  蹴り上げた小石

コツンと蹴飛ばした小石が音を立てて転がっていく。




学校からの帰り道、ひとり歩く僕は道すがら子供のような遊びに興じているところだった。


道に転がっている石を蹴りながら、見失うことなくどこまでいけるかという、小さい頃に誰でもやったことがあるであろう下校途中の暇つぶし行為。歩きスマホもしたくないし、だけどなにかを考えるのも億劫だったことから、なんとなくやり始めたのだが、案外やってみるとハマるものだ。


小さな先行者に追い付いたところで、ローファーの爪先で僅かな衝突を繰り返す。再び離れていく小石を見て、僕はなんとなく気分が良くなった。今回はさっきより遠くまで飛ばせたからだ。




「はは…」




目の前のことに集中すれば、少なくとも嫌な考えをはじき出すことだけはできる。一種の現実逃避。ただの手慰みであることは理解していた。




昔はこんな考えなど浮かばず、もっと純粋に楽しめていたと思う。


蹴り上げた石がどこまで飛ぶか、どれくらい跳ね飛ばすことができるのかとか、そんなことをただ単純に喜んでいたはずだ。その程度にはまだ純粋だったはずなのに、いつからそれを下らないだなんて思うようになったのだろう。




「大人になるって、いいものじゃないよな…」




まだ高校生のガキが、こんな分かったような口を聞くだなんて大人からすれば失笑ものだろうけど、僕としては大真面目だ。


できればもっと子供のままでいたかった。周りの目など気にせずに、もっと自由気ままに振る舞えればどれほど楽なことだろう。


自己中な考えであることは分かっているし、こんな冷めた考えをしてしまうあたり、僕はだいぶ擦れてしまっているのかもしれない。




少なくとも、小さい頃の僕は今よりずっと物事に真剣に向き合っていたはずだ。


いろんなことに一喜一憂して、もっといろんなことに挑戦してて。


なにをするにも、楽しかった。




それはきっと、隣に楓がいたからだ。


僕が高く、遠くに石を飛ばすと、彼女は我が事のように目を輝かせて喜んでくれていた。


「凪くんすごいよ!」なんて言われて、よく調子に乗っていたことを思い出す。




思えば昔から彼女は誰かを悪く言うことはなかった。悪いところよりも常に相手の良いところを見つけて、褒めてくれるような子であることを、楓の一番近くにいた僕はよく知っている。




人に褒められて、嫌な気分になる人間はまずいない、それが優れた能力を持ち、素直に自分を認めてくれる存在であるならなおさらだ。




人によってはそれはとても甘い蜜であり、浸り続けたくなるような猛毒にもなることだろう。どれほど背伸びをしようとも未だ大人になりきれていない僕らの年代は、常に承認欲求に飢えている。誰かに認められたくてたまらないのだ。




だからそれまで僕が独占していた甘い蜜が多くの人に行き渡るようになった今、こうなることはきっと運命だったのだろう。




故意ではなかったとはいえ、背中を押したあの日から、こうなることは必然だったんだ。






中学の後半、楓が変わることになる大きな契機、それは友人関係の拡大にあった。


僕との会話の翌日から、楓は積極的にクラスメイトに話しかけていくようになったのだ。それも男女の垣根なく、付け加えるなら相手の能力にも関係なしにだ。


これにはクラスメイトだけでなく、僕も面食らっていた。




元々楓は他人と積極的に関わりを持つタイプでないことは以前言った通りだが、彼女の突然の変化に対し、最初こそ戸惑ったものの、概ね好意的に受け止められたことは僕としても予想外であったが、なんとなく納得もできていた。




これは後で知ったことだが、元々容姿と学力に優れていた楓は、所謂隠れファンのような潜在的に好意を持っている生徒を数多く抱えていたらしい。


これまでは僕以外の生徒にどこか壁を作っていたことから、どこか避けるような空気が生まれていたのだが、楓が自分からその壁を壊してきたのなら話は別だ。


これはチャンスと言わんばかりに、数日もすれば楓を囲むクラスメイトが増えていき、あっという間にクラスの中心人物のひとりにまで駆け上がっていったのだ。




卒業が近づいていた、弱気と寂しさが同居する微妙な時期であったことが功を奏したのかもしれない。


楓は進学などで不安になっていた生徒を元気づけたり、相談に乗ってあげることもよくあったようだ。時には勉強をみてあげたりもして、感謝されることもあったらしい。崇拝までされているなんて噂もあったくらいだ。本当かどうかは、僕にはよく分からない。




この学校に進学した中学からの同級生もそれなりにいるため、今も彼女の近くにいる友人達のなかには、そういった生徒が何人かいる。


楓が高校で瞬く間にカーストトップになれたのも、彼女達の影の尽力も大きかったようだ。




もっとも、彼氏の僕は彼女達からは嫌われているようだけども。




楓という女神の側にいるには、僕はどうやら力不足であるらしい。


完璧な彼女に対し、僕はあまりに不釣り合い。そんな考えがきっとあるのだろう。


それにはまったくもって同感だ。ほかならぬ僕自身が、それを一番分かっていた。




思えば人から好かれる素養を、楓は最初から備えていたのだ。それを僕という鎖が縛っていただけで、本当はもっと早くから彼女の魅力は気付かれて当然のものだったはずなのだから。






だから僕は、きっと―――






「っ…!」




八つ当たりをするように、僕は大きく足を振りかぶると、小石を思い切り蹴り上げた。


気晴らしのつもりだったはずなのに、いつの間にか余計な考えが浮かんでいる。


それを振り払うべく、余計に足先に力を込めたのだが、どうやらそれがまずかった。僕は目の前のことに集中こそすれど、前を向いていなかったのだ。




「痛っ…」




「え…、あっ…」




足元にのみ注視していた僕は蹴飛ばした石の行方を気にも留めていなかったのだが、いつの間にか交差点まで近づいていたらしい。


それが小さい頃より大きく、鋭い放物線を描いて信号待ちをしていた女子生徒の足元に吸い込まれていた。落下音を奏でることなく、代わりに短い悲鳴が僕の耳元まで届く。




「ご、ごめんなさい!」




その小さな声を拾い上げた僕は、謝りながら慌ててその生徒の側に駆け寄った。


なにやってるんだ、僕は…




「あ、いえ。大丈夫です。ただ当たったからつい声を出してしまっただけで…」




「すみません。わざとじゃなかったんですけど、周りを見ていなくて…本当にすみません」




自分を責め立てたい気持ちになったが、今は謝ることが先だ。相手の人は丁寧に返答してくれてはいたが、僕は頭を下げた。




「や、やめてください、私は本当に大丈夫ですから。そんなことしなくていいですよ」




「いや、でも…」




慌てた声が聞こえるが、頭はまだ下げ続けたままだ。


そうしなければ僕が気がすまなかったというのもある。


今はとにかく、自分を責めたかったのだ。


そのほうが、楽だった。




だけど、そんな僕の自己満足は長くは続かない。目の前の女の子がこちらに早足で近づく気配を感じる。




「私がいいって言ってるんです。ほら、頭を上げてください…って、あれ?藤堂くんじゃないですか」




「え…?あ、い、一之瀬さん…?」




そこから肩を掴まれ、強引に上げさせられた視線の先にいたのは、僕のクラスメイトである一之瀬刹那いちのせせつなの姿だった。

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