第26話 一日だけのシンデレラ

「それじゃあちょっと連絡してくるね」




「はい、どうぞごゆっくり」




私が言葉をかけると、凪くんは少し申し訳なさそうにどこか困った顔をしながら扉を閉めます。


そのままパタリと音がして完全に外とは遮断されたことを確認した後、私は姿勢を崩し、小さく息を吐きました。




「ふぅ…」




正直言うと、少し疲れました。彼を家に招き入れてから、ずっと緊張しっぱなしだったからです。


凪くんには手の震えを指摘されましたが、それはあの時は体が勝手に反応してしまっただけのこと。




心臓は常に高い心拍数を維持しており、今もそのまま。それでも声だけは震えないようにと去勢を張っていたつもりですが、そこに気付かれなかったことだけは不幸中の幸いと言えるでしょう。


だけど、こうなったのも無理はないと思っています。






彼、藤堂凪くんは中学の頃からずっと気になっていた人だったのですから。






そう、気になる相手。あくまでそれ止まり。それ以上では有り得ない。


たとえ一緒にいるだけで鼓動が高まっても。彼の儚げな笑顔を見るだけで、この胸が締め付けられたとしても。






私はこの気持ちを、恋だとは言いません。






絶対に、決して言いません。言えるはずがないからです。


言葉にしなければ、そうであると確定することはできないのですから。


それが誤魔化しにすぎずとも、言い訳にはできる。心の隙間は埋められます。


言うなれば、これはシュレティンガーの猫のようなもの。




この気持ちはただ空を漂うシャボン玉に等しく、そこにあっても目を逸らし続けることができるのです。


きっといつかは弾けて空気と混ざり、風に乗って消えていく。その程度の儚いものだと、そう信じてここまできました。




そういうものだと、思い込まなければなりません。例えそれが、自分の心を殺すことになったとしても。




だって、そうしなければ―――






「あまりにも、惨めじゃないですか」






意図せず零れ落ちた声は、自分でもハッキリと分かるほどに、ひどく力のないものでした。


先ほどまで凪くんと話していた時の私は、とても楽しそうな声を出していたというのに、今はまるで別人のよう。




…いいえ、違いますね。こちらが本当の私。


凪くんといた時の私は、彼のために作り上げた別人格といっても差し支えがないものです。






ずっとこうしてみたかった。彼の近くで、彼と話してみたかった。




その気持ちが作り出した、偽りの自分。臆病な私が、見せかけだけでも精一杯の勇気を絞り出すための、今日一日だけのシンデレラ。




明日には消えてしまううたかたの夢。ただ一瞬だけのまほらばを守るためだけに、私はこの自分を演じ、殉死するつもりです。明日からの私達は、またただのクラスメイトに戻るのですから。




名前は覚えられていても、存在はあやふやで、中学が一緒だったことくらいしか彼の中に刻まれていなかったクラスメイト。


たまたま落ち込んでいたときに、たまたま話し相手になってくれただけのクラスメイト。


振り返って見ればそんなこともあったなという程度の記憶しか残らない、ただのクラスの女子Aのひとりに私はなる。




それは青春の一ページとしてみれば、きっとすごく綺麗な、穏やかな過去の残滓となることでしょう。






―――だけど、私はそれが嫌でした。私は綺麗な記憶だけでは終わりたくない。






それでは私が刻まれない。思い出だけが彼の中には残り、いつか顔すら忘れ去られる。




それが、どうしようもなく嫌でした。私は、一之瀬刹那は藤堂凪の中に一之瀬刹那の名前を刻みたかった。


どんな形でもいいから、彼の中に私を残したかったのです。






たとえそれが傷であろうと。自分自身にも消えぬ傷が残ろうとも。






私は彼に、一之瀬刹那を忘れて欲しくなかったんです。






―――白瀬楓。彼の幼馴染であるあの人に勝てるはずがないことは、最初から分かっていましたから。










凪くん、貴方は彼女に劣等感、コンプレックスを持っていると言っていましたよね?




自分の彼女にこんな感情を持ってしまう自分が嫌で嫌で仕方ないと、そう叫んでいました。




そうでしょうね。その気持ちは、とてもよく分かります。


私は嘘つきですけど、これは本当の気持ち。嘘偽りのない本心です。


私たちは、もしかしたら似た者同士なのかもしれませんね。


こんなことで少し嬉しくなってしまう私は、きっとどうしようもない愚か者なのでしょう。






生まれた時から一緒にいる幼馴染。彼の側にいつもいて、彼にもそれを望まれている。




とても素晴らしい関係を築けてきたであろうことは、彼ら以外ではきっと私が一番よく知っていることでしょう。




ずっと、見てきましたから。貴方を視線で追ったなら、貴方の傍にはいつも彼女がいましたから。




入り込む余地などないと、ハッキリ分かってしまうくらい。


貴方たちふたりは、自分たちの世界を築いていました。






……分かっていたんです。ずっと、ずっと前から。私にはわかっていたんですよ。






この気持ちは、決して報われることはないのだと。






私はちゃんと理解していたんです。


頭の中の冷静な自分が、諦めなさいとずっと囁いていることを知っています。告白だって何度もされました。


私、これでも結構モテるんですよ?白瀬さんほどでは、ないですけど。




その中には格好良い人だっていました。真剣に私を見てくれる人がいました。仲の良かった男子もいます。


きっとその中の誰かと向き合って付き合えていたなら、この気持ちもいつか消えていたのかもしれません。






でも、駄目でした。全員、どんな人でも駄目でした。


告白された瞬間。好きだと言われたその時には、いつも貴方の姿が浮かぶのです。


なら、断るしかないじゃないですか。他にどうしろっていうんですか。私だって泣きたいですよ。実際に何度も泣きました。




私の心の奥底に、あの日の貴方が焼き付いている。


そのことが、どうしようもなく私を苦しませていることを、貴方は知るはずもないでしょうね。知って欲しくもありません。


その時、貴方がどんな顔をするのか、手に取るように分かりますから。






「……悔しいなぁ」






貴方の幼馴染でないことが。貴方の隣にいるのが、私ではないことが。


ただ、どうしようもなく悔しくて悔しくて。






それでも現実はどこまでも残酷で、彼女に勝てないことは分かってるから。


はじめての恋が横恋慕だなんて、あまりにも惨めすぎるから。


報われない恋に殉じるには、私は幼すぎたから。




心が張り裂けそうになったから、この気持ちに蓋をして。


だけどどうしようもなかったから、私は私を誤魔化すしかなくて。




「グチャグチャだなぁ、もう…」




もう全てがごちゃまぜだ。この気持ちはどこに行き着くんだろう。


それでも、分かっていることがありました。




仮に、本当に仮の話ですがこの気持ちが恋だというのなら、早く捨て去るべきなんです。










―――だってこの恋は報われるはずのない、身の程知らずの恋なのですから


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