第33話 今はただ

私はいったい、なにをやっているんだろう。




本当に大切な人は、たったひとりだけだったはずなのに。










迎えた昼休み。


私はチャイムが鳴っても動くことなく、ただ机をじっと見つめていた。




もちろんこんなことをしていても、何の解決にもならないことは百も承知だ。


無為に時間を過ごすくらいなら、早くスマホを手に取って一刻も早く凪くんと連絡を取るべきなんだって、頭の中では分かってる。




でも、それができていたなら、そもそも私は今頃学校にはいないだろう。


さっきの授業中もそう。こっそりとスマホを机の下で操作して、凪くんに連絡すればそれでいい話だ。30秒もかからないはず。


他のみんなもそうやってよくスマホをいじっていることを、私は知っている。


先生以外なら見つかっても、きっと私を咎める子はいないはずだ。




誰もがやっていること。それに正当性だってある。私は凪くんの彼女で、彼の心配をすることが悪いことであるはずがない。


なんなら体調が悪いと抜け出せば、電話だってできたのだ。




(それでも…)




私には、それができなかった。


いつの間にか、常に誰かの視線を気にするようになっていた。


中学の頃、凪くんとふたりきりの世界で毎日を過ごしていたときには、そんなもの気にもしなかったというのに。




今の私は気付いたら、見えない鎖に縛られている。


動くべきときに動けない、踏み出すことができない人間になっていた。






昔なら、私は誰がなんと言おうと凪くんのことを一番に優先していた。


小学校の時は凪くんが休むというなら、親がなんと言おうと学校を休んで看病したし、凪くんが泣いているならいつも側に寄り添っていた。






それが私にとっての幸せで、それこそが私が生まれた意味だと、そう固く信じていたのに……






「ねぇ楓、どうしたの?」




「ご飯食べようよー、もうお腹ペッコペコー」




私がそんなもの思いに耽っていると、頭の上から声が落ちてきた。


反射的に顔を上げると、そこには友人達の姿がある。みなちゃんとひさちゃんだ。


あきちゃんも含めて、いつも昼ご飯を一緒に食べているメンバーで、今はどこかこちらを心配するように表情を伺っているようだった。


…約一名は、ご飯のほうがどうやら重要みたいだけど。




「……ごめん。今はちょっと、食欲ないんだ」




凪くんのことで、頭が一杯だから。なんてことはもちろん口には出さない。


惚気というわけではないし、今の私にそんなことを言う資格なんてないように思えたから。




「え、そうなの?保健室行く?」




「ちゃんと食べないとダメだよー。お腹だ空いたら力が出ないよー」




幸い、友人達は私の言葉を素直に受け取ってくれていた。


心配してくれるのは嬉しいけれど、それであまり一緒にいたいという気分でもない。


今はひとりで静かに考えたい気分だったのだけど、教室という狭い空間の中では私は放って置かれることがないようだった。




これもまた、中学の頃とは違う差異。


以前とは考えられない、今の私の立ち位置だ。


このことに私はこれまで、特に疑問を覚えることなんてなかった。この生活がいつの間にか、当たり前になっていたからだ。




常に私の近くには誰かがいて、話しかけてくれて、それに応える。


そんな日々を当然のものとして受け入れてきたから、私は気付くことができなかったのかもしれない。






その中に、凪くんの姿は本当にあったのだろうかということを。






「……っつ」




思わず制服を握る手に力が篭った。


本当に、私はなにをしているのか。そしてなにを見ていたのだろう。


頭の中がグチャグチャになりそうで、だけど分かることはひとつだけある。




(私は…)




今はただ、凪くんに会いたかった。










「……ねぇ、あきちゃんはいる?」




さっきの時間、いつの間にか私より先に教室に戻っていた親友の名前を口に出す。


今も姿が見えないから、なんとなく気になった。これから行うことを考えると、言伝を頼むなら彼女がいいと思ったから。




「え?秋乃?」




「あー、そういえば見ないねー。電話なりしにいったんじゃない?彼氏とかさー」




「え?あの子彼氏いるの?」




「知らなーい」




なによそれとツッコミを入れるみなちゃんと、それをのんびり受け流すひさちゃん。目の前で行われている掛け合いに、私は少し苦笑する。


こういった友人達が持てたことが、素直に嬉しい。


だけど、本当に大切な人は誰なのか、私はどうしても確かめないといけないんだ。






私達ふたりがこれから先も、ずっとふたりで一緒に歩いていくために。






「ねぇ、じゃあふたりに、ちょっと伝言頼んでいいかな」




「え?」




「珍しいねー、なーにー?」




ずっと眺めていたいと思える光景を、私は自ら遮った。


それは私自身の見えない意思表示でもある。


私は少しだけ笑いかけると、ゆっくりと口を開いていく。








それから少しだけ時間が流れて、カバンにしまっていたスマホに連絡が来ていたことを知ったのは、校門を出てすぐのことだった。




それでも私は走り出す。ただ、あの人に早く会うために。

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