第15話 無意識の悪意こそ突き刺さる

分かっていたことだ。それはいつかはきっと誰かから、指摘されるはずだったこと。


これまで口にして直接言われることがなかったのは、ただ運が良くて、まだ周りに恵まれていたからだということは、とっくの昔に分かっていたんだ。






―――早く別れろ。お前じゃ釣り合っていないだろ






楓と一緒にいる僕を見るクラスメイトの目は、いつもそう言っていることに気づいていた。


気付いていたけど聞きたくなくて、認めたくなくて耳を塞ぎ、目をそらしていただけだ。




それが今日指摘された。見知らぬ他人からの嘲笑を含んだ侮蔑混じりの言葉が耳に届いた。


ただそれだけ。当たり前のことを、当たり前に言われただけのことだ。




そこにきっと悪意はない。彼らだって僕に面と向かって言っているわけでもないし、ただ面白半分に口にしただけの言葉なのだろう。SNSに適当に書き込んだ落書きのように、すぐに心からも記憶からも消えていくような、ただの嘲り。多くの人間がやっている、一種の憂さ晴らしだ。




「……っ!」




だからこそ、胸の奥に突き刺さった。ナイフのように抉られた。


だってそれは、紛れもない本心からでたものに違いないのだから。




人の悪意はいつだってそうだ。突き立てた本人は忘れ去り、刺された人間には傷が残る。




世の中はそんなものだと、とっくに分かっていたはずなのに。










「ぅ、あ…」




世界が揺れる。視界が歪む。ぐらんぐらんと音を立て、僕の世界が軋んでいく。




「…凪君?凪君!」




楓がなにか言っている。だけどそれももう聞こえない。近くにいるはずなのに、ひどく遠くから聞こえるような、そんな感覚に陥っている。




まるで奈落だ。足元が覚束無い。どこに立っているのか分からない。ガクガクして、フラフラする。まるで海の中にいるようだ。




「凪君!」




ここはどこだ、僕はなんだ。


僕はなんでここにいるんだ。彼女はなんでそんな必死な目で、僕のことを見てるんだ。






僕なんて、なんの価値もないやつなのに。






「……うぷっ」




腹の底から、急にこみ上げてくるなにかがある。


僕は反射的に口元を手で押さえ込む。それが胃の中からこみ上げてきた吐瀉物であると気付いたのは、口内に酸っぱいものが逆流してきたからだ。




「ぅ、ぐ、ぅぅぅ…」




それを強引に飲み込もうと僕は必死で下を向く。逆効果だとか、そんな考えは頭にない。そもそも思考はまっさらだ。なにかにリソースを割く余裕なんて今の僕にありはしない。


ただ本能が理解していた。ここで吐き出せば、きっと僕の学生生活は、ここで終わるのだろうということを。




女子は悲鳴を上げ、男子はドン引きし、朝の通学路はきっと阿鼻叫喚の地獄になる。現場を見ない生徒は遠巻きにその情報を拡散して、今日一日学校では僕は一躍時の人になるだろう。もちろん、悪い意味でだ。そこに慈悲が加えられることはきっとない。これ以上ないだろう、僕を叩く飯の種を、彼らが見逃すはずがないのだから。




だから僕は必死で耐えた。吐き気が収まるまで十秒か、三十秒か。あるいは一分は経っただろうか。それは確かに僕だけの戦いで、他のことなどに気を配る余裕はなかった。




「凪君、落ち着いて。大丈夫、大丈夫だから…」




たとえ僕に必死に呼びかけながら背中をさする楓がそこにいても。


他の生徒の視線から隠すように僕の頭を抱えてくれていたとしても。




彼女の献身に気付くことも、辛そうな顔をしている楓の顔に気付くことも、その時の僕にはできなかった。


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